14.忍ぶ野盗の狙う里
本日は13話から20話まで更新しています
読み飛ばしにご注意頂けましたら幸いです
作業場としている納屋の中は熱気に溢れていた。
狭い空間へいくつもの竈が設置され、蘭引と呼ばれる──中東の蒸留酒アラックに語源があるとも──蒸留器が熾火にかかっている。
土鍋の中にはモロコシで作った醪が入っていて、水の沸点よりだいぶ低い温度でくたくたと煮えている。低温で気化したアルコールは蒸留槽で結露して、透明な雫を落としている。
納屋にこもる熱気の原因は竈から発せられた輻射熱ばかりでなく、空気中を漂う酒精もあるが、作業中の男たちが褌一丁でわいわいやっているせいもあった。体を洗って清潔に保つよう指導しているが、実際のところは彼らを信用するしかない。彼らは昔からオレがつるんでいた仲間であり、銭やら恩返しやらを目的といいながら、今も酒の仕込みや肴の生産に手を貸してくれる。
オレはそんな彼らの作業の手を邪魔せぬように説明をしていた。
「……まあ、そんなわけで、オレは戦に出なくちゃならないんだ」
「なんてこんだ。八郎兵衛さまは酒造りで織田様に召し抱えられたもんとばかり」
小作人の辰蔵が深刻な顔をしていると、馬丁の末っ子である次平が言った。
「八郎兵衛さまがお侍として戦に出るなら、誰か郎党としてお連れになるズラか?」
「問題はそこでなあ。いつも九一色衆が連れ出す男衆はダメだろう。
兄貴だっていつ戦に呼び出されるかわからんからな。
そうなると、オレは誰も連れずひとりでいかなきゃならんというわけで……」
「そんなことはさせられねえじゃん。
オラが槍持ちでもなんでもやってやるから、連れてってくれし!」
恩返しをするなら今だとばかりに気勢を上げる辰蔵につられて、
「いや、オラのほうがちからが強いで、オラが行く」
だの、
「駿河の戦に出たことがあるオラが行かねえきゃダメズラ。
やるかやられるかの気合に慣れているもんじゃねえきゃ」
だのと言う声が続いて、幸いにもオレに付いてきてくれる人手はどうにかなりそうだった。
そして、その場にいる顔ぶれと、彼らが推薦する数人を加えて、臨時の渡辺分家隊が編成される運びとなった。
分家隊の一員となった男たちはほとんどが戦を未経験であり、何をどうすればいいのかわからないが、経験者である年嵩の重助が、
「八郎兵衛さま、オラたちが戦に出るじゃあ、鎧兜は貸してくれるだけ?」
「それなんだけど、戦に出ると言っても、槍をえいやとブッ刺すばかりじゃないだろ」
オレが分家隊の仕事を説明し始めると、男たちは想像していた戦働きと印象が違ったか、妙な顔をした。オレは自明であるはずの事柄を言って聞かせる。
「ちょっと考えてみてくれよ。
もしオレたちが立派なお侍で、手柄首を獲って功名を稼ぐなら鎧兜も必要だ。
でも、オレはまだ酒造り兼業の百姓のつもりだし、みんなも百姓だろ。
それとも命がけの戦ばっかりして生きていくつもりなのか?」
「八郎兵衛さまはオラんとうを戦に連れて行くって話ズラ?
戦に出るじゃあ、鎧兜がなきゃ危ねえじゃんけ」
まさか、無防備な格好で戦に出るのかと困惑する重助を宥めるように、
「でも、鎧兜は目立つし重いだろ。
オレは戦に出ても出来るだけ目立たず、隠れてるつもりだぞ。
そしていざとなったらイの一番に逃げ出すつもりだし、できるだけ身軽がいいな」
「それでいいだけ?」
辰蔵は気合でカラ回り、こわばっていた顔をいくらか緩めて問うてきた。
オレはわかりやすく頷いて、
「いいの、いいの。そもそも、オレは他の侍連中と別行動しようと思ってるんだ」
「別行動?」
「こっそり動いて、敵の嫌がらせをするつもりなんだ。
いくら鉄砲を5丁もらったといっても、出来ることには限度があるだろ。
もしも戦に出るのなら、嫌がらせをして早く帰ってもらえるように頑張るだけだ」
「ははあ、やっぱり八郎兵衛さまは並のお人じゃねえズラ。
これならオラんとうも無事に生きて帰って来られそうジャン」
オレと同世代の若い男たちは口々に軽口をいいながら、子供時代に隠れ鬼がどれほど強かったか誇る者すら現れる始末だった。オレは彼らを友人と思って過ごしてきて、これからも決して使い捨てにするつもりはない。史実で勝利した戦場へ、さらなる武装の強化を施した現在、負ける可能性は下がっているはずだ。そのために歴史が変わるリスクさえ犯したのだから、そうでなければ困る。
ともあれ、分家隊のうちで誰が鉄砲を持つべきか、試し撃ちをして選抜しなくちゃいけないな、そんなことをオレが考えていたときのこと。
馬丁の末っ子である次平がこんなことを言い出した。
「こっそりと相手の嫌がらせをするなんて、まるで忍びみてえだ。
殺気立った相手に近づくなんてなかなか難しそうだけんど、どうなるだかな。
ああ、そういえば、西湖の南にある溶岩洞窟のひとつ。
罠の見回りに出たときに気づいたんだけんど、なんか様子がおかしいだよ。
火を焚いた跡があったり、人の足跡が残ってるだけど、誰か知ってるけ?
よそ者に山を荒らされたらかなわんじゃん」
○
見知らぬ何者かが九一色郷の縄張りをうろついている。
その事実はオレにとって見過ごせるものじゃなかった。
言い出した次平は罠猟の名人であり、足跡など追わせればどこまでも獣を追い詰め、なによりも本栖周辺の地理に明るい。
人が行動すれば、草が倒れ、枝が折れ、水場を歩いたなら石が動く。
野生動物の行動を読むため、風景を精密に記憶している次平が断言する、
「誰かが溶岩洞窟に潜んでるズラ」
という情報は、まず事実と見て良いはずだ。
現在の本栖には松姫や菅屋九右衛門など重要人物が滞在している。万が一があってはいけない。
情報はすぐさま兄貴と菅屋九右衛門に伝えられ、怪しげな者が潜む溶岩洞窟へ向かうことになった。富士山が噴火するたびに地形が変わり、溶岩洞窟がいくつも生み出される土地柄であるため、本栖や河口に忍び込もうとするものが隠れ家を作っても不思議はなかった。
ここでオレは一計を案じた。
不逞の男らがふたたび穴へ潜んだなら、その洞窟へ焙烙玉を放り込んでやろうと考えたのだ。そうすれば、スタングレネードの要領で労せずに無力化できるかもしれない。幸いにも鉄砲と一緒に火薬は運び込まれている。そのうえ、畿内の戦で炮烙玉を見て実際に使ったことのある男たちも滞在していた。オレは奥田監物に用途を説明した後、その製造法を習って小さな湯呑み茶碗を使った簡易の炮烙玉を準備した。大きさからして破壊力は期待できないが驚かせるには十分だろう。
現場に向かったのは、本栖勢が三十、織田の松姫警護隊から三十、オレが作ったばかりの分家隊が十名。合計七十名。
次平が案内するままいくつかの溶岩洞窟を巡っていくと、やはり人が出入りした痕跡があるらしく、ついには現在も人が潜む穴を見つけるに至った。
オレたちは穴の風下、100メートルほどの距離で待機して対応を話し合った。
次平が頷いて、
「間違いないじゃんけ。誰か知らんけど、大人3人分の足跡があるズラ。
穴に向かう足跡ばっかりで、離れる足跡はねえだよ」
オレは同行してきた兄貴と奥田監物に確認をする。
「奥田さま、兄者。
この場は打ち合わせ通り、それがしに任せていただいてよろしいのでござるか?」
兄貴は何も答えず、奥田監物の顔を見ていたが、奥田監物は、
「うむ。そなたの考えはいちいち理にかなっておるゆえ、やってみよ。
我らが遠巻きに包囲しておれば、そうそう簡単に逃げ切られることもあるまい」
と鷹揚に許しを出してくれた。
そこで、我が分家隊だけが洞窟に接近していき、オレが代表して大声で呼びかける。
「おおい、誰か知らぬが洞窟に隠れているものはおとなしく出てこーい。
ここは渡辺囚獄佑の所領じゃぞ!
許しもなく山を出入りし、潜んでおるなど容赦できぬ。
そなたらのまわりは、我ら本栖の男衆が囲んでおるで逃げられんぞー!」
声を掛けてから様子をうかがっているが反応がまったくない。
こうなれば大義名分もあることで、非常の手段をとっても誰一人文句は言えない。よって、打ち合わせに沿って、我が隊の最年長者である重助へ、
「じゃあ、やってくれ」
と簡単に命じて、火縄から焙烙玉へと点火された。
重助は焙烙玉から伸びる紐をぐるぐると頭上で振り回しながら穴へと少しずつ近づいていき、頭上で振り回される弾の勢いが最高潮に達したタイミングで狙いをつけ、穴へと放り込んだ。
その焙烙玉は、ぶうん、と音を立てて飛び出し、50メートルほど離れた溶岩洞窟へ吸い込まれていった。
なお、重助が焙烙玉の使い手を命じられたのは理由がある。
かつて武田信玄が三方ヶ原の戦いにて家康を打ち破った際、小山田信茂は投石部隊を率いて名を挙げたが、この投石部隊はいわゆる印地打ち──投石紐やShepherd’sSlingなどと海外では呼ばれる投射武器の使い手──の集団で、当時の山間部の農家が必要とした技能であった。平地で丈の高い草が生えれば視界が利かないが、急斜面や起伏に富んだ山岳地帯では視界が効くため、畑に近づく獣などが目に入る。それらを追い散らすため、遠くに石を投げつける技に熟達していたのだ。令和に例えるなら田舎で害獣を追い散らすために中高年がエアガンを射つ姿と同じ。そして、小山田領と本栖は地理的に近いだけでなく、小山田家老が渡辺氏と同族であったり、極めて親しい交流も有り、小山田信茂が率いた投石部隊には九一色郷の人間も含まれていた。
分家隊の重助は三方ヶ原の戦いに参加こそしていないものの、彼らと同じ投石術に熟達しており、それは焙烙玉をハンマー投げの要領で投擲することと類似する技術であった。日本の戦国期において、記録に残る投石部隊の流れを汲む技術は見事に期待に応えたのである。
洞窟に焙烙玉が姿を消して3つか4つを数えたのち、
パン
と乾いた破裂音がこちらへ届いて、さらにモウモウたる白煙が上がって、
「うわあああ、耳が、耳が」
と叫ぶ声が続いたところへ、オレたち分家隊が棒を手にして突っ込んでいった。
中にはオレたちと大差のない、いかにも百姓といった格好の男がふたり、さらに行商人のような背負い櫃を傍らに置く男がひとり、あわせて3人が倒れ込んで、もがいていた。
彼らはオレたちの姿を目にした途端に抵抗しようとするものの、耳がやられて平衡感覚も狂っていたのか、ふらふらで立つこともままならず、オレたちが棒で叩き据えて縄で縛り上げることは赤子の手をひねるようなものだった。
それから彼ら3人は奥田監物に引き渡されて、彼らの強引な尋問により、すぐに知るところを洗いざらい喋るようになった。
いわく、上野国から信濃国を狙う北条氏は小山田信茂亡き後の郡内地方へ食指を動かしているという。小山田氏はもとから武田ー北条間の外交担当であり、小山田遺臣も多くが北条へと落ち延びていったが、北条が武田遺領を狙う動きに合わせて、小山田遺臣は旧領復帰の期待を膨らませて情報収集を始めているという。
そこで彼らの間で話題となったのが、
『4月に本栖渡辺家が密かに大量の兵糧を買い求めたらしい』
という話だった。どこから流れた情報かわからないが、たぶん、オレが酒に使うモロコシを言っているんだと思う。
それ、兵糧じゃないんです。酒の材料。おもいっきり勘違いしてますよ。




