年末舞踏会
12月初旬に起こったオルシャーク大公の謀反未遂事件も鎮火したころ、年末がやってきた。冬場には議会が開かれないため、領地に帰る貴族が多いが、宮廷に官職を持っている貴族のほとんどは王都に残る。そのため、冬場にも王都にはそれなりの貴族が暮らしている。そのため、女王が毎年、年末に舞踏会を開催していた。
これは社交の場とは違い、必ず参加ではない。とはいえ、女王主催の舞踏会に来ないのは、エルヴィーンが知る限り、昨年末の舞踏会を「面倒くさい」とサボったウルシュラくらいのものである。
おそらく、ウルシュラは相手を見つくろうのが面倒だったから参加しなかったのだ。大公である彼女は、相手がいなくても会場に入れるが、あまり見栄えがしないのは確かである。
彼女のご両親が健在の時、彼女は従兄のヴィレームと一緒に来ていたようだ。しかし、今年は晴れて婚約者となったエルヴィーンとともに会場に行くことになる。そのため、エルヴィーンは今日、女王の護衛としてではなく、カラフィアート公爵子息として会場に入る。
ウルシュラとは、宮殿内で合流した。エルヴィーンは出会いがしらに彼女の全身をまじまじと眺めてしまった。
「…………似合っている……が、珍しいな」
「あなたのお母様に選んでいただいたのよ……」
「……そうか」
エルヴィーンの母ロザーリアは、ずっと娘が欲しいと言っていた。長兄も次兄も結婚する様子を見せないので、三男であるはずのエルヴィーンが、ロザーリアの息子の中で初めて結婚することになる。つまり、エルヴィーンの相手がロザーリアの初めの義理の娘になるということだ。
ずっと娘が欲しかったロザーリアは、義理の娘になる予定であるウルシュラの屋敷に突撃をかけたらしい。貴族の間では「不遜な小娘」で通っているウルシュラであるが、彼女は尊敬できる目上の人間に敬意を払う。どうやら、ウルシュラの中でエルヴィーンの父であるカラフィアート公爵は「尊敬できる人物」であるらしく、彼女はその妻であるロザーリアにも敬意をもって接していた。そのためか、ロザーリアもウルシュラを気に入ったようだった。
『あの方、あまりいい噂を聞かないからどんな人かと思っていたけど、かわいらしい方ねぇ』
と言うのがロザーリアのウルシュラに対する印象だったらしい。年齢はロザーリアの方が上で、ウルシュラも敬意をもって彼女に接するが、社会的身分は公爵夫人であるロザーリアより大公であるウルシュラの方が上である。微妙な関係になるのでは、と思ったが、杞憂であったようだ。
おそらく、娘が欲しいロザーリアと母のいないウルシュラの現状がいい方に働いたのだと思われる。
「母が迷惑をかけるな……」
「嫌われるよりはずっといいわ」
ウルシュラがさらりとそう言った。すすんで嫌われ者を演じる彼女が言うと、なんだか説得力がある。
それにしても、我が母ながらうまくウルシュラに似合うものを着せたものだと思う。藍色の夜会用ドレスなのだが、この時期には寒いのではないかと思うくらい腕がむき出しである。さすがに二の腕までの白い手袋をしているが、その上にさらにショールを羽織っている。裾に行くにつれて布地が多くなっているのか、裾に向かってかなり広がっている。どういう仕組みなのだろうか……。
切ってしまったため肩までになっている黒髪も結い上げてしまえば分らないし、シンプルな装いながらも妙にあでやかな仕上がりとなっている。ちなみに、フィアラ大公のトレードマークともいえる眼鏡もない。これは、数日前に彼女が踏んで自分でレンズを割ってしまったためだ。現在、新しいものを手配中である。
「あなたも、正装がよく似合うわよねぇ」
「……褒められたと思っておく」
まじまじと見つめられて言われた言葉に、エルヴィーンは素っ気なく答えた。無言で手を差し出すと、ウルシュラはニコッと笑ってその手を取った。
「今夜はよろしく」
「今夜だけじゃないけどな」
エルヴィーンの腕に手を絡めたウルシュラは、一瞬目を見開き、何度か瞬きをした。それから何故かとろけそうな笑みを浮かべた。
「変な人」
表情と口調がかみ合っていないが、とりあえずそこはツッコまないことにしておく。
「あなたには負ける」
エルヴィーンも微笑んで、ウルシュラをエスコートして舞踏会会場に入った。
まず、慣例通り女王に挨拶に行くと、何故か微笑ましく見られた。ちなみに、今日彼女の両隣に控えているのはラディムとカレルだった。エリシュカもそうだが、この二人にもにやにやと見られ、エルヴィーンは何となく視線を逸らした。ウルシュラは何故か対抗するようににっこり笑っていた。
年末のこの舞踏会に参加したとはいえ、基本的に社交に参加する気のないウルシュラは、一曲踊った後はそのままエルヴィーンを連れて壁の華だった。社交に関しては、エルヴィーンもあまりやる気がないので、ウルシュラとともに壁際にたたずんでいる方を選んだ。
一応ウルシュラが「私に気を遣わなくてもいいわよ」と言ったが、彼女を置いて行く気にはなれず、首を左右に振った。そんなやる気のない2人はかなり目立っていた。
一方は、普段は1人で夜会等に参加するかサボっているフィアラ大公ウルシュラ。しかも、季節を間違えたのではないかと思う腕と肩をむき出しにしたドレスをあでやかに着こなしているので目立っている。
他方は、普段は女王の隣で護衛役に徹しているカラフィアート公爵三男のエルヴィーン。こちらは単純に社交界に客側として出席することが珍しく、周囲の視線を集めていた。おそらく、この2人が美男美女の組み合わせであることも、目立っている要因の一つだろう。
そして、おそらくウルシュラがいる影響だろうが、2人の周囲には人が全くと言っていいほどいなかった。でも、見られている。
「すごく見られているわねー。あなたが珍しいのかしら」
「あなたの恰好のせいもあると思う」
「う、否定できないわね……。やっぱり、寒そうに見えるわよね……」
「生地は意外に厚そうだが……そもそも、なんでそのドレスに」
「あなたのお母様が選んだって言ったでしょ。『若いから大丈夫よ!』と言う謎の言葉とともに着せられたわ」
「重ね重ね、すまん……母は娘が欲しかったようで」
「そうなの……」
「しかし、あなたは意外に押しに弱いな」
「余計なお世話よ」
ウルシュラがじろっとエルヴィーンを睨みあげた。我が道を行く人に見えるウルシュラだが、意外に押しに弱い。頼まれたら断れないタイプだ。
会話内容は微妙であるが、仲の良さを醸し出すウルシュラとエルヴィーンに一組の夫婦が近づいてきた。カラフィアート公爵夫妻である。
「こんばんは、カラフィアート公爵、ロザーリア様」
ウルシュラがさっとドレスをつまんで膝を折った。その流れるようなしぐさに、エルヴィーンは何故かびくっとした。徹底された彼女の『フィアラ大公』の仮面に引いたのである。
「こんばんは、フィアラ大公。エルヴィーンも」
ロザーリアが優雅に微笑んで言った。まるで息子の方が添え物のような扱いである。いや、別にいいのだが。
それよりも、ロザーリアの背後で、父であるカラフィアート公爵が謝るようなしぐさをしているのが気になった。ウルシュラもちらっと彼の方を見て、それからちらっとエルヴィーンを見上げた。
そんな怪しい夫の仕草にも気づかず、ロザーリアは息子とその婚約者を見て満足げだ。
「仲がよさそうでよかったわ。うちの息子は誰も結婚するそぶりを見せないから、心配していたの」
確かに、長兄は結婚するそぶりを見せない。お見合いや『偶然の出会い』を設定しても、きれいにスルーしてしまう。ある意味すごい人間だ。人は頭が良すぎるとこうなるのだろうか(偏見)。一方の次兄は、そもそも国に帰ってこない。外交官なのだが、そのうち向こうの国に居つくのではないだろうかと心配している。
1人で盛り上がるロザーリアに、さしものウルシュラも引き気味だ。先ほどから、「はあ……」と言う返事しかしていない。そして、ロザーリアの背後では相変わらず父がすまなさそうな顔をしている。そんな顔をするくらいなら止めに入ってほしいのだが。
「ウルシュラさん、スタイルが良くてうらやましいわ。背も高くて」
「いえ……ロザーリア様こそ、いつまでもお美しくて」
「あら、お上手ね。『お義母様』と呼んでくださっても構わないのよ?」
「それはさすがに……」
いつもの間にか、『ウルシュラさん』呼びになっている……。ウルシュラが着にしないのなら止めないが、母の集中砲火を浴びているウルシュラを助けるべきか迷う。父に目を向けると、少し肩を竦められた。身分があっても、こういう時は役に立たないようだ。
「ご来場くださった皆さん。本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
タイミングよく、女王のお言葉が発せられた。たぶん、今ほどエリシュカに感謝したことはないと思う。エリシュカのいる上座を見るウルシュラの表情が、何となくほっとしたものになっていた。
今日も柔らかな金髪を腰まで垂らし、淡い色合いのドレスをまとったエリシュカは、見た目だけなら聖女のようだった。最近は彼女も結構腹黒い、と学んだ。
思わず罪を告白したくなる女王、と呼ばれるエリシュカはおっとりと微笑み、優しい口調で語りかける。
「間もなく、夜中の12時となります。今年もあとわずかです。楽しいこと、悲しいことのあった今年に別れを告げ、皆さんと新しい年をともに迎えられることを、わたくしはうれしく思います」
「……こうしてると、ちゃんと女王様ね……」
ウルシュラがぽつっとつぶやくのが聞こえた。エルヴィーンもちらっと思ったのは否定しないが、さすがに言うのはひどい。
女王のお言葉からしばらく後、宮殿の塔にある鐘が鳴った。実感が薄いが、これで年を越えたのだ。女王が再び立ち上がる。
「新年おめでとうございます」
人々が「おめでとうございます、女王陛下!」と声をそろえた。なんだかエリシュカ教という宗教でもできそうな声のそろい方に、エルヴィーンもウルシュラも「うわぁ」と引いた。
「新しい年も、皆さんと幸福に過ごせることを切に願います……それでは、もうしばらく、舞踏会を楽しんでくださいませ」
エリシュカは相変わらず聖女のような笑みを浮かべて言葉を締めくくった。会場が拍手に包まれる。その中で、ウルシュラはエルヴィーンの袖を引いた。拍手が鳴りやまず、誰かが「女王陛下、万歳!」と言いだしてうるさいので、エルヴィーンは少し身をかがめてウルシュラの方に耳を寄せた。
「……あの。今年も、よろしく」
思わずウルシュラの顔を見ると、彼女は不安げな表情で、エルヴィーンを上目づかいに見上げていた。この表情に弱い自覚のあるエルヴィーンは、自分の中に芽生えた衝動をぐっと押し殺す。静まっていく拍手を聞きながら、エルヴィーンもささやくように言った。
「……ああ。よろしく」
エルヴィーンがそう返すと、ウルシュラはほっとしたように笑った。そのどこか無邪気な笑顔が少し恨めしい。
「うふふふふ。本当に仲がいいわねぇ」
エルヴィーンとウルシュラはばっと後ろを振り返った。ロザーリアがにやにやしている。その後ろには、再び「すまない」と言う仕草のカラフィアート公爵……この2人が近くにいるのを忘れていた。
エルヴィーンはウルシュラに向き直ると、彼女に向かって手を差し出した。
「ウルシュラ。踊らないか」
「! ええ」
意図をくみ取ってくれたウルシュラは間髪入れずにうなずき、エルヴィーンの手を取った。ロザーリアが相変わらずにやにやしているが、とりあえず彼女の側から離れるべく、ダンスフロアへと向かった。
こうして、エルヴィーンたちの年明けは過ぎていく。
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