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11.遅すぎて間に合ってしまう

 中道往還を北へ向かうと、右左口の砦へ出る。盆地はその先。

 愛馬ポニ子に乗ったオレは、道案内を兼ねて先頭を急いだ。

 梅雨時の山道は足場が良くないうえ下り坂という悪条件だが、ずんぐりむっくりのポニ子は小型種ながら太い脚で踏ん張りが効く。人懐こく我慢強い性格をしたお嬢様はオレの手綱に従順に従ってぽっこぽっこと着実な歩みを進めてくれた。

 ちなみに交通の要所を抑える本栖渡辺氏と馬は切っても切り離せない。

 先日のモロコシ搬入では関東からの買い付けを後藤源左衛門に依頼したため、外部の馬借を頼むことになった。そもそも量が量なので実家の馬だけで運ぶのは無理である。

 しかし、本栖渡辺氏は武士としても富農としても中道往還を利用した暮らしであり、馬をそれなりに飼っている。

 すると、オレも子供の頃から馬に親しみ、実家で飼われる特定の馬を利用したり世話したりとなって、事実上の愛馬となっていた。


 右左口の砦についてみると、普段にもましてひと気がなかった。

 もともと国境というわけでもなく、砦と呼ばれながら関所に毛が生えたような規模だったが、今は道の両脇に所在なさ気な年寄りがふたり、へたり込むばかりだった。


 先頭を進むオレが声を掛けた。


「ろくに人がいないみたいだけど、どうしたんだ?

 河尻様が兵を集めてるったって、門番まで残らず連れてったわけじゃないだろ?」


 用心のため腰に刀はあるものの、侍というより百姓の若僧然とした姿のオレ。一瞥くれた老爺はふてくされた様子で、


「さてなあ。いくさに駆り出されたかはわかんねえが、うちの村の若えもんは新しい殿様が一条館へ連れてったズラ」


「新しい殿様って、河尻様のこと?」


「名前なんて知らんじゃん。

 でも、若いもんを誰彼構わずに連れてくなんて、ろくな殿様じゃねえ」


 そう続けてため息を吐いた老爺は、オレの後ろにつづく侍たちの姿に口を閉ざし、難を逃れるつもりか道から離れて、一行の前には無人の関所が残った。


 ○


 一条館とは甲斐上野にある城のことだ。

 右左口からは目と鼻の先で、かつては武田信玄の弟である一条信竜の居城であった。

 中道往還の盆地側に親類が抑えとしてあることで、本拠地の安全を図っていたのだろう。

 ほんの二ヶ月前は一条信竜が籠城戦に奮闘し、徳川勢によって攻め落とされていた。


 丘の上に立つ一条館へオレたちがたどり着いたのは、午後も遅く、夕方に近い。

 遠目から見た一条館は武田時代と変わりない。だが、近くに寄れば崩れた城壁や焼けた天守など、かつての美しい姿は見る影もない。修繕など間に合うはずがないのだ。

 薄曇りの午後に思いのほか静かな一条館へ近づいていくと、誰何の声があがった。


 折よくこちらへ声を掛けてきたのは河尻の家来であり、菅屋九右衛門の顔を知っていた。


「おお、菅屋さまではございませぬか」


「うむ、河尻殿がまだ城におるなら会わせてくれ」


 菅屋九右衛門は織田の重臣でも河尻と同格の数少ない要人である。

 百姓の抜けないオレはともかく、河尻の家臣は立ち葵紋の旗指物を気にしながら、


「菅屋さま、うしろの方々はどなたでございまするか?」


「徳川殿からの使者、本多庄左衛門どのじゃ。儂と共に通してもらいたい」


「は、すぐに」


 一も二もなく承諾した河尻家臣へ、本多庄左衛門がひとこと、


「よしなに」


 と一礼してみせたが、河尻秀隆へ伝える言葉の重さからか緊張の色が隠せていなかった。

 そして河尻家臣の案内で一条館の塀のなかへ招かれたが、そこは意外なほど広く見えた。広大、という意味ではなく、人が少ないのである。


 城の外にもまばらな人の群れがあったばかりで、てっきり城にすし詰めになっているかと思えば、だらだらとたむろするガラの悪い男ばかり目についた。

 そして、肝心の河尻秀隆も、本丸で熱心に軍議でもしているかと思えば、呼ばれた途端に本丸の式台(げんかん)まで飛び出してきて、驚くほど明るい声を上げた。


「おう、おう、九右衛門どの、来てくださったか」


 先日、オレの実家が仮本陣となった夜に見たときと比べ、河尻秀隆は真っ青な顔色をしていた。あの時に見た男は、横柄で、ふてぶてしい面構えが印象的だったが、今はあからさまに馴れ馴れしい態度で菅屋九右衛門の手を取って笑う。河尻秀隆は本丸から続いて顔をみせた男たちへ向け、


「こちらは上様の右腕として織田家中で重きをなす菅屋九右衛門どのじゃ。

 皆の衆、菅屋どのが広く声を掛けたならば、国人どころか織田が動くぞ!」


 河尻の言葉を聞いた男たちは青白い顔色を途端に赤く紅潮させ、安堵の吐息を漏らしていた。菅屋九右衛門は本多庄左衛門と目配せを交わしてから、


「肥前守どの、こちらは徳川殿の使者で、本多庄左衛門どのでござる」


 弛緩しかけた表情の河尻秀隆は徳川と聞いた瞬間、わずかに顔をこわばらせたが、


「うむ、庄左衛門とは甲斐攻めで酒を酌み交わした仲じゃ。

 このような有様で会いとうなかったが徳川殿も甲斐の様子が気にかかろうな」


 と答え、オレたちを本丸へと招き入れた。

 一条館はさほど大きな城ではない。曽根丘陵から盆地を見下ろすようにあり、石垣と塀を頼りに籠城したなら周囲へ矢玉を射掛けられるが、大軍を収めるほどの容積はない。また本丸もかつての城主ら一族が暮らすことを考慮した作りである。


 曇りの昼下がりに薄暗い奥の間へ腰を落ち着けたのは、一条館からは河尻秀隆とその小姓がひとり、本栖から訪れたのは菅屋九右衛門、本多庄左衛門と彼の供侍ふたり、最後にオレの両者合わせて計7名。

 腰を落ち着けるが早いか、河尻秀隆が饒舌に話し始めた。


「正直に言う。おぬし(九右衛門どの)が来てくれて助かった。

 国人どもがここまで穴山に心を寄せているとは思わず、もはやこれまでかと思うたわい。

 だがまさか明智日向守が大それたことを引き起こすなど思いもよらなんだがな。

 上様や三位中将さまの身に何かあったなど嘘でもさような噂が流れては甲斐は収まらぬ。

 おぬしが来てくれねば、穴山に首を献上するところじゃった。

 いま集まったのがこれだけでも、お主が広く声を掛けてくれれば……」


 集まったのがこれだけ、という言葉から、城の内外にあった500人足らずが集まったすべてと察せられた。おそらく美濃から連れてきた家臣と銭雇いのごろつき、この一条館付近から無理やり連れてきた百姓らだろう。甲斐府中より穴山領に近い拠点で国人を集めたかったのだろうが上手く行っていない。

 穴山を討つと兵を挙げながら、国人が従わず、小学校ひとつぶんほどの頭数しか集まらなかったら、もはや甲斐国主の権威はない。講和しても国人に襲われて滅びてしまう。明らかに講和の選択肢は消えていた。


 菅屋九右衛門は頷いてから、


「まあ落ち着け、肥前守どの。まずは庄左衛門から話を聞け」


 河尻秀隆はすぐにも対穴山戦略を打ち合わせようとするが、遮って本題へ話を向ける。

 ともに以前から顔を知る仲だという本多庄左衛門は膝でわずかににじり寄ると、


「申し上げまする。我が主へ届いた信濃からの報せでございまする。

 報せによれば、信濃国人どもが一斉に蜂起する気配を見せているとの(よし)

 越後と戦のさなかにある森勝蔵(ながよし)さまは間もなく退路を塞がれ、敵地にて孤立すると思われまする」


「なんとっ」


 美濃衆にして信忠家老だった河尻秀隆にとり、同じ美濃衆で信忠配下だった森勝蔵は極めて親しい存在だった。

 くわえて河尻秀隆は穴山領の代替地として信濃諏訪郡を得ている。森勝蔵は美濃から北信濃海津城へ転封されて、今もふたりは信濃の領主として同輩であった。ともに領地は織田の本拠地まで木曽街道によって繋がっている一蓮托生の間柄。

 驚愕から呆けた表情の河尻秀隆へ、本多庄左衛門が畳み掛けた。


「河尻様の諏訪領も同じく蜂起する国人が現れるかと存じまする。

 また徳川が穴山から話を聞く限り、甲斐国人はすでに多くが穴山につきましてござる」


「な、なんだとっ!」


「河尻様におかれましてはどうかひとたび、美濃へ帰還されますよう」


「……」


 無言となった河尻秀隆へ、本多庄左衛門が深々と頭を下げ続けていた。

 菅屋九右衛門は沈痛な表情を浮かべつつ、


「肥前守どの、そなたの力量は織田の誰もが存じておる。

 一度美濃へ戻り、織田家の立て直しを終えてからまた戻ればよい」


「なっ、本気で申しておるのか、九右衛門どのっ」


「甲斐をいち早く落とし、東の守りとするために穴山が残されたがな。

 上様と三位中将さまに万一のことあれば、国人らは甲斐源氏の下に集まりたくなるのだろう。

 いずれまた織田が平らげた時にはそなたが国主に戻ればよいが、いま無理をするのは危うい」


「馬鹿を申すな、九右衛門どの。穴山が甲斐を平らげたなら、徳川が庇うであろう。

 左様なことになれば、俺がいくら手柄を立てたところで甲斐など手に入らぬわ。

 なるほど、そうか、徳川殿が俺を美濃へ帰らせたいのはそういうことか。

 血でつながった穴山に甲斐を取らせて、好きにしようというのだろう。

 ならば、戻らぬ! 俺は戻らぬぞ!」


 意固地になった河尻秀隆が大声で叫び続けると、何事かと驚いた家臣や国人がどやどやと奥の間ちかくまで現れて、チラチラと顔をのぞかせてはこちらの様子をうかがい始めた。

 ここで河尻が甲斐から逃げるの逃げないのと話し始めては、どちらにしてもただでは済まない。

 河尻秀隆の動向如何(いかん)親河尻国人(かれら)の命運も左右されるのだ。

 それをわかっていながら、主命のため我が身を捨てる覚悟の本多庄左衛門が吠えた。


「我が主からは『脅してでも美濃へ戻らせよ』と申し付けられておりまする!」


「脅してでもとは、どのような意味か!」


 青や赤を通り越して、ドス黒い顔の河尻秀隆が口から泡を飛ばしながら立ち上がる。そして腰にあった脇差を抜き放つと、すぐ前に頭を下げる本多庄左衛門へと振り下ろした。


 オレは久々に殺意のこもった白刃を目にすることになった。

 途端、振り下ろされる脇差に脳が刺激されたか、時間が引き伸ばされたような感覚に陥った。


 河尻秀隆は初老とはいえ現役の戦国武将だ。

 戦場でつちかった暴力の冴え、渾身のちからで振るう脇差である。

 無防備な格好の本多庄左衛門に避ける(いとま)はない。

 何も手出ししなければ、次の瞬間には本多庄左衛門の命を奪うだろう。


 オレは気づいたときには、己の脇差を鞘ごと放っていた。

 歴史が変わるとか、迷うとか、一切の判断する間もなく、介入していた。

 だって、目の前に助かる人がいたら、とっさに助けちゃうもんだろ。

 人って残酷だから遠くの国の戦争は他人事だ。でもすぐ目の前で事件があったなら本能が刺激される。必死になってしまう。それが令和の銭湯で倒れた爺さんでも、戦国で切りつけられたオッサンでも、手が届くのなら体が動く。


 オレの放った脇差は音もなく飛ぶ。

 そして河尻秀隆の手元を鞘先で痛打した。

 打たれた河尻秀隆は本多庄左衛門を狙う軌道を狂わせ、勢いそのままに床を叩いた。

 目一杯のちからで床ドンしたような音が鳴り、


「クソッ」


 柄を握った拳ごと床に打ち付けた河尻秀隆がうめいていた。


 様子を覗いていた河尻の家臣が主へ駆け寄ろうとしたが、


「肥前守様、徳川の使者である儂に刃を向けましたな」


 と、本多庄左衛門が言うが早いか、その供侍ふたりが、


「「覚悟!!!」」


 叫びながらともにそれぞれ刀を抜いて、切りつけていた。

 切りつけた刃の一方は首元を刎ねた。残るもうひとつの刃は肩口から胸元まで深々とぶっこまれている。その音はさながら鉈を砂袋に打ち込むよう。


 河尻秀隆は胸元に刃が刺さったまま横倒しに倒れた。彼の気道は上下ふた通りに断ち切られて、声を上げることすら出来ず、


 ゴボゴボ


 と陸に上がった魚のように、くちを動かして呼吸を試みたが、自身の血液に溺れて事切れた。


「殿っ!」「そんなっ!」「河尻様!!」


 小姓から家臣、さらに心を寄せていた僅かな国人が、悲鳴をあげた。

 わずかに沈黙が漂い、それから若い河尻家臣のひとりが腰の刀に手をかけながら、


「よくも」


 と口に出したが、鯉口を切る寸前で菅屋九右衛門が一喝した。


「見たであろう!

 肥前守殿は徳川殿の使者に刃を向けたのだぞ。

 徳川殿は肥前守殿の身を案じて美濃へ退()くよう信濃の情勢まで知らせてきた。

 その使者殿に刃を向けるなど、言語道断!

 これを乱心といわずになんというのだ」


 若い男はそれでも腰の刀から手を離さずにいたが、菅屋九右衛門は声を落として、


「河尻家臣は美濃へ退け。もはや甲斐は穴山と徳川どのが仕置することになろう。

 このまま留まってもそなたら落ち武者狩りにあうだけぞ。

 今なら我らに続き、中道往還から駿河へ抜けて徳川領から故郷に帰れるのだ」


「主を討たれたならばせめて……」


「判断を誤るでない。

 ここで数を頼みに我らの首を取ったところでなんとする。

 徳川領を使わず、信濃木曽街道を行くのか?

 信濃は多くの国人が織田へ反旗を翻し落ち武者狩りにあふれているぞ。

 無事に美濃へ戻ったとて儂の首を獲ったと織田家中で誇るつもりか」


 懇懇と諭すように、織田で有数の重臣である菅屋九右衛門が言い聞かせた。

 するとついには、


「「「「はぁ」」」」


 と、腹に力を込めていた男たちが弛緩して、いくつものため息が重なった。

 彼らにしても、甲斐での河尻家が窮地にあったことは自明なのだ。しかも彼らの親族は今も多くが美濃に残っており、新たな仕官先や再起の望みは十分に残っている。

 菅屋九右衛門は幾人か残っている親河尻の甲斐国人に向けても声をかける。


「すぐに己の土地へ戻るが良い。

 徳川殿と穴山殿には温情があるよう儂から口を利いてやろう」


 黙って提案を聞いた一人の国人が、不意にオレを見た。


「本栖を通った折におぬしを見かけたことがある。おぬし渡辺囚獄佑(ひとやのすけ)どのの弟であろう。

 そなたの兄君から、徳川様へよしなに伝えてもらえようか」


 武田宗家が滅びて、はや2ヶ月。

 上手く立ち回る穴山ばかりか本栖渡辺までが噂になっていると、兄貴から聞いていた。それもこれも兄嫁のお嘉祢さんが、徳川家康の側室お都摩の方と姉妹であること。その縁が、寄る辺ない国人にとって妬ましい守り神に見えるようだった。妬みが頭にこびりついていたかはともかく、敗者側に付いてしまった国人として身の安全のために使えるコネをなんでも使ってあがこうというのだ。実に理性的な判断といえる。

 オレは顔見知りの国人へ素直に頷いた。

 これ以上の暴力は御免だったから。

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