赤のリベリオン【2】
過去編その2です。
お昼には、過去編その3(過去編最終話)を掲載します。
※母親の名前を『エレオノーレ』から『エレオノーラ』に変更しました。
女王候補の教育を受けはじめてから1年ほどが過ぎた。何度か教育状況を確認するために試験を行ったが、全てウルシュラがトップだった。しかし、マナーでは口調がよろしくないということで、エリシュカに負けている。振る舞いはほぼ完ぺきなのだが、ウルシュラは貴族として何かが確実に欠落している。
その日は王都郊外の孤児院に訪問していた。
こういう視察に行くと、それぞれの性格がよく出る。
積極的に子供たちと交わりに行くエリシュカとユディタは社交的。こんな下賤な子供と、と、避けるのがジョフィエやマルツェラ、アレンカ。浮世離れした発言で子供たちをひかせているミヒャエラ。そして、言動がきついながらも何故か懐かれるイザベラとウルシュラである。
ちなみに、武術の心得があり、見た目より力のあるウルシュラとユディタは小さな子供を抱き上げてあげていたのだが、さすがにそれは付き添いのテプリー侯爵夫人に怒られた。
「庶民の子供とそんなふうに遊ぶなんて……」
マルツェラがウルシュラとユディタを見て顔をしかめた。女王教育の一環だからついてきているだけだ、と言わんばかりの彼女に、ユディタは笑って言った。
「これは孤児院の子供たちと交流しようという研修なのだから、一緒に遊んで何が悪いんだい?」
これはユディタの方が正論である。
その時のウルシュラは、1人の少年を見ていた。まだ10歳にもなっていないだろうその少年は、エリシュカが遊ぶのに邪魔で外していた指輪をこっそりと盗っていた。
「エリシュカ」
ウルシュラは持ち主であるエリシュカに声をかけるが、エリシュカは肩をすくめた。どうやら気づいていて見逃したようだ。
孤児の中には、孤児院に来るまでスリの真似事をしていた子もいるそうだ。あの少年はそんな子なのかもしれない。エリシュカは「生活が苦しいのだから、これくらいは仕方がない」と言うが、そう言う問題ではない。
ウルシュラはエリシュカが相手では話にならないと思い、こっそり大部屋から抜け出そうとしていた少年に声をかけた。
「ちょっと待ちなさい」
少年はびくっとして振り返った。そこにいる目つきのきつい女を見て顔を青くした。
「私はフィアラ大公令嬢ウルシュラよ。あなた、名前は?」
「………………イルジー」
「そう。イルジーね」
ウルシュラはしゃがんでイルジーと視線を合わせると、彼のポケットからエリシュカの指輪を引き抜いた。
「あっ」
「これ、さっき盗んだわね」
「……」
「う、ウルシュラ」
気づいたエリシュカが寄ってきてウルシュラを止めようとするが、ウルシュラは「ちょっと黙ってて」とエリシュカに言った。
ウルシュラはイルジーの肩に手を置いて、言った。
「いいこと? あなたの状況がどうであれ、人のものを盗むのは犯罪だわ。相手がなんと言おうと、あなたはしてはいけないことをしたの。してはいけないことをしたら謝る。当然のことだわ」
さあ、謝って。とウルシュラはイルジーの肩を押してエリシュカの前に立たせた。イルジーの手に指輪を持たせ、自分で返すように言う。
「ウルシュラ。わたくしは……」
「いいから。イルジー。このお姉さんは怒らないわ。だから、ちゃんと謝って許してもらいなさい」
イルジーはしばらく口をもごもごさせていたが、しばらくして小さな声で「ごめんなさい」と言った。そして、エリシュカの手に指輪を返した。
「……ありがとう。確かに返してもらいました」
エリシュカが若干複雑そうな表情でイルジーから指輪を受け取った。ウルシュラはイルジーの頭をなでる。
「それでいいのよ。あなたはまだ子供だから許されるけど、大人になったら訴えられるのよ。今学べてよかったわね」
イルジーが恨めし気な表情でウルシュラを睨みあげたが、ウルシュラはくいっと口角を吊り上げて微笑んだ。
「この孤児院は女王が出資して作ったものだからね。あなたは行こうと思えば、学校にだって行けるのよ? その未来を自らつぶすところだったのよ。エリシュカが優しくてよかったわね」
騒ぎを聞きつけた院長がやってきたため、ウルシュラたちは追い出された。ついでにウルシュラはテプリー侯爵夫人にたっぷり怒られた。
「……ウルシュラ。あんなこと、言う必要なかったのに……」
「何言ってるのよ。それ、アデーラ様の形見でしょう」
ウルシュラは呆れた調子でエリシュカに言った。エリシュカの指に戻った指輪は、彼女の母、アデーラの形見だ。アデーラはエリシュカが幼いころにすでに亡くなっている。
「でも、仕方がないとも思うし」
「……エリシュカ。私は、あなたのその考えは優しいのとは違うのだと思う」
「は?」
「確かに見逃すことは優しさなのかもしれない。でも、あの子は、人として間違ったことをしようとしたの。それを叱って、道を正してあげるのが本当の優しさなのではないの?」
「……ウルシュラ」
「もちろん、私は自分が優しいとは思っていないわよ。でも、あなたの行いは、あの子の間違った行いを助長させるだけだと思ったの」
ウルシュラの言葉は正論で、反論はできない。それは誰にでもできることではなく、女王候補として民衆の人気を集めたい人物なら絶対に出来ない。と言うか、普通はしない。みんな、見て見ぬふりをするのだ。
ウルシュラの口調はキツイ。その口調で叱られれば、普通はウルシュラを避けるものだが、イルジーは違ったようだ。
「いつか、あんたにぎゃふんと言わせてやるっ!」
去り際にそんなことを叫ばれたウルシュラはふっと不敵に笑った。
「いままで『ぎゃふん』と言った人を見たことはないわね。楽しみにしてるわ」
ちなみに、この後再びウルシュラはテプリー侯爵夫人に怒られた。
話は変わるが、ウルシュラは王都のフィアラ大公邸に家族3人で暮らしている。いや、使用人を合わせれば100人は下らないが、家族は3人だ。
ウルシュラと彼女の両親。フィアラ大公アルノシュトと大公夫人エレオノーラ。エレオノーラはスヴェトラーナ帝国の第3皇女。エレオノーラはスヴェトラーナ皇帝の正妻の娘であり、そのため、ウルシュラにはスヴェトラーナ帝国の皇位継承権もある。
「ただいま」
「あら、ウルシュラ。お帰りなさい」
「ただいま、お母様…………何してるの?」
ウルシュラがいつも家族が集まっている居間に入ると、両親は2人ともそこにいた。議会は閉会したばかりで、父が屋敷にいるのはわかるのだが……。
「見てわからない? 膝枕」
「見てわかるわよ。仲いいわよね、お父様とお母様」
母の膝枕で、父はがっつり寝込んでいた。ウルシュラには横になるとすぐ寝入ることができる、という特技があるのだが、それは父からの遺伝だと思っていた。
ウルシュラは全体的に母親似だ。エレオノーラはふわふわの金髪にエメラルドグリーンの瞳をしており、どこかほんわかしている彼女の雰囲気は、エリシュカのものとよく似ている。性格がきついウルシュラとは性格はあまり似ていない。ウルシュラの性格は完全に父親よりだった。
父のアルノシュトは黒髪に、今は閉じられている瞳は翡翠。ウルシュラの髪の色は父親と同じである。顔立ちは母親に似ているといわれるウルシュラだが、目元は父親に似ている。
父と母は8歳の年の差がある。18歳の時に、母は当時26歳の父に嫁いだのだが、恋愛結婚である。父に一目ぼれした母が押しかけて結婚したらしい。
と言うわけで、エレオノーラは現在36歳。なのだが、36歳とは思えないほど美しい顔立ちをしている。
一方のアルノシュトもすでに40を越えているのだが、いまだに若いご令嬢にモテる美男子だ。わが父ながら、恐ろしいほど若々しい。
仲の良い夫婦を呆れて見つつ、ウルシュラは女官長のロマナに紅茶を所望した。
「今日は孤児院に行って来たんでしょ。どうだった?」
何故か夫の長めの髪を三つ編みにし始めたエレオノーラに声をかけられたウルシュラは、紅茶のカップを片手に足をくんだところだった。
「そのことで、お父様に話があったんだけど」
エレオノーラに話をふられたことで思い出したのだが、思わぬところから返答があった。
「なんだ、話とは」
「って、起きてたの?」
「我が両親ながら、意味不明だわ」
妻にも娘にもツッコミを入れられたのは、妻の膝で横になっていたアルノシュトだった。彼は身を起こすと、妻に結ばれた髪をほどき、ウルシュラの前に座った。
「それで、話しとはなんだ」
「娘に流し目をしてどうするのよ」
「む」
アルノシュトは切れ長の目を細めた。切れ長の吊り上り気味の眼は、ウルシュラとよく似ている。
「孤児院から1人、子供を引き取りたいの。孤児院の院長にはすでに話をつけてあるわ」
「私の養子にしろと言うことか?」
「いいえ。この屋敷の下働きにするの。労働条件はいいでしょ、この屋敷」
「……お前の言葉を聞いていると、まるでいじめているように聞こえるから不思議だな」
「お父様に言われたくないわ」
ウルシュラはそう言いながら焼き菓子に手を伸ばす。それを見たエレオノーレが、「もうすぐ夕飯だから、食べ過ぎちゃだめよ」と注意を飛ばした。なんだかんだ言っても母親である。
「珍しいな、お前がそう言うことを言うのは」
「意外と気骨がある子なのよ。帰り際に『いつかぎゃふんと言わせてやる』と言われたわ」
「ほぉ。ぎゃふんと言ったら教えてくれ」
「言わないわよ」
ウルシュラは冷静に言い返す。アルノシュトとエレオノーラが笑った。あまりに笑うので、ウルシュラは少しむくれた。
「そんな顔しないの。かわいい顔が台無しよ」
ウルシュラの隣の椅子に座ったエレオノーラが、ウルシュラの頬をつついて行った。この家族になじんでいる辺り、ウルシュラも相当な変人である。
「お前のことだから、抜かりはないんだろう? その子が同意してくれれば、連れてくるといい」
「さすがお父様! 大好きよ!」
ウルシュラは思いっきりガッツポーズを決めながら父を賛辞した。
「称賛ついでに頬にキスをしてくれるとうれしいんだが」
「お父様、公的な面と私的な面で差がありすぎ」
これは後にウルシュラ自身が言われる言葉なのだが、この時、ウルシュラは父にそう言った。
かくして、フィアラ大公家に小さな使用人が現れた。この小生意気な少年を、ウルシュラはかわいがったと記しておく。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本編でフィアラ大公邸の下働きをしているイルジー少年はこうしてフィアラ大公邸にやってきたのです。
ちなみに、ウルシュラの性格は父親似です。この父親、こんなですが44歳です。