間違い
主に不快感があった。しかし、その感情の契機のとりとめもなさに弘は意識が向かなかった。泣き出してどうにかなる年齢でもなかった。ふてくされていた。先ほどまでずっと父親に駄々をこねていたが、ついにだんまりを決め込んでいる。視界にあるのは、少し距離をとって歩く父親の左手だった。身長の低さのせいでもあったが、今はただ、顔を見せたくなかった。
視線を下へ下へと落としてゆく。遊園地の舗道だ。煉瓦のような質感のタイルを縦横に組み合わして装飾されている。楽しそうに騒ぐ人の声や長調の音楽が、遮蔽された殻の外から聞こえているように弘は感じた。まばらに行き交う人に戸惑いつつも上手く避けながら歩いていた。
道が赤茶けたアスファルトに変わり、上りの勾配がつき始める。両側には葉だけになったツツジなどの低木や、サクラなどの落葉樹がある。仕方なく弘は前を見た。黒のキャップのつばを越えて強い日光が注ぎ、目を細める。父親のTシャツが汗で張り付いている。ぎゅっと眉根に皺を寄せた。頬をたらりと汗が伝う。
父親は少しも怒らなかった。「ダメだ」のほぼ一言で弘のお願いを突き返していた。それはいつものことである。ちょっとした玩具を目にすると弘は必ずほしくなってしまう。そして、買ったとしてもすぐに買ったこと自体を忘れて、部屋の中に放りっぱなしなのだ。それを父親は分かっていた。
はぐれるのは嫌なので弘は父親の後ろを黙ってついて行く。鳴き止む気配の無い蝉の鳴き声。ところどころ干からびて、ぎらりと鈍色に光るミミズの死骸。せわしなく動くキジバトの群。弘は疲れて口で息をするようになった。汗が目蓋の上に垂れ、目頭を経由して左目に入った。ひどく染みた。両目を瞬かせて左腕で拭う。
ふと下を見て、視界の端にあったものにぞっとした。汗の気持ち悪さを感じないほどに、恐怖や嫌悪が増幅しながら背中を一度下から上へと駆け上がった後、全体に広がった。幼稚園で見たことがあったものよりも、一つ一つのサイズが大きかった。逃げなければならないとは分かっている。だが、弘はじっと観察した。数え切れないほどいて、入り乱れている。いかにも毒々しい色の腹が、木の幹に空いた穴の中で動く。その周りにも数匹が飛び回っている。
しばらくして、弘は我に返った。危険だった。キャップも、風通しが良く透けた後頭部も、その色が彼らには挑発となる。目一杯走り、弘は父親を追いかけた。疲れを忘れ坂道を駆け上り、観覧車の前まで来て、ようやく左手にすがりつけた。息を切らして、お父さん、蜂の巣があったよ、と言った。何も返事が無かった。目を瞑った。弘は、ぶたれるかもしれない、と思った。
自分とは相容れないきつい臭いがする。右手にはビニール袋があった。中には二、三個の空き缶が入っている。しゃっくりが聞こえた。おそるおそる顔を見上げると、知らない老人だった。あっ、間違えた、と咄嗟に弘は呟いていた。