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愚か者のいい日旅立ち  作者: lstm
第四幕
23/25

第四幕 3


 黒の軍装。

 銀の刺繍と肩章。

 この前見た時と全く変わらない、武将らしい、締まった佇まい。

 風格はさすが将軍といったところ。

 ただ、この前と違うのは、その背には、人の背丈ほどはあろうかという、巨大で極太なサーベルが背負われていた。

「ラーシュについてリークしたのはお前だな、カイン」

 ダーレトが腕を組んだまま口を開いた。

 僕もダーレトの出方を確かめるように慎重に答える。この男は本当に、侮れないから。

「どうしてそう思うんです?将軍?」

「ラーシュが勲章ものの功労者であることは軍内でも伏せられている。近衛師団でも知るものは少ない。まさかお前がそこまで根に持っていたとはな、予想外だ」

 なるほどね。だからシュリィさんはあんなグチを……。

「敵討ちにでも来たのですか?」

「まさか。今はもう一つの予想外の方が重大な問題だ。そう、お前とあの娘がお互いに固執し合うのは予想外だった」

「シュアナを渡す気はありません。帰ってください」

「帰らない、と言ったら?俺を殺す気か?シュリィと同じように?」

 もう知られている?監視されていたか……。

 ダーレトが言葉を続ける。

「俺が保険もかけずに毒使いごときをお前に遣るとでも?ふん。言葉だけで殺されるとは、最近の若手は本当に鍛錬不足だ……」

 ダーレトが本当に嘆かわしそうに言った。

 いや、人間は言葉で十分に死に至る。

 嫌悪、憎悪、孤独、孤立。絶望的な言葉を信じたのならば、人間は自ら死を選ぶ。

 僕にあれほどの罵言を吐かせたのだから、シュリィさんの精神力が特別弱かったという訳ではない。

「さあ。説得に応じなかったのならば、実力行使だ……。まさかお前も丸腰な訳ではあるまい」

 ダーレトは、そう言いながら背中のサーベルを抜いた。バカでかい、その刀身だけで威圧的な、巨大な得物。

「……僕の言葉から逃れられるとでも……?シュリィさんの顛末は知っているんでしょう……?」

「いや。そんなことは思っていない。だが一分。一分だけ正気を保って見せる。そして一分あれば、お前を斬り倒すには充分だ」

 ……この男、本気だ。

 ダーレトの精神力の強さは、将軍だというだけでなく、彼の全身から漂う風格の強さからも明らかだ。コイツならば本当に、一分耐えて見せるだろう。

 僕もゆっくりと、懐に隠していたダガーナイフを抜いた。

 ダーレトは、両手でサーベルを握り、高々と構えの姿勢を取る。

「それに、お互いおしゃべりをしている余裕は……、もうあるまい――!」

 言い終わる前に、ダーレトは突進を開始していた。

「はあぁぁぁあぁあああああ――ッ!」

 ダーレトは雄叫びをあげながら、これでもかというほど、正当に、真正面から僕にぶつかってきた。なるほど、武人としての誇りは、相当に高いらしい。僕は隙を突かれた訳では決してない。

 しかし、僕は剣撃をかわせなかった。

 ダーレトは、凄まじく速い。豪速の突撃。

 僕の反応は、かろうじてナイフで剣撃を受け止めるのが精一杯だった。

 ダーレトの一閃が、僕のナイフに振り下ろされる。

 凄まじい衝撃。凄まじい金属音の残響。豪風が舞う。

 彼の一挙手一投足に衝撃波が起こり、砂埃が舞い上がる。

 瞬間。

 僕は、気づいた時には遥か後方に吹っ飛ばされていた。空中で我に返り、体勢を立て直す。身体をよじって、なんとか脚から地面に着地することが出来た。

 しかし、追撃。

 刹那。

 僕の目の前には既にダーレトが迫っていた。

「はぁあああ――!」

 再び振り下ろされる、鬼の一撃のようなサーベル。

 彼の尋常では無い気迫と、物理的な衝撃波を全身で浴びる。

 無理。かわせない。僕は再びナイフで防御する。ダーレトのサーベルが、空気を切り裂く音が、僕にまで聞こえてくる。

 二撃目の、重い重い衝撃。

 二つの刃が交わり、ぎぎぎっ、と散る火花を見ながら、僕はまた空中へ吹っ飛ばされていた。


――この男……、強い!凄まじく強い!


 おそらく、将軍クラスでもトップレベルの強さ。これが、本物の剣豪の実力。

 正直言って、侮っていたところが無いと言えば、嘘になる。何か策を考えないと、このまま単純な力比べを続けていたら、負ける……。

 着地。と、ほぼ同時に三撃目。

 今度は、矢のごとき豪速の、突きだった。

 なんとかダガーで刃を捕らえる。そして。

 僕はサーベルを受け流すように、ダーレトの刃の軌道を逸らすように、ナイフを捻った。

 確かに刺突の軌道は逸れる。しかし。

「はあああああぁ――ッ!」

 ダーレトは、受け流された刃の勢いを殺さずに、身体を一回転させながら、今度は逆方向からサーベルを振り下ろしてきた。それも、凄まじい速技。

 突風が、いきなり竜巻へと変化したかのように。

「くっ……」

 僕はかろうじてナイフで防御する。あれをまともに喰らったら、身体が真っ二つだ。

 今度は吹っ飛ばされないように、僕は防御と同時に自分から後方へ退いた。跳躍して距離を取る。つもりだったが。

 ダーレトも僕を追い、すぐに追いつく。単純なスピードでも完全に負けている。でも、いったん距離を取りつつ戦うしかない。ダーレトの剣技は、僕が懐に入り込む隙を与えてくれない。僕は再び跳躍して後退する。が。

 ダーレトは僕を遥かに超えるスピードで跳躍し、怒涛の勢いでサーベルを振り上げた。予想以上に早く接近された僕は、やむ無くナイフで防御する。が、しかし。

 僕のナイフはダーレトの勢いに負け、上方に跳ね上げられてしまった。僕の正面が一瞬、がら空きになる。ダーレトが見逃すはずがない。そして、ダーレトには、一瞬だけで十分だった。

 僕が再び防御姿勢を整えるよりも早く、ダーレトの追撃。

 胴斬り。サーベルが水平に振られる。

 ぎりぎりの回避――。後々のことなんて考えずに、反射的に、のけ反るように身体を後ろに逸らす。

 間に合え――!


 ……かすった。

 刃の一閃が僕の腹部をかする感覚はあった。

 間に合った!かすり傷程度なら、よかった!と、思った。

「!」

 刹那。激痛。

「ぐはあぁぁあああっ――!」

 血しぶきが舞う。

 僕は思わず苦痛の悲鳴をあげた。

 状況を理解する。腹が、裂かれていた。ぱっくりと、開かれていた。

 痛みに自然、身体がよろめく。が、かろうじて持ちこたえる。崩れ落ちるようなことはしない……。

 しかし、なんだって言うんだ……。かすった程度で、腹が裂けるなんて。

「ふん。それでも立つか。魔法を使う奴には、精神も肉体も貧弱な奴が多いが、お前は大したものだ」

 ダーレトがサーベルを僕に突き付けながら言った。

「……自分で斬っておいて……、褒められても嬉しくありません……」

「ふん。冗談まで言ってのけるとはな。さすが、と言うべきか」

「いや……、冗談じゃないですよ……」

「まだ戦うか?」

「将軍を止めないと……、シュアナが連れ去られるんでしょう……?そんなこと絶対認めませんよ……」

 そう。ここで倒れる訳にはいかない。僕はシュアナを守るためにここにいる。そのために最後まで戦う。そして、絶対に勝ってシュアナの許に戻る。

「死ぬぞ?」

「……死にもしません……!僕は絶対に、シュアナを一人ぼっちに、させたくないんです……!」

 僕の言葉に反応し、ダーレトが目を見開いた。

「……驚いた。これは……、帝国最悪の組み合わせだ」

「……将軍……?」

 ダーレトは、驚愕に目をパチクリさせていたが、すぐにいつもの武将面に戻り、言った。

「気が変わった。少し話をしよう」

 そして、ダーレトはサーベルを背中の鞘に収めると、ほれっ、と小瓶を僕に投げて寄越した。小瓶の中身は紅い岩塩のような粉だった。

「痛み止めだ。飲め。後で救護班を手配するから、話が終わるまではそれで耐えろ」

「……痛み止め……?」

「ああ。麻薬の一種だ」

 僕は小瓶の中身を躊躇なく飲んだ。苦い、けど甘い?味よりも強烈な草っぽい匂いが気になったが。次第に、ちょっと頭がボウっとするけれど、確かに痛みは退いてきた。ただし、出血が止まった訳ではない。痛みは退いていくのに、血はダラダラと流れて続けている。変な感じだ。

「ところで、ここには人払いの結界を張らせてあったはずだが」

 ダーレトが今更ながらというように、さらっと言った。

「……だからこそ、僕は急いで走って来たんです」

 そう。結界は空間による人間への偽り。だから僕にはとっくに見えていた。

 僕に嘘は通用しない。それが例え、空間によるものであっても。

「敵にしたままでは惜しい、か。単刀直入に言うぞ。あの娘と離れ離れになるのが嫌ならば、お前も来い。帝国軍に入れ、カイン」

「将軍……?」

 僕は余りのことに、きょとんとしてしまった。

 帝国軍に入れだって?何を言っているんだダーレトは?

「シュリィから少し聞いたはずだ。皇帝陛下はヴァチカンに対抗する為の、新たな兵力を育てようと計画している。その為の人材集めだ。あの娘も」

 ダーレトは至極当然といった風に、真面目な顔をして続けた。

「兵士を、集めている……?」

「そうだ。だから、魔力の強い者、特殊な魔力を持つ者を帝国中から探している」

「それでシュアナを……」

「そうだ。そして、お前もだ。皇帝陛下が直々に検討している」

「馬鹿な……、僕を?皇帝自身が……?」

 正直、僕はダーレトの話を全然信じることが出来なかったが、ダーレトは本気だった。

「お前についてはもう少し様子を見るつもりだったが、気が変わった。あの娘と一緒に来ればいい。それで問題は全部解決だ。逃亡生活に終止符を打ち、帝国軍で安定した地位を得る。お前も娘も新たな力を得て、共に戦う……」

 新たな力?強い魔力が必要だと言っていたが……?でも、シュアナはもう魔法の『開発』は出来ないんじゃ……?


――『古魔術師、異教の神官』……。


 さっきのシュリィさんとの会話もあり、自然とギメルの言葉が思い出された。

「魔法だけでは外敵への対抗が難しくなってきている。帝国は魔法以外の方法を、色々と研究している――」

 言いながらダーレトは、再びサーベルを抜いた。

 切っ先を、僕に向けながら凄む。

「選べ。娘と一緒に来るか。来ない、と言ったら、俺は娘だけでも連れて行くぞ。お前を殺すつもりはないが、手を抜いて戦うつもりも無い」

 僕は下を向いて考え込んでしまった。

 シュアナは。

 シュアナが、帝国の兵士になって戦うなんて……。

 そんなこと。

 僕は望んでいない。

 シュアナは、どうなんだろう……。


――『わたしも何もできないままでは居たくない……!』


 シュアナは、そんなことを言っていたけれど……。

 僕に選ぶことなんて……。


 ふと顔を上げる。

 ギメルの家が遠くに見える。そういえば、戦闘中に随分と遠くまで吹っ飛ばされていたんだなあ。なんて、場違いなことを考えた。

 そして、ふらっと、家の門から出て来た人影を見付けた。キョロキョロと辺りを見回しながら、歩いている。

 人影が、こちらに気付いたようだ。だが様子がおかしい。人影は、奈落の底に突き落とされたかのように、絶望に沈み込んがかのように、動きを止め、俯いている。

「見ろ。当事者である俺を除いて、結界の中にいるのはお前たち二人だけだ。普通の人間にこんな真似は出来ない。人間ではないあの娘と、お前だけだ」

 ダーレトがサーベルを僕に突きつけながら言った。

「さあ。さっさと選べ。あの娘にみっともないところを見られているぞ」

 確かに、外から見れば、僕は今まさに、ダーレトに討たれようとしているように見えるだろう。というか、まさにその通りなのだけれど。

「痛み止めも間もなく切れるだろう。その傷を放置したらお前は間違いなく死ぬぞ。激痛に悶えて死ぬ様を、あの娘に見せつけたいか」

 シュアナに僕が惨めに死ぬところを……?

 見ると、人影が、こちらに向かって歩みを進めていた。

 僕は咄嗟に叫ぶ。

「シュアナ――!こっちに来ちゃダメだ!」

 微かな声が答える。しかし確実に憤怒に駆られた叫びだった。

「離……れろ……!……カイン君から離れろ――!」

「シュアナ……?」

 見ると、いつもの彼女ではない。感じる。彼女の全身から発せられている。

 すさまじい妖気。

 凄まじい冷気。

 覇気。そして、怒気。

 尋常ではない。常識から完全に外れている。恐怖を感じる。

 ゾクリとした。いや、続けてゾクゾクゾクゾクと。

 寒い。

 寒い?いや、外気が冷えているのではない。僕の体温が下がっている。僕の熱が、奪われている感じだ。

「まずい……」

 ダーレトが、珍しく憔悴しているように小さくつぶやいた。

 焦りを露にしながら、サーベルを握り直し、僕に言う。

「お前、あの娘を止めろ――!」

「……そんなこと言われても……、僕に解るわけないじゃないですか……」

「あの化け物を何とかしないと、この街は壊滅するぞ――!」

「……化け物……」

 シュアナが近づいてくる。

 妖しい。怖い――。

「お前が何とかしろ――!」

 ダーレトが恐怖に顔を張りつめさせながら、僕に言った。

 シュアナがもっと近づいてくる。

「…………!」

 僕はもう何も言えなかった。

 口を開くことなど出来やしない。

 ただ。シュアナが怖い。

 恐怖。

 ガタガタと身体を震わせて怯えるばかり。

――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――!

 シュアナが怖い。

 何なんだよ。君は――!

 恐怖で身体が動かない。足がすくむ。身体の震えが激しくなる。

――寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い――!

 体温が奪われていく。僕の熱が失われていく。身体を縮めてうずくまる。

――化け物。化け物化け物化け物化け物――!

 なんで。どうして君が、僕に。どうして僕が、君に。君はいったい何を何している?

 思考が混沌に落ち、頭を掻きむしる。 

 君はいったい何者なんだ。シュアナ……?

――何者。何者何者何者何者何者何者――!

 何がしたいんだ、君は?

――なになになになになになになになに――!

 傷の激痛もうずくようになってきた。

――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――!

 血が。出血が。内臓が飛び出るんじゃないか、これ。

 臓腑が見えそうなくらい肉が斬られているぞ。

 このままだと本当に死ぬ。

――死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――!

 耳の奥が捻られたように、耳鳴りで世界の音が塗りつぶされる。

 耳を塞ぐ。

――やめてくれ。やめてくれやめてくれやめてくれやめてくれ――!

 もう見たくない。こんなの、何も見たくない。

――やめろ。やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ――!

 目を塞ぐ。暗転。暗闇。

――暗い暗い暗い暗い。無。無。無。

 いいんだ。

 これで、僕は守られる。

 僕だけは、守っていられる。

 これで、大丈夫。ちゃんと、逃げられた。

 

 ふと、シュアナの気配を感じた。

 すぐそこにいるじゃないか?


――『僕は絶対に、シュアナを一人ぼっちに、させたくないんです……!』。


 そんな言葉が思考に浮かんだ。

 誰の台詞だったっけ?ああ、僕か。僕が言ったんだっけ。

 なんであんなこと言ったんだろう。

 それは多分、僕たちはみんな、孤独だったから……。

 そして、内心ではみんな、孤独はもう嫌だったから……。

 僕とミコチ、最初は二人、一緒にいるようで、一緒にいなかった。

 レミが来て、初めて三人一緒になった。

 そして、孤独なシュアナが来て、レミもミコチも放って置かなかった。短い間だったけれど、みんな一緒になった。

 でも、そんな時間も崩壊してしまった。崩壊の原因は、僕……。

 

――『もう離れるなんて、言わせてやらないんだからねっ……!』。


 シュアナは、そんな僕でも一緒に居続けようとしてくれた。

 シュアナは?シュアナが?

 ああ。

 そうだ……。僕じゃないんだ。

 シュアナが僕を選んでくれたんだ。

 シュアナが僕を守ってくれていたんだ。シュアナが僕を一人にしないでくれたんだ。

 なんだ、そうだったんじゃないか。

 

「カイン君から離れろおぉぉおおぉぉぉ――ッ!」


 シュアナの叫びが聞こえた。彼女はすぐそこにいる。

 彼女の気配を感じる。直ぐ近くに。

 シュアナが来てくれたんだ。僕を守りに。

 だから、思い切って。

 思い切って?いや、何も思ってなんかいなかったかもしれない。

 とにかく、無心で、衝動的に、僕は、今までで一番恐ろしい、だけれど、今までで一番美しいそれを。

 思いっきり抱き寄せて、力の限りで抱きしめた。

 目を瞑ったまま。


「大丈夫。僕はちゃんと生きている。ありがとう。来てくれたんだね」

「うん」


 閉じたはずの視界が光に包まれた。沈みゆく夕日のような、淡いようで、力強い、眩しい眩しい、生命の灯りのような、美しも、儚く刹那い。そんな光だった。

 包まれる、光に。溶けていく、すべてが。白く白く。そして。

 やがて消えていく。無色から無へと、消滅していくように。


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