化膿
肩をかじられた。涙がこぼれた。
「目、あけろ」
嘲笑をふくんだ息がうなじにかかる。ぞくり。うぶ毛が逆立った。
まぶしすぎる夜を切りとったガラスに映る、半裸の女と女を乱していく男。間接照明で淡く浮かびあがるわたしたちは。わかりやすく、いやらしい。
首すじ。耳たぶ。食まれていく自分を、肌で、目で感じさせられ。にらみつけるような強い視線にもさらされる。
また、だ。
あんたはそうやっていつもいつもわたしの見たくないものをわたしに見ろとせまる。
だから窓に手をついてそれをさえぎった。でもすぐにひきはがされた。
むき出しの腕を上着の袖口がすべり、時計をかすめた肌があわ立つ。気づかされる。その息とおなじように乱れのないスーツ姿。ひとり高められてる自分がはずかしい。
逃げたくて身体ごとひねろうとするのにいうことをきかない。
舌うちがきこえた。かたい腕のしめつけがよりひどくなった。わたしを囲ったまま腕時計をはずすと、ほおるようなぞんざいさでテーブルに置いた。その音、に、身体がすくむ。
ここまでイライラしてるあんたを見たことがない。
だまってたらやさしそうな王子系。人当たりの評判も上々。なぜかわたしにはその穏やかさがうさんくさく思えた。
でも。まわりをよく見てもいて。さりげないフォローや冷静な言動に助けられてきた。
そんなあんたのことをくやしいけどけっこう頼りにしてる。
あっけなくほどかれた髪に深く吐き出した息ごと顔をうずめられる。強く抱きしめられてる姿は自分なのに自分じゃないように見える。
こんなことをあんたとしているなんて。
どちらからともしれない熱と鼓動にはやしたてられて。息がもれた。
誘ったのは、わたし。
こわい顔でわたしを見るあんたに。
部屋のカギをかけるあんたの背中に。
ひどくして。そう言った。
うなじにくちづけられて、かろうじて腰にかかっていたワンピースが落ちた。
痛い。それ以上に熱い。心が。身体も。
こんな自分は見たくない。
あれからまだそんなに時間もたってないだろうに。
あたたかな光のなかで純白に包まれたふたりを見送った。
なれそめから今日にいたるまでをほほえましく。ときに面白おかしく。あんたとわたしで場をもりあげた。
家族となるふたりへ精一杯の祝福を。同期のわたしたちから。
自分でも気づくの遅すぎたと思う。
自覚したとき、ふたりはもうたがいを思いあっていて、わたしは完全に出遅れていた。
どうしようもないくらいお似合いのふたりだから。ジャマをしないように芽生えたばかりの気持ちは深く深く沈めてしまおうと決めた。
面倒見のいいオカンみたいな彼と、ほわんとした見た目に反して男前なところのある彼女。気のいいふたりの友人であれることを大切にしよう。
ちいさく残る胸の痛みには気づかないフリをして。
そんなわたしの幼いばかりの恋慕をはやくから見抜いていたヤツがいた。
はじまりは、偶然、たまたまをよそおった遭遇。
ちょっとした瞬間。職場からの帰り道。飲み会のあと。休日の買い物のときも。
よりそうふたりの姿。交わす蜜言。
ただ、見させられた。わたしが見るように聞くように。ヤツは仕向けてきた。
あきらめろ。
逃げるわたしに、あいつのなにも言わない目が告げる。
わかってる。わかってるのに。
ちいさな痛みがふりつもっていく。ちいさかった傷がちょっとずつひろがっていく。
なにがやさしい。どこが王子。うさんくさいどころじゃない、アイツは魔王だ。
どうして。
腹がたって腹がたって、ようやくわかった。
あんたのわたしを見る目のわずかなふるえのわけを。
やっと解放されて、呼吸をむさぼった。
脚に力が入らない。おしつけられた背中にガラスの冷たさが気持ちいい。見上げた先のあんたの口もとは濡れていて。わたしもきっとおなじように。
くちびるを、すこしささくれたゆびが、そっと、たどる。
やめて。
あんたのわたしへの恋慕に気づいてからも傷のえぐりはつづいた。
腹がたってたはずなのに。
どんな思いでわたしを。
もうなにに傷ついて痛むのか自分でもわからなくなった。
そうしたらあんたもおかしくなった。
式の準備中も最中も。わたしの様子を気ぜわしげにうかがってきた。あんたから仕掛けてきたくせに。いまさら自分がつけた傷に顔をしかめて。
頼んでもいないあんたのおせっかいのおかげで、わたしはふたりへ心からのおめでとうを贈ることができた。
そして。痛みだけが残った。
かさぶたをはがしてはなんども切りつけられた傷口は毒に感染し膿んで炎症をおこしている。もう自然治癒は見こめない。
熱はいちど上がりきらないと下がらない。だから。
もっと、ひどい熱がいる。
「あんたのせいよ。あんたのせいで」
頭の芯から焼き切れそう。
「ざまあみろ」
情けない声。そんなにかすれさせて。魔王からいじめっ子に格下げしてやる。
ばぁか。
ほんと。あんたもわたしも、めんどくさい。
手をのばしてほほにふれた。はっきりと息をのんだ気配がした。髪にふれたら想像していたよりやわらかくて鼻の奥がツンときた。こらえながらそのまま強めにひっぱって、困惑中だろうヘタレの耳もとに唇をよせた。
ふるえるな。せめて声だけは。
「うるさい」
ごめんね。
「へたくそ」
ネクタイをひく。ジャケットはソファーへ。シャツのボタンを上から順に。はだけさせた胸もとに歯をたてた。
鼓動が強い。ひと舐めして、視線を上げた。
笑っていた。笑いながら怒ってる。
そう。あんたは怒ればいい。だって。
わたしに触れるあんたの手はやさしすぎる。
そんなに大切そうにされたら。
きっとわたしは。
ベルトに手をかけた。手首が、強い力でつかまれる。意地で声はガマンした。痕、のこるかな。
まぶたが熱い。見下ろしてくる、その熱さに、くらくらする。
聞いたことのない低い声が。
「上等だよ」
でもわたしは。それでもあんたが憎くて。
こんなにも、いとおしい。
了