赤のリベリオン【3】
過去編最終話です。
女王教育も3年目に入った秋。唐突に、その日は訪れた。
ウルシュラがその情報を伝えられたのは、女王教育の一環として学校視察に来ていた時だ。全寮制の高等教育学校で、王都郊外にあった。
「……父が?」
「ええ……なんでも、一部の貴族や傭兵たちを指揮して、反乱を起こしたと……」
のちに、『赤の夜事件』と呼ばれる反乱が発生したのだ。テプリー侯爵夫人からもたらされた情報に、ウルシュラは瞠目し、すぐに頭を働かせる。
今朝、両親と別れた時、父はそんなそぶりはみじんも見せていなかった。いつものように笑顔で送り出してくれて、母も手を振って見送ってくれた。
だが、公私の区別がはっきりとしている父だ。ウルシュラが彼の内心を読み取れないのは今に始まったことではないし、母も、大国の皇女だけあって本心を隠すのはうまい。とはいえ、反乱を起こすということを、父が母に話しているとは思えなかった。
だが、一つ気にかかっていたことがある。ウルシュラは、女王教育で屋敷にいないことが多いため、あまり会ったことはないのだが、母の祖国であるスヴェトラーナ帝国からの使者が、頻繁にフィアラ大公邸を訪れていたようであった。両親は極力、ウルシュラに気づかれないようにしていたのだが、聡いウルシュラに隠しておくのは難しかった。
スヴェトラーナ帝国にいる誰かが、父が反乱を起こすように仕向けた? でも、このタイミングで?
謀反を起こすタイミングとしてはよくわからない。相変わらず、下馬評ではウルシュラの即位が決定的とされており、ウルシュラを女王にしたいがために反乱を起こしたとは考えにくい。そもそも、反乱を起こしたとしても成功しない可能性の方が高いのだ。今年度いっぱいで任期が切れるシルヴィエ女王は、歴代女王一の武道派である。
ウルシュラは、目を閉じた。過去のことは、今はいい。後でいくらでも考えられる。問題はいまだ。父が、フィアラ大公が、反乱を起こしたという事実。
話を聞こう。まず、そう思った。
「テプリー侯爵夫人。私、今から宮殿に向かいます!」
「は!? 何をおっしゃってるんですか、ウルシュラ様! ちょっと!」
テプリー侯爵夫人のあわてた声を後ろに聞きながら、ウルシュラは学校の外に走った。乗ってきた馬車の馬を一頭拝借し、駆け出す。その際、御者にも留められたが気にしない。鞍はついていなかったが、幸いウルシュラは鞍なしで馬に乗れた。
ドレスの裾を大胆にひらめかせて王都に入ったウルシュラはかなり目立っていた。着替える時間はないので、ドレスのまま宮殿に入る。
その際、使用したのが認識変化魔法である。これは、その名の通り、相手に与える印象を変化させる魔法である。フィアラ大公はすでに宮殿に入り込んでおり、ウルシュラは入り口で止められる公算が高かった。そのため、認識変化魔法でウルシュラの存在をあいまいにして強行突破してきたのである。
途中で調達した剣で傭兵たちを何人か切りつけつつ、ウルシュラがたどりついたのは玉座の間。
果たして、父は、フィアラ大公アルノシュトは、そこに一人でたたずんでいた。
周囲には、父がともに宮殿に連れてきたのであろう傭兵や貴族の姿。ウルシュラを見たアルノシュトは、いつものように微笑んだ。
「よう、ウルシュラ。お前なら、来ると思ったよ」
「!」
ウルシュラは一瞬目を見開くと、つかつかと父に近づき、その首筋に剣を当てた。
「どういうつもり、お父様! ちゃんと説明してもらうわよ!」
娘に剣を向けられても、アルノシュトは表情を変えることすらしなかった。まるで、娘に殺されることを望んでいるように……。
「まだ、私を父と呼んでくれるんだな、お前は」
アルノシュトがウルシュラに向かって一歩踏み出す。ウルシュラは、剣を父に向けたまま思わず一歩後ろに引いた。
「お前にこんなことはさせたくなかった……言い訳をする気はない。ただ、謝らせてくれ。すまない」
ウルシュラは思わず息をのんだ。いつくしむような、それでいて、すまなさそうな顔をするこの人は、本当に父なのだろうか。
「お前なら、そう判断してくれると思っていた。信じていた。お前は、私には過ぎた娘だよ」
そんなことはない。そう言おうとしたが、声にならなかった。
「本当に賢い、お前は……お前なら後を、託せる。私は幸せ者だ」
悲しげな、いつくしむような声音にウルシュラは体を震わせた。父の言うことが理解できなかった。それでは、それではまるで。
父が、死んでしまうみたいではないか。
ウルシュラは、父を殺そうとここまで来たわけではない。ただ、訳を知りたいと思った。聞きたいことがあった。ただ、それだけだった。それを聞いた後は、ともに処刑されてもいいとすら思っていたのに……。
「お前は立派に成長してくれた。惜しむらくは、お前の花嫁姿を見られないことだな……」
やめて。やめてよ。そんなことを言わないで。ひどいわ。
アルノシュトが娘の頬に手を伸ばし、その白い頬をひと撫でした。
「お前なら、賢明な選択をしてくれるだろう。過去は、すべて私が持って行く。未来を頼んだ……。幸せになれよ、ウルシュラ」
アルノシュトはウルシュラが持っていた剣の刃をつかむと、自分の首筋に押し当てた。ウルシュラの剣はアルノシュトの頸動脈を切り裂き、血を噴出させた。ウルシュラの淡い翠のドレスが赤く染まった。
「お父様……」
ゆっくりと倒れる父を見ながら、ウルシュラはつぶやいた。急所だった。即死だったと思う。父は、もう、
この世にはいない。
玉座の間に軍が入ってきた。勢いよく駆け込んできた兵たちは、血に染まった玉座の間を見て眼を見開く。
「……これは」
倒れたアルノシュトの体と、その前にたたずむその娘の姿を見て、だれもが思った。彼女は反逆を犯した父を討ったのか、と。
軍が倒れた遺体の検分を始めた。それでも同じ姿勢で突っ立っているウルシュラを見て、軍ではなく近衛の制服を着た青年が声をかけてきた。
「大丈夫……な、わけないな。とりあえず、ここを出よう」
言おうとした言葉に、途中で自分でツッコミを入れ、青年は言った。剣を取り上げられ、腕をつかまれたので見上げると、美貌で有名なカラフィアート公爵家の三男だった。後で知ったのだが、次の女王に仕える近衛騎士たちが、この日、宮殿で訓練をしていたらしい。
その後もその青年はいろいろと気遣ってくれたが、ウルシュラはずっと廊下の端でうずくまっていた。青年が肩に毛布を掛けてくれたのに、かろうじて礼を言えた。
かつかつ、とハイヒールの足音が聞こえてきた。ウルシュラの視界の端に、紺色のドレスの裾が見えた。
「フィアラ大公令嬢ね。面を上げなさい」
威厳たっぷりの声に、ウルシュラはのろのろと顔を上げた。目の前にいたのは、女王シルヴィエだった。シルヴィエは目を細めると、ウルシュラに言った。
「聞きたいことがあります。……ですが、その前に身を清めてきなさい」
シルヴィエの命令で、ウルシュラは宮廷女官に左右の腕を取られて連れて行かれた。そのまま風呂に入れられ、新しいドレスを着せられる。
その後、ウルシュラは女王に拝謁した。玉座の間で何があったのか。シルヴィエに尋ねられたウルシュラは、はっきりと答えた。
「父は……謀反人、アルノシュト・ヴァツィークは私が殺しました」
「……」
シルヴィエ女王は睨むようにウルシュラを観察した。ウルシュラはひるみそうになったが、何とか顔をそらさずにシルヴィエを見つめ返した。
すると、シルヴィエはふっと笑った。
「さすがはヘルミーナ様のお孫さんね。若いのに、大した精神力だわ」
急に砕けた口調になったシルヴィエに、ウルシュラは何度か瞬きをした。若干動揺しているウルシュラをしり目に、シルヴィエは話を進めていく。
「アルノシュトを殺したのはあなた……まあ、あの状況からは否定しにくいでしょうね。それに、その方があなたを守ってあげられるし、そう言うことにしましょうか」
のちに、この武断の女王は、ウルシュラは将来、レドヴィナの行く末を担うことになるだろうと思った、と供述している。だから、この時、ウルシュラが『謀反人』を始末した、と言う状況は都合がいいと思ったのだそうだ。
「安心なさい。あなたとアルノシュトは親子ですが、謀反人を討った功績により、家の取り潰しはしないわ。あなたと、あなたのお母様にも類が及ばないようにします。そうね。次の女王はあなただ、と言われているけど、これでちょっとわからなくなったかもしれないわね」
「そのことなのですが」
ウルシュラは恐れ多くもシルヴィエの言葉に口をはさんだ。しかし、シルヴィエは面白そうに話を促す。
「私は、女王候補から降りようと思います。そして、フィアラ大公位を継ぎます」
「爵位を持っていても、女王になれるわ」
しかし、ウルシュラは首を左右に振った。
「いいえ。父親を殺した女王は、印象が悪い……不安要素は、できるだけ排除すべきです」
ウルシュラがいなければ、次に女王になるのはエリシュカかイザベラだろう。現女王シルヴィエとイザベラが同じ家の出身であることを考えると、エリシュカが即位するのが妥当と思われる。
「それに……女王では身動きがしづらいですから。大公となって、やりたいことがあるんです」
父をそそのかしたものを見つける。難しいと思うが、女王に順ずる権力を持つフィアラ大公ならば、可能ではないかと思った。
父とともに死んでもいいと思った。しかし、父はウルシュラに殺されたように見せかけることで、娘を護った。だから、ウルシュラは父を死に追いやった人物を見つける。
強い意志を見せたウルシュラに、シルヴィエはため息をついた。
「わかったわ。今日は宮殿に泊まっていきなさい。屋敷には触れを出しておくわ」
「ありがとうございます」
のちに、ウルシュラはこの時、すぐに帰らなかったことを後悔することになる。
1日ぶりにフィアラ大公邸に帰宅したウルシュラを待っていたのは、なんと、母エレオノーラの遺体だった。
「わたくしのせいです。申し訳ありません」
「……いえ。ロマナのせいではないわ。私が、昨日、ちゃんと帰ってきていれば……」
いや、たとえ、ウルシュラが帰ってきていたとしても、エレオノーレの自殺を止めることはできなかっただろう。
そう。エレオノーラは自殺だった。毒薬を飲み、眠るように死んだのである。
父と同様、遺書などは残されていなかった。2人とも、何かを残すことはできたはずなのに。
何も、残さなかった。
だが、ウルシュラは理解していた。エレオノーラは、アルノシュトの後を追ったのだ。愛した男の後を。娘を置いて。
その娘を生かすために。
エレオノーラはスヴェトラーナ帝国の皇族だ。1年ほど前に皇帝が変わり、今はエレオノーラの同母兄がスヴェトラーナ皇帝である。皇帝の妹が死んだとなれば、その罪を問われる。しかし、謀反人であるというのなら別だ。エレオノーラは、謀反人である夫を止められなかったとして死した。ウルシュラは、彼女の死も、自分が殺害したものであると公表した。
ウルシュラの帰宅とエレオノーラの死を聞いて、叔父のメトジェイが駆けつけてきた。彼は、ウルシュラに、望むなら、自分が大公位を継ぐと言ってくれた。
叔父のメトジェイは経済学の研究者である。ウルシュラは叔父がその仕事を気に入っていることを知っていた。それでも、ウルシュラを思って名乗り出てくれたことに感謝した。
「ありがとうございます、叔父上。でも、私がフィアラ大公位を継ぎます」
叔父は心配そうにウルシュラを見たが、彼女がやりたいことがあるのだ、と言うと、引き下がった。
問題はまだあった。謀反人かつ親殺しを生み出した屋敷で働きたくない、と多くの使用人が暇を出してくれ、と訴えてきたのだ。いや、訴えられたのは執事と女官長だが、2人がウルシュラに報告を持ってきたのである。
ウルシュラはため息をつき、「訴えてきた全員に暇を出しなさい」と言った。
「よろしいのですか?」
執事が尋ねるとウルシュラはうなずいた。
「構わないわ。おびえられながら世話をされるよりは、多少苦労する方がいいわよ」
幸い、ウルシュラは自分の世話はだいたい自分でできる変わったお嬢様だ。
結果として、約半数の使用人が解雇された。フィアラ大公邸は広大だ。一応、使用人募集をかけたが、謀反人の家に雇われたいという物好きはいなかった。
いつの間にか『赤の夜事件』と呼ばれるようになった、前フィアラ大公アルノシュトの謀反から一年弱。新女王として即位したのはエリシュカだった。その戴冠式に、ウルシュラはフィアラ大公として参列した。
もともと頭がよく、気が強いウルシュラは参加するようになった貴族議会でも浮いていて、貴族たちにあまりいい印象を与えていなかった。まあ、もともと父親殺しで通っているし、評判は初めから悪かったのかもしれない。
戴冠式にはスヴェトラーナ帝国からも来賓があった。現皇帝の息子、つまり、ウルシュラの従兄にあたるロジオン皇太子だ。ここで、ウルシュラはフィアラ大公位を継いで探そうとしていた人物を見つけることになる。
「君の父上は、君を女王にすることができなかったみたいだね。聡明な人だと聞いていたが、所詮この程度か」
彼は、戴冠式が行われた神殿から出る間際、ウルシュラはロジオン皇太子にそうささやかれた。思わず彼を睨み付けると、彼は不敵に笑ったのだ。
こいつが、この男が、父を、母を、死に追いやったのだ――――!
もともと、いけ好かない従兄ではあった。でも、あんなことをたくらむ人間だったとは。
しかも、父は『ウルシュラを女王に出来なかった』のではない。しなかったのだ。それを理解していない時点で、ロジオン皇太子のもくろみは潰えているのだ。
この時、ウルシュラは初めて殺意と言うものを覚えた。
私は、必ずお前を――!
△
「ウルシュラ!」
名を呼ばれて、ウルシュラはパッと目を開いた。間近にやたらときれいな顔がある。
「目が覚めたか」
どこかほっとした様子で、やたらときれいな顔をしたカラフィアート公爵家の三男は言った。ウルシュラが手をついて身を起こすと、どうやら副宰相の執務室のソファで寝ていたことが発覚した。
「大丈夫か? うなされていたから起こし……どうした?」
突然、ウルシュラが抱き着いたのでエルヴィーンも戸惑い気味の声をあげた。ウルシュラは構わず、彼の首に回した腕に力を込めた。
「……本当に、どうした?」
「……うん」
ウルシュラは返事にならないことをつぶやくと、彼の肩に顔をうずくめた。様子がおかしいことに気が付いたエルヴィーンも抱きしめ返してくれる。だんだん、自分が落ち着いて行くのがわかった。
「大丈夫か?」
「ん……ちょっと、夢見が悪くて」
ウルシュラが『夢見が悪い』と言うときは、高確率で『赤の夜事件』の時の夢を見たと言っていい。エルヴィーンにそのことを話したことはないが、彼は「そうか」とうなずき、ウルシュラの背を軽くたたいた。
あの時、父は「幸せになれ」と言った。あの時はそんなの無理だ、と思ったが、存外、自分は幸せなのかもしれない。エルヴィーンに抱きしめられながら、ウルシュラはそう思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これで、ウルシュラの『赤の夜事件』は完結です。本当は、もう少し女王候補たちの出番があったんですが、5話編成の話を3話編成に直したので、なくなっちゃいました。みんなごめん。でも、電波令嬢ミヒャエラは気に入っているので、どこかで出てくると思います。
本編第2章でウルシュラも話していますが、事件の後、玉座の間からウルシュラを連れ出したのはエルヴィーンです。名前出てないけど。
次は(たぶん)ウルシュラとエルヴィーンの結婚生活を投稿します。