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愚か者のいい日旅立ち  作者: lstm
第三幕
19/25

第三幕 8


 扉を開けると直ぐ。

 メムが僕の目の前に立っていた。

 目と鼻の先。

 見ると、メムは胸に抱えるようにして、花束を抱えている。

 そして。

 メムは。崩れ落ちた。

 崩れるように膝を折り、そのまま、僕に寄り掛かるようにして、倒れ込んできた。

 僕は咄嗟にメムの肩を抱きかかえる。

 しかし支えきれず、僕もしゃがみ込むようになる。

 メムが僕の両腕をつかんだ。ものすごい力だ。花束はとっくに放り出されている。

 僕の胸の辺りから、メムが僕を見上げるようにして。

 苦しみに歪みきった、凄まじい形相があらわになる。

「ぐぅうううがぁあああヴぁあああがあぁああ」

 メムが言語にならない悲鳴をあげ、僕に苦しみを訴える。

「ぐぅぅううヴぁああがあああうううあああああ」

 瞳孔が開くほど目を見開いて、僕に苦痛を訴える。

 メムの眉間が苦しみに歪む。

 歪みきった口元もとから泡を吹く。

 見ると、メムの首元には、細い吹き矢のような針が突き刺さっている。

「おい!何があった!何が起こっている?」

 僕はようやく声を発することが出来た。

 なぜメムがここにいる?そしてなぜメムが苦しんでいる?


「毒よ。大丈夫、一分ほど苦しんだ後に死ぬわ」

 答えは、数部屋分離れた先の廊下から聞こえて来た。

「まさか病院で殺されるなんて思ってもみなかったのかしら?」


――何だって……!毒……。死ぬ……?


「迂闊だったわね。昼夜堂々と、正面から侵入するなんて。顔が割れていないと思って安心していたのかしら?」


――この馬鹿妹!なんて稚拙で軽薄な行動をするんだ!


「甘いわね。昨日しっかり確認させてもらったわ」


――監視していたのか?そういう……、ことだったのか……!


「それにしてもこのガキが暗殺者の正体とはね……。こんな子に人殺しさせるなんて、反乱軍は気が狂っているのかしら?」


――お前……。お前、黙れ……。


「ぐぁあぁぁぁぁ……がああぁぁぁぁ……」

 メムの悲鳴が先細くなってきた。

 僕を真っ直ぐに見つめる瞳が涙で潤み、揺れている。

 僕を掴む腕の力も弱まりはじめ、身体全体が細かに震え始めた。

「……ぎ……、兄ざま……」

「!」

 メムが僕を読んだ。

「……ご……、ご……、ごぉぁ…………いいぃ……」 

「!」

 そんな。

 そんなことを言いに。ここまで来たって言うのか?

 どこまで、馬鹿な妹なんだ――!

「はぁ……あぁ……あ……」

 メムの悲鳴はもはや声にならない、単なる呼吸の音へと変化していた。

「あ……あ……はぁ……っ…………」

 そして、細い呼吸音も、最後に息を吐いたところで聞こえなくなった。


 メムがの両腕から力が完全に抜け、だらり、と垂れ下がる。

 メムが、僕の腕の中で息を引き取った。

 毒によって、苦痛に悶えた末に。

 僕の腕に残されたメムの体躯は、やっぱり小さくて、軽かった。


「死んだわね。さあ、あなたもそのゴミから離れて頂戴。掃除を開始するわよ」


――お前、ゴミと呼んだか……?メムを、ゴミだって……?


「あなたもこれで安心ね。お望み通り、襲撃者を始末したわ」

「……シュリィ……、さん……?」

「ほらほら、どいたどいた!さっさとそこを空けて!それを掃除したら、すぐにシュアナちゃんの治療を始めるわ!」


――シュリィさん。あなたはどうして、虫を殺したくらいの態度でいられるんですか?


 呼吸を止めてもなお苦痛に見開かれたままのメムの瞼を、そっと閉じてやる。

 そして、シュリィさんに処分されてしまう前に、床に転がっていた花束を拾い上げた。

 花束には小さなカードが添えられていて、下手くそな文字が綴られていた。


 『ごめんなさい 兄さま』。


 ふと気づいて後ろを振り返る。

 シュアナが上半身を起こし、自らの腕を抱きながら、震えていた。

「……シュアナ、分かっているよね?」

 言って僕は、病室を背にして歩き出した。

 帝国がシュアナの身柄を欲している以上、シュリィさんがシュアナを手に掛けることは無いだろう。シュリィさんの様子を見る限り、いきなりシュアナを拘束することも無いだろう。今のところは、だが。

 急いだほうがいい。

 まずは予定を片付けるために、僕は例の文官との待ち合わせ場所に向かった。


 軍の文官との打ち合わせを終え、尾行を警戒しつつ、今度は帝都東岸へと向かう。

 尾行されると面倒な場所が目的地だったが、幸い、追われてはいないようだ。

 あまり無駄な労力を使わず、じっと待つのが、あちらのスタンスなのかもしれない。

 渡し船に乗り、丘を越えて、しばらく歩くと目的地に着いた。

 チキンサンド屋さん。

 帝都に着いた日に、四人で行き、散々な評判だった店だ。

 店に入りると、ちょうど昼飯時を過ぎた頃だったので、お客は少なかった。

 おばちゃんの店員さんに声を掛ける。

「こんにちは。店長いる?」

「あら坊や!旦那は厨房にいるわよ?」

 おばちゃん店員が、厨房に向かって、あんたー坊やが来たわよー、と呼びかける。すると厨房からぬうっと、筋肉質な中年の店長が姿をあらわした。

「やあ、小さい坊ちゃん!メシかい?」

「いえ、ちょっと話があって……。というか、その呼び方何とかしてよ」

「ははは!俺にはいつまでたっても小さい坊ちゃんさ!」

 まあこっちに来なさい、と言って店長は僕を厨房に招き入れた。

 狭い厨房に入り、小声で話し合う。

「今いるお客は全員顔見知りだ。心配ない。どうしたんだ、坊ちゃん?」


「……ラメドさん。メムが殺られた」

「なんだって……!お譲ちゃんが?確かか?」

 身を乗り出して驚くラメドさん。

「うん……。ついさっき。僕の腕の中で……」

「何てことだ……。誰が殺ったかわかるのか?」

 ラメドさんが、心底憔悴したように頭を抱えた。

「多分近衛師団だと思う。シュリィという女だ。看護師に偽装して軍病院にいる」

「大きい坊ちゃんが黙っちゃいないぞ……。こりゃ、一戦あるな……」

 二人同時に嘆息した。

 メムは革命軍の奇童であり、華だった。

 ラメドさんにとっては、親友の娘。お嬢ちゃんと呼んで、本当に可愛がってくれていた。

「……そのことなんだけど、奴は僕に任せてくれないか?実は軍病院に僕の大切な友達が入院している。彼女を監視しているのもシュリィだ。奴からはもう少し引き出したい情報があるんだよ」

 そうか、と言って、ラメドさんが考える素振りをする。

「大きい坊ちゃんには俺から話をしておく」

 僕は軽くお礼を言って、少し間を置いてから、もう一つの件を切り出す。

「その代わり、と言ったら難だけど、別件で、一年前のデマゴーグを見つけた」

「……一年前の……、工作員か?」

「そう。姿は偽っていたし、僕も直接は会ったこと無かったけれど、あの声は同じだった」

「声か……。声までは偽装出来なかった、という訳だ」

「うん。ラーシュという男。近衛師団の、今は技官と名乗っている。宮殿でダーレトという将軍の側近をしているから、すぐ見つかると思う」

 ラメドさんが一呼吸置いてから、安堵の吐息を漏らし、感慨を込めて言う。

「ようやく、借りを返す時が来たんだな……。これで、やっと坊ちゃんの荷も……」

「こっちのは任せる」

 言って僕は踵を返した。

「じゃあ僕はもう行くよ。あんまり長居するのもまずいから」

 ラメドさんが後ろから声を掛ける。

「坊ちゃん、そのためにわざわざ宮殿に入ったのかい?」

「まさか、たまたまだよ。期待していなかったと言えば、嘘になるけれどね」

「功績とは大体そういうものだと言うがな。で、小さい坊ちゃんはこれからどうするつもりだい?」

 アテナイに戻るよ、と僕は返した。

 ラメドさんが最後に声を掛ける。

「それなら、ギメルによろしく言っておいてくれ。達者でな!」


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