生きるということ
深く考えずに読んでみてください、ね?
私のような特に執着するものもなく、最愛の彼がいるわけでもない女、この世界には五万といる。
そんな私は、この世界からしてみれば大気中に含まれる酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す行為を無尽蔵に繰り返しているに過ぎない不要な子なのかもしれない。
でも、けれども、私は『生きる』という選択肢以外を選ぶことはありえない。だって、単純に考えてみてよ。生きる以外の選択肢ってことは、つまりも何も『死』につながってしまうじゃないか。
────死、それは終わりを告げるもの。死、それは終わりであり始まりでもある。
とにかく、私が何を言いたいのかというと死ぬことに対して恐れをなしているということ。
この世界に対して何を還元することができているのかなんてこと、さっぱり分からない。それどころか世界から一方的に何かを貰ってばかりなのかもしれない。
(あぁ、私はなんてちっぽけな存在なんだ。あぁ、こんな私が生きている意味ってなあに?)
ふと、そんな思いが疑問がどこからか浮かんできたとしたら、貴方は・・・君は、どう答えるのだろうか。
・・・・・・私?私ならどう答えるのかって?そんなの、一つに決まっているじゃないか。
生きている意味が分からないからこそ生きるのだ、と。
なんじゃそりゃ、な返答だってことは誰かから指摘されなくとも理解しているつもりである。
でも、それでも、生きている意味が分からないからこそ何か新しい発見ができるかもしれないし、これまでつまらなかった人生が突如として薔薇色になるかも──なんてことはありえない可能性の方が大きいよね。
とほほ、な私の人生。だとしたら、なんだってんだ。私の一生に一度の人生くらい他人からつべこべ言われずに生きさせてほしい。いや、寧ろ何か言いたいことがあるのなら私の屍をこえていけ・・・なんて偉そうなことは言えるわけもない。
・・・・・・ともかく、私は何があっても最期のときまで生き続ける。残りの人生で何ができるのかは未知数すぎて分からないけど。でもそれは、私であっても他人にとっても同じなんじゃないのかとすら思えてくる。
「ただいま・・・・・・」
私は家に帰ると、母とペットの待つ居間へと向かう。もしかしたら私のことなんて部屋の四隅に放置されているホコリくらいにしか思われていないのかもしれないが。
『ただいま・・・・・・』
時は同じくして、海中を長い時間をかけて移動し、ついに親元へと帰ってくることのできた寄生虫。そんな寄生虫に対し、クジラやイルカは何も言い返さずにいた。
よくも分からぬものを最後まで読んでくださり有り難うございました。また、この譚に何か深い意味があるのかと問われれば私は分からないとしか言えません。だって、執筆した本人ですら最終的にどう解釈したらいいのか分かっていないのですから。
ですが、この譚から読者様が何かを感じてくだされば嬉しくもあるような気がします。
とにかく、有り難うございました。
お元気で。それと、おはようとおやすみなさい。