3.頭領
本栖の仮本陣にて目新しい酒に注目が集まるなか、胴間声をあげた男がいた。
「恐れながら上様、それがしは甲斐を任されたと思うておりまする。
これなる甲斐の産物をそれがしの家で扱わせていただいてようございましょうか」
声の主はふてぶてしい表情を浮かべ、いかにも古強者といった貫禄のある五十過ぎの熟年だ。
兄貴やオレへ睨むように目を向けながら、文句があるなら言ってみろとばかりに威圧している。
その声に反応を見せたのは信長でもなければ家康でもない。
もちろん、オレの兄貴でもないが、オレもかねてから顔を知る人物だった。
「待たれよ、河尻殿。
甲斐の過半はそなたの所領となったが、我ら穴山は上様より所領を安堵いただいた。
当家は甲斐国河内郡と富士川沿岸。
さらには富士上方など中道往還南方の支配も引き続き認められてござる。
これは駿河国主となられた徳川殿とも話が通っておる。
またさきほど徳川殿が申したように、この渡辺囚獄佑は当家と縁続き。
囚獄佑率いる九一色衆は武田宗家に服従しておったが土着の独立勢力でござった。
それがしが上様や徳川殿に馳せ参じた際は渡辺囚獄佑も同心のこと。
ならば、織田勢力下となれば、縁続きの当家か、同じく縁続きの徳川殿の与力であろう。
河尻殿の一存で被官になど決めるのは乱暴な話と存ずる」
河尻秀隆の言葉に反論したのは、穴山梅雪だった。
穴山氏は甲斐国南西部から駿河の北東部にかけて勢力を拡げる小名だ。
また武田家から度重なる養子入りと嫁入りによって、武田家より武田の血が濃く、甲斐源氏のなかで格別の扱いがされてきた。武田宗家と対立をして離反、宗家が滅亡に至った現在では、武田の名跡を継承することが信長によって認められており、名実ともに甲斐源氏の後継者でもある。
梅雪自身が訴えるように、駿河にも所領をもち、富士のお宮のあたりまで差配していたことから、数年に一度は本栖に立ち寄ることもある。その折には、この実家に泊まっていき、オレにとって「偶に泊りがけで酒盛りをしていく親の上司」的立ち位置のオジサンだった。
オレの酒を一手に扱おうと考えたらしい河尻秀隆は、穴山梅雪に問題点を指摘されて顔を赤くする。そして、口から泡を飛ばしながら怒鳴って、
「なんだと、梅雪入道!
甲斐国主となった俺に、まだ逆らおうというかっ!」
穴山梅雪の持つ『武田の名跡』『甲斐源氏の嫡流』なるものが単なるローカルな称号であれば、河尻秀隆も神経をとがらせることはなかっただろう。
オレもこの時代に転生してから知ったことだけれど、この時代の武士は地理や歴史やアイデンティティなど、『吾妻鏡』を教科書にして学び、基礎教養としていた。
吾妻鏡は源平合戦から始まる武士の歴史であり、全国に配された源氏と平氏を祖とする武士のよりどころだ。
そこに描かれているのは、貴族から武士の世となり、それぞれの先祖がどのような活躍をして、武家社会の成立に関わってきたのかという物語。
源氏の代表的な英雄といえば、頼朝、義経、木曽義仲。
そして、彼ら3人の次に挙がる第4の名こそ、武田、であった。
源平合戦の序盤、頼朝は挙兵して一度は敗北を喫し、次には盛り返していく。
その逆転の切っ掛けとなったリベンジ戦こそ、駿河で起こった富士川の戦いであり、そこに万の兵を従えて参戦したのが当時の甲斐源氏の嫡流、武田信義だ。
富士川の戦いで平氏は敗北を喫したわけだが、これ以前の二百年以上もの長期に渡って錦の御旗を掲げた軍は無敗を誇っていた。それが頼朝を大将に仰いだ武田主力の甲斐源氏軍団が破ったことは、エポックメイキングな出来事で、以後の武家政権樹立を勢いづかせたといっても過言ではない。
また、頼朝、義経、木曽義仲は権力闘争や血筋の断絶によって家を途絶えさせたが、武田氏は鎌倉政権の介入によって家勢を衰えさせながらも生き延び、源平合戦から三百年以上を経て、武田信玄による二度目の全盛期を迎えるに至っては武家社会において特殊な立ち位置となっていた。
そればかりではない。信長以前、畿内を制した天下人とされる三好長慶もまた、氏族の由来をたどってみれば小笠原氏の分家であり、さらに遡れば加賀美氏という甲斐源氏の系譜に名を連ねるのである。穴山の受け継いだ武田の名跡と甲斐源氏の嫡流とはそのような武家社会での大きなネームバリューとして意味を持っていた。
閑話休題。
信長の前で言い合う二人の男について、少し前にオレが兄貴から聞いていたのは、
『河尻秀隆なる男は織田家の宿将格にして、次の天下人たる三位中将さまのご家老でな。
甲州征伐が終わった後は甲斐一国をまるまる与えられる予定だったそうな。
しかし、穴山殿が思いのほか早く臣従を言い出したことから予定が狂ったらしい。
穴山殿の臣従を認めた上様は、甲斐国人を早期に組織化、東の守りとするつもりのようだが河尻殿は面白くなかろう。
甲斐国主となるはずが、隠し金山は穴山殿に安堵され、駿河に続く駿州往還も中道往還も穴山殿のお膝元。名声でも敵わぬ。
これでは穴山殿が本心から上様に臣従したとて、河尻殿は落ち着かぬはずじゃ。
まして、山国の悪いところで領境が曖昧ゆえな、どこを境とするか未だ揉めて決まらぬ』
とのこと。
領地だのメンツだの、争うふたりに新たな火種として、今夜はオレの酒が加わった形だ。
香木の香り漂う蒸留酒が高く評価されたのは嬉しいが、河尻にしても穴山にしても、誰かの下で指図されるまま酒を作らされるのはいかがなものか。なにより、オレは百姓として安穏とした人生を過ごす予定でいるのだ。
これ以上深く武家に関わってしまえば、どこで何があるかわかったものじゃない。
兄貴も織田信長や三位中将さまの前では普段の偉そうな口ぶりも聞かれず、息を殺してことの推移を見守っている。
ここで恐ろしいのは、信長という歴史に名を残した短気者の前であることか。
河尻秀隆と穴山梅雪が言い合う姿に青筋を浮かべる信長が、いっそふたりとも成敗しよう、なんて極端なことを言い出さないかヒヤヒヤする。
旗色からいえば、新参の穴山梅雪が不利なのだろうけれど、臣従したばかりの梅雪をたった数日で処分してしまえば甲斐国人の動揺を招いて、なんのために穴山を受け入れたのかわからなくなる。
穴山の調略には徳川が動いていたこともあって、信長も相応に気を使うわけで簡単な答えも出せず、甲斐府中で揉めていた甲斐国の分割問題がふたたび本栖で噴き出しそうな雲行きである。
『なんでもいいから、この場をさがって無関係なところで寝たい』
そんなことを内心で思ったのが良くなかったのかもしれない。
信長の息子にして、空気の読める男の三位中将信忠が、出し抜けに妙なことを言った。
「良し。ならば、この酒の扱いは私の下でするとしよう。
香木の価値を最も知るのは京のやんごとなき方々であろう。
他にも寺社への懐柔や慰撫、いずれにしても畿内で用いることになる」
しかし、三位中将の家老である河尻秀隆は、穴山を超える何かを得ようと踏ん張った。
「お待ちくだされ、中将さま。
この本栖は穴山の所領ではございませぬ。
それがしは上様より、穴山領を除く甲斐国を与えられたのでございますぞ。
本栖の国人はそれがしの下に就くのが自明でござる。
この酒を作った男にしたとて、それがしが召し抱えることに何も問題はないはず」
「しかしな、徳川殿が調略した本栖の扱いはまだ決まっておらぬはずだ。
そのほうが調略したならともかく、徳川殿が我がほうに引き入れたのだ。
甲斐攻めで徳川殿と穴山、本栖渡辺の三家が縁続きになったとなれば粗略には出来ぬ。
河尻家とて本栖渡辺家を召し抱えたあと、重臣と扱えるのか。
穴山と縁続きだからと爪弾きなどすれば、私も見過ごすことはできぬぞ」
「そっ、それは、ぐ、ぬぬぬ」
河尻秀隆はよほど穴山梅雪へ頭に来ているのか、悔しげに唸った。
そこへ、三位中将信忠は言い聞かせる口調で続けた。
「肥前守、そのほうが穴山と反りが合わぬというなら悪いことは言わぬ。
酒作りのものは、私が召し抱え、織田の家産として作らせる。
了見せよ。
そのほうと、新五郎はこれからも私の両腕じゃぞ。
些事にこだわるでないわ」
「……ハハッ、畏まりましてございまする」
三位中将にそこまで言われてしまえば、河尻秀隆も従うほかになかった。
さらに三位中将は家康と梅雪に向かって、
「このように取り計らうが、構わぬな」
念を押すと、家康は笑顔で、梅雪は観念した表情で、
「「ハハッ」」
と、従う意思を示した。
三位中将は織田の後継であり、軍権を預けられた総大将。武田勝頼は滅んだものの仮本陣と呼ばれる戦時のうちとされたこの場で甲斐国の問題を一気呵成に鎮めようと考えたか。
さらに言葉を続けて、
「一同、よく聞け。
甲斐国にて、河尻と穴山の両名に所領の境界に異議があるという。
しかし、これについて私は他国で織田家が仕置する先例にならいたいと思う。
菅屋九右衛門、これへ参れ」
「ハハッ」
ついさっきまで、信長の背後に控えていた執事風の男が音もなく現れ、かしこまった。
オレの酒を飲んですぐに「香木の香り」と気づいた人物だ。
三位中将は男に向かって命じる。
「九右衛門、そのほうはしばらく甲斐に残って、領境の吟味をせよ。
また合わせて本栖渡辺の扱いを徳川殿と協議の上で仕置するのだ。
河尻と穴山の両名は、九右衛門の言葉を私の言葉と心得よ。
上様、よろしいですな」
次代の天下人が、当代の天下人である父親に確認を取ると、
「好きにせよ」
とだけ、声が起こった。
その信長の声はどこか愉快そうで、顔に浮かぶ表情もうっすら綻んでいる。
『うわっ、信長が笑ってる!』
上目遣いに様子をうかがっていたオレは、予想外の光景に驚き、思わず体を揺らした。
だって、ほんの少し前にキンカン頭の光秀を切ろうとしてたのに。
落ち着かぬ様子のオレに気づいたのは、三位中将だった。
「そのほうが、この珍奇な酒を作った男だな。八郎兵衛だったか?」
武田家を滅ぼした日本一の軍司令官に命じられて、歯向かうなど心にもないことだ。
もちろん、武士に関わることは避けたいし、百姓として大成すべく頑張るつもりだけれど、織田家に逆らって命を落とすのは論外だった。
「へぇ、八郎兵衛でごぜえます」
「八郎兵衛、そのほうは武家の生まれであろう。
武家らしく話すがいい。私はそのほうを千石で召し抱えるつもりだ」
えっ、マジで!?、兄貴より高給取りだぞ!!!!!
思わずそう言ってしまいそうになったが、すんでのところで堪えてから、
「ハハッ、ありがたき幸せにござりまする」
とだけ答えることが出来た。
この返事を受けた三位中将さまは、口の端を大きく上げて、父親譲りの強い視線を浮かべながら居並ぶ諸将を一回り見て、ふたたび視線をオレへと向けてきた。
「良し、これから我らは主従ぞ。この顔を覚えておくのだ、私が三位中将信忠である」
オレは、地侍の四男。帰農したので実際には百姓の見習いみたいな男へ、千石を与える。
あとになって物の分かった人に尋ねたところ、いくら巨大な織田家でもこれは例外。過大な俸禄であったそうな。
三位中将さまは腹心の河尻秀隆と格別な同盟者である徳川家康を取り持ち、なおかつ甲斐国人を慰撫するために、太っ腹なところを示す意図があったそうな。
この酒には千石の価値があるので天下人が召し抱える、そう表明したわけだ。
誰に文句のつけようもない。