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湯気    ※BL



 おでん。

 食べにきなさい。



 それは。おおよそ三ヶ月おきに父から届く帰還命令。

 拒否は存在しない。欠席を知らせたときのあのはっきりとわかりやすいまでの肩の落ちよう、残念がりよう。あんな攻撃。勝てる気がしない。

 父親が息子とそのパートナーに手料理をふるまう。それだけだ。

 家族で食卓をかこむというただそれだけのことが、俺にとっては緊張をしいられる憂うつで気の重い時間、なんだけども。けども。

「耕作さん。どうぞ」

 真希まさきさんがビールをそそぐ。父さんは無言でそれをうける。

 ぐつぐつとにぎやかな音をたてる鍋からじゃがいもをすくう。箸でほろりとわれて、湯気ごと口にほうりこんだ。

「真希くん」

「はい」

「風邪はいいのか」

「はい。もうすっかり。前回はすみませんでした」

 べつに。気にしてない。

 そう言いたげな顔で父さんはビールをあおった。ほほ笑みながら真希さんはまたビールをそそぐ。

 なにが。俺だけだとあきらか落胆してたくせに。ちなみにその様子はすべて彼に報告済み。だからどんだけそっけなく無表情をキープしようと今夜の真希さんのニコニコはくずれないぞ。

 それでも。まあ。

 息子の恋人は男です。

 なんて。

 父親としては複雑きわまりないだろう心中をおもえば。

 てか真希さんが父さんを名前呼びしているのもまだなれない。

 お父さん、と呼ばれてみごとに固まった父さんを気づかい、でも苗字もなんだかあれだからといまのかたちにおちついた。でもモヤる。

「真希くん」

「はい」

「居酒屋ではなにをたのむ」

「は? えっと、あ、そうですね、冷奴や枝豆でしょうか」

「ほかには」

「ほかには、ああ、焼き鳥とか」

「ほかには」

「えっと、ほっけもいいですね。モツ煮も」

「みそとしょうゆ。どっちだ」

「え?」

「みそか、しょうゆか。モツ煮の」

「どちらでも。あ、し、しょうゆ、ですかね」

「そうか。しょうゆか」

 深い。眉間。シワ。

 ここは会議室か。重要案件でも話し合ってんのか。

 ハテナマーク満載で真希さんが俺に視線で助けをもとめてくる。

 苦笑いで応えながら真希さんのコップにビールをそそぐ。カラになっていた取り皿には大根とこんにゃく、もち巾着を。

 真希さんの表情がほぐれていく。巾着の中身みたいにやわらかな。

 これは次回はモツ煮だな。

 夏の盛りだろうとアツアツおでんを推してきたのに、ついに新展開?

 ホントむずかしい顔して、さ。

 子どものころから父さんが苦手だった。

 手をあげられたとか邪険にされた記憶はない。ただ。なんとなく。むこうも俺が、子どもが苦手だったんじゃないだろうかと最近おもう。

 じいちゃんばあちゃんの自慢の息子だった父さんはとても優秀に学業をおさめ、優秀な社会人として生きてきた。 

 唯一の想定外は母さんとの離婚だったろう。

 子どもだからとみくびったりしないかわりに甘やかされることもなかった。

 よくいえば、個人の尊重。悪くいえば、どこか殺伐とした、ふたりきりの生活は息がつまった。 

 そもそも、子どもの自分からみても奔放な母さんとどうやって結婚したんだか。

 母さんからはつい最近もハガキがきた。十五も下のダンナさんと海外ラブラブ水着写真で。元気なのはいいけどあれはもう切実にカンベンしてほしい。

「光は朝が弱い。かたづけもできん。いつもラクなほうばかりえらぶ」

 おいおい。親からかまされる息子ディスりですか。

「はじめて買ってやった自転車はその日にうちに壊した」

「ああ。溝にダイブしたんだよな」

「だいじょうぶだった? ケガは」

「もちろん血だらけ。顔からいっちゃって」

「うわぁ」

 すっげぇうれしかった。風より速くいきたくてペダルをこいだんだっけ。

「ぼーっとしてるかとおもえば、いきなり突拍子のないことをする」

 なんか今夜はよくしゃべるな。めずらしい。

 受験も就職も転職も事後報告。相談はしなかった。

 この、ことも。

 目のまえの鍋はまだにぎやかなまま。父さんは火をちいさくした。

「光くんにはいつも。いつもたくさん助けてもらっています」

 真希さんはまっすぐに言う。とても。

 父さんは。

「そうか」

 それだけを言った。



「ヒカルきゅーん」

「真希さん、ついたよ。ほらっ、靴ぬいで。しっかり立って」

「おでぇ~ん」

「はいはい」

「おいしかったねぇ」

 フラフラふわふわな真希さんをなんとかソファーへ着地させ水をのませる。

 アルコールに弱い彼は酔うとふにゃふにゃになり、父さんと呑むと泣き上戸にもなる。

「もち巾着、ふえてたねぇ」

 真希さんの手もとにはだいじそうに紙ぶくろが抱えられている。

 ──お湯で割って飲みなさい。

 帰りぎわ、父は真希さんを呼びとめてハチミツのビンを渡した。薄切りのレモンの入った。

「おかげでもう腹パンパン」

「だ、ね」

 でもこのおでんはまだしばらくつづく。テイクアウトもご用意されていますので。

 三十前の息子と三十突入の真希さんに、もちやじゃがいもはそろそろキツイって。

 最初のとき、真希さんがおいしいと言ったから。以来、もち巾着はどんどんふえていく。

「ヒカルきゅん。あ、りがとね。コーサクしゃん。ありがとうございます」

 そしてこのあと彼は決まってこう言うんだ。

「ごめん、ね。ぼく、おんなのこにうまれてこれ、な──」

 そんなあなたを俺は。

 涙ごと。

 とてもとても。

 やさしく激しく抱く。





 どうして話そうとおもったんだろう。

 真希さんと俺のことは父さんしか知らない。幼なじみの親友にもまだあかしていない。

 面とむかって言う勇気はさすがになくて電話にした。たっぷり五分は沈黙がつづき。とうとうなにも言われないまま電話は切れた。

 予想していた反応ではあった。

 真希さんには事前に相談しなかった。

 彼自身、家族からの無理解という仕打ちにずっと苦しんできた。だからだろう。俺におなじおもいをさせたくないと怒らせて。悲しませた。

 彼は自分が俺を「こちらがわ」にひきずりおとしたのだと言う。

 おちるには、おちた。でもそれは。

 どうして話そうとおもったんだろう。

 言わないままでいることなんてたやすい。

 ごまかす術だってあった。

 いっそそうしたほうがだれも傷つかなくてよかったんじゃないか。

 しばらくしてメールがきた。

 『おでん。食べにきなさい。』

 これっきりならそれもしかたない。

 そうおもってもいた、のに。

 ひさしぶりの家のまんなかには。じゃがいもの入ったおでん。俺は味なんてわからなかった。ただ、やたらじゃがいもが熱くて。

 次のときは。ひとまわり大きくなった鍋に。じゃがいもともち巾着多めのおでん。やっぱりいもは熱かった。

 もって帰ったらまた大変で。じゃがいもは煮くずれ。やぶれた油揚げからはもちがとろけ。まるでポタージュのような出汁。あたためようにも鍋じゃすぐ焦げてしまう。

 料理の苦手だった父さんだけどおでんはうまかった。子どもの俺はとくにじゃがいもが好物だった。

 おでんにじゃがいもはすこし珍しいのだと、大人になって知った。

 照れくさい。

 ありがたい。

 ちょっとめんどう。

 でも照れくさいから。

 やっぱりまだ気は重くて。

 そして4ヶ月ちかくすぎたころまた命令が通達された。でも、今回は。

「──真希さん。俺ね」

「んー?」

 こびりついてしまっているんだろう罪悪感を吐きだせるならそれでもいいとおもっていた。

「真希さんが女だったら勃たないよ」

「えっ!?」

「それから」

「あ、え、いや、あう、うん」

「当たりましたよ。ほら」

 試作には時間かかるよな。

「あ。ほんとだ。しょうゆかな」






 モツ煮。

 ふたりで食べにきなさい。








 

 

 

 

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