15.ぼくらが生きるモンキーワールド
本日は13話から20話まで更新しています
読み飛ばしにご注意頂けましたら幸いです
7月の初め、織田から使者が来た。
使者の名を佐藤勘衛門堅忠という。
貫禄のある顔を固くした佐藤勘衛門は上座に立ち、上意を記した書状を掲げている。
オレの実家の奥の間だ。
そこに、菅屋九右衛門、奥田監物、市橋九左衛門、加えて兄貴とオレがいた。
オレたちは下座に平伏して、佐藤勘衛門の言葉を待つ。
「上意。
菅屋九右衛門、ならびに奥田監物は徳川右少将に合力して甲斐信濃の守備に尽くせ。
市橋九左衛門は松姫の警護を引き続き務めるべし。
また近江、美濃は6月の変事の後に騒動止まぬゆえ、各々の知行地は後日改めて差配するものとする。
織田家家督三法師さま後見、織田侍従信孝。
以上でございまする」
「ハッ。承りましてござる」
菅屋九右衛門が返答したのち、佐藤勘衛門は上座から下座へと移り、九右衛門へ頭を下げてから、
「九右衛門さま、お久しゅうございまする」
「そなたも主の斎藤新五郎どのを失ってちからを落としたであろうな」
佐藤勘衛門は美濃斎藤家の家臣であった。勘衛門の主君だった斎藤新五郎は濃姫の兄弟にして信忠家老である。河尻秀隆と並んで織田の宿老として天下を差配することが期待されていた重臣だったが、本能寺の変にて主君信忠と運命をともにしていた。
無念ではあるが、美濃斎藤家はいまだに存続し、こうして織田の使者として政権に組み込まれていることは、将来の望みがつながっている証拠であった。
「皆様にはお伝えせねばならぬことが多すぎまする」
勘衛門はそうして語り始めた。
勘衛門が最初に語ったのは、亡き上様と三位中将さまが命を落とした本能寺の変について。
畿内の混乱が収まったのち、途方もない人手を動員して捜索されたが御遺体は発見ならず、しかし上様は本能寺にて、三位中将さまは二条城で命を落としたとの見方で固まったとか。
さらに上様や三位中将さまに近侍していた人物はほぼ全員が討ち死に、菅屋九右衛門の息子ふたりは双方とも命を落とし、菅屋九右衛門に代わって本能寺に同行していた馬廻り衆の堀秀政も斃れている。堀秀政は奥田監物にとって従兄弟にあたり、堀秀政の弟は明智方に味方をしたことから所領を追われてしまい、残された堀家が苦境に陥っていた。
また苦境といえば市橋九左衛門の所領があった西美濃では本能寺の変の後に稲葉一鉄が勢力伸長を図って周辺を荒らしたため、現状では横領されたままとなっているらしい。
その横暴を聞かされた市橋九左衛門は「ハァ?!」と苛立った声を上げたが、この場に相手のいないことであり、松姫警護を命じられて自領に戻ることも叶わず、ひとまず諦めるしかなかった。彼にとって救いなのは、彼の父親らが無事であることに加え、いずれ所領について織田家が考えてくれる、との言質があることか。
「それにしても、三法師さまが家督。三法師さまの後見を三七様で決まったか。
三介様はよくも我慢なされたものよ」
菅屋九右衛門が唸るように吐き出すと、佐藤勘衛門は首を振りつつ、
「我慢ではございませぬ。三介さまも同様に後見を名乗っておられまする。
これは羽柴筑前守さまのご意向が強く表れたのでござる」
オレの知る史実の通り、山崎の戦いで勝利を収めた秀吉がここでも主導権を得た様子だった。上様の弔い合戦である山崎の戦いでは織田家の三男信孝も加わっていたものの、明智とぶつかる主力が羽柴軍、采配も秀吉が振るって畿内の安定を取り戻したのだ。清洲会議でも、信孝が秀吉に遠慮したなら、弔い合戦と関わりのなかった信雄は発言権が無いに等しく、秀吉が三法師様を担ぎ、手懐けたことで、政治的な主導権は秀吉に移っている。畿内の国人らは周辺で最も大きな軍事力を備えた羽柴になびき、羽柴に従う国人が増えれば、畿内で有力な大名である細川や筒井など織田の重臣も羽柴に同調。実質的な従属勢力になっていた。
現状の織田家を例えるなら、三法師はクリスマスツリーの星であり、星の下の飾りが信孝や信雄であり、それらを支えるモミの木が秀吉という構図である。
このたびの上意も、秀吉の意向が込められていると考えるべきだろう。
菅屋九右衛門は内心を悟らせぬ口調で、
「羽柴筑前がな、上様への忠心には篤い男ではあるが」
と漏らしたのが印象的であった。
○
兄嫁にしてオレを育ててくれたお嘉祢さんから、
「八郎兵衛ちょっとアンパンでも作っておくれ。
松姫様がちからを落とされて、ろくに眠ることも出来ず、食まで細くおなりなのよ。
三位中将さまが身罷られたのは間違いない、と松姫様も知らされたでしょう。
このままじゃあ身体が保たないから、ちからを付けてもらわなくっちゃ」
頼まれたままパンを焼いていると、松姫が滞在する庵のあたりで大勢のひとが騒いでいる気配が伝わってきた。いくら婚約者だからといって、一度も顔を見たことのない相手なんだから案外ケロッと気分を変えてくれたかも知れない。
「パンなんか焼くまでもなかったんじゃ?」
お嘉祢さんの心配など杞憂だったのではと思っていると、オレが作業する実家の竈を下男が通りかかって、
「大変だ、松姫様が懐剣で自分の首を切っぱらおうと暴れちまった」
と騒ぎの概要を教えてくれた。
詳しい話を聞こうと竈のある厨からお嘉祢さんのもとへ行ってみると、
「市橋の九左衛門どのが大急ぎで刃物は取り上げてくれたけどね。
あれじゃあ、舌でも噛んで命を投げ出しそうな勢いだよ。
いまはまだ怪我もないけど、これからどうしたらいいものか」
まさか猿轡をして、柱にくくりつけるわけにもいかないしね。
そのように語ったお嘉祢さんの表情は険しく、現場を見ていないオレにも深刻ぶりが伝わってきた。
現在は松姫様を侍女と市橋九左衛門のふたりで見張っている状態とのこと。
厨にもどって竈の熾火を前に考えてみた。
大前提として『松姫様は冷静じゃない』ことは明白だ。
生家は滅び、長く慕っていた婚約者は婚儀を目前にして命を落とした。にもかかわらず、婚家はいまだに松姫の警護を付け、身柄を利用しようとする。
絶望するには十分な状態だが、冷静になってみれば、
『婚約者は会ったこともないやつ』
『婚約者は女を幾人も囲って子供も作っていた』
『いまだ天下を制する織田家が価値を見出す身柄ということは命は安全』
『別の権力者との新たな縁組、新たな幸せも十分ありうる』
という事実が見えてくるはずなので、まずは落ち着かせるべきだろう。
オレはいつぞやと同じアンパンをこしらえた後、季節の果物である木苺を使った度数の高いカクテルを作る。
モロコシから作ったフルーティーな白酒もどきをラズベリージュースで割り、水飴を加えて軽くシェイクする。最後には叩いた薄荷の葉を浮かべてみる。
それをおよそ200ccほど徳利に入れて、簡単な手紙を添えた。
『これなる酒は南蛮に伝わる毒酒でございまする。
遥か彼方の王侯が世を果無んだ折に、苦しみなく冥土へ向かいまする。
松姫様の悲しみや如何ばかりかお労しゅうござる。
苦しみは軽くなるよう丹精込めましたるも、製法は伝聞にて不調法ございましたらば、お許し願いたてまつります。
なお、お試しくださる折りには、空きっ腹の毒酒は苦しみの元でございまする。
アンパンを食されたのちに、少しずつ毒酒を服され、横になられて眠るように息を整えるが良いかと思いまする』
それっぽいことを書いて、お嘉祢さんに渡した。
お嘉祢さんは『毒酒』のところで目をむいたが、材料を聞いてから吹き出して、
「まあ、人間悩んだら食べて呑んで寝ることが薬だわね。
でも知らないよ。八郎兵衛の美味しいやつを食べてたら舌が肥えてしまうだろ。
味をしめて次から次へとこさえることになるんじゃないかね」
と言い残し、松姫様へオヤツを運んでいった。
厨に一人残ったオレは、騒動冷めやらぬ松姫さまの庵に向かって、つい言葉を漏らした。
「あっちが本栖にいるうちなら、作ったっていいけどね」
彼女が元気になればオレだって嬉しいし。




