第四幕 4
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次に気付いた時には、視界はシュアナの膝の上だった。
彼女の膝の上に抱き寄せられるようにして、眠っていたらしい。
彼女の手が、僕の頭を優しく撫でている。
「気付いた……?」
上からシュアナの声がした。
「うん……」
「よかった……、カイン君死んじゃうかと思ったよ……」
見ると、シュアナは涙目で僕を愛しむように見つめていた。
彼女の手のひらは相変わらず僕を撫でたまま。
「わたしもさっき気が付いたの……、二人とも気を失っていたみたいだよ……」
「……傷は――?無い?治っている?」
「うん、治れって願っていたら……」
驚いた。ダーレトに斬られた傷が、綺麗に消えていた。シュアナが治してくれたって言うのか……。
結界はまだ張られているいるらしい。周囲に人の姿はない。
僕はシュアナに抱き寄せられた姿勢のまま言った。
「さっきの将軍が、僕らのことを帝国最悪の組み合わせだって言ってた」
「うふふ。帝国最悪の恋人だね」
「恋人……?」
「あ!ダメ!聞かなかったことにして――!」
シュアナが焦ったように赤面して、そっぽを向いてしまった。
「わたし……、何したんだろ……」
シュアナが今度は俯いて言った。
「僕にも解らないよ……。でも、僕を救ってくれたのは確かだ……。ギメルは?ここにはいないようだけれど?」
「ギメルさんは……。家にいる時にね、私のこと大好きって言っているところを奥さんに見られて、それで奥さんが怒って出て行っちゃって……。奥さんを泣きながら追いかけて行ったっきり戻ってこなかったの……」
「…………」
なんだそれ。
何してんだよギメル。
まあいいや。後で探してみよう。
僕たちはしばらくそうしていた後、どちらともなく、行こう、と声を掛け、二人おもむろに立ち上がり、結界の外へ歩き出した。
結界の外は。
地獄だった。
大災害の跡だった。
終末の光景であるかのように。しかし一切の外傷はなく。
例えるならば、大感染による都市の崩壊。
おびただしい数の死体が転がっている。
死体、死体、死体、死体。
どこを見ても、どっちを向いても。街には、死人があふれていた。
ぽつりぽつりと生き残った人々が、建物から姿を見せ始める。
狼狽える人。救助する人。治療を試みる人。
どうやら、屋外に居てあの光を浴びた人々は、全員、根こそぎ命を奪われたらしい。
僕とシュアナは、余りの光景に、しばらく茫然自失し、立ち尽くした後、意を決して、お互いの手を握り合い、街を歩き始めた。
アテナイの都市機能は、完全に喪失していた。
見渡す限りに、死者。
倒れる男、泣く女、慌てふためく子供。
人だけではない。馬も。驢馬も。犬も、猫も。
見境なしに、命が奪われている。
石畳の道はさながら疫病の通り道だったかのよう。
屋内に居ても、窓を開け放していたのだろう。窓際で椅子に腰かけたまま絶命している老女の姿を見つけた。
路肩に面した屋台も全滅。
主を失った荷車が横転し、積み荷がひっくり返され散乱していた。
建物の門扉の前で、両手を組みながら、呆然と震える若い主婦。彼女が、僕たちを見た。
まるで、街を占領しに来た侵略軍を見るかのような、眼だった。
街の中央市場に辿り着く。全滅。
アテナイにおいて最も人口密度の高い市場は、そのまま、最も密度の高い死に園となっていた。死体がうず高く積み上げられる。そんな表現が現実味を帯びるように、亡骸たちが折り重なって横たわっている。
僕たちはそのまま無言で歩き続け、街から追い出されるようにして、神殿の丘へと登った。いつもは見上げるようにしていた古代神殿の丘から、眼下の街を一望する。
僕たちが見て来た光景は、街の一部、局所的な出来事ではないことが確認できた。
何気なく街を見下ろしていると、遠くに軍の救護班が見えた。指揮を執っているのは、ダーレト……。あの男は、生き残っていたらしい。
「わたしが……、わたしがやったのかな……?これ……」
隣からシュアナの声がした。震える小さな声で、誰かにすがるように。
嘘だと言って欲しいと、願っているかのように。
「うん……」
僕は、今回ばかりは何も言わない、なんてことはするまいと思った。
状況から見れば、あの時、シュアナはこの街の人々の命を奪い、そして、僕に与えた。そういうことだろう。僕の傷が回復したのは、この人たちの命を使ったから。
「化け物……、わたし……、化け物……」
シュアナは驚愕していた。無理もない。彼女は、今この瞬間まで、自らが人間だと、疑いもせずに生きて来たのだから。でも、それは違う。僕は、シュアナに恐怖していた先ほどまでの自分を否定するように、首を振りながら言った。
「君は化け物なんかじゃない。人間を超える力を持っているからと言って、化け物だとは限らないだろう――」
シュアナは涙を流し、慟哭しながら僕を見て言う。
「うそ。罪のない人々をこんなに……!見てよ!どこを見ても人が倒れている……!これが化け物じゃなくて何だって言うの……?」
確かに。地獄絵図のような光景だった。否定できない。
でも、そうじゃ、無いんだ。
「罪とか、そういう次元じゃないんだよ。君の力は。生き物が生まれて死んでいくように、人間の意志とは全く無関係な、単なる事実なんだ……」
「カイン君の言っていることがまったく解らないよ……」
「夜光虫の時のことを覚えている?あれと似たように、今度は命を吸ったんだ。君は妖力を使って命を操る……。奪うも与えるも、君が決めるんだ。君は命を統べているんだ……」
「わたしは人を殺しても良いって言いたいの……?」
シュアナは少し声を荒げ、責めるように言った。でも、僕も言わない訳にはいかない。
「……人間にとって君の意思は及びもつかないものだけれど、だからこそ不条理で不公平なこの世界があるんだ。君は、人知を超える力、そのものなんだから……」
「訳が分からないよ……、それじゃ、単なる人殺しの化け物じゃない……」
そうじゃない。
そうじゃないんだ。僕も声を荒げて、叫ぶ。
「じゃあ、君は僕が死んだ方がよかったって言うのか――!あのままだとダーレトに殺されていたかもしれない!あの傷を放置したらさすがに僕は死んでいた……!君が救ってくれたんじゃないか――!それとも、君は僕を助けなければよかったって言うのか――!」
そう。
彼女の行為を責めれば、僕の存在は、生き残った僕は、責められなければならない。
だから、僕を救ってくれたシュアナを否定することなんか、僕はしない。
「君が選んでくれたんじゃないか――!僕を!僕はまだ君と一緒に居られて嬉しい。君は違うって言うのか――?あのまま将軍に連れ去られた方が良かったって言うのか――?」
シュアナはハッと目を見開いた。
お願いだ。自分の行いを否定しないで欲しい。
じゃないと僕は、僕たちは、現実に押しつぶされてしまう――。
それでは、共倒れになってしまう。
シュアナは再びうつむき、大粒の涙を流した。
美しい光の玉が、彼女の頬を伝い、次々に地面を濡らしていく。
額から真下に垂れた白銀の髪が、彼女の表情を隠す。
「うぅぅぅう――」
運命を呑み込むかのように、シュアナは一度大きく慟哭の声を漏らした後、唇を嚙みしめながら、僕の方を向いた。
そして、涙を拭い、僕に微笑み掛ける。
「カイン君、わたしのこと好き――?」
「……僕が嘘を言っても、君は信じる……」
「それならお互い様でしょ――?……カイン君も男の子なんだから、わたしのこと好きに決まってるもん」
「…………」
「なーんてねっ!そんなの関係ないの。わたしが君を大好きなんだから――っ!」
「…………」
「本当に、わたしの恋人になってくれるとうれしいな……、カイン君」
「……うん」
「たとえ、帝国最悪の組み合わせであっても……?」
「うん。ぼくはそれでも、君と一緒に居たい」
「最悪はイヤじゃない……?」
「まさか。僕はずっと、帝国史上最悪の反乱事件の一員だった」
「今度のは、帝国史上最悪の告白事件だね……?」
「……そうだね」
「じゃあこれで、帝国史上最悪の恋人、だね……?」
「うん」
「……ありがとう。わたしを選んでくれて」
シュアナはもう一度、滲んだ涙を、そっと拭った。
「……ちょっと、アツアツのところ申し訳ありませんけど、最悪さんたち?少しは場をわきまえてください。恋は盲目なんて言っても、限度ってものがありますよ……。まったく、見ていられませんよ。カインは相変わらず変人だし、シュアナちゃんは相変わらず悪趣味ですねぇ……」
ふと背後から声が聞こえた。聞き覚えのある声。
「強力な妖力をもった種族特有の、溜め込み過ぎた妖力の爆発ですね……。強い感情が引き金……。見境の無い生命の略奪。そして蘇生。日常的に魔法を使わない以上、シュアナちゃんの妖力はまたすぐに回復します。まだまだ油断なりませんよ……」
声の方を振り返ると、丈の短い黒のローブ。
ショートカットの赤い髪。
そして、猫耳。
「まさか本当にこんな大惨事になるとは。シュアナちゃんのことは、解っていたはずなのに。もっと早くから何か策を考えておくべきでした……」
レミが、立っていた。




