『悲しき乙女のレクイエム』【3】
お知らせです。
前の話である『悲しき乙女のレクイエム』【2】ですが、初回投稿時、後半部分がエラーでなくなっていました。文章を追加しましたので、よろしければそちらもどうぞ。
スラニナ子爵が亡くなった件で、事情聴収が行われた。その重要参考人として女王の執務室に連れてこられたのが、何故かフィアラ大公ウルシュラだった。
彼女はいつも通り髪を結い上げ、化粧をし、黒に近いドレスを着て仁王立ちしている。フレームの細い黒縁メガネは健在で、エルヴィーンは今度、その眼鏡には度が入っているのか聞いてみようと思った。……まあ、そんな余裕があればだが。
余裕を崩さない人を馬鹿にしたような笑みを浮かべていることの多いウルシュラも、この時は苛立ったように剣呑な表情をしていた。
「……メイズリーク局長。何故フィアラ大公を連れてきたのですか?」
エリシュカが執務机についたまま尋ねた。軍の中には警察組織があるのだが、それを束ねるのが軍務省警察局だ。エルヴィーンとラディムが所属する近衛隊はまた別組織になる。
その警察局局長メイズリーク伯爵は、むしろ女王のその質問の意味が分からない、という風な表情になった。
「もちろん、フィアラ大公の行動に不審な点があったからです。大公は、スラニナ子爵が死亡した日のオペラを見に行っていました。しかも、フィアラ大公家名義の個室ではなく、また別の個室を取って」
エルヴィーンはエリシュカがため息をついたのを確かに見た。ウルシュラが別の個室を取ったのはエリシュカと会うためだからだ。勝ち誇ったようなメイズリーク伯爵の発言には、ウルシュラにいい感情を抱いていないと思われるラディムすら顔をしかめた。
「それに、フィアラ大公は魔術師ですから」
「……メイズリーク局長。わたくしも魔術師なのだけれど」
エリシュカは呆れ気味に言った。
レドヴィナ王国では魔法と科学が融合している。融合して、人々の生活を支えている。水道とか、明かりとか、暖房とか。もう人々は、科学と魔法がなければ生きていけないだろう。
そんな中で、魔術師と呼ばれる人たちがいる。魔法、もしくは魔術でもいいが、それらを行使することのできる人間はそう呼ばれる。一般的に、魔術師には貴族が多い。魔術師教育は現在の所、貴族間でしか行われていないからだ。
エリシュカもウルシュラも魔術師である。エリシュカは癒しの魔法が使える魔術師。これが、『慈愛の聖女』の由来ともいえる。ウルシュラの魔術はよくわからないが、瞬間記憶魔法くらいはもっていそうだ。今度、これも聞いておこう。
エリシュカに「自分も魔術師である」と言われたメイズリーク局長だが、彼はあわてなかった。
「もちろん、存じております。しかし、女王陛下の魔術は癒しの魔術でありますゆえ」
答えになってない気がするのはエルヴィーンだけだろうか。エリシュカは話し合っても無駄だと感じたのか、メイズリーク局長からウルシュラに相手を変えた。
「フィアラ大公。あなたはスラニナ子爵を毒殺しましたか?」
「いいえ」
即答した。まあ、実際に彼女は犯人ではないから当然か。メイズリーク局長が口を挟んでくる。
「フィアラ大公。女王陛下の御前で嘘をつくとはいい度胸。真実を話せ」
自分より身分の高いウルシュラに対し、メイズリーク局長は命令口調。まあ、敬語を使わなかったからと言って怒る相手ではないが(実際にエルヴィーンは敬語なしだが、怒られたことはない)、これはないだろう。
「……メイズリーク局長。あなたが私をスラニナ子爵殺害犯に仕立て上げたいのはよくわかったわ。でも、どこに私が彼を毒殺する理由があるのかしら? 確かに、私はその日にオペラを見に行ったし、フィアラ大公家の個室を使わずに、別の個室を予約していたことも認めるわ。私を逮捕したいなら、私を納得させる理由と証拠を提出しなさい。私が納得できたら逮捕されてあげるわよ」
ウルシュラは高慢に言い放った。彼女はオペラを見に行ったことも、いつもと違う個室を予約したことも認めた。その上で、ウルシュラの動機とそれに付随する証拠があげられなければ、確かにウルシュラを逮捕することはできない。
「動機については、おそらく、今以上の権力を欲したのではありませんか?」
「私が権力を欲しがってるなら、今頃エリシュカは女王じゃないわよ」
馬鹿なの? と言わんばかりだ。遠回しに玉座を簒奪しているとウルシュラに言われ、メイズリーク局長は顔を赤くして怒鳴ろうとしたのか口を開いた。しかし、その前にバシュタ宰相が言った。
「メイズリーク局長。あきらめなさい。状況証拠では、フィアラ大公がスラニナ子爵を殺害したとは言えない。もっと調査を進めて、証拠を集めてから再戦しなさい」
「……御意」
メイズリーク局長は丁重に、しかし追い払われるように女王の執務室から出ていかされた。まあ、彼がウルシュラに再戦を挑みに来たとしても、勝てるとは思えない。ラディムも呆れ口調で言った。
「……自分の職務怠慢を棚に上げて、何言ってんですかね、あの人」
「まったくだわ。私を捕まえようなんて100年早いのよ」
「そう言うフィアラ大公も相変わらずですけどね!」
今度はラディムとウルシュラがにらみ合った。エリシュカがため息をつく。
「ラディム、止めなさい。ウルシュラも、落ち着いて」
「……すみません」
「悪かったわ」
ラディムとウルシュラはむすっとした表情のままエリシュカに従った。
「ウルシュラ、こちらこそ悪かったわ。まさか、彼があなたを連れてくるなんて……」
再び女王のため息。それを見ていくらか落ち着いたウルシュラが言った。
「まあ、状況だけ見れば私は怪しさ満点だものね。まさかあなたと一緒にいたとは言えないもの」
「それなんですけど」
ラディムが挙手した。みんなの視線が彼に集まる。エリシュカが顎を引いてうなずいたので、ラディムは口を開いた。
「あの時、俺は個室の外にいましたよね? ってことは、フィアラ大公がいたはずの個室の所で、俺が目撃されているはずです」
そう言えばそうだ。エルヴィーンは中にいたが、ラディムは個室の外で立っていた。わかる人には女王の護衛だとわかるだろう。
「……もしも問い詰められたら、正直に白状しましょう。でもまあ、先に真犯人を捕まえてしまえば問題ないわね。バシュタ公爵。スラニナ子爵殺害に使われた毒は何でしたか?」
「遅行性の猛毒です」
バシュタ宰相がさらりと答えた。報告書を見つつ、女王の問いに答える。
「服毒させられたのはオペラを見ている最中で間違いないようです。それで、フィアラ大公は疑われたのでしょう……ただ、猛毒ではあるのですが、割と簡単に市場で手に入るものでもあるのです」
「それって、ツレク?」
ウルシュラがさらりと毒の名前を言った。バシュタ公爵がうなずく。
「そうです。まあ、一般的に出回っておりますので、知っていても不思議ではありませんね」
バシュタ公爵はそうまとめた。
ツレクは猛毒である。遅行性の毒で、飲んでもすこし苦いかな、くらいでほとんど味もにおいもないのが特徴だ。カレタという植物からとれるもので、その葉は薬としても使えるので市場で普通に手に入る。毒があるのは花だ。ツレクを服毒すると突然ばったり亡くなるので、目撃者はかなり混乱するらしいという話だ。
もしも、大公であるウルシュラならば、もっとばれにくい毒物を使うだろう。大公という地位があれば、どれだけでもそう言ったものが手に入るのだから。
「……おそらく、犯人はスラニナ子爵夫人なのでしょうね……」
エリシュカがつぶやいた。どうやら、彼女はウルシュラと同意見だったらしい。ラディムが意外そうな表情で「そうなんですか?」と言っている。素直な奴だな。
「聞いたことはない? スラニナ子爵夫人は若い法律家を愛人にしていると……」
「法律家が愛人なんですか? それ、大丈夫なんですか?」
ラディムが言った。そこに注目されるとは思わなかったのが、エリシュカは少し目を見開いた。
「……まあ、どういう関係になろうと、個人の自由だもの。それが自分の首を絞めるのだとしても、本人がいいのならそれでいいのではないの?」
「あら。エリシュカにしては辛辣な意見ね」
ウルシュラが茶々を入れた。エリシュカが苦笑する。
「あなたよりましでしょう? あなたなら、これに加えて『法律強化して、逆らったらこうなる、と後の世まで教訓として残そうかしら』くらい言うでしょ」
それは嫌だな。しかも、ウルシュラなら言いそうで怖い。それにしても、エリシュカとウルシュラはエルヴィーンたちが思っているよりお互いを理解しているようだ。うふふ、と笑いあう二人が怖い。
ごほん、とバシュタ宰相が咳払いし、女性2人は笑いあうのをやめた。2人とも、まじめな表情に戻る。
「しかし、どうしましょう? 現状ではウルシュラが犯人と疑われるような鑑定状況だし、スラニナ子爵夫人を法的に拘束するのは厳しいわ」
「自白させればいいでしょ」
エリシュカのまともな意見に、ウルシュラがさらりと言ってのけた。エリシュカが眼を見開く。
「それ、メイズリーク局長と同じ考えよ? あなたはしゃべらなかったじゃない」
「してないことをどうやって話せっていうのよ。対して子爵夫人は本当にやましいことをしてるんだから、問い詰めれば自白するでしょ。私が見たところ、その愛人の法律家にそそのかされたんじゃないかしら? 自分で決めたことじゃない以上、良心の呵責があるはずだわ。むしろ、その法律家の方が厄介。しっぽをつかめるかどうか……」
時々思うが、ウルシュラはどうしてこんなに頭が働くのだろうか。初めて聞いたことでもしっかり言い返してくるあたり、彼女は相当頭がいいのだろうと思う。
「っていうかあなた、法律家の方も捕まえる気なの?」
「え、捕まえないの?」
「だって、手を下したのはスラニナ子爵夫人でしょう?」
「法律家は犯罪教唆で重罪よ。根元から絶たなければ、なめられるわ」
「……そう言うところは、あなたと考えが合わないわね……」
「初めから合うと思ってないから大丈夫よ。汚れ仕事はすべて私に回してもらって大丈夫。任せて」
ニヤッとウルシュラは腹黒く笑った。背筋がぞわりと寒くなる。エルヴィーンの隣でラディムも身を震わせた。
「……とはいえ、フィアラ大公にすべて丸投げするわけにもいきますまい。やはり、手始めにスラニナ子爵夫人を捕まえねば」
バシュタ宰相が低い声で言った。こちらは、宰相と女王で何とかするようだ。
「なら、法律家の方は任せてちょうだい。逃げ道のない法律を作ってやるわ……ふふふ」
ウルシュラが腰に両手を当てて不敵に微笑んだ。どうやら、愛人の法律家を社会的に抹殺するつもりらしい。
ウルシュラが犯人として拘束されたと聞いてちょっと心配したのだが、どうやら心配無用だったようだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちなみに、スラニナ子爵夫人の愛人は民間法律家、つまり、民間弁護士をイメージしています。そして、手元の資料では、ウルシュラは法学者ってことになってました。法学の研究者ですね。