フィアラ大公領【1】
ウルシュラの領地であるフィアラ大公領をちょっと覗きに行きます。
『拝啓 エルヴィーン殿
お元気でしょうか。わたくしは変わらず、穏やかに日々を過ごしております。きっと、あなたにはうちの孫娘が多大なるご迷惑をおかけしているものと思います。見捨てずに、最後まで付き合って下さる、あなたのような殿方を見つけることのできたあの子は幸せ者です。
さて、結婚式からすでに五か月近くが経ち、あの子が副宰相となってからすでに九か月が経とうとしております。おそらく、そろそろ政治もだいぶ安定してきていることでしょう。
そこで、お2人をフィアラ大公領にお招きしたいのです。この領地はあの子のものなので、お招きする、というのは変かもしれません。しかし、放っておくと、あの子はここに帰ってこないのです。
なので、あなたにお願い申し上げます。あの子を連れて、領地を訪れてはくれないでしょうか? わたくしも、ひさびさに孫の顔が見たいのです。よろしくお願いいたします。
では、とんだはねっかえりの孫ですが、これからも見守ってあげてください。
敬具
ヘルミーナ・ヴァツィーク
「……」
エルヴィーンのもとにこんな手紙が届いたのは、社交界シーズンもそろそろ終わりのころだ。秋期議会まであと3週間ほどあるので、その間に訪れてほしいと言うことなのだと思う。
手紙にも書いてあるが、ウルシュラ本人に送ってしまえば、あの子は手紙を無視してしまう可能性が高い。ウルシュラは先々代女王である祖母が苦手なのだ。だから、ヘルミーナはエルヴィーンのもとに手紙を出したのだと思う。
さて。返事を出す前にウルシュラに相談すべきか? しかし、相談すれば、ウルシュラは行かないと言うだろう。それでも、彼女に話さなければ、彼女が休みを確保できない……。
「……」
迷ったが、手紙の話をすることにした。寝室で彼女に手紙を手渡し、暴れないように後ろから腰を抱きかかえる。
案の定、最後まで目を通したウルシュラは暴れようとした。
「何、この手紙! ってか、なんでエルヴィーンの所に来るのよ!」
「あなたに出しても無視されると思ったのだろう」
「よし。じゃあ無視しましょう」
開き直ったように言ったウルシュラに、エルヴィーンは呆れた。
「せっかく、来いと言ってくれているんだぞ」
「そうだけど」
ウルシュラは顔をしかめた。彼女がヘルミーナに対して感じていた引け目は解消されたと思ったのだが、それくらいで気安い仲にはなれないらしい。まあ、ラディムがいつまでたってもウルシュラに腹を立てているのと同じか。
「……あなたがやらないのなら、俺が女王陛下に言って休みを確保しておく」
「ううっ……」
たぶん、エリシュカは協力してくれる。ウルシュラはエルヴィーンが女王に陳情できる立場であることを思い出し、うなった。エルヴィーンの腕の中で身をよじる。
「……どっちにしろ、まだ長くは王都を離れられないと思うわ……」
「チェハーク監獄に行った時ですら大変だったからな」
以前、チェハーク監獄に視察に行ったとき、ウルシュラは11日間王都を離れていた。女王もおらず、しかし、宰相のバシュタ公爵は残っていたのだが、それでも帰ってきたウルシュラのデスクは大変なことになっていた。
だから、休みを取れるとしても15日くらいだろうか。フィアラ大公領に行くには何日くらいかかるのだろうか。尋ねてみる。
「フィアラ大公領まで、どれくらいかかるんだ?」
「うーん。馬なら3日くらいかしら。馬車だと四日かかったと思う。距離的には、チェハーク監獄に行くのと同じくらいね」
違うのは方向だ。チェハーク監獄は王都より北にあったが、フィアラ大公領は王都から南東に向かう。フィアラ大公領は広大な平野で、レドヴィナの食料の半分はこの地方で生産されていると言われている。
「じゃあ、休暇申請をしておいてくれ」
「ううっ。わかったわ……」
そろそろ、ウルシュラの操作方法を覚えてきたエルヴィーンであった。
夏期議会の閉会後、エルヴィーンとウルシュラはフィアラ大公領に向かっていた。さすがに馬で行くわけにはいかないので、馬車である。そのため、大公領に入るまでに3日かかった。
「すごいな。レドヴィナにこんなところがあるのか……」
馬車の窓から外を見ながら、エルヴィーンがつぶやいた。ウルシュラもひょこっと顔をのぞかせながら、それに答える。
「王都もたいがい平野だけどね。まあ、南にある分、王都より降雪は少ないわね」
寒いけどね、とウルシュラ。ちょうど作物の収穫時期らしく、畑では収穫作業が行われていた。エルヴィーンはふぅん、と相槌を打つ。
「レドヴィナの食料の半分はこの地方の産出らしいな」
「ん。まあ、ほかにこんなに広い平野がある場所は私も知らないし……オルシャーク大公領には平野があったけど、切り取ってやったからね」
どうやら、昨年末に起こった前オルシャーク大公による謀反未遂事件の罰として、オルシャーク大公領の一部を切り取ったようだ。それをそのまま女王の直轄地に組み込んだらしい。
「と言うか、大公位を継いでから領地に戻ったことがないんだろ。4年ぶりか?」
「大公位を継いだ時に一度帰ったけど……そうね。4年くらいたってるかしら。あんまり変わってないけどね」
ウルシュラはそう言って肩をすくめた。どうやら、領地の状況は報告書などで把握しているようだが、帰ってくるのは4年ぶりらしい。
フィアラ大公ウルシュラは王都に詰めていることが多い。宮廷に官職を持っているためであるが、たぶん、フィアラ大公領でウルシュラの代わりに領地経営を行ってくれているヘルミーナを避けているせいもあるだろう。
出発して4日目の昼過ぎ、目的地であるフィアラ大公本邸に到着した。それにしても、これは。
「屋敷と言うか、城だな」
「名前もシュメイカル城よ」
ウルシュラによると、住んでいるのが先々代の女王であるヘルミーナだからそのような名前になっているらしい。シュメイカルはこの地方の名前で、もともとはシュメイカル・ハウスと呼ばれていたらしい。
そのとき、シュメイカル城の玄関扉が開かれ、中から女性が出てきた。
「ああ。到着しましたか。久しぶりですね、ウルシュラ、エルヴィーン殿」
「あ……お久しぶりです、おばあ様」
祖母ヘルミーナの姿を見た瞬間に、ウルシュラが挙動不審になった。長年のわだかまりは、なかなかぬぐえないらしい。
「お久しぶりです。お世話になります、ヘルミーナ様」
「ええ。この子を連れてきてくれてありがとうございます、エルヴィーン殿」
ヘルミーナはエルヴィーンに微笑むと、ウルシュラの手を取った。
「さあ。いつまでも立っていないで、早く入りなさい。お茶の用意をしてありますよ」
「あ、はい」
相変わらずしどろもどろなウルシュラの様子に微笑みつつ、エルヴィーンも後に続いた。
夕食の段階になって気が付いたのだが、フィアラ大公領シュメイカルの郷土料理は、スヴェトラーナ帝国のものに近い。エルヴィーンも詳しく知っているわけではないが、少なくともレドヴィナ風ではない気がした。
ヘルミーナとしどろもどろなやり取りをしているウルシュラに尋ねると、少し口ごもりながらも教えてくれた。
「あーっと。えっと。シュメイカルは東側がスヴェトラーナ帝国と接してるから、少し、帝国風なところはあるかもしれないわね」
「だが、この国の食料のほとんどはフィアラ大公領から産出されているんだろう?」
「だって、それはあくまでも食料の話しでしょう? 料理ではないわ」
「ああ、なるほど」
自分でもボケた質問をしたな、と思いつつ納得して相槌を打った。上座にいるヘルミーナがくすくすと笑う。それを見たウルシュラがびくっとした。
「何故おびえるのですか」
「いえ、驚いただけです」
ヘルミーナは眉をひそめたが、それに関しては何も言わなかった。ウルシュラの挙動不審は今に始まったことではないからだ。
「仲が良いようで、安心しました。ウルシュラ、あまりエルヴィーン殿に迷惑をかけないのですよ」
「わ、わかっています」
ヘルミーナの優しげな眼を見る限り、ヘルミーナはウルシュラに他意などないと思うが、これは心の問題なので、解決は難しいかもしれない。そう思いながら、エルヴィーンは少し微笑んだ。
翌朝、エルヴィーンは大音声でたたき起こされた。
「!?」
明らかに外から聞こえてきた声に、エルヴィーンは飛び起きたが、隣ではウルシュラがのんびりと身を起こそうとしていた。エルヴィーンが跳ね起きたことで目が覚めてしまったらしい。
「どうしたのー?」
寝起きだからか、少したどたどしい口調でウルシュラが尋ねた。いまだに聞こえてくる大音声に、エルヴィーンは反応に困る。ウルシュラは、何も異常を感じていないようだ。
「あー、もしかしてこの大合唱? 本邸の使用人は、毎朝、使用人規約を読み上げるらしいよ」
察してくれたウルシュラがそう言った。しかし、説明してくれたはいいが、意味不明すぎる。
「……何故そんなことを?」
「知らないわ。私が気づいた時にはもうやっていたもの」
ウルシュラはそう答えて、もう一度ベッドに倒れ込んだ。二度寝をするつもりらしい。
どうやら、エルヴィーンは理解が追い付かない謎の土地に足を踏み入れてしまったらしい。
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