17.故郷に万の賊
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オレが率いる分家隊は九一色衆とは別行動で、九一色郷の東境を広く薄く探索していた。
堀監物からは胡散臭く思われているが、にわか仕込みの調練を重ね、石垣の補修をするよりも、来たるべき北条方の侵入をいち早く察知しようと考えてのことだ。
だが、そんなオレの考えをあざ笑うかのように、想像の斜め上を行く出来事が起こった。
相模から甲斐へ伸びる甲斐路を、2騎の武者が駆け抜けて、本栖へ現れたのだ。
オレはお飾りではあったが本栖城の城代として彼らと面会することになった。
現れたふたりの顔は知っていたし、言葉も交わしたことのある相手だ。
あちらもオレの顔を覚えていたので、城代であると名乗った時には意外そうな顔をして、
「おぬしが城代とは、不思議なことになっておるな、八郎兵衛」
「御宿さまこそ、北条に身を寄せたことは聞いておりましたが、ご壮健の様子でなによりでございます」
気安い口調でオレを呼ぶのは、未だ十代半ばの少年らしい面影を残す御宿勘兵衛だった。
オレよりいくつか年下だが、早熟にも十を数えた頃から戦に出るようになった勘兵衛は、本栖を幾度も通り過ぎ、駿河にて手柄を立てては帰ってきた。御宿家は小山田家と縁組をしており、武田時代には小山田の寄騎として九一色衆とも行動を同じくしていた。当時のオレはもう百姓として暮らし始め、持病を警戒して戦にも出ずに酒造りをしていたが、その贈答されていた先のひとつが小山田だったことから、御宿勘兵衛を含めた小山田一党にも顔を知られていた。
いまだ十代半ばの勘兵衛が面白そうな顔で本栖城本丸を眺めやっているところへ、もうひとりの来客である小山田六左衛門──オレと同世代の侍──が口を開いた。
「囚獄佑どのは留守、ということか」
小山田六左衛門は、信長によって誅殺された小山田信茂の同族で、重臣の生まれである。オレが実家で過ごしていた頃には勘兵衛と同様に幾度も顔を合わせていたが、今日の六左衛門は青白い顔をしていた。いたずら小僧のような顔をした勘兵衛と、生真面目な六左衛門は、好対照の表情をしているのが印象的だった。
「兄は所用にて、数日前から本栖を留守にしております」
「ならばおぬしに伝えるとする。
我らは北条方として、近々に甲斐へと攻め込むつもりじゃ」
「はあ」
あらかじめ通告してくれるとは有り難いことだが、なにか思惑がなければおかしい。
攻めるなら奇襲や急襲してこそ、防衛側の隙を突けるはずだ。
「ついては本栖も我らにすみやかなる降伏をし、甲斐攻めに加わるよう期待しておる。
そなたらが買い溜めた兵糧は先刻承知じゃで、北条方に従って供出せよ。
加えて、本栖にて松姫さまがご滞在あることも存じておる。
松姫さまは北条の大殿であられる左京大夫さまご正室の妹御に当たられるお方じゃ。
武田を失いおちからを落とされておられようゆえ、北条の本拠たる小田原にてご静養いただくこととし、引き渡しを願おう」
本栖城本丸は小さな集会場のようなもので、面会の場には僅かな者しか同席しなかったが、本栖勢としてオレの横に並ぶ男のひとりが、はっきりと言い放った。
「帰れ。話にならぬわ」
「なんだと年寄りめ。貴様、知らぬ顔だな。余所者のくせをして何を言うか」
御宿勘兵衛は瞬時にいきり立つが、織田家の家宰は冷徹な眼差しで淡々と名乗った。
「菅屋九右衛門である」
オレと同世代の小山田六左衛門と年下の御宿勘兵衛のことなので、織田の菅屋九右衛門を知らないと心配して、説明することにした。
菅屋九右衛門が織田家でどれほど重く見られ、徳川家康を始めとして複数の国をまかされた軍団長すら遠慮する亡き上様の寵臣であったことを。
説明が一段落したタイミングを見計らったか、当の九右衛門が、
「亡き上様の甲州征伐を経て、北条も下知に従うとの意思を書状にて寄越したはずじゃ。
織田に混乱があったことは認めるが、隙に乗じて戦を仕掛けるとは許せぬ。
すでに畿内の混乱は鎮圧され、織田家嫡流の三法師様のもと一丸となっておる。
北条がどのような申し開きをするか、そのほうらは使者として預かっておるのか?」
単純な性格の御宿勘兵衛はきょとんと阿呆面を晒していたが、小山田六左衛門は青い顔を余計に白くしながら、
「織田と北条の約定については此度の戦とは別の話、我らが関わるものではありませぬ。
それよりも、我ら北条方は万を超える軍勢で攻め寄せているのでござる。
いかな理由があろうとも、本栖が降伏するほかに止める手はございませぬぞ」
「おぬし、小山田六左衛門とかいったな。
たしかに万を超える軍勢で攻め寄せれば本栖は落とせよう。
しかし、儂を殺せば畿内に知らせが行く。
織田に従ったはずの北条が、織田姓も許された家宰の儂を弑した、とな。
北条は畿内で大きく名を落とすことになるぞ、わかっておるのか。
少しでもモノを考える頭があらば考えつくのではないか?
それはいずれ織田が北条討伐の大義に用いるのだぞ。
北条は、京を抑える織田に歯向かって、朝敵となる覚悟があるのか。
朝敵とならば、北条の後背にある勢力も、切り取り勝手と攻め寄せよう。
甲斐にて武田がたどった道を北条がたどることになる。どうだ?
織田の家宰を襲うか、引き返すか、お主がこの場で決めることが許されておるのか?」
小山田六左衛門は、青白い顔をぶるぶると小さく震わせながら、無言であった。
結局、北条方の使者として現れたふたりの恫喝に、菅屋九右衛門の恫喝が返されて、答えの出ぬまま交渉もなにもなく、ふたりは来た道を帰っていった。
実際のところ、菅屋九右衛門の主張にはハッタリもある。九右衛門にとって権力の源泉であった上様からの信頼は、上様が斃れたことで実効性が怪しくなっている。なんといっても、たったいま織田の本拠に戻ったところで、九右衛門に権を与えてくれる絶対者が存在しないのだ。かつての寵臣であり織田一門のひとりとして、最低限の発言力は維持できたとしても、三法師の傅役のような、全権委任に等しい立場へすんなりと任じられるとは思えなかった。
ただ、少なくともこの場、この時において、若年者ふたりが務める使者に、それを指摘する余裕はない。もし指摘できたとしても、確信を持って判断を下せるだけの経験も権限も与えられていないことは明らかだった。
本能寺では菅屋九右衛門も息子ふたりを失っている。けれど、その苦悩を微塵も出さず、ただ織田の版図を守るためならば、虚勢を張ることも躊躇いはないとオレの目にはその鋼鉄の意思ばかりが映って見える。使者のふたりが姿を消しても涼しい顔で、
「さて、北条方はどう出るか。
どうじゃ、八郎兵衛。あやつらの顔を知るおぬしならば考えが判るか?」
手駒のひとりであるオレを測るように問を向けられ、しぶしぶ口を開くことになった。
「小山田六左衛門が兵糧を出せと申しておったことが気にかかりまする。
北条が上野国へ大軍を発してからまもなく一ヶ月近くが過ぎましょう。
収穫期の前にこれほどの兵を動かせば、関東からも莫大な兵糧が動いたはず」
もしかすると、甲斐路を北上してくる北条の別働隊は、兵糧を現地調達するつもりなのではないか。史実において、寡兵の鳥居元忠隊に急襲され敗退した理由も、兵糧となる食料を略奪するために分散していたのではないか。
オレの予想が正しいとすれば、北条方は止まらないし、止められない。
彼らは旧小山田領を通過しながら食料を徴発していくはずだ。
小山田六左衛門が青い顔をしていたのも、旧領からの甲斐侵攻が足止めされることを恐れていたとすれば納得できる。1万の兵が身動きできず無駄な時を過ごして食料不足に陥れば、滞在する旧小山田領からあらゆる物資が根こそぎ奪われてしまう。それこそ民草が口にする雑穀すらかけらも残らないはずだ。別の何かを食わせねば、彼らの故郷が地獄に変わるだろう。
○
北条氏忠率いる別働隊が河口湖のほとりまで進出したとき、オレは決断をした。
迫りくる北条別働隊の兵数は史実通りに1万を数えている。寡兵の九一色郷が守勢に回っては苦しくなるばかりだろう。
オレの記憶では攻め寄せた北条別働隊を、徳川別働隊と地侍──たぶん九一色衆ら──が協力して勝利したはずだが、家康が矢傷で足止めされたせいか、それとも鉄砲が多く配備されている信頼感か、徳川の援軍がいまだに現れない。
つまり、現状の二百ほどしかない九一色衆で対応せよ、ということになる。
常識的に考えれば鎧袖一触、踏ん張るどころか、逃げ延びることすら難しい。
その認識は有能な織田の面々にも共通らしく、彼らは一時的な撤退を視野に入れて動いていた。徳川は大領を治めているものの、信濃と甲斐の2方面を抑えることは大変な苦労をともなっている。幸いにも酒井忠次率いる徳川の信濃侵攻軍は南信濃を順調に北上し続けているらしい。もしも甲斐国へ関東から大軍がなだれ込んで来るとしたら、一旦は戦線を後退させた後に再侵攻、と考えているのだろう。
だが、ここを故郷として生きる九一色衆は、それを簡単に受け入れることが出来ない。襲来するやつばらが兵糧に飢えている餓鬼の集団だとしたら、降伏などすれば食料は奪われ、女子供も連れ去られて売り物にされかねないのだ。
事態は一刻を争う。
悠長にも菅屋九右衛門や堀監物へ、分家隊の作戦行動をすべて説明し、協議の上で了承を取り付けていては間に合わない。
そう考えたオレは、ひとまず堀監物に、
「この目で敵の動きを見てまいります。その間の本栖をお頼み致しまする。
もしも北条方が西湖まで進んだならば、下山へ撤退するも皆様のご自由でござる」
と伝え、堀監物がやいのやいのと文句をつける声を背に本栖城を飛び出していた。
それから実家へと立ち寄ったうえで、兄嫁であるお嘉祢には、
「やれるだけやってみるけど、ダメだったら山へ逃げて欲しいんだ。
オレたちが絶対にうまく行くとは限らないからね」
と、今生の育ての親である兄嫁へ念押しして、オレを含めた分家隊10名が東へ走った。




