表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

13.でんぷん革命と火力優勢

後書きに史実の天正壬午の乱の地図を載せています

作中に載せればわかりやすいかと思ったのですが

図を見ても分かりにくい混乱ぶりで頭を抱えてしまうという

読者の方々に混乱を引き起こすようなら史実の地図は後ほど削除するかも知れません

 戦国時代に於いて、米の3分の1の価格で取引される雑穀のモロコシ(ソルガム)

 これを買い込んで、日本酒の4倍の価格で取引される蒸留酒を作るのは一種の錬金術だ。

 歴史改変を避けるつもりなら禁じ手かも知れない。


 例えば、江戸時代を通じて東北など寒冷地は度重なる冷害により多くの被害を出し、身売りした娘は吉原遊廓に身を沈めることすらあった。

 だから、もしオレが雑穀の換金性を向上させてしまえば、東北の農家は経済力が底上げされて、オレの知る歴史と違う道をたどることになる。

 これって一見したならとても人道的ではあるけれど、歴史が変化することでさらなる悲劇を生む可能性もある。オレの手で引き起こすことが必ずしも良い結果を生むとは限らない。

 にもかかわらず、オレがそれを躊躇なく行っているのは、お酒が好きってこともあるけれど、第一には家族を守るため、であった。


「鉄砲を100丁も、か」


 驚愕する渡辺囚獄佑(兄貴)の眼前には高価な兵器が山と積まれていた。

 オレが後藤源左衛門へ酒を売り払い、対価として運び込まれたものである。

 この時代、日本酒の価格は季節や作柄など需給で変動しながらも1升20文から50文で取引されていた。そして焼酎はその4倍の価格で流通し、最低でも1升100文にはなった。またオレが作っていたモロコシ製スピリッツは一般的な焼酎より度数が高く、用途も幅広いことから高値で引き取られていった。

 現在6月末の段階で10t超を出荷しており、鉄砲に換算すれば100丁を軽く調達できる価値を生み出している。


 うろたえ気味の兄貴へ、後藤源左衛門が釘を刺すように、


「これほどの鉄砲を融通できたのはひとえに徳川様のご配慮あったればこそですぞ。

 もちろん、八郎兵衛どのが費用(かかり)を出したことは間違い有りませぬ。

 あれほどの焼酎ならば呑み料ばかりでなく医者も必要としましょう。

 まして戦が目前に控えておるなら十分に売れまする。

 しかしそれは鉄砲も同じことでございます。

 徳川様が本栖渡辺家へ格別のはからいをされ、守りを固めよとの思し召しかと」


 オレが泣く泣く手放した酒で購った鉄砲にもかかわらず、後藤源左衛門に言わせれば徳川家による軍事支援と言い切られてしまった。

 なんとなく業腹な気もしないでもない。だが、戦支度に忙しい徳川にとっても、大量の鉄砲は切り札になる。手下(てか)の商人が国外に売り払う、と言ったら有無を言わさず徴発していても不思議ではなかった。それが本栖渡辺家へ譲渡されたのだから「国境に近い要所を抑える徳川の身内」として配慮されたことに疑う余地はない。

 困惑する顔の兄貴に向かって、オレは断言する。


「これは兄者が使って本栖を守ってくだされ」


 兄貴は中道往還の防衛責任者だ。これを使えば、防備は固まり、家族は安全になるはずだ。

 しかし、そもそもオレはここまで徹底的に準備をするつもりはなかった。いざ危険が迫ったなら、武士である兄貴はともかく、家族諸共に山へ避難すればいいと考えていたのだ。いざとなれば身一つで逃げ出しても生き残ればなんとかなる。

 そう考えていたのだが、4月頃から疑問をいだいた。

 信長や信忠との邂逅を経て、歴史が変わってしまった可能性を案じたのだ。穴山梅雪が生存し、オレという異分子が歴史の表舞台に顔を出している。バタフライエフェクトによって本来なら江戸時代まで生き残ったはずの者が助からないかもしれない。

 オレが切羽詰まっている理由。

 それは、本栖に迫る「史実の戦」にあった。


 天正壬午の乱は、本能寺の変から続く騒動であり、畿内で巻き起こった数々の歴史的イベントとほぼ同時期に起こっていた。

 例えば中国大返しを経て京に至った羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決する「山崎の戦い」であったり、続く「清洲会議」での権力闘争であったり。それらがあまりに有名であるため、甲斐・信濃・上野で起こっていた騒動に注目が集まらないのも仕方がない。


 しかし、天正壬午の乱で北条方が動員した兵数はのべ6万とも7万とも言われている。

 そこに圧倒的不利な戦力で抵抗し、優位に戦を終えた徳川家康。その麾下の兵数は2万弱、多くても3万には届かない。寡兵も寡兵だった。


 北条方が動員した兵は複数の経路に別働隊として分散していたが、対応する徳川方とあまりにも大きな兵数の差がある。

 絶望的な兵力差を覆したもの、それがとある局地戦の劇的な勝利にあった。

 歴史において「黒駒合戦」と呼ばれる戦いが、それだった。


 史実の天正10年の夏、上野国、信濃国と侵攻した北条方は、甲斐国北部の若神子城を占拠。甲斐国府中に着陣した徳川方本隊とにらみ合いとなり、数ヶ月もの膠着状態に陥った。

 そこで余力を残す北条方は相模ー甲斐間を結ぶ旧街道甲斐路へ別働隊1万を動員。家康の後背を突く予定だったが、動員された雑兵は大軍で敵を圧倒していると油断しきり、軍紀もへったくれもない有様だった。野盗同然に甲斐で乱暴狼藉を働くところへ、鳥居元忠、水野勝成らが率いる徳川方1千~2千が奇襲を仕掛け、別働隊を指揮していた武将や国人を多く討ち取る。局地戦とは言え、圧倒的な兵数差をものともしない逆転勝利だった。

 北条率いる関東諸勢力連合軍は有力な一族の子弟を多く失って厭戦気分が広がり、兵力で上回りながら積極的な攻勢に出られないまま時を過ごして、結果として織田家主導の講和が締結。徳川家が甲斐信濃を得る、という結果に至ったのだ。


 この前世にあった出来事が再現されたとして、オレにとって身近な問題となるのは、相模から甲斐路をやってくる別働隊だ。彼らが通る道は本栖湖からほど近い河口湖の東岸を抜け、黒駒に向かう。つまり、史実で語られる「民草への乱暴狼藉」を働いた被災地が、ご近所の河口(かわぐち)や我が家のある本栖のあたり、ということだ。


 オレは百姓だから、と山に逃げる予定でいたが、今や武士身分に引き上げられている。

 巨視的(マクロ)な歴史は史実からさほど変わっているふうに見えない。けれど、今後も変化が現れないと誰も保証してくれないのだ。

 例えば、北条方別働隊1万人が野盗の群れではなく、秩序だった作戦行動を取ったら?


 ○


 オレが100丁の鉄砲を兄貴へ託すと口にすると、反対の声が上がった。

 未だ本栖での滞在が続く菅屋九右衛門であった。


「待て。八郎兵衛(おぬし)は織田の直臣ぞ。

 いくら兄弟の間柄とはいえ、織田の直臣が戦を避けて鉄砲を余人に託すなど有り得ぬ。

 鉄砲足軽はみずから率いよ、その手勢が足りぬなら囚獄佑が分けるべきであろう」


 オレも兄貴も困惑した。

 理屈はわかるが、九一色衆の頭領は兄貴だ。オレじゃない。

 弟のオレが織田の武士になったからといって、兄貴を差し置いて兵を率いるのは無理だ。

 しかし、菅屋九右衛門は織田家の家宰──上様の秘書室長──であり、軍団長に準ずる重臣。徳川ですらいまだ織田に従属している関係であり、菅屋九右衛門は家康を格上と立てることはあっても、明確な上下はなく、現時点で甲斐国内にある序列でいえば菅屋九右衛門が最上位にある。これは甲斐国をまとめる穴山よりも発言力が強く、穴山が織田に従う小名であり、徳川の与力であるから甲斐の領有が黙認されているに過ぎない。


 織田>徳川>穴山>本栖渡辺


 現在に至るまでこのような構図が成り立っており、菅屋九右衛門は織田姓を許された一門であり、畿内に戻れば織田政権の中枢にある人物だった。織田がどのように変わるにせよ、兄貴が楯突くことのできる相手ではない。

 オレが正直に告げる。


「九右衛門さま、お待ち下さい。

 それがしが直臣と申されましても手勢はなく、人を借りたところで付いて参りませぬ。

 九一色衆は囚獄佑(あに)が率いることで数十年も続いております」


「ならばおぬしは戦に出ぬつもりか、あれほどの武芸の腕を誇りながら臆するのか」


 誇っているわけではないし、臆しているかと問われたらその通りなんだが、口答えできる雰囲気ではなかった。

 ともあれ、冷静で判断力の優れているはずの菅屋九右衛門も、もしかすると内心では焦りがあるのかも知れない。織田の下で作り上げた秩序の東端が破られるのではないか、という焦り。それこそ甲斐が陥落してしまえば、なんのために信長から離れたかわからなくなる、そのような考えを抱いても不思議はない。


 菅屋九右衛門も自身が無理を言っていることを悟っているのか、次の言葉が見つからない様子だったが、同席していた奥田監物が、


「八郎兵衛に手勢がないのは仕方がないこととして、誰か付いてくる人足はおらぬのか。

 友でも下男でも構わぬが、そなたが戦におもむくといって、手を貸すものもひとりふたりいるであろう。

 その数だけ鉄砲を使ってはどうか」


 言われて指折り数えてみると、幾人かの知り合いが候補に挙がり、兄貴から同意を取り付けた上で、鉄砲100丁のうち、5丁ほどはオレが運用することにした。

 また残る95丁から半数ほどを、鉄砲足軽の運用実績がある奥田監物が扱うことになった。菅屋九右衛門らは最初からそれを狙っていたのかも知れない。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] この表見るだけで真田よく生き残ったなと言わざるを得ない
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ