ハッキング(ジャンル:電子魔法)
石造りの家が立ち並んでいる。想像上の異世界と、あまり遜色はない。異世界というのは大体がこんな感じなのだろうか。
地震に弱い石造りが主流ということは、ここは滅多に地震が起こらない地域なのだろう。あるいは石材以外が乏しいのか、はたまた宗教や法律で縛られているのか……?
周りの人々は思い思いに生活を送っているように見える。服装や肌の色、髪色や髪型もあまり共通点がない。
ということは恐らく宗教・法律・文化に差別や選民思想はない。もしあれば私、もしくはアルが迫害を受けるのではないかと思ったが……杞憂だったようだ。
アルが異常なまでのお人好しである可能性を考慮し観察していたが、もしそうでも実害はなさそうだ。
そんなことを考えていると、目の前でアルが家屋に入っていく。
「シャンティは落ち着いた雰囲気でいい街だろ? ほら、ここが私の家だ。しばらくここで寝泊まりするといい」
アルはそう言いながら本棚へ向かい、緑色の本を取り出した。
私は礼を言いつつ何をするのか観察する。何やらページを探しているようだが、何故か先程から白紙ばかりだ。
文字が書いてあるページを開き、呪文を唱える。するとアルの火傷や打撲傷が、ものの1秒ほどで消えていった。
目線を見るに、発動のための呪文が本に書いてあったのだろう。恐らく発動には目線や動作の指定がないことも見ていてわかる。
私が助けられた時、アルは火球の魔法しか使えないと言っていた。魔法がほとんど使えなくても利便性の高い魔法は使えるよう、こうした仕組みが形成されていて通常の生活も便利に――
「どうしたハック? あ、この本が気になるのか?」
しまった、ぼーっと考えすぎた。いつもとは国どころか世界が違うから、考察対象が多くて困る。
「すみません、じろじろ見てしまって。本棚にはそれと同じような本がたくさんあるんでしょうか?」
本は緑がかなり多いが、2色以上で構成されている本もある。線が入った本もあり、よく見ると緑以外の本は殆どに線が入っていた。
「本は冒険者向けのものと生活用のものがあって、ここに線が入ってるのが生活用だよ」
「なるほど。色は属性を表していたり?」
「そうそう。この水色の本は洗濯に便利なやつで、こっちの赤い本は料理に便利だったりするんだ」
アルのおかげで、魔法への評価や普及率などが判明していく。この世界の常識を知ることができるのは本当にありがたい。
子供の状態なら勉強や親の行動でゆっくりと常識や法律を学べるのだが、転生ではなく転移だとこういった弊害もあるな。
感謝しつつ考察をしていると、アルが「今度は私からいいか?」と言ってきた。
「私は、君がハックという名前であることしか知らない。ハックが知っている限りでいいから、色々教えてくれると助かる」
アルの表情からは一抹の不安と疑念が伺えた。直感を信じて家に連れて来はしたが、信用に足るかはここで確認しようということか。
外で聞けば、もし私が悪人であっても切り捨てるなり逃げるなりの方法が取れる。しかしそんなことは相手もわかっているため、嘘を吐かれるのは確実だ。
初対面で自宅に泊めて欲しいというのは、『本当に困っている人』か『家に侵入すること自体が目的の輩』のどちらかだと考えるのが妥当。
困っている人であればそのまま助ければいいし、悪人であればここで尻尾を出させようという寸法……有り体に言えば尋問が始まるのだ。
当然私は前者なので問題ないが、アルはもしかしたら相当な切れ者なのかもしれない。
「知っていることと言っても、元いた世界のことしか話せません。気付いたらここにいた、という以外だと……この情報端末についてだけです」
私はそう言ってスマホを取り出した。ディスプレイが光ると、アルは少し驚いた表情を見せる。
「なるほど。では少しこの板について教えてもらえると――」
そう言い終わるが早いか、玄関の扉が勢いよく開いた。
「アルちゃーん、言われてた投擲武器作ってきたよ~。……あれ、男連れ込んでた? こりゃ失敬、失礼しました~」
ボサボサの白髪少女はそう言い終わると、流れるような動きで踵を返した。アルは慌ててその少女の手を掴んで引き止める。
魔物に襲われていたところを助けたと伝えると、女性は納得した表情でこちらに向き直った。
「どもー。私はキカ・アペノイー。名字も名前も珍しいだろ?」
「私はハックと言います。この世界に来たばかりで普通の名前というのがわかりませんが、素敵な名前だと思います」
キラキラネームは自身が嫌っていることも多いが、キカはどこか誇らしげだ。恐らく嫌ってはいないのだと思う。
「おー、そう言われると照れるねえ。おいアル、こいつはどっから拾ってきたんだ?」
「そこの平原だ。見かけた時にはステルスタイガーに襲われそうだったから、助けたんだ」
アルがそう言うと、キカは意地の悪い笑みを浮かべた。
「平原? あそこは見晴らしもいいし、そんな大型の魔物がいたら遠くてもすぐに気付くだろ。気付いてすぐに助けられる状況ってことは、さてはお前また岩陰で昼寝してたな? 襲われてたのに気付いたのも、ステルスタイガーの唸り声で目覚めたってとこだろ」
「うぐ、依頼も終わって気が緩んでたんだ……それにな、あそこはすごくいい風が吹いてて、昼寝には絶好な――」
「わかったわかった。とにかく魔物が出るかもしれない場所で、女が一人で寝てるってのは良くない。罠だとしてもありえない状況だ、わかるか?」
「うぐぅ、次から気をつける……」
「魔物が寄ってこない丘がすぐ近くにあるだろ。ちゃんとそこまで移動するか、魔物除けの魔法を使うんだぞ」
アルはしゅんとし、コクリと頷いた。しっかり者のイメージがあったが、意外とマイペースな性格らしい。
それはそうと、魔物除けの魔法なんてあるのか……戦闘のできない私には必須の情報だ。先程言っていた戦闘タイプの本だろうか。
キカは咳払いをし、私と目を合わせた。閑話休題だ。
「さて、ハックと言ったか。この世界に来たばかりとか言ってたが、別の世界から飛ばされたのか?」
「そうです。魔法も魔物も大剣もありませんが、機械というものが発達しています」
「機械? 昔発見されたが、魔法によって淘汰されたっていうあれか? どっかにそんなこと言ってた作品があった気がするが……」
「これがその一端です。アルには見せましたが、私の世界で普及している情報端末です」
スマホを見せると、キカは手に取ってまじまじと観察した。ディスプレイの点け方を教えると、やはり驚いた顔をした。
「確かに魔力はないな。この光は光魔法……いや、魔法は存在しないのか。火か電気が正体だな?」
キカは好奇心が強いが思慮深く、なおかつ知識が豊富な人であるようだ。
対してアルはポカンとした顔をしている。キカの考察にはついてこられていないようだ。
魔法を使わない場合、光源になりそうなものは火か電気が一般的なのだろうか。この世界でどこまで化学が通用するかわからないが、物理はほとんど同じらしい。
「うーん、なるほど。この板は気になるが、ハックが言っていることの信憑性を確かめるのが目的だ。これは返すよ」
キカは若干名残惜しそうにスマホを返し、話を続けた。
「さっきの話に戻るが、ステルスタイガーに遭遇したんだって? 獰猛な上に狡猾で、火球と透明化を自在に扱う虎だと聞いていたが……あの平原に出るような魔物だったか?」
「いや、そんなはずはない。本来は魔素の濃い森に生息している魔物で、私が受けていた任務の『生息地外に存在する危険生物の発見・討伐』の対象に――あっ!」
アルがハッとした表情をする。キカはまたニヤリと笑った。
「そうだよな。ステルスタイガーはあの辺りで目撃されるはずないんだ。ギルドへの報告はもうしたか?」
「ハックについて色々聞こうと思っていたら、忘れかけていた……すぐに行ってくる」
アルは思ったよりうっかり屋なのだろうか。しかしキカがたしなめることで、うまくバランスが取れているように見える。いいコンビだ。
玄関を飛び出そうとするアルを、今度はキカが手を掴んで止めた。
「まあそう急ぐな。ハックも冒険者登録のために連れて行こう。必要なのは名前と生体情報の紐付けだけだからすぐだしな」
「そうだった。登録をしておけば身分証明も簡単だし、やっておこう」
「わかりました。その前に厠へ行っておきたいのですが、ありますか?」
「ああ、そこの扉だ。」
厠は通じるらしい。語源を考えれば、まあ存在していても不自然ではないか。
トイレに入り、用を済ませようと便座を見た。
見慣れた洋式の便座であることよりもまず驚いたのは、先の戦いで私にステータスウィンドウを操作させた妖精がいたことだった。
その妖精は30センチメートルほどの大きさで、黄色の髪と服装に身を包んでいた。羽は丸みを帯びた形状をしており、羽ばたく度にキラキラとした粒子のようなものが舞った。
意図的に目の前に現れたようだし、話は聞いてもらえそうだ。質問は有益なものに絞ろう。好奇心を満たすためだけの質問は、情報源の機嫌を損ねる可能性がある。
「貴女はどういった意図で、あのステータスウィンドウを?」
「貴方の適性魔法を調べたの。現存する魔法には適性がなかったから、作ってあげた。ああ、今はハックって名前だったかしら? 私のことはフェアって呼んで」
この妖精、魔法を作ったと言ったか。しかも今までになかったものを。
火球の魔法についての設定を見た時、プログラムコードがびっしり書いてあった。つまりあれぐらいのプログラムコードを……いや、エディタなのだから更に複雑で大量のコードで構成されているに違いない。
しかしフェアは、ものの数秒で適性検査と魔法開発を行ってみせた。魔法を作る難易度はわからないが、少なくとも今までの世界にいた者ではあの速度でプログラミングはできないだろう。
私が見誤っているだけで、妖精ではなく神であったりするのか? シャンティ以外の街を知らないため、どの異種族が一般的に存在するのかがわからない。
神は存在するのか? 妖精も珍しいのか? そもそもフェアは妖精なのか?
知りたいことは山ほどあるが、今はフェアしか知らないようなことを聞かなくてはいけない。会う方法がわからない現状、会話の機会は貴重だ。
「先程の魔法は、私でも発動できますか?」
「もう、質問ばっかりして。普通にお喋りしましょうよ。それとも、こんな場所じゃ話しにくいかしら?」
フェアが指を一振りすると、辺りは和やかな森へと変貌した。
暖かな日差しが差し込み、木陰が揺れている。少し広めにスペースが設けられており、そこには対談しやすいように真っ白な机と椅子が設置してある。既に私とフェアは腰掛けていた。
「貴方、別の世界の住人なんですってね。珍しい魔法の適性だと思ったわ……そうだ、電子魔法なんて名付けちゃおうかしら。まあ、貴方しか使えないジャンルだけど」
「恐れ入ります。元々はハッカーと呼ばれる仕事をしていたので、それが関係しているかもしれません」
質問は一旦やめだ。この場を制しているのは私ではない。
会話の流れを支配しているのは、いつだって立場の強い者だ。少なくとも立場が拮抗するまでは、流れに身を任せるしかない。
「空間に違和感があったから来てみたら、貴方がいたの。貴方なら、私の退屈を吹き飛ばしてくれそうね」
フェアは不敵な笑みを溢した。新しいおもちゃを手に入れた子供のように無邪気で、どこか恐ろしい表情を浮かべている。
「あの魔法はあげるわ。キーボードっていうのもつけてあげる。その代わり、これはもらっていくわね」
そう言ってフェアはスマホを手にし、プラプラと揺らした。盗られたことに一切気が付かなかった。あるいは瞬間移動か?
驚くべきはそれだけではない。キーボードは恐らくこの世界にないはずだが、フェアは知っていそうな口ぶりだった。まさか記憶を読む魔法まであるのか?
「それじゃバイバイ。退屈させないでよね」
フェアがまた指を一振りすると、何もわからないままトイレへ戻ってきた。フェアはどこにも見当たらない。
それにキーボードをくれるという話だったが、どこにあるんだ? 特別小さいものがポケットに入っているのかとも思ったが、なさそうだ。
この短時間の間に、唯一の所持品を失って唯一の魔法を得た。驚くことばかりで、休む暇がない。
用を済ませて扉を開ける。玄関にはアルとキカが待っていた。
「すみません、お待たせしましたか?」
「あ? まあ小便くらい誰でもするからな、気にすんなよ。それより早く行こうぜ」
どうやらフェアと会話していた間は、時間が経過していなかったらしい。いよいよフェアの正体がわからなくなってくる。
「そうだ、先程の板をまた見せてくれないか? 普及されてる情報端末ということは当然、照明以外の用途もあるんだろう?」
「あー、実は色々あって、なくなってしまったんです。事情は歩きながら話します」
「そんな……」
アルはあからさまにショックを受けた顔になる。友人といて気が緩んでいるのか、表情がコロコロ変わって面白い。
私はフェアについて、得た魔法について、先程起こったことを話しながら冒険者ギルドへ向かった。