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奇跡



 声をかけようとして。できなかった。ひと待ちの横顔があまりにさびしそうで。

「──おかえりなさい」

 俺に気づいた彼女は、ほっと息をはきながら言った。

「どうした?」

 あ。うつむいた。わかりやすい、言いたくないのポーズ。

 改札口の流れに肩を叩かれる。ほそい身体を端へ誘導して、彼女の表情を探った。顔色は悪くない。ひとまず安心。ひとごみにいると高確率で体調をくずすひとだから。

「家で待っててよかったのに」

 言ってから照れくささにおそわれた。

 はじめたばかりの彼女との生活。家、という響きがこれまでとすこしちがうのがちょっとくすぐったい。

 プイッと。俺の言葉から逃げるように彼女は歩きだした。

 駅前のごちゃついたネオンたちにも季節のめぐりはおとずれる。陽は短くなっていき。混んだ車内から解放されたばかりの俺にこの夜風は心地いい。彼女には寒いくらいか。

 風にあそばれる髪を直しもせずに歩いていく姿は華奢で頼りない。でもその目は強く、なめてかかったらかなりの痛手を負わされる。

 夜道をひとりで歩いてほしくない。

 こちらの気持ちをすこしは察してくれないだろうか。厚手のカーディガンの背中のかたくなさに苦笑う。

 横にならんでいつものようにつなごうとした手をかわされる。かわした手は俺の上着の袖口を小さくにぎった。

 んんん。無意識ほどタチの悪いモンはない。

「食べて帰るか」

「つくった」

 ちろりとこちらを見るくせに、またすぐそらす。

「カレー、つくった」

「栞織が?」

「ほかにだれが」

 そりゃそうだ。

「言っとくけど、おいしくないから」

 つい笑ってしまって。彼女にもそれがバレた。よりいっそう、ふてくされてしまう。

「修一朗のみたいにおいしくできない」

 じいちゃん直伝のカレーを彼女はたいそう気にいっている。

「ガキのころからやってたってだけだよ」

 ああ。それでさっき手、つながなかったのか。自分のためなのはうれしいけど痛みを思うとなんとも複雑な。

 出会ったころ。栞織は甘いものからばかり必要カロリーを摂るような生活をしていた。

 子どものときからそうで。だれかと食卓をかこむこともほとんどなかった。

 甘さはイヤなことを忘れさせてくれる。

 淡々とそう言いながら飴を口にほうりこむ彼女を、気づけば抱きしめていた。

 料理ができていく様子をふしぎそうにたのしそうに見てくる姿は幼くて。自分でつくろうと思えるようになってきたのならなにより。

 カレーの失敗で多いのは、水っぽい、野菜が生煮えとかか。じゃがいもふかして足せばまぁなんとかなるとして。どうか家にストックしてあるルーをぜんぶ使ってませんように。

「修一朗のバカ」

 これだよ。唐突な非難。知らず、彼女を怒らせてる自分がそもそも悪いのだろうが。

「バカ」

「はいはい」

「うそつき」

 う。これは痛い。

「これからは良いことしかないからって。言ったくせに」

 足が止まる。俺の袖口を持ったままの栞織が立ち止まったために。

 ああ。言った。いっしょに住もうと話したとき、たしかに。我ながら大きく出たもんだ。

 俺なりになんとかやってきたつもりだけど。思ったように良くなかったか。思ったような男じゃなくてがっかりしたか。でも。

 栞織の手から袖口が離れた。

 悪いな。

 うそつきだと責められても手ばなしてやれそうにないんだ。

「こんなにこわくなるなんて聞いてない」

 前髪がゆれる。ゆれて彼女をかくしてしまう。

 遠くでクラクションが響く。夜の喧騒より小さな彼女の声なのに。

 栞織は笑った。悲しそうな、あきらめたような。

 なにを。なにがこわい?

 縁は切らせた。

 もう二度と彼らに栞織は傷つけさせない。

「おかえりなさい」

 栞織のまっすぐな目がふるえてる。ふるえながら俺を見ている。

 彼女の両手がのばされて。香りとぬくもりが俺の身体を包んでいく。

 ついていけてない頭をよそに身体は栞織をうけとめた。やわらかな。あたたかな。失えないひと。

 まわりは俺たちをよけていく。いないものとされてるみたいで笑えてくる。

 おかえりなさい。

 俺、か。

 俺が帰ってこないんじゃないかって。

 こわかったのは。

 だからあんな顔して。

 俺にとっての栞織のように。

 なにが引き金になったのかはわからない。昔を思い出したか。昨日まで長くつづいた雨のせいか。

 理由なき不安は時と場所をえらばずに忍びより襲いかかる。きっとだれもがかかる病。

 ──ったく。

「ただいま」

 さっき俺は言ったか。ちゃんと伝えたか。

「無事もどった。明日もここに帰る」

 これは誓い。

 明日のことなんてだれにもわからない。彼女はまた怒るだろうか。

 胸のなかで栞織はうなずいた。

 腕に力をこめる。

 風のつめたさも気にならない。

「おなかすいた」

「はらへった」

 ほぼ同時だった。吹き出すように笑った。ふたりして。あー、ジワるわ。そう。栞織、渾身のカレーが待ってる。

 俺のほうから腕をほどいた。栞織もすこし名残おしげに身体をひいた。

 いつものように手をとる。でもいつもよりも。ばんそうこうだらけのゆびさきを。そっと慎重に、にぎりしめた。





 

 

 

 

 

 



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