第三幕 8
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扉を開けると直ぐ。
メムが僕の目の前に立っていた。
目と鼻の先。
見ると、メムは胸に抱えるようにして、花束を抱えている。
そして。
メムは。崩れ落ちた。
崩れるように膝を折り、そのまま、僕に寄り掛かるようにして、倒れ込んできた。
僕は咄嗟にメムの肩を抱きかかえる。
しかし支えきれず、僕もしゃがみ込むようになる。
メムが僕の両腕をつかんだ。ものすごい力だ。花束はとっくに放り出されている。
僕の胸の辺りから、メムが僕を見上げるようにして。
苦しみに歪みきった、凄まじい形相があらわになる。
「ぐぅうううがぁあああヴぁあああがあぁああ」
メムが言語にならない悲鳴をあげ、僕に苦しみを訴える。
「ぐぅぅううヴぁああがあああうううあああああ」
瞳孔が開くほど目を見開いて、僕に苦痛を訴える。
メムの眉間が苦しみに歪む。
歪みきった口元もとから泡を吹く。
見ると、メムの首元には、細い吹き矢のような針が突き刺さっている。
「おい!何があった!何が起こっている?」
僕はようやく声を発することが出来た。
なぜメムがここにいる?そしてなぜメムが苦しんでいる?
「毒よ。大丈夫、一分ほど苦しんだ後に死ぬわ」
答えは、数部屋分離れた先の廊下から聞こえて来た。
「まさか病院で殺されるなんて思ってもみなかったのかしら?」
――何だって……!毒……。死ぬ……?
「迂闊だったわね。昼夜堂々と、正面から侵入するなんて。顔が割れていないと思って安心していたのかしら?」
――この馬鹿妹!なんて稚拙で軽薄な行動をするんだ!
「甘いわね。昨日しっかり確認させてもらったわ」
――監視していたのか?そういう……、ことだったのか……!
「それにしてもこのガキが暗殺者の正体とはね……。こんな子に人殺しさせるなんて、反乱軍は気が狂っているのかしら?」
――お前……。お前、黙れ……。
「ぐぁあぁぁぁぁ……がああぁぁぁぁ……」
メムの悲鳴が先細くなってきた。
僕を真っ直ぐに見つめる瞳が涙で潤み、揺れている。
僕を掴む腕の力も弱まりはじめ、身体全体が細かに震え始めた。
「……ぎ……、兄ざま……」
「!」
メムが僕を読んだ。
「……ご……、ご……、ごぉぁ…………いいぃ……」
「!」
そんな。
そんなことを言いに。ここまで来たって言うのか?
どこまで、馬鹿な妹なんだ――!
「はぁ……あぁ……あ……」
メムの悲鳴はもはや声にならない、単なる呼吸の音へと変化していた。
「あ……あ……はぁ……っ…………」
そして、細い呼吸音も、最後に息を吐いたところで聞こえなくなった。
メムがの両腕から力が完全に抜け、だらり、と垂れ下がる。
メムが、僕の腕の中で息を引き取った。
毒によって、苦痛に悶えた末に。
僕の腕に残されたメムの体躯は、やっぱり小さくて、軽かった。
「死んだわね。さあ、あなたもそのゴミから離れて頂戴。掃除を開始するわよ」
――お前、ゴミと呼んだか……?メムを、ゴミだって……?
「あなたもこれで安心ね。お望み通り、襲撃者を始末したわ」
「……シュリィ……、さん……?」
「ほらほら、どいたどいた!さっさとそこを空けて!それを掃除したら、すぐにシュアナちゃんの治療を始めるわ!」
――シュリィさん。あなたはどうして、虫を殺したくらいの態度でいられるんですか?
呼吸を止めてもなお苦痛に見開かれたままのメムの瞼を、そっと閉じてやる。
そして、シュリィさんに処分されてしまう前に、床に転がっていた花束を拾い上げた。
花束には小さなカードが添えられていて、下手くそな文字が綴られていた。
『ごめんなさい 兄さま』。
ふと気づいて後ろを振り返る。
シュアナが上半身を起こし、自らの腕を抱きながら、震えていた。
「……シュアナ、分かっているよね?」
言って僕は、病室を背にして歩き出した。
帝国がシュアナの身柄を欲している以上、シュリィさんがシュアナを手に掛けることは無いだろう。シュリィさんの様子を見る限り、いきなりシュアナを拘束することも無いだろう。今のところは、だが。
急いだほうがいい。
まずは予定を片付けるために、僕は例の文官との待ち合わせ場所に向かった。
軍の文官との打ち合わせを終え、尾行を警戒しつつ、今度は帝都東岸へと向かう。
尾行されると面倒な場所が目的地だったが、幸い、追われてはいないようだ。
あまり無駄な労力を使わず、じっと待つのが、あちらのスタンスなのかもしれない。
渡し船に乗り、丘を越えて、しばらく歩くと目的地に着いた。
チキンサンド屋さん。
帝都に着いた日に、四人で行き、散々な評判だった店だ。
店に入りると、ちょうど昼飯時を過ぎた頃だったので、お客は少なかった。
おばちゃんの店員さんに声を掛ける。
「こんにちは。店長いる?」
「あら坊や!旦那は厨房にいるわよ?」
おばちゃん店員が、厨房に向かって、あんたー坊やが来たわよー、と呼びかける。すると厨房からぬうっと、筋肉質な中年の店長が姿をあらわした。
「やあ、小さい坊ちゃん!メシかい?」
「いえ、ちょっと話があって……。というか、その呼び方何とかしてよ」
「ははは!俺にはいつまでたっても小さい坊ちゃんさ!」
まあこっちに来なさい、と言って店長は僕を厨房に招き入れた。
狭い厨房に入り、小声で話し合う。
「今いるお客は全員顔見知りだ。心配ない。どうしたんだ、坊ちゃん?」
「……ラメドさん。メムが殺られた」
「なんだって……!お譲ちゃんが?確かか?」
身を乗り出して驚くラメドさん。
「うん……。ついさっき。僕の腕の中で……」
「何てことだ……。誰が殺ったかわかるのか?」
ラメドさんが、心底憔悴したように頭を抱えた。
「多分近衛師団だと思う。シュリィという女だ。看護師に偽装して軍病院にいる」
「大きい坊ちゃんが黙っちゃいないぞ……。こりゃ、一戦あるな……」
二人同時に嘆息した。
メムは革命軍の奇童であり、華だった。
ラメドさんにとっては、親友の娘。お嬢ちゃんと呼んで、本当に可愛がってくれていた。
「……そのことなんだけど、奴は僕に任せてくれないか?実は軍病院に僕の大切な友達が入院している。彼女を監視しているのもシュリィだ。奴からはもう少し引き出したい情報があるんだよ」
そうか、と言って、ラメドさんが考える素振りをする。
「大きい坊ちゃんには俺から話をしておく」
僕は軽くお礼を言って、少し間を置いてから、もう一つの件を切り出す。
「その代わり、と言ったら難だけど、別件で、一年前のデマゴーグを見つけた」
「……一年前の……、工作員か?」
「そう。姿は偽っていたし、僕も直接は会ったこと無かったけれど、あの声は同じだった」
「声か……。声までは偽装出来なかった、という訳だ」
「うん。ラーシュという男。近衛師団の、今は技官と名乗っている。宮殿でダーレトという将軍の側近をしているから、すぐ見つかると思う」
ラメドさんが一呼吸置いてから、安堵の吐息を漏らし、感慨を込めて言う。
「ようやく、借りを返す時が来たんだな……。これで、やっと坊ちゃんの荷も……」
「こっちのは任せる」
言って僕は踵を返した。
「じゃあ僕はもう行くよ。あんまり長居するのもまずいから」
ラメドさんが後ろから声を掛ける。
「坊ちゃん、そのためにわざわざ宮殿に入ったのかい?」
「まさか、たまたまだよ。期待していなかったと言えば、嘘になるけれどね」
「功績とは大体そういうものだと言うがな。で、小さい坊ちゃんはこれからどうするつもりだい?」
アテナイに戻るよ、と僕は返した。
ラメドさんが最後に声を掛ける。
「それなら、ギメルによろしく言っておいてくれ。達者でな!」




