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背中合わせの女王  作者: 雲居瑞香
番外編(結婚後)
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チェハーク監獄【3】

チェハーク監獄編最後です。






 王都へは、やはり1日置いてから帰ることになっていた。猶予期間である1日の間に、チェハーク監獄での襲撃事件の詳細と、監獄の現状の報告が上がってきた。副宰相であるウルシュラがチェハーク監獄を管轄しているため、ウルシュラは休息日がつぶれることになった。


 もちろん、エリシュカも報告書を読んでいたようだが、ユディタを含め他5人はほぼ完全に戦力外だった。こんなところにまで来て働かされた恨みか、昨日怖がらせられた恨みか、ウルシュラの機嫌は時間が経つにつれて悪くなっていく。


 だが、手を出すと逆にキレられるため、エルヴィーンは別邸の管理人に、お茶請けにはナッツがたっぷり入ったケーキを出すように指示することくらいしかできない。



「いろいろ判明したわよ」



 午後のお茶の時間に、ウルシュラはそんなことを言った。人数が少ないため、女王の好意で護衛たちもテーブルを囲んでティータイムである。そのため、ウルシュラもちょうどいいと思ったのだろう。


「まず、昨日の襲撃者だけど、流れの傭兵だったわ。外見的特徴からすると、スヴェトラーナ帝国人だと思うけど、それはどうでもいいわね」


 ウルシュラはぐりぐりと眉間を揉んだ。機嫌が悪いせいか、確かに眉間にしわが寄っていた。


「それで、その傭兵はチェハーク監獄に住んでいたみたい。奥の方の、重犯罪者の牢のあたりは、あまり人気もないからそのあたりにいたんでしょうね。ちなみに、囚人が目撃したと言う時代錯誤な服を着たゴーストはこいつね」

「なんであんな古い服を、わざわざ……と言うか、住んでるって言ったけど、あの監獄は外から入ることも、中から出ることも難しいって、ウルシュラが言ったんじゃないか」


 ユディタが冷静なツッコミを入れる。確かに、ウルシュラは元要塞のチェハーク監獄は堅牢で攻めにくいと言っていた。それに答えたのは、ため息をついたエリシュカだった。


「ノヴォサート所長が手引きしていたそうよ。どうやら、チェハーク監獄の所長をしているのが苦痛だったみたいで……監獄内で何か問題が起きれば、自分は更迭されて、監獄から離れられると思ったらしいわ」

「馬鹿なのかしら。そんなに嫌なら、嘆願書でも書けばいいのよ。大体、どんな理由であれ女王にはむかえば、今度は自分がチェハーク監獄の囚人になると言うのに」


 相当ストレスがたまっているのか、いつもよりウルシュラの舌鋒が心持ち鋭い気がする。エリシュカはそんな彼女を見て苦笑した。ちなみに、エリシュカとウルシュラは隣同士で座っている。


「まあ、ノヴォサート所長はかれこれ20年近くチェハーク監獄の所長だもの。あの雰囲気だし、嫌がっていたことに気付かなかった私たちも悪いわ」

「というかそもそも、チェハーク監獄の管理人なんて、だれもやりたくないと思うわよ。さすがの私だって御免こうむりたいもの」


 そう言ってウルシュラはティーカップに口をつけた。ソーサーにティーカップを戻し、ウルシュラは再び口を開く。


「これだけ早く所長のことが判明したのは、カレルが気づいてくれたおかげね」

「いえいえ。それほどでも」


 カレルはひらひらと手を振って謙虚に言うが、その顔が笑っているのであまり謙虚に見えない。何でも彼は、襲撃者がエルヴィーンとラディムによって殺された時のノヴォサート所長の表情の変化に不審を覚えたのだそうだ。それで、調べてみれば案の定、と言うことらしい。


「襲撃者の傭兵の方にも何か余罪がありそうだけどね。ノヴォサート所長は大金をもって雇ったらしいし……何も知らなさそうね。ああ。面倒くさい」


 ぱく、とウルシュラが小さくフォークで切ったケーキをほおばる。その顔が少し緩んだ気がして、エルヴィーンは内心ほっとした。



「えーっと……昨日、俺とエルヴィーンはその襲撃者を斬り殺しちゃったわけですけど……何か、始末書とか」



 ラディムが不安そうに尋ねる。エリシュカはそんな彼を見て微笑んだ。


「大丈夫よ。わたくしたちを護るためだったのだから、怒らないわ。そもそも、ウルシュラの命令だし」

「悪かったわね、過激で」

「いや、あの場合はウルシュラが正しかったと思う」


 ユディタがフォローのつもりかそう言った。だが、フォローになっていない気がした。ウルシュラが顔をしかめたからだ。


「……それで、ウルシュラ姉上。チェハーク監獄の所長はどうするの?」


 ツィリルが尋ねた。ウルシュラは新しい紅茶に砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜながら言った。


「ノヴォサート所長は更迭するわ。新しい所長は、そうね。募集してもやりたいと言う物好きはいないでしょうね」

「ああ。ウルシュラですら嫌なんだもんね」

「……ユディ。さっきからいちいち不要な一言をありがとう。外交先でもこうして相手の怒りを買ってたんじゃないでしょうね?」

「いや。やるのは君だけにだよ。君だけ特別」


 そう言って微笑んだユディタは妖艶だったが、ウルシュラの絶対零度の視線が痛すぎたようだ。すぐに笑みをひっこめ、肩をすくめる。


「ごめんごめん。もうしないから」

「そうしてもらえると助かるわ。まあ、新しい所長については帰ってからバシュタ公爵と相談して決めることにする。それまではノヴォサート所長もちゃんと仕事するでしょ」


 きっと、ノヴォサート所長のもとには、ウルシュラの命令書と言う名の脅迫状が届いているに違いない。


「そう言えば、看守が怪我を追ったっていう話は? あれも、その傭兵のせいですか?」

 不意にカレルが尋ねた。そう言えば、ウルシュラが事前にしていた話に、そんな話もあった。これに答えたのはやはりウルシュラだった。


「ああ、それね。単純な話よ。副所長が新人看守に暴行を加えて怪我をさせたのよ。新人看守は副所長に脅されて言えなかったらしいわ」

「……やはり、チェハーク監獄みたいなところにいると、気が滅入ってきたりするのかしらね……」


 エリシュカがティーカップの中身を見つめながら言った。ウルシュラは目を細め、口角を吊り上げる、


「と言うか、看守と言う仕事に気がめいるのでしょうね。人を監視するわけでしょ。あまり楽しい仕事ではないと思うわよ」


 ああいう仕事は正気であればあるほど、気が狂うと思うわ。とウルシュラは言った。当然、副所長も更迭するのだそうだ。


 チェハーク監獄については、王都に帰ってから詳しく決めることにするらしい。ウルシュラだけ先に、馬で王都に帰る案も出たが、人数が少ないのにこれ以上、少なくすることはできない、と言うことでウルシュラもゆっくり馬車に揺られることになった。








 夕食後。エルヴィーンは別邸でウルシュラが使っている客間を訪れた。確認しておきたいことがあったのだ。ノックをすると、「どちら様?」と誰何の声が聞こえた。


「俺だ」


 短く言うと、「あ、エルヴィーンね」と言う声が部屋の中から聞こえた。やや間があってからドアが開く。


「こんばんは。どうしたの?」

「こんばんは。今、時間大丈夫か?」

「ええ。あとは寝るだけだもの」


 そう言ったウルシュラは、確かにネグリジェの上にガウンを羽織っているだけだった。そんな格好をしているのに、夫とはいえ異性を部屋に招き入れている。彼女の危機管理能力は一体どうなっているのだろう?


 ウルシュラにツッコミを入れても「だって夫婦でしょ」と言うちょっとずれた回答が帰ってくる気がしたので、とりあえずツッコミは入れずに部屋の中に入った。


 別邸の客間なので、さほど広い部屋ではない。ソファに向かい合って座ったのだが、そのソファの間にある低いテーブルには資料が散らばっていた。もちろん、チェハーク監獄に関する報告書である。


「すまん。仕事中だったか」

「いいえ。明日の朝片付けようと思って。あとは寝るだけって言ったでしょ」


 ウルシュラはそう言ってニコッと笑ったが、エルヴィーンは顔をしかめた。


 直球で尋ねるのは気が引けていたが、うまく言葉が見つからなかったので、エルヴィーンは結局直球で尋ねた。



「『赤の夜事件』を思い出したか?」



 ぴくっと眉を跳ね上げさせたウルシュラだが、かろうじてポーカーフェイスを保った。ウルシュラの表情が笑みに変わる。


「どういう意味かしら」

「そのままの意味だな」


 目を細めて笑みを浮かべるウルシュラと無表情のエルヴィーンがにらみ合う。エルヴィーンの無表情は通常モードであるが、ウルシュラのこの笑みは営業しごとモードである。これは怒らせたな、と思いながらエルヴィーンは言葉をつづけた。


「同じだっただろう、あの時と。まあ、状況は多少違ったが……」

「……」


 目の前に、血だまりの中に倒れる男。自分が殺したわけではないが、自分が殺させた。あの時はウルシュラは1人で、今回は周囲にエルヴィーンたちがいたという違いはあるが、条件的には同じだ。



 たぶん、あの時……『赤の夜事件』の時、現場にいたエルヴィーンだから気が付いた。まだ近衛騎士見習いだったころに見た『赤の夜事件』の記憶は鮮烈で、その中で、まだ18歳の少女が呆然とたたずんでいるのは印象的だった。


 何度も言ったが、エルヴィーンはウルシュラが自分の父親を殺したとは思っていない。彼女にそんなことはできない。ひねくれていても根が優しい彼女に、自分の親を殺すことはできないだろう。


 だが、彼女の父(エルヴィーンには義父にあたる)が、娘の目の前で亡くなったことは否定できない。それを止められなかった以上、彼女の中では彼女自身が父親を殺したのだ。


 そして、今回も。実際にとどめをさしたのはエルヴィーンとラディムであるが、殺害許可を出したのはウルシュラだ。ユディタも言っていたが、ウルシュラの判断は正しいものだったと思われるが、『赤の夜事件』と同じような状況に、ウルシュラがフラッシュバックを起こしてしまっていても不思議ではない。


 もっとも、それにエルヴィーンが気付いたのは、彼女がユディタと言い争ったためだ。それまでエルヴィーンですら気づかなかったのだから、ほかのみんなが気づかなくても不思議ではない。


 何も聞かなければ、ウルシュラは何事もなかったかのようにふるまい、その恐怖や葛藤、後悔といった感情をすべて内側に閉じ込めてしまうのだろう。



 彼女が限界に達してしまう前に吐きださせてしまった方がいいと思い、エルヴィーンは彼女のもとを訪れたのである。



 しばらくうっすらと笑みを浮かべてエルヴィーンを見ていたウルシュラだが、彼女はため息をついて立ち上がった。そのままエルヴィーンの隣に座り、彼にもたれかかる。


「……不思議ね。どうしてあなたには、わかってしまうのかしら」


 エルヴィーンは彼女の肩に手をまわした。ウルシュラは、甘えるように彼の肩に頬をすり寄せて眼を閉じた。


「襲撃者のことがショックだったわけじゃないの。今朝、お父様が亡くなった時の夢を見て……」

「寝ている間にうなされることがあるのはその夢のせいか」

「……すべてがそうだと言うわけではないけど、そうであることが多いわね」


 後から知ったのだが、ウルシュラのように過去のトラウマを夢に見るような現象もフラッシュバックの一種なのだそうだ。これは、さすがに博識なウルシュラも知らなかったようである。


「たぶん私は、あのことを、もう終わったことだって割り切ることはできないわ。また、今回みたいな状況に遭遇したら、同じように夢を見るんだと思う」

「そう、だな……」


 エルヴィーンは返事に窮した。こういう時は何を言えばいいのだろう? こういうとき、気の利いたことが言えない自分が嫌になる。


 と、唐突に肩が重くなった。寄りかかっているウルシュラの方を見ると、何と、彼女はのんきに寝息を立てていた。


「……」


 振り回されてるな、自分。と思った。まあ、振り回されることは覚悟の上で結婚したのだが、ここまで自由に振る舞われると、何となく納得しがたい気持ちになるのである。


 とりあえず、ウルシュラを抱き上げてベッドに寝かせた。来ているガウンを脱がせるか迷ったが、己の精神的安定のためにそのままにすることにした。何とか自分を落ち着かせつつ、ウルシュラにシーツをかけてやる。いったい自分は何をしに彼女の部屋に来たのだろうか……。


 寝ている彼女の頬にキスをしようと身をかがめたところで、エルヴィーンはふと思った。


「気の利いたことは言えないが、いつでもどんな話でも聞いてやるから、話してくれ」


 頼むから、頼ってほしい。エルヴィーンはウルシュラの頬にキスすると、彼女の部屋を出た。










 王都に戻ると、ウルシュラは早速チェハーク監獄の所長と副所長を更迭した。代わりの所長・副所長は希望者がいなかったので、厳正にくじで決めたらしい。


 運悪く所長に選ばれた人はご愁傷様である。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


そこ、エルヴィーンかわいそうとか言わないでください、お願いします。私もちょっとかわいそうかなって思ってるんですから。


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