18.オレが変わっただけ、あとは余波
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青木ヶ原を東へ抜けて西湖の南岸を大きく迂回し、北条方の索敵に触れぬよう山沿いに河口湖へ向かってみると、遠目に見ても河口の集落には大勢の人がうごめいていた。
北条方がたどってきた道のり『甲斐路』は、令和で言う静岡県御殿場市から東富士演習場をかすめて山梨県の山中湖、河口湖へと続いていた。
彼らの進軍は本来なら九一色郷を無視しても不思議はなかった。甲斐路は河口湖から御坂峠を通って甲斐府中へ向かう道だ。北条本隊が歩を進めた甲斐北部の若神子城、さらに膠着状態となっている甲斐府中の穴山と徳川の連合軍。そこへ南からの援軍として顔を出すことで、甲斐府中を挟み撃ちにすることが北条別働隊の目的だろう。
だが彼らの兵糧が現地調達と目されることが事態を複雑なものへ変えていた。
別働隊は先を急ぎながらも食べ物を略奪しなければならない。北条方の勢力圏であった御殿場を荒らすわけにも行かなかったのだろう。それが甲斐へ入ってからタガが外れたようにやりたい放題をしているらしい。
河口の集落を東に見下ろす壇ノ山中腹から眺めながら、北条方の威勢のよい大声が山に響いて届いている。
集落までどれほどの距離があるか、指を使って距離を測っていると、周囲を警戒して見回っていた次平が老人を連れて現れた。次平に続いて姿を見せたのはオレもよく知る顔だった。老人は緊張した様子だったが、オレはいつもの調子で声を掛けた。
「おお、炭焼きの六爺じゃないか。あっちもこっちも大変なことになってるなあ」
「八郎兵衛さんか。こんなところにいるのが見つかったら大変なことになるど」
炭窯に入る日々を過ごし、洗っても落ちきらないモノトーンな格好をした老人は、地面にどすんと腰掛けた。普段はいたずらげな明るい性格の老人が、驚くほど低い声で吐き出すように続ける。
「こっちの郷はもうダメどう。食いもんはなんもかんも全部食われたわ。
家っちゅう家に余所者が入り込んで、若い娘を良いようにしとる。
小山田様は、なんであんなもんを連れて帰っただか」
オレがどんぐりウイスキーを作る際、原料であるどんぐりの採取は地元の子供を甘味で釣っていた。それは西湖の辺りの子供から、話を伝え聞いた河口湖まで知られるようになっていた。
集めたドングリは水飴になって彼らの労働が報われ、酒になってオレが喜び、ときにアルコールに植物由来成分を染み出させたチンキ剤を作る。頼まれればチンキを分けたこともあり、近所の人を助けていると知られて『医者もどき』に祭り上げられたこともあった。河口のあたりでも噂が伝わって、六爺など慢性の神経痛を持った人物に柳の樹皮チンキなど、気休め程度の効き目でも喜ばれていたのである。
なお、アルコールを用いて生薬から有効成分を染み出させるチンキは、樽熟成した酒が樽材から風味成分を引き出しているのと原理はまったく同じである。柳の樹皮からはアスピリンのご先祖様を取り出すことができ、19世紀まで痛み止めなどに使用が続いていた信頼と実績の物質だった。
六爺は鉄砲を背負ったオレを見ながら言った。
「戦をするじゃあ、儂にも手伝わせてくれんけ?」
オレの近くに控えていた辰蔵が言った。
「危ねえから、俺たち若いもんに任せといてくれ。
余所者に帰ってもらいたいのは俺も六爺と同じだよ」
辰蔵は六爺を危険から遠ざけようと思って口を出したようだが、振り返った六爺の眼は座っていて、覚悟のほどが伝わってくる。
「儂とおめえが同じ気持ちなわけあるかっ。
孫娘が連れて行かれた時、倅が手向かいしたんだ。どうなったと思う?
生意気じゃ見せしめじゃと、槍でどてっぱらをひと突きにされちまったわ。
孫娘は連れて行かれて、孫息子はうちの婆婆が背負って山に逃げとる。
おめえさんらも、うちの孫を知ってるら。
儂は、孫を父無し子にしたやつを、ぶっ殺してえ」
六爺の語尾は震えていた。その無念を晴らさせてやりたいが、オレは六爺が敵討ちをするために仲間を危険に晒すことはできない。
「ごめんな、六爺。悪いけど連れてくわけにはいかないんだ。
でも、やつらをぶっ殺す手伝いなら頼みたいことがある」
「儂にできるこんじゃあ、言ってみろやれ」
六爺は話を聞かせてくれるだけでいいんだ。あとはオレらがやっとくから。
○
「じゃあ、始めるぞ」
「へえ。オラも手筈の通りにやるで、八郎兵衛さまも気をつけてくれちゃあ」
オレと辰蔵は深緑の色合いに染めた衣と体中に施した茂みの擬装、いわゆるギリースーツで頷きあってそれぞれの配置に向かった。初夏の藪に潜むうえで最高の格好だろう。
炭焼きの六爺から聞き込んだ話から、今朝方に河口湖へ着いたばかりの北条方がいまだに壇ノ山へ兵を置いていないことが分かっていた。壇ノ山は河口湖を見下ろし、本栖へと向かう道を一望できる単独峰である。相模から駿河をかすめて甲斐へと長い山道を歩き通した彼らは食べることと寝ることで忙しいようだった。おそらく、小山田六左衛門と御宿勘兵衛が本栖を訪れた影響もあるのだろう。本栖の兵数が報告されているはずだ。さすがに2百ほどの九一色衆が1万に挑むとは考えづらい。
物事に集中すると低血糖様の症状を起こしかねないオレは、あらかじめ水飴を口に含んで舐めながら河口のあたりを観察し続けていた。
すべての作戦は、オレの第1射から始まるのである。
最初の玉薬を装填し終わった鉄砲を担いで、壇ノ山東端の斜面から藪と稜線の陰に隠れつつ、河口の集落と目と鼻の先まで近づいていた。六爺がもたらした情報によると、すでに集落からは年寄りや子供の多くが山へ逃げ込み、逃げ遅れたものは人質として集落の真ん中へ集められているという。
人質を取られた河口の男衆は北条方の雑兵として加勢せねばならない。
聞き込んだ情報はそればかりでなく、北条方の武士がどのあたりに滞在しているか、どのような格好をしていたか。鎧兜か、陣羽織か。それらを六爺の知る限り聞き込んで、分家隊の面々は頭に叩き込んでいる。彼らはオレの指図通りに配置へ着いているはずだった。
「あれか」
河口集落の西側、神社の境内に屯する大きな集団が見えた。
藪から透かし見た先に、揃いの黒い胴丸を身に着けた男たち──200メートルほども離れて小指の爪ほどの大きさ──が固まっている。旗指物は北条氏の三つ鱗紋が描かれていた。
集団には立派な戦装束の男が幾人もいる。遠目には顔の判別まではできない。
「まあ、今のところは誰でもいいんだ」
担いでいた鉄砲の火蓋を切り、口薬を確認してから火縄を付ける。
外見上も原理上も、平均的な3匁小筒である。弾丸の殺傷能力が維持される距離が100メートル強、狙撃が可能な距離は50メートル程度か。
しかし、オレが息を詰め、五感が不自然なほど研ぎ澄まされたの中で引き金を引くと、
ずどん
火薬の燃焼によって発生する強力なガス圧が弾丸を射出して、集団の中で指図していた立派な陣羽織の男へ命中していた。
オレとターゲットの距離は200メートルも離れていた。にもかかわらず命中したのは、オレの特異体質のおかげもあろうが、割合としては玉薬の改良が大きいだろう。オレが3匁小筒から撃ち出したのは、ライフルドスラッグ状の椎の実弾であり、火薬は褐色火薬だった。これらはこの時代の一般的な滑腔銃身の火縄銃でもそのまま発射可能でありながら、有効射程と弾道特性が改善される。またどちらも既存の鉛玉や黒色火薬の製造過程に少し手を加えるだけで、材料もほぼ変わらず、調達が容易。寡兵を少しでも補うために急拵えで出来る火力の改善だった。
狙撃を終えたオレの周囲は、白い煙が立ち込めていた。
火縄銃は黒色火薬を褐色火薬に変えても派手に煙を上げるため、隠れて狙撃したところで発射直後に居場所はバレてしまう。すぐに移動しなければ敵が駆け寄ってくるだろう。
狙撃された北条方は大騒ぎになっており、その一部はオレのほうへとすぐさま駆け出していた。鉄砲対策は、射線から身を隠すか、次弾装填までに射手を討つかの2択を迫られる。
ギリースーツを身にまとっているオレは、藪の中で煙の漂う辺りからこそこそと後退していく。気配を消して慎重に動くオレよりも、北条方から駆け寄る集団のほうが明らかに速く、時を置かずに追いつかれるように見えるが、そこは辰蔵の働きに期待する。
オレが第1射を放ってから十秒を少し過ぎた頃、身を低くして移動している最中に、南の方角から、
ドカン
という炸裂音が聞こえてきた。辰蔵が放った焙烙玉の音である。
狙撃手を追いかけていた集団にとって、狙撃手よりも近い位置で炸裂音が鳴り響いたため、焙烙玉の炸裂地点を新たな狙撃手と誤認して方向を変えていく。しかもおとりの焙烙玉は音まで鉄砲に似せられて、煙も派手に吹き出す配合になっている。
オレは焙烙玉が炸裂した位置を見下ろすことの出来る高台へ身を潜ませて、次弾を装填して集団を観察した。
20名ほどの追跡集団には、それを率いているらしい鎧兜姿があり、あれこれと指図するように声を掛けている。この時代にはスマホもなければ、無線機もない。危険な戦場へ人を駆り出し、現場で動かすにはどうしても指揮官が前に出なければならなかった。それら前線指揮官は国人領主であったり、大領を治める武士の一門であったり。いずれにしても縁故ある兵を引き連れて遠征を実現させるだけの器量を備えていた。いなくなったからと簡単に代役を立てることの叶わない貴重な人材だ。
ずどん
オレが引き金を引くたびに前線指揮官がひとり斃れ、移動と撹乱を繰り返すこと数度。
いよいよ敵は業を煮やし、オレと辰蔵のゲリラ対策に本腰を入れることに決めたらしい。
一刻も経たないうちに河口の中心部でまとまった大集団を組織している様子だった。彼らはオレたちが本栖か御坂の国人あたりと気づいているはずだ。大兵力を差し向けて、ゲリラの本拠を一気に制圧するのは今も昔も正攻法である。
もちろん、この展開は予想していた。鉄砲を背負って河口へちょっかいを出したなら、北条を怒らせるなんて誰にだってわかる。下手をすればオレの鉄砲が切っ掛けとなって九一色郷が攻め滅ぼされることだってあるだろう。
それを防ぐために、西へ続く道には罠猟名人の次平率いる分家隊半数を配置している。彼ら迎撃班は改良玉薬をもたせた鉄砲隊員を3名と、焙烙玉や火炎瓶を持った擲弾兵2名で構成され、山の中で息を殺して出番を待っていた。いざ敵襲となれば、指揮官の幾名かは冥府に送られようし、いよいよ危ない時には森に火を放つことまで許していた。
また北条方の注意をそらすために甲斐路の南方、山中湖方面にも分家隊を3名送り出していた。
南方へ向かった重助ら南方班3名はオレの指図通り、太陽が中天を過ぎたタイミングで、行動に移した。
空に変化が表れると、間を置かずに北条方がざわざわと蠢いた。
北条方にとって、故郷に続く道の先から、幾筋もの狼煙が上がっていた。
河口に滞在する北条別働隊について、史実通りの編成だとすれば、その一定数は相模国や武蔵国どころか、安房国や上総国といった令和でいう千葉県など遠方からの兵も混じっている。
本能寺の変の直後に挙兵した北条氏は、侵攻軍として即応可能な人員で本隊を組織した。彼ら相模国や武蔵国の兵らは上野国へ攻め込み、そのまま信濃国へとなだれ込んでいた。遅れて組織された別働隊はといえば、本拠地に残されていた後詰めと、北条に臣従する南関東の兵の混成部隊である。南関東の者にとって、複数の国をまたぐ大遠征であり、後方で不穏な動きがあったなら、無視することはできない。
分家隊のあげた狼煙は、南から吹き込む季節風に乗り、富士の東を反時計回りに流れるように、河口へとたなびいて見える。
すると、1万あった兵のうち、2千ほどが後方警戒へと出立していった。
彼らを率いる武士もオレたちのターゲットだ。重助ら南方班は、銃兵1名と、擲弾兵2名で撹乱を試みる予定だった。擲弾兵は100メートルも離れた場所から、焙烙玉や火炎瓶を印地打ちの要領で投射するため、慣れた山で隠れ鬼をしながら距離をおいたなら、無事に生きて帰って来られると信じている。
河口のあたりに残るオレは、駐屯する北条別働隊が減ったなら、いよいよ大胆に侍を狙ってゲリラ活動を続ける予定だ。
身分のある指揮官が口伝えに命令を下し、前線指揮官に引率されてえっちらおっちら前進する集団。目下のところこれがオレの敵である。これを足止めしようというなら、代わりの利く雑兵を減らすより、代わりの利かない前線指揮官を減らす。
前線指揮官が減れば、配下の兵は身動きが取れなくなる。さらに上位の指揮官が減れば、その上の指揮官の負担が増していく。本来ならば前線指揮官が出れば良いところへ、上位の指揮官が出ざるをえなくなる。
大声で人をまとめて動かすのが古代から続く集団行動の基本だ。声を上げる人がいなくなれば、集団として機能しなくなるのだ。
堀監物が言っていた『統制』が北条別働隊1万から失われる。
そのためにオレ達がやっていること。
令和で例えるなら、1万人が宿泊するキャンプサイトの周囲を狙撃手5名、爆弾魔5名で包囲して、散発的にドカンドカンと暴れまわっている、みたいな感じだろうか。キャンプの客は他県から山道の長旅を越えてきたばかりでヘトヘト。彼らを引率するインストラクターは声を上げるたびに狙撃されて身動きが取れない。
弾丸について、スラッグ弾や椎の実弾の呼称や理屈につきまして
詳しい方は突っ込みたくなるところもあるかと思われますが
本作においてはこのような設定で進行させてくださいm(_ _)m




