プロローグー3節
ホワイトマーティン家に新しい家族が加わってから5年後。弟、ニコロの異常な成長を見ていたアルレシアは次第に彼に嫉妬を覚えていくようになる。
そんなある日、部屋で遊び疲れて寝ていたニコロを見てアルレシアは―――。
弟のニコロが生まれてから、五年後。
僕、アルレシア=ホワイトマーティンは12歳ながら魔術師としてそこそこの実力をつけてきていた。
元々、魔術には自信あったし、何より周りの人に褒められるのがうれしくて頑張ってしまう。
学校での成績も優秀で、僕は約束されたエリート街道を進んでいると言っても過言ではなかった。
でもやはり、家に帰るとその自己評価は一転してしまう。
「ただいま。」
玄関から客間を通ると、メイドたちが談笑しているのが見えた。恐らく休憩時間なのだろう。しかし僕がいるのに気づくと慌てて姿勢を正し
「おかえりなさいませ。」
とお辞儀される。
軽く会釈をして自分の部屋に戻る。
「ニコ、帰ったよ。」
部屋を開けて、弟を呼んだ。
すると、部屋の奥でごそごそと蠢くものが見えた。
返事がないので近寄ってみると、遊び疲れたのかニコは玩具を持ったまま床に寝転んで寝息を立てていた。
僕と同じ綺麗な黒髪をぐしゃぐしゃにしてしまう程に、はしゃいでいたのだろう。しばらく起きる予感がしなかった。
…僕は、そのニコの方にそっと触れて、起こそうかと思った。
だが、無理に起こしても甘えたがりなニコはぐずるので、揺するのはやめておいた。
そして、手は自然と、ゆっくりと、首筋の方へと向かっていった。
5歳の弟の小さな喉が、僕の手に収まった。
トク、トクと、少し力を込めた右手が拍を感じた。
確かに、ニコは今、生きている。
そう思うと、不思議と右手にさらに力が入った。
「ぅ…っ。」
ニコの表情が少し曇ったので、慌てて手を離した。
「く…っ!」
部屋の扉を開きっぱなしにしていることに気付いて、僕は慌てて部屋を飛び出し、周囲に人がいないことを確認してから洗面台に向かった。
――――――――――
あぁ、どうしてだろう。
手を洗いながらそんなことをいつも考える。
ニコは言葉通り、生まれつきの天才だった。
それは、白癒石をもって生まれたことから確定的だった。
イノセンティアでは昔から、『石』をもって生まれた者は必ず才能のあるものに育つ、という習わしがある。
例えば、血涙石という真っ赤な石(というか血の塊)を持っていれば、その人物は武に優れ戦乱の世を治める者になると言われている。
ニコの場合は、白癒石がその『石』にあたる。
白癒石とは、分かりやすく言うと光魔法の結晶。その子の体内にある溢れんばかりの魔術が外に漏れ、それが手の中で固まったもの。
ホワイトマーティン家以外の6つの貴族にも白癒石に該当するような『石』が存在するが、これをもって生まれてくるのは非常に稀であるという。確か、400年に1度とか、そんな規模。
話は逸れたけど、これをもって生まれてきたニコは習わし通りとてつもない魔術の才能があった。
まず、本来は習得するのが3歳頃だという光の基礎魔法を1歳で、しかも魔導書を読破するという形で習得(当たり前だけど、僕も含め普通の子供は1歳で文字なんか読めるはずがない)。
さらにその2週間ほど後には、光魔法の主な使い方を学んだのかケガをしたメイドを魔法によって手当てしたという話も聞いた。
そして2年前…つまりニコは3歳にして貴族間の禁忌に触れてしまった。
―――
それは、僕が勉強で徹夜していた日の事だった。
夜も深くなり寝ようと思ってベッドに入ろうとした瞬間、庭から異常な魔力を感じた。
光魔法とは違う、そして体の底が震えあがってしまうような感覚。
慌てて外に出てみると、ニコが一人で立っていた。
扉を勢い良く開けて出てきた僕に驚いたのか、ニコはビクッと体を跳ね上げてこちらを振り向いた。その瞬間だった。
ニコの後ろで輝いていた月が、いきなり傾き始めたのだ。
周りの草花や虫たちが、沈む月に合わせて忙しなく動き回り、僕の体も血が高速で巡る感覚に思わず膝をついてしまった。
次に目を開けたときには、もうニコはいなかった。が、それ以前の光景に僕は言葉を失った。
陽が落ちかけていたのだ。
さっきまで真夜中だったはずなのに、瞬き程度の時間で空は夕暮れの色になっていた。
そして、呆気にとられたまま屋敷に戻ると、ニコが高熱で倒れているのが見つかった。
時間が急に加速したことに関して、僕とニコ以外誰も気づいていないようだった。
僕は、一つの確信を得てしまった。
時間を加速させる、昔の女王様が儀式のときに使っていたとされる魔法。
星の理を破る、2番目に神のそれと近しい魔法。
ニコは、王族のみが扱える星魔法を習得していたのだ。
――――――――――
ホワイトマーティン家を含めた7貴族にはそれぞれ専門とする魔法がある。
僕の家は光魔法、王族は星魔法というように、だ。
しかし、専門とはいえ流石に他の貴族の魔法を使うことは別にタブーではない。ただ一つ、王族の星魔法を除いて。
星魔法は、色を象徴とする僕らの家とは違ってその力の一つ一つは非常に強く、悪用を防ぐために他の貴族が使うことは許されなかった。
と言っても、そもそも星魔法を使うためには、専用の魔導書が必要になるため、使える人は誰もいなかった。
それなのに、ニコはあっさりと使ってしまった。
星魔法を使うことは魔術師たちの悲願の一つでもある。だから最初は驚きつつも、弟の成長に胸が高鳴っていた。
が、次第に事の重大さに気付いてから、その思いはただただ嫉妬に塗り替わっていった。
それからと言うものの、僕はニコの事が憎い…というよりかは嫌いになってしょうがなかった。
だから、必死に魔術の勉強を積んで、星魔法は扱えないものの、魔術の腕だけならニコに追いつかれまいと、兄としての威厳を保とうとしている。
「アル、なにしてるんだ?」
急に後ろから父さんの声が聞こえた。
過去に思いを馳せていたけど、流水に当てたままの手がしわを刻んでいることに気付いて慌てて水を止め、ハンカチを取り出して父さんの方に向き直った。
「ううん、何でもない。ちょっとぼーっとしてただけ。」
「そうか。…アル、夕飯の後にニコと一緒に父さんの部屋に来てくれないか?」
「えっ?…う、うん。」
なんだろう…。何かやっちゃったかな…?
――――――――――
「ごちそうさまでした。」
「あ、ニコ。」
「ん、お兄ちゃんどうしたの?」
「あぁ、さっき父さんからね、ニコと一緒に父さんの部屋に来るように、って言われてて。」
「パパから?」
「うん。」
「分かった。」
ニコは返事だけするとすぐに食堂を出て父さんの部屋の方へ向かっていった。が、すぐに戻ってきて
「えっと、廊下が暗くて…。」
と顔を赤らめながら手を出してきた。
こういうところは、まだ弟だよな、と兄らしく手を大きく開いてその手を取った。
”コン コン”
「どうぞ。」
扉を開けて中へ入る。整理が好きな父さんの本棚は、しっかり名前順に並べられている。
燭台のロウソクに灯った炎だけが空間を薄く照らしていた。
「二人とも、寝る時間なのに呼んでごめんね。」
「ううん大丈夫。それで、父さん。話って?」
「うん。そうだね。」
父さんはそういうと、書類を仕上げ終わったのか万年筆を置き、僕たちの方をまっすぐと見つめた。
「アル、そしてニコも。二人とも、そろそろ7貴族の定期会合があるのは知っているね?」
「うん。各貴族の当主たちが首都に集まっていろいろ会議するんでしょ?」
「あぁ。まぁ、会議というのは建前で、後半はお茶を嗜みながら罵り合っているんだけどね。」
「それで、どうしたの?」
「あぁ、今度レッドフラム家のご令嬢が新しく当主の座に就くらしくてね。顔合わせをしたいのだそうだ。それで、せっかくだし、各一家の自慢の子供たちも、将来の当主として今のうちに会っておこうってことになったのさ。」
「そ、それじゃあ、お城へ行けるの!?」
「そうだ。きっとアルの大好きな魔導書もいっぱいあると思う。」
「や、やったぁ!…あ、でも、ニコはどうして?ニコにはまだ外は危険すぎるんじゃ…。」
「何言ってるんだ。ニコには十分、一流の魔術師と言って差し支えない魔力がある。」
「…そっか。」
「…それに、いざとなったらお兄ちゃんが守ってあげられるだろう?」
「…!そう、だったね。」
「ここまで行ってなんだけど、ニコはどうしたい?お城、行きたいかい?」
「うん!僕も行きたい!」
「よし、とりあえず次の会合には二人も出てもらおう。そして、話はもう一つあるんだ。」
「もう一つ?」
「それは、これを見てもらいたい。」
父さんはさっきまで書いていたらしい書類を取り、僕たちに見せた。
『宮廷魔術師 育成訓練』
「これって一体…?」
「書いてある通りだ。…前回の会合で魔術師志願者の数が少なくなっていていることが話題になってね。」
「皇国市民からの志願者が?」
「そう。理由は何となく想像ついているけど、今は後回しにして…。それで、7貴族の子供たちを交えて魔術師訓練…まぁキャンプ合宿みたいなものをすることになったんだ。」
「が、合宿…。」
「基本は、城で本物の宮廷魔術師と魔法の勉強をしたり、野山で魔獣相手に実践訓練をする。どうだ、興味ないか?」
「僕は興味あるけど、…ニコは?」
ニコの方を見ると、彼も興味津々のようだった。
「僕も行きたい!」
「そうか、よかった。でもまぁ、合宿自体はまだ先だ。計画段階だしね。」
「そういえば、次の会合っていつなの?」
「あ、言ってなかったね。3日後だ。」
3日後、か…。
「それまでに、二人とも準備を済ませておいてね。…って言っても、顔合わせ程度だから特に何か必要ってわけでもないけど。」
「分かった。それじゃあ、僕たちはもう寝るね。」
「あぁ、ありがとうね。おやすみ。」
「うん、おやすみパパ。」
「おやすみなさい。」
父さんのにこやかな笑顔に背を向けて僕とニコは部屋を後にした。
「お兄ちゃん…。」
自分たちの寝室へ向かう途中、ニコが眠そうな声を上げた。
「どうしたんだ?」
そう聞くと、ニコは半目を開いた顔をこちらに向け、両手をこっちに差し出してきた。
これはそう、『眠くて歩けないから抱っこしてほしい』というサインだ。
僕は伸ばした腕をくぐらせ、しっかりと抱きかかえた。
7歳差の弟とはいえ、抱っこして歩くのにはちょっと慎重さが必要そうだった。
小さい子の体は、眠くなると温かくなるという話は本当のようだ。
こっちにまで熱が伝わってくる。
そして、その奥で凄まじい魔力が渦巻いているのもわかる。
「ニコは一流の魔術師と言って差し支えない、…か。」
誰に行ったわけでもないその独り言が、僕とニコの相対的評価を決定づけているようで、悔しくてたまらなかった。
このまま、ニコは僕を越して大魔術師にでもなるのだろうか。いや、なるだろうな。だって、禁忌かつ悲願と言われた、王族以外の魔術師による星魔法を達成したんだ。
たとえ、その事実を知っているのが僕だけでも。
あぁ、ニコ。僕の弟。
お前は本当に、この世界の人間なのかい?
――――――――――
つづく
連載の方法を間違えていたのであげなおしです。ごめんなさい。