好き嫌い
エルヴィーン視点に戻りました。なんか長いです。
どうしてこうなったのだろうか。ウルシュラと向かい合って、たがいに剣を向けているこの状況はどう表現するべきだろうか……。
とはいえ、剣と言っても模擬剣だ。刃はつぶしてあるので、当たったとしても骨が折れるくらいだ。だが、エルヴィーンはともかく、ウルシュラにそんな怪我をさせるわけにはいかない。本人は気にしない気もするが、それは今は関係ない。
この2人で試合をすれば、どう考えてもエルヴィーンの方が強い。そもそも、ウルシュラの剣術は戦うためのものではなく、自分の身を護るための剣術なのだ。
「だからっ! 私が何したって、言うのよっ!」
ウルシュラがエルヴィーンに向かって模擬剣を振り下ろす。当たれば頭がかち割られるほどの勢いであるが、振りが大きいので避けるのはたやすい。しかし、エルヴィーンはあえて模擬剣で受け止めた。
「そりゃあ、私はあなたたちより頭が悪いわよ! 21の小娘だわよ! だからと言って何もできないわけじゃないのよぉぉぉおおっ!」
負荷に耐えかねたエルヴィーンの模擬剣にひびが入った。ウルシュラが持っている模擬剣ももう使い物にならないだろう。ひとしきり叫んだウルシュラは肩で息をしていた。
「……とりあえず、落ち着いたか?」
「……すっきりはしたわ」
「そうか」
ウルシュラのストレス解消に付き合わされたエルヴィーンは、ため息をつきつつウルシュラの手から模擬剣を受け取った。受け取ったというか、奪い取った。
「それと、キャラが崩れてるぞ」
「どっちかっていうと、これが素なんだけど」
わかっていたが、ウルシュラの性格は作ったものである。ウルシュラは公私の区別がはっきりしており、二面性があるのだが、最近はそれが混じってきている気がする。いや、公私がはっきりしているのは今もだが。
だが、エルヴィーンをストレス発散につき合わせるのは、完全に私的な方に入る。ここは宮殿の修練場であり、そう言う意味ではウルシュラは権力を笠に着て私的なふるまいをしているといえる。
ここは女王の護衛、つまり近衛の修練場であり、ウルシュラにそんなツッコミを入れられる猛者はここにはいなかった。何しろ、この修練場にいる者たちは、ウルシュラの鋭い剣さばきを見ているのだ。厄介なのは、彼女は怒っても冷静であることだ。逆鱗に触れれば文字通り叩き潰される可能性がある。
フィアラ大公ウルシュラが副宰相になって約二ヶ月が過ぎたが、いまだにウルシュラと宰相補佐たちの関係は改善されないらしい。各省庁とはウルシュラが脅し……もとい、交渉し、書類が余裕をもって上がってくるようになったらしい。しかし、対人関係となると、いまだにウルシュラは不器用なのである。
筆頭宰相補佐官はまだ決まっていない。そのため、ウルシュラがいまだに補佐官の取次などを行っているのだが、エリートである彼らとの接触はウルシュラにストレスを強いるらしい。
それでも、「辞める!」と言わないのは押しに弱いウルシュラらしい。
議会では自分の倍以上の年の高官にも引けを取らないのに、どうしてプライベートになるとこんなに押しに弱いのだろうか。どう考えても、ウルシュラは女王エリシュカに甘かった。
「あら。待ってなくてもよかったのに」
訓練用の軽装から着替えたウルシュラが開口一番にそう言った。
「おいて行ったら、俺が女王陛下に叱責される」
「あらそう」
ウルシュラはどうでもよさそうに言った。着替えた彼女は、いつも通り襟のあるかっちりしたドレスを着ていた。色は黒で、未亡人のようである。方々から「その格好はないわー」と言われているのだが、彼女はかたくなにこの格好を続ける。髪も結い上げ、眼鏡もかける。何でも、変装に便利だからだそうだ。
そして、今日も。
「ウルシュラ姉上……やっぱりその格好はないわ……」
「あら、ツィリル。どうしたの?」
ウルシュラの父方の従弟であるツィリルがウルシュラの恰好を見てそうつぶやいた。執務室に行く途中で声をかけられた。
「うん……陛下が呼んでるよ。でも、やっぱりその格好はないわー……」
「うるさいわよ。自分でも『ないわー』と思ってるんだから、止めなさいよ」
「それは驚きの事実だ」
「エルヴィーンまで何言ってるのよ」
ウルシュラがじろっとにらみあげてくるが、彼女が好きでそういう格好をしていると思っていたエルヴィーンとツィリルは驚くばかりだ。
ウルシュラの従弟であるツィリル・ヴァツィークはイルコフスキー男爵の次男だ。騎士学校を卒業し、何故か海軍に入った18歳。しかし、女王からの移動命令が出たため、今は近衛に所属している。
「それでね。ついに過積雪で雪崩が起きちゃったのよ」
「ふぅん……どの地方?」
「フロリアン」
「女王の別荘があるところじゃない。大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないからあなたを呼んだのよ」
「呼ぶなら宰相呼びなよ」
「だって、バシュタ公爵には政治をまわしてもらってるし……」
「ちょっと待ちなさい。私は経済をまわしてるわよ」
「それはウルシュラの趣味でしょう?」
「………………チェック」
「ああっ!」
にわかに騒がしくなったエリシュカとウルシュラを見て、エルヴィーンはこっそりため息をつく。今日の護衛担当である新人ツィリルが苦笑した。
「楽しそうだねー」
「お前もあれに振り回されるようになるんだぞ」
「僕はウルシュラ姉上の従弟だから、もう巻き込まれてるよ……っていうか、エルヴィーンさんは相手がウルシュラ姉上でよかったの?」
「たまたま私が好きになった相手が彼女だっただけだ」
「うわぁ……」
ツィリルが感心したようなちょっと引いたような形容しがたい表情になった時、エリシュカ対ウルシュラのチェス対戦の決着がついたらしい。ウルシュラが立ちあがった。
「どうだった?」
「勝ったわよ。当然でしょ」
ウルシュラは腰に手を当ててニッと笑った。エルヴィーンも苦笑する。その様子を見てエリシュカがにまにまする。そんな3人を見て、ツィリルがちょっと引く。ついでにエルヴィーンは気になっていたことを尋ねる。
「前から思っていたが、あなたなら軍の指揮をとれるんじゃないか?」
「そうね。やれって言われたらできると思うけど」
「あら。じゃあ、軍務関係を任せていい? わたくし、さっぱりわからなくて」
「これ以上仕事増やさないでよ……」
最近、ウルシュラは実は苦労性なのではないかと思うエルヴィーンである。もちろん、議会で自ら憎まれ役を買って出て、政界のバランスを取っている彼女はどう考えても苦労性なのだが、副宰相に任じられてから拍車がかかっているような気がする。
……一応、ウルシュラとエルヴィーンの結婚式が春先に控えているのだが、これは、式を挙げられるか微妙なラインかもしれない……。
女王の執務室で食事をとりながらも、エリシュカの愚痴は続く。話は戻り、女王領フロリアンの雪崩の話だ。
「でね、フロリアンの雪崩が……」
「もう、わかったって。予算案と計画書案を作成して提出するから」
「それから、春からのインフラ整備……」
「それはもう出来上がってる。財務省の印を押してもらえれば終わり」
「じゃ、じゃあ、貿易課税の代替案は……」
「専門分野よ。できてるに決まってるでしょうが」
エリシュカは瞳を潤ませて「大好きよ、ウルシュラ!」と叫んだ。ウルシュラは「はいはい」と受け流す。だんだん、この2人の関係がわからなくなっていく……。
「ウルシュラは有能よね……官僚よね……」
「一応ほめ言葉として受け取っておくわ」
「ええ。だから、副宰相にしてよかったなー、と」
「……」
エリシュカの言葉に、ウルシュラはニコッと笑って手に持ったフォークをがすっと皿の中の肉に刺した。淑女らしからぬふるまいだが、何故かウルシュラには妙に似合っている。あ、ツィリルが従姉の顔を見てびくっとした。
「……おかげさまで、毎日精神的負荷がものすごいのだけど」
「それでエルヴィーンを付き合わせてるのよね。あ、ウルシュラ。わたくし、今度アップルパイが食べたいわ」
「何の話!?」
「え、だって、ストレスたまるとお菓子作りするって聞いたんだけど」
あ、ヤバイ。とエルヴィーンが思った瞬間、ウルシュラが彼の名を呼んだ。
彼女のストレス性の怒りの矛先はエルヴィーンに向いた。
「食べるわよね」
ウルシュラはフォークに刺さった肉を差し出した。その様子だけ見れば、浮かれた令嬢が恋人に食事を差し出しているようだが、実際はそんなに甘いものではない。
差し出されたのは鶏肉のクリーム煮だった。ご丁寧に鳥皮つきだ。エルヴィーンが嫌いな食べ物筆頭が鳥皮である。つまり、ウルシュラの嫌がらせだ。しかも、鶏肉のクリーム煮はエルヴィーンが特に嫌いなものでもある。
たぶん、エリシュカを怒るわけにもいかず、ストレスがたまると菓子作りで発散する、と言う情報を女王に流したエルヴィーンに怒っているのだろう……。怒っているといっても、これは癇癪のレベルだ。
「これが彫れた弱みと言うやつか……」
「ツィリル。お前、そのうち後ろから刺されると思うぞ」
「刺される前に回避するから大丈夫だよ」
その返答を聞いて、さすがはフィアラ大公家に連なるもの、と思ってしまった。ツィリルもなんだかんだ言って、何となくウルシュラに似ている。
エリシュカが面白そうに見つめてくるのと、ウルシュラが怒りの笑みを浮かべているので、エルヴィーンはウルシュラが差し出した鳥皮を食べた。食べたというか、口に入れてほぼ丸呑みした。
「あなたも大概変な人よ」
ウルシュラはそう言いながら水をエルヴィーンに差し出した。彼は遠慮なくカップを受け取り、水を飲んだ。
「変な関係よね、あなたたち」
「わかってるから言わないでちょうだい」
エリシュカの苦笑気味の言葉に、ウルシュラはそう答えた。なんだか、ウルシュラはわかっているのに改めないことが多すぎる気がした。
それから1週間ほどたち、余裕ができた副宰相フィアラ大公が休みをもらった。女王の陰謀でエルヴィーンも休みになったため、彼は街に出かけた。今日の護衛がラディムとツィリルだったのでちょっと不安になったが、そこらへんはエリシュカが何とかするだろう。
そう割り切って、エルヴィーンは目の前を横切ろうとしたふわりとした黒髪の少女に声をかける。
「ウルシュラ」
少女はびくっとしてエルヴィーンを見上げた。左眼尻に泣きぼくろ。間違いなくウルシュラである。
「く……! なんであなたにはわかるのよ」
「どんな格好をしても、あなたはあなただろう」
「セリフだけ聞けばロマンチックだけど、今の私には不要だわ……」
ウルシュラはがっくりして言った。
副宰相になってからの初めての休み。絶対にウルシュラは街に出てくると思ったのだ。まさか1人で歩かせるわけにはいかないと思い、フィアラ大公邸に行ってみればすでに彼女は外出後であったため、こうして街で捕まえることにしたのである。
「言ってはなんだが、あなたの行動パターンは一定だから捕まえやすい」
それに、2月になり少しは日が長くなったとはいえ、まだ日照時間は短い。暗くなる前に帰るならば、どうしても昼前に行動を始めなければならない。と言うわけで、とても彼女を探しやすかったのだ。
「っていっても、私、今日はウィッグだし、格好もいつもと違うわよ」
「まだ付き合いが浅いころにあなたをあなただと見破った俺にそれを言うのか」
「……そうだったわね……」
ウルシュラははあ、とため息をついて目の前のティーカップから紅茶をすすった。2人は庶民的な喫茶店に腰を落ち着けていた。ついでに食事もしてしまおうと、2人の前にはサンドイッチが置かれている。
前にも言ったが、ウルシュラには独特な雰囲気がある。長い黒髪のウィッグをかぶっていようが化粧が変わろうが衣装が変わろうが、エルヴィーンはウルシュラがウルシュラであるとわかるのである。みんなわかるものだと思っていたが、そうでもないらしい。
特に、ウルシュラは得意魔法である認識変化魔法を少し使用しているらしく、よっぽどよくウルシュラを知る人間が間近で顔を見ないと気付かないはずなのだそうだ。
つまり、エルヴィーンがおかしい。
「ここまで来ると、あなた、魔法が効かない体質とかなのかもね。私も詳しくないからわからないけど」
「そう言うのがあるのか」
「あるわよ。特定の魔法が効かなかったりとか。それか、直感に優れた魔法的なものを持っているかのどちらかしか考えられないわ……」
「……そうか」
自分が特殊な体質かもしれないといわれ、微妙な気持ちになるエルヴィーンである。しかし、彼はウルシュラが少し微笑んでいるのを見て、「どうした?」と首をかしげることになった。
「ん。でも、こうして見つけてもらえるのって、結構うれしいなって思って」
言ってから、彼女は少し顔を赤くして、照れ隠しのようにサンドイッチをほおばった。こういうところがかわいらしいのだ、とエルヴィーンは微笑んだ。
しかし、サンドイッチを上品にほおばったウルシュラは、むせた。
「何これ! 辛っ!」
彼女が手に持つサンドイッチの中にはマスタードが大量に入っていた。レタスやハムなども普通に入っているが、黄色いマスタードが眼をひく……。
「ああ、それ、俺のだ」
「!? これ、あなたが食べるの!? あなた、いったいどんな味覚してるのよ!」
「鳥皮をうまいというやつに言われたくない」
「食べ物の趣味は合わないわね! ああ、口の中がひりひりする……」
ウルシュラは涙目でグラスに入った水をごくごくと飲んだ。おそらく、給仕が皿を間違えたのだと思うのだが、中身を確認しないウルシュラもウルシュラである。
ウルシュラが水を飲んでいる間に、エルヴィーンは皿を取り換えた。本当に、食べ物の趣味は合わないと思う。
それはともかく、ウルシュラが騒いだので周囲の視線が痛い。変装しているので、エルヴィーンとウルシュラは貴族のお忍びデートくらいにしか見えないが、視線が刺さるものは刺さる。
好意のある視線も敵意のある視線も跳ね返してきたウルシュラは、手元に戻ってきた自分のサンドイッチをほおばり、「やっぱり味はこれくらいよね……」などとつぶやいている。
ちょっと彼女の図太さがうらやましくなった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
いちゃついてるのを書いていると砂糖吐きそうになる……。そんな話でした。
エリシュカは性格は優しくて繊細ですが、仕事に関しては結構おおざっぱです。ウルシュラは図太いですが、仕事に関しては神経質です。こうやってバランスが取れているのですね。
ちなみに、ウルシュラとエルヴィーンの食事の趣味は合いません。ウルシュラは薄味好きで甘党。エルヴィーンは根っからの辛党です。