禍
――井塚村。目の前の看板にはそう書かれていた。僕はこの村で会いたい人に会えるという噂を聞いて、ここまでやってきたのだった。周りには人の気配はなく、なんとなく肌寒いような気もする。本当に会いたい人に会えるんだろうか……。この様子では会いたい人どころか、誰にも会えない気がするほどに、人っ子一人見当たらなかった。
「よっ。ここらでは見かけない顔だな。新入りか?」
「ひえっ」
突然、肩に手を置かれ、僕は思わず飛び上がった。振り返ると、そこには髪の毛から着物まで全身真っ赤な美しい男が立っていた。
「いや、すまない。驚かせてしまったか?」
僕の様子が面白かったのか、男は笑っていた。僕は少し恥ずかしくなり、うつむきながら答えた。
「いえ。大丈夫です。あの、あなたは……?」
「俺か? うーん、そうだな。ナツメ、とでも呼んでくれ。この村の住人だ」
「ナツメ、さん。あの、ところで新入りってなんのことですか?」
「おっ? そう質問するところを見ると、どうやらきみは新入りではないらしいな」
男――ナツメさんはそう言うと、一人でふむふむと言いながらなにやら考え込んでしまった。確かに誰も居なかったはずなのに、急に現れたこの人は一体何者なのだろう。住人と言っていたが、この村に人が住んでいる気配など感じなかった。しかしそこで、僕はある異変に気がついた。村が人で賑わっていたのだ。先程までの気味が悪いほどの静けさが嘘のように賑わっている。
「どうして……」
「さっきまでは誰も居なかったはずなのに、ってか」
いつの間にか、ナツメさんが隣にやってきていた。
「……ッ」
思っていたことをそのまま言い当てられ、僕は言葉を失った。
「俺なりに考えてみたんだがな、どうやらきみはこの村に迷い込んできてしまったようだ」
ナツメさんの言葉に、僕は困惑してしまった。迷い込んだとは、どういうことだろう。僕はこの村を目指してやってきたのに。
「あの、僕はこの村に来たくて来たんです。決して迷い込んだわけではないんです」
僕のその言葉に、ナツメさんは眉間にしわを寄せた。
「なんだって? この村に来たい奴なんてそうそういないと思うが……」
「えっと、この村に現れる橋を探せば会いたい人に会えるって聞いて来ました。僕を産んで間もなく亡くなった母と、その後すぐに行方不明になってしまった父に会いたいんです」
「……ふうん。なるほどな。あの橋の噂を耳にして来たのか。……うん。これは俺からの忠告だ。行くのはやめておいたほうがいい。どうせきみはこの村について、さほど調べないまま来たんだろう。いつもなら放っておくんだが……」
ナツメさんは僕の顔をまじまじと見つめた後、言葉を続けた。
「きみは俺の大切な人に少し似ているようだから、特別にこの村について教えてやろう」
そう言ったナツメさんは笑っていたが、どこか寂しそうに見えた。しかし、すぐに表情を変え、話を始めた。
「まず、この村には五つの禍があるとされている。井塚村という名前はな、本当は五つの禍と書いて五禍村、と読むんだ。まあ、どれも禍というよりは怪異に近いものたちだ。ほら、あそこに『赤い屋根の家』があるだろう。あれが一つ目の禍さ。……」
禍一 赤い屋根の家
赤い屋根の家には近づいてはいけない。目も向けてはいけない。もし二階のベランダに人影を見つけてしまうと、大変なことになってしまうからだ。
ある時、強盗目的でこの村にやってきた男がいた。男の名前は悟といった。赤い屋根の家の噂を聞きつけてやってきたのだった。
(大方、家主が金持ちで、家に人が寄り付かないように流したんだろう。なにか金目のものが隠されているに違いない)
そう考えた悟は、迷わず赤い屋根の家へと入っていった。
この家のベランダに現れる人影はどうやら少年らしく、その姿を見た者は全員気をおかしくしてしまい、少年がどのような見た目をしているのかは未だに分かっていないという。しかし、発狂した者の多くが「少年が……喰われて……化け物……」という言葉を、うわごとのように繰り返していることから、少年は何かの化け物に喰われている状態であると推測されている。ちなみに、少年がなぜそのような姿になってしまったのかは謎に包まれたままだ。
外からベランダを見るのも危険なのに、家の中にまで入っていった悟はその後、家から出てくることはなかった。先の説明から分かるように、この禍には謎が多く、この家の中がどうなっているのか知る者は誰もいない。
「……」
ナツメさんの話を聞き、ついその家の方向を見つめていた僕の目をナツメさんが手で覆った。
「あまり見ないほうがいい。遠くからでもベランダが見えてしまうことがある」
僕はナツメさんの方に振り返り、問いかけた。
「結局、悟さんはどうなってしまったんでしょう」
「うーん。化け物に喰われてしまったか、気が狂ったまま、あの家で誰にも見つけてもらうこともなく死んでいったか……。今ベランダを見たら、化け物に喰われているのは少年じゃなくて、悟かもしれないな」
ナツメさんは「ふう」と息をつくと、再び話し始めた。
「さあ、二つ目の禍の話に入ろう。二つ目の禍は『人さらいの桜』といってな……」
禍二 人さらいの桜
この村には、一年中咲いている不思議な桜がある。それはそれは立派な桜でな。思わず見惚れてしまうほどだ。だが、あまり長い間見惚れてはいけない。
ある時、電車で寝過ごし、この村までやってきてしまった女がいた。彼女の名前は梓といった。梓が乗っていた電車は終電だったため、すぐに帰ることができなかった。人気のない村に降ろされた梓は、とりあえず一晩泊まれるところを探そうと、辺りを歩いてみることにした。しばらく歩くと、梓はひらりと何かが舞い落ちてきたのに気がついた。顔を上げると、目の前には綺麗な桜の木があった。
「きれい……」
梓はそう呟くと、それからしばらくの間、桜を眺めた。すると、急に強い風が吹き、桜の花びらがひらひらと舞い散った。
『お姉ちゃん、一緒に遊ぼう?』
梓は桜を散らす風の音に紛れて、女の子の声が聞こえた気がした。声がした方を振り返ると、そのまま梓の身体は透けるように消えてしまった。
「梓さんは、攫われてしまったんですか?」
僕が問いかけると、ナツメさんは少し困ったような顔をした。
「そうだな。長い間見つめられて、きれいだと褒められると、桜も嬉しいんだろう。だからといって、攫ってはいけないと思うが……。桜の木の付近で姿を消した人数は、把握できているだけでも十人はいる。きみも気をつけたほうがいい」
「わかりました。気をつけます」
僕は、本当はそんなに多くの人が見惚れてしまうほどの綺麗な桜なら見てみたい気もしたが、黙っておくことにした。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、ナツメさんは満足そうに頷くと、また話し始めた。
「では、次は三つ目の禍だな。これは、今までと比べると良いものかもしれない。ここから少し行ったところにある『三森神社』の話だ。……」
禍三 三森神社
三森神社は魂が綺麗だとか、なんとなく惹かれるだとか、気に入った者にだけその姿を見せる。この神社にお参りすると、身に危険が迫った時に守ってくれるらしい。
ある時、この村に迷い込んだ少年がいた。少年の名前は翔といい、学校でいじめられていた。翔がしばらく歩くと、三森神社と書かれた神社にたどり着いた。翔はなぜかここの神様だったら、自分のことを助けてくれるかもしれないと感じた。
「神様。いじめられている僕を助けてください」
翔がそう願うと、急に辺りが明るくなり、目の前に白い着物を着た狐面の男とも女とも言えないものが現れた。
『いいだろう。その願い聞き入れよう。だが、私にできるのはお前の身に危険が迫った時に、守ってやることだけだ。いじめを解決することはできないが良いのか?』
翔は守ってくれるなら、と頷いた。
『ふむ。では、交渉成立だ。私が守れるのは三回までだ。お代は、お前が死んだ後の魂でいい』
「えっ、お代取るんですか!?」
『当たり前だろう。さっきお前が投げ入れた五円だけじゃ、割に合わんだろう』
翔は知らなかったが、この神社は本当は三に守るで三守神社と書く。気に入った者を三回守る代わりに、死んだ後の魂をもらい、眷属としてそばで働かせる。ここの神様はそういうやつだ。
結局その後、いじめっ子から守ってもらったり、交通事故から守ってもらったりと、翔は三回守られてしまった。三森神社の神様は翔が死ぬのを待ち、今は無事眷属にして一緒に暮らしているという。
「死ぬまで待っていてくれるなんて、気の長い神様ですね」
「まあ確かにな。だが、三森神社に頼る者は大体身に危険が迫りやすい者が多い。そんなに待たなくても魂を手に入れることができるんだろう」
「なるほど……」
関心している僕をよそに、ナツメさんは今まで以上に真剣な表情を浮かべると、話を再開した。
「さて……、四つ目と五つ目は同時に話してしまおう。『水鏡川』と『黄昏時の渡橋』の話だ。きっときみが噂に聞いた橋は『黄昏時の渡橋』のことだろう。……」
禍四・五 水鏡川/黄昏時の渡橋
水鏡川を覗き込むと、水面に自分が死ぬときの姿が映し出される。この川が現れる場所は日によって違う。
黄昏時の渡橋はその名の通り、黄昏時に姿を現す。この橋を渡ると、会いたい人に会えるという。
ある時、黄昏時の渡橋の噂を聞いて、死んだ妻にもう一度会いたいと村にやってきた青年がいた。青年には子供がいたため、妻に一目会えたらすぐに帰るつもりだった。青年は、黄昏時になると、渡橋を探したがどこにも見当たらなかった。と、その時、夕陽が眩しく、青年は思わず目を細めた。すると、さっきまではなかったはずの渡橋が目の前に現れていた。
「これが噂の……」
青年が橋を渡ると、そこには見間違うはずのない妻が立っていた。
『久しぶり』
彼女は、困ったように笑った。
その後、二人はたくさん話をした。まるで死んだなんて嘘のような彼女の様子に、青年は彼女を連れ帰りたいとまで考えた。しかし、青年はこれはあくまで禍によるものだと思いなおし、自分のことを待っている子供の元へ帰ろうと思った。
「……そろそろ帰らないと」
『あら、もう帰ってしまうの? ずっとあなたと一緒にいたいわ。どうか帰らないで』
彼女の言葉に、青年の心は揺らぎかけた。しかし、青年はこの村についてきちんと調べていたため、覚悟はしていたことだった。
この渡橋は、会いたい人には会わせてくれるが、帰り際の「帰らないで」という言葉を断れる者だけが、現実に帰ってこられるという少し厄介な禍だ。そして、相手を振り返らず、橋を渡りきることも必要となる。途中で振り返るのも、現実に帰れなくなる原因となってしまう。
「悪いな。子供が待っているんだ。もう帰らなくては……」
そこまで言ったところで、青年は異変に気がついた。橋の下を通っている川に、自分の姿も妻の姿も映っていなかったのだ。
「なんで……」
妻はもう死んでいるし、姿が映らないのもまだ納得できる。しかし自分が映らないのはおかしいと青年は思った。そこで、村について調べたときに『水鏡川』という禍があったことを思い出した。もしかしてこの橋の下を流れている川はそれなのかもしれない。青年はそう考えたが、それでもあれは死ぬときの顔を映すもののはずで、姿が映らない理由にはならないな、と頭を悩ませていた。
『水鏡川はね、死んでいる人間と死なない人間の顔は映せないのよ』
まるで僕の心を見透かしたように、彼女がそう言った。
「死なない……? なぜ」
『あなたは私を置いて帰るなんてできない。たとえ子供が待っていたとしても。そうでしょう?』
彼女は妖しく笑った。
『あなたはこれから、この村で私とずっと一緒に暮らすの。現実に帰れないから死ねないのよ』
彼女のその言葉に、青年はやけに納得してしまったのだった。青年は、先程までの冷静さを無くし、そのまま彼女とともに姿を消したという。
「……一つ質問していいですか?」
「おお。そんな許可取らなくても、きみはわりとさっきから質問ばかりしていただろう。なんだい?」
僕は四つ目と五つ目の禍の話を聞いて、胸に引っかかっていたことを思いきってナツメさんに打ち明けた。
「この青年ってナツメさんのことですよね?」
「ほう。なぜそう思ったんだい?」
そう言ったナツメさんは、顔は笑っていたが目は笑っていなかった。
「まず、今までの話とは違って、青年の名前が出てこなかったところ。あと、他の話と比べると、この話は少し具体的すぎると思いました」
「なるほど。名前に関しては知らなかっただけかもしれない」
「そうかもしれません。でも、まだそうではないかなと思う要因が一つあります」
「言ってみてごらん」
僕はナツメさんの背後に目をやると、こう答えた。
「実は、僕の見間違いかなと思って触れていなかったんですが、ナツメさんの背後に少し透けている女性の姿が見えていたんです。ナツメさんの奥さんですよね?」
僕の言葉に、ナツメさんは目を丸くした。
「こりゃ驚いた。きみには妻の姿が見えていたのか」
「はい」
「それじゃあ、もう隠し通せはしないな。そうだ。きみの言った通り、青年とは俺のことだ。俺の妻はきれいだろう?」
ナツメさんがそう言うと、背後の女性は嬉しそうに微笑んだ。
「……はい。そして、僕にとても似ていますね」
「そうだろう? だから、俺はきみを助けようと思ったんだ」
「本当にそうですか?」
僕はつい、声を荒げてしまった。
「おい、きみ。どうしたんだ、急に」
「本当に僕が奥さんに似ているからですか?」
僕はいけないと思いながらも、この気持ちを抑えることができずに言葉を続けた。
「本当はあなたが僕のお父さんなんじゃないですか!?」
「なるほど、な。そこまで考えついてしまったか」
そう言ったナツメさんは、悲しんだような、困ったような表情を浮かべていた。
「きみに知られるつもりはなかったんだが……。こんなお父さんで悪かったな、光」
ナツメさんは、まだ教えていない僕の名前を呼んだ。
「それじゃあ、やっぱりあなたは僕のお父さんなんですね」
それから、僕はナツメさん――父の背後にいる女性に目を向けた。
「そして、あなたは僕のお母さん……」
『ごめんね、光。あの時の私はどうかしていたの』
母は申し訳なさそうに目を伏せた。
「光には申し訳ないことをしたと思っている。俺も明も光のことは本当に愛しているんだ。しかし、明は死んでしまっているし、俺はもう現実に帰ることができない。せめて、光は俺の二の舞にならないように、帰らせたかった」
父の言葉を聞いて、僕はそういえば母の名前は明だったなと思い出した。
「井塚村は、現実と異世界の間にある村でな。ここの住人は皆異世界の者だ。たまに現実の人間が紛れ込むことがあるがな。しかし、この村も変わりつつある。最近では井塚村ではなく、六花村と呼ばれるようになってきた。想像できる通り、本当は六に禍と書いて六禍村だ。新しくできた六つ目の禍は『ナツメ様』といってな。迷い込んだ人間のうち、気に入った者は現実に帰るように忠告してやるんだ」
「ナツメ様ってお父さんのこと?」
僕がそう言うと、父は「ははっ」と笑い、僕の目を手で塞いだ。
「俺が『ナツメ様』として、特別に現実に帰してやろう」
『もうこの村に来てはダメよ』
「『光、大事な息子』」
父と母の声を聞くと、途端に頭がぐらつくような感覚に陥った。僕は遠くなる意識の中で、そういえば父の名前が棗であったことを思い出し、結局、渡橋に行かなくても両親に会うことができたなとぼんやり思った。
初投稿です。至らない点などありましたら、教えていただけると幸いです。