第四幕 3
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黒の軍装。
銀の刺繍と肩章。
この前見た時と全く変わらない、武将らしい、締まった佇まい。
風格はさすが将軍といったところ。
ただ、この前と違うのは、その背には、人の背丈ほどはあろうかという、巨大で極太なサーベルが背負われていた。
「ラーシュについてリークしたのはお前だな、カイン」
ダーレトが腕を組んだまま口を開いた。
僕もダーレトの出方を確かめるように慎重に答える。この男は本当に、侮れないから。
「どうしてそう思うんです?将軍?」
「ラーシュが勲章ものの功労者であることは軍内でも伏せられている。近衛師団でも知るものは少ない。まさかお前がそこまで根に持っていたとはな、予想外だ」
なるほどね。だからシュリィさんはあんなグチを……。
「敵討ちにでも来たのですか?」
「まさか。今はもう一つの予想外の方が重大な問題だ。そう、お前とあの娘がお互いに固執し合うのは予想外だった」
「シュアナを渡す気はありません。帰ってください」
「帰らない、と言ったら?俺を殺す気か?シュリィと同じように?」
もう知られている?監視されていたか……。
ダーレトが言葉を続ける。
「俺が保険もかけずに毒使いごときをお前に遣るとでも?ふん。言葉だけで殺されるとは、最近の若手は本当に鍛錬不足だ……」
ダーレトが本当に嘆かわしそうに言った。
いや、人間は言葉で十分に死に至る。
嫌悪、憎悪、孤独、孤立。絶望的な言葉を信じたのならば、人間は自ら死を選ぶ。
僕にあれほどの罵言を吐かせたのだから、シュリィさんの精神力が特別弱かったという訳ではない。
「さあ。説得に応じなかったのならば、実力行使だ……。まさかお前も丸腰な訳ではあるまい」
ダーレトは、そう言いながら背中のサーベルを抜いた。バカでかい、その刀身だけで威圧的な、巨大な得物。
「……僕の言葉から逃れられるとでも……?シュリィさんの顛末は知っているんでしょう……?」
「いや。そんなことは思っていない。だが一分。一分だけ正気を保って見せる。そして一分あれば、お前を斬り倒すには充分だ」
……この男、本気だ。
ダーレトの精神力の強さは、将軍だというだけでなく、彼の全身から漂う風格の強さからも明らかだ。コイツならば本当に、一分耐えて見せるだろう。
僕もゆっくりと、懐に隠していたダガーナイフを抜いた。
ダーレトは、両手でサーベルを握り、高々と構えの姿勢を取る。
「それに、お互いおしゃべりをしている余裕は……、もうあるまい――!」
言い終わる前に、ダーレトは突進を開始していた。
「はあぁぁぁあぁあああああ――ッ!」
ダーレトは雄叫びをあげながら、これでもかというほど、正当に、真正面から僕にぶつかってきた。なるほど、武人としての誇りは、相当に高いらしい。僕は隙を突かれた訳では決してない。
しかし、僕は剣撃をかわせなかった。
ダーレトは、凄まじく速い。豪速の突撃。
僕の反応は、かろうじてナイフで剣撃を受け止めるのが精一杯だった。
ダーレトの一閃が、僕のナイフに振り下ろされる。
凄まじい衝撃。凄まじい金属音の残響。豪風が舞う。
彼の一挙手一投足に衝撃波が起こり、砂埃が舞い上がる。
瞬間。
僕は、気づいた時には遥か後方に吹っ飛ばされていた。空中で我に返り、体勢を立て直す。身体をよじって、なんとか脚から地面に着地することが出来た。
しかし、追撃。
刹那。
僕の目の前には既にダーレトが迫っていた。
「はぁあああ――!」
再び振り下ろされる、鬼の一撃のようなサーベル。
彼の尋常では無い気迫と、物理的な衝撃波を全身で浴びる。
無理。かわせない。僕は再びナイフで防御する。ダーレトのサーベルが、空気を切り裂く音が、僕にまで聞こえてくる。
二撃目の、重い重い衝撃。
二つの刃が交わり、ぎぎぎっ、と散る火花を見ながら、僕はまた空中へ吹っ飛ばされていた。
――この男……、強い!凄まじく強い!
おそらく、将軍クラスでもトップレベルの強さ。これが、本物の剣豪の実力。
正直言って、侮っていたところが無いと言えば、嘘になる。何か策を考えないと、このまま単純な力比べを続けていたら、負ける……。
着地。と、ほぼ同時に三撃目。
今度は、矢のごとき豪速の、突きだった。
なんとかダガーで刃を捕らえる。そして。
僕はサーベルを受け流すように、ダーレトの刃の軌道を逸らすように、ナイフを捻った。
確かに刺突の軌道は逸れる。しかし。
「はあああああぁ――ッ!」
ダーレトは、受け流された刃の勢いを殺さずに、身体を一回転させながら、今度は逆方向からサーベルを振り下ろしてきた。それも、凄まじい速技。
突風が、いきなり竜巻へと変化したかのように。
「くっ……」
僕はかろうじてナイフで防御する。あれをまともに喰らったら、身体が真っ二つだ。
今度は吹っ飛ばされないように、僕は防御と同時に自分から後方へ退いた。跳躍して距離を取る。つもりだったが。
ダーレトも僕を追い、すぐに追いつく。単純なスピードでも完全に負けている。でも、いったん距離を取りつつ戦うしかない。ダーレトの剣技は、僕が懐に入り込む隙を与えてくれない。僕は再び跳躍して後退する。が。
ダーレトは僕を遥かに超えるスピードで跳躍し、怒涛の勢いでサーベルを振り上げた。予想以上に早く接近された僕は、やむ無くナイフで防御する。が、しかし。
僕のナイフはダーレトの勢いに負け、上方に跳ね上げられてしまった。僕の正面が一瞬、がら空きになる。ダーレトが見逃すはずがない。そして、ダーレトには、一瞬だけで十分だった。
僕が再び防御姿勢を整えるよりも早く、ダーレトの追撃。
胴斬り。サーベルが水平に振られる。
ぎりぎりの回避――。後々のことなんて考えずに、反射的に、のけ反るように身体を後ろに逸らす。
間に合え――!
……かすった。
刃の一閃が僕の腹部をかする感覚はあった。
間に合った!かすり傷程度なら、よかった!と、思った。
「!」
刹那。激痛。
「ぐはあぁぁあああっ――!」
血しぶきが舞う。
僕は思わず苦痛の悲鳴をあげた。
状況を理解する。腹が、裂かれていた。ぱっくりと、開かれていた。
痛みに自然、身体がよろめく。が、かろうじて持ちこたえる。崩れ落ちるようなことはしない……。
しかし、なんだって言うんだ……。かすった程度で、腹が裂けるなんて。
「ふん。それでも立つか。魔法を使う奴には、精神も肉体も貧弱な奴が多いが、お前は大したものだ」
ダーレトがサーベルを僕に突き付けながら言った。
「……自分で斬っておいて……、褒められても嬉しくありません……」
「ふん。冗談まで言ってのけるとはな。さすが、と言うべきか」
「いや……、冗談じゃないですよ……」
「まだ戦うか?」
「将軍を止めないと……、シュアナが連れ去られるんでしょう……?そんなこと絶対認めませんよ……」
そう。ここで倒れる訳にはいかない。僕はシュアナを守るためにここにいる。そのために最後まで戦う。そして、絶対に勝ってシュアナの許に戻る。
「死ぬぞ?」
「……死にもしません……!僕は絶対に、シュアナを一人ぼっちに、させたくないんです……!」
僕の言葉に反応し、ダーレトが目を見開いた。
「……驚いた。これは……、帝国最悪の組み合わせだ」
「……将軍……?」
ダーレトは、驚愕に目をパチクリさせていたが、すぐにいつもの武将面に戻り、言った。
「気が変わった。少し話をしよう」
そして、ダーレトはサーベルを背中の鞘に収めると、ほれっ、と小瓶を僕に投げて寄越した。小瓶の中身は紅い岩塩のような粉だった。
「痛み止めだ。飲め。後で救護班を手配するから、話が終わるまではそれで耐えろ」
「……痛み止め……?」
「ああ。麻薬の一種だ」
僕は小瓶の中身を躊躇なく飲んだ。苦い、けど甘い?味よりも強烈な草っぽい匂いが気になったが。次第に、ちょっと頭がボウっとするけれど、確かに痛みは退いてきた。ただし、出血が止まった訳ではない。痛みは退いていくのに、血はダラダラと流れて続けている。変な感じだ。
「ところで、ここには人払いの結界を張らせてあったはずだが」
ダーレトが今更ながらというように、さらっと言った。
「……だからこそ、僕は急いで走って来たんです」
そう。結界は空間による人間への偽り。だから僕にはとっくに見えていた。
僕に嘘は通用しない。それが例え、空間によるものであっても。
「敵にしたままでは惜しい、か。単刀直入に言うぞ。あの娘と離れ離れになるのが嫌ならば、お前も来い。帝国軍に入れ、カイン」
「将軍……?」
僕は余りのことに、きょとんとしてしまった。
帝国軍に入れだって?何を言っているんだダーレトは?
「シュリィから少し聞いたはずだ。皇帝陛下はヴァチカンに対抗する為の、新たな兵力を育てようと計画している。その為の人材集めだ。あの娘も」
ダーレトは至極当然といった風に、真面目な顔をして続けた。
「兵士を、集めている……?」
「そうだ。だから、魔力の強い者、特殊な魔力を持つ者を帝国中から探している」
「それでシュアナを……」
「そうだ。そして、お前もだ。皇帝陛下が直々に検討している」
「馬鹿な……、僕を?皇帝自身が……?」
正直、僕はダーレトの話を全然信じることが出来なかったが、ダーレトは本気だった。
「お前についてはもう少し様子を見るつもりだったが、気が変わった。あの娘と一緒に来ればいい。それで問題は全部解決だ。逃亡生活に終止符を打ち、帝国軍で安定した地位を得る。お前も娘も新たな力を得て、共に戦う……」
新たな力?強い魔力が必要だと言っていたが……?でも、シュアナはもう魔法の『開発』は出来ないんじゃ……?
――『古魔術師、異教の神官』……。
さっきのシュリィさんとの会話もあり、自然とギメルの言葉が思い出された。
「魔法だけでは外敵への対抗が難しくなってきている。帝国は魔法以外の方法を、色々と研究している――」
言いながらダーレトは、再びサーベルを抜いた。
切っ先を、僕に向けながら凄む。
「選べ。娘と一緒に来るか。来ない、と言ったら、俺は娘だけでも連れて行くぞ。お前を殺すつもりはないが、手を抜いて戦うつもりも無い」
僕は下を向いて考え込んでしまった。
シュアナは。
シュアナが、帝国の兵士になって戦うなんて……。
そんなこと。
僕は望んでいない。
シュアナは、どうなんだろう……。
――『わたしも何もできないままでは居たくない……!』
シュアナは、そんなことを言っていたけれど……。
僕に選ぶことなんて……。
ふと顔を上げる。
ギメルの家が遠くに見える。そういえば、戦闘中に随分と遠くまで吹っ飛ばされていたんだなあ。なんて、場違いなことを考えた。
そして、ふらっと、家の門から出て来た人影を見付けた。キョロキョロと辺りを見回しながら、歩いている。
人影が、こちらに気付いたようだ。だが様子がおかしい。人影は、奈落の底に突き落とされたかのように、絶望に沈み込んがかのように、動きを止め、俯いている。
「見ろ。当事者である俺を除いて、結界の中にいるのはお前たち二人だけだ。普通の人間にこんな真似は出来ない。人間ではないあの娘と、お前だけだ」
ダーレトがサーベルを僕に突きつけながら言った。
「さあ。さっさと選べ。あの娘にみっともないところを見られているぞ」
確かに、外から見れば、僕は今まさに、ダーレトに討たれようとしているように見えるだろう。というか、まさにその通りなのだけれど。
「痛み止めも間もなく切れるだろう。その傷を放置したらお前は間違いなく死ぬぞ。激痛に悶えて死ぬ様を、あの娘に見せつけたいか」
シュアナに僕が惨めに死ぬところを……?
見ると、人影が、こちらに向かって歩みを進めていた。
僕は咄嗟に叫ぶ。
「シュアナ――!こっちに来ちゃダメだ!」
微かな声が答える。しかし確実に憤怒に駆られた叫びだった。
「離……れろ……!……カイン君から離れろ――!」
「シュアナ……?」
見ると、いつもの彼女ではない。感じる。彼女の全身から発せられている。
すさまじい妖気。
凄まじい冷気。
覇気。そして、怒気。
尋常ではない。常識から完全に外れている。恐怖を感じる。
ゾクリとした。いや、続けてゾクゾクゾクゾクと。
寒い。
寒い?いや、外気が冷えているのではない。僕の体温が下がっている。僕の熱が、奪われている感じだ。
「まずい……」
ダーレトが、珍しく憔悴しているように小さくつぶやいた。
焦りを露にしながら、サーベルを握り直し、僕に言う。
「お前、あの娘を止めろ――!」
「……そんなこと言われても……、僕に解るわけないじゃないですか……」
「あの化け物を何とかしないと、この街は壊滅するぞ――!」
「……化け物……」
シュアナが近づいてくる。
妖しい。怖い――。
「お前が何とかしろ――!」
ダーレトが恐怖に顔を張りつめさせながら、僕に言った。
シュアナがもっと近づいてくる。
「…………!」
僕はもう何も言えなかった。
口を開くことなど出来やしない。
ただ。シュアナが怖い。
恐怖。
ガタガタと身体を震わせて怯えるばかり。
――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――!
シュアナが怖い。
何なんだよ。君は――!
恐怖で身体が動かない。足がすくむ。身体の震えが激しくなる。
――寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い――!
体温が奪われていく。僕の熱が失われていく。身体を縮めてうずくまる。
――化け物。化け物化け物化け物化け物――!
なんで。どうして君が、僕に。どうして僕が、君に。君はいったい何を何している?
思考が混沌に落ち、頭を掻きむしる。
君はいったい何者なんだ。シュアナ……?
――何者。何者何者何者何者何者何者――!
何がしたいんだ、君は?
――なになになになになになになになに――!
傷の激痛もうずくようになってきた。
――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――!
血が。出血が。内臓が飛び出るんじゃないか、これ。
臓腑が見えそうなくらい肉が斬られているぞ。
このままだと本当に死ぬ。
――死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――!
耳の奥が捻られたように、耳鳴りで世界の音が塗りつぶされる。
耳を塞ぐ。
――やめてくれ。やめてくれやめてくれやめてくれやめてくれ――!
もう見たくない。こんなの、何も見たくない。
――やめろ。やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ――!
目を塞ぐ。暗転。暗闇。
――暗い暗い暗い暗い。無。無。無。
いいんだ。
これで、僕は守られる。
僕だけは、守っていられる。
これで、大丈夫。ちゃんと、逃げられた。
ふと、シュアナの気配を感じた。
すぐそこにいるじゃないか?
――『僕は絶対に、シュアナを一人ぼっちに、させたくないんです……!』。
そんな言葉が思考に浮かんだ。
誰の台詞だったっけ?ああ、僕か。僕が言ったんだっけ。
なんであんなこと言ったんだろう。
それは多分、僕たちはみんな、孤独だったから……。
そして、内心ではみんな、孤独はもう嫌だったから……。
僕とミコチ、最初は二人、一緒にいるようで、一緒にいなかった。
レミが来て、初めて三人一緒になった。
そして、孤独なシュアナが来て、レミもミコチも放って置かなかった。短い間だったけれど、みんな一緒になった。
でも、そんな時間も崩壊してしまった。崩壊の原因は、僕……。
――『もう離れるなんて、言わせてやらないんだからねっ……!』。
シュアナは、そんな僕でも一緒に居続けようとしてくれた。
シュアナは?シュアナが?
ああ。
そうだ……。僕じゃないんだ。
シュアナが僕を選んでくれたんだ。
シュアナが僕を守ってくれていたんだ。シュアナが僕を一人にしないでくれたんだ。
なんだ、そうだったんじゃないか。
「カイン君から離れろおぉぉおおぉぉぉ――ッ!」
シュアナの叫びが聞こえた。彼女はすぐそこにいる。
彼女の気配を感じる。直ぐ近くに。
シュアナが来てくれたんだ。僕を守りに。
だから、思い切って。
思い切って?いや、何も思ってなんかいなかったかもしれない。
とにかく、無心で、衝動的に、僕は、今までで一番恐ろしい、だけれど、今までで一番美しいそれを。
思いっきり抱き寄せて、力の限りで抱きしめた。
目を瞑ったまま。
「大丈夫。僕はちゃんと生きている。ありがとう。来てくれたんだね」
「うん」
閉じたはずの視界が光に包まれた。沈みゆく夕日のような、淡いようで、力強い、眩しい眩しい、生命の灯りのような、美しも、儚く刹那い。そんな光だった。
包まれる、光に。溶けていく、すべてが。白く白く。そして。
やがて消えていく。無色から無へと、消滅していくように。




