酒
2年間女王に仕えて初めて知ったのだが、エリシュカは酒好きらしい。エリシュカよりは酒が似合うウルシュラはそれほどでもないらしく、上機嫌でワイングラスを傾けるエリシュカに呆れ気味だ。
ウルシュラに続いて何故か巻き込まれたエルヴィーンとラディムは顔を見合わせてため息をついた。
「なんで俺らここにいんの?」
「それは俺も知りたい」
心の底からラディムに同意した。ウルシュラは上機嫌なエリシュカの話しに適当に相槌を打っている。
「エリシュカ、ストレスたまってるでしょう」
「当たり前じゃない。仕事はいいけど、毎日拝まれてみなさいよ」
「悪いけど、私は拝まれるような生活態度じゃないから」
「むう」
エリシュカがむくれた。少し酔っているような気がする。
慈悲の女王とも呼ばれるエリシュカ女王は、外を歩けば民衆に拝まれる。拝まれるのはエリシュカの人徳だが、迷惑でもあるようだ。
「でも、ウルシュラだって教育改革を行ったでしょう? だから、民衆からの支持率はいいと思うの」
「改革案を作って決行したのは私だけど、許可を出したのはエリシュカだわ」
「やったのはウルシュラでしょ」
「そうだけど……って、勝手に入れないで」
ウルシュラはエリシュカが勝手にワインを追加した自分のグラスをひったくった。彼女は再びグラスを取られないように手で押さえながら、フォークでチーズを刺した。一方のエリシュカは突然けらけら笑いだす。
「かわいいわよねぇ、あなたは」
「はいはい。あなたは飲み過ぎよ」
「大丈夫よ。酔うのは早いけど、わたくしは飲める人だから」
「知ってるわよ。いつも最後までケロッとしてるものね」
ウルシュラは呆れた口調でそう言いつつ、ワインを一口飲んだ。エリシュカは笑い上戸なのかけらけら笑い続けているが、自称あまり酒に強くないウルシュラは素面のままに見える。顔に出ないたちなのだろうか。
結局、エリシュカの兄マクシムからもらったというワインは、1本全て開けてしまった。ほとんどエリシュカが飲んでしまったあたり、ウルシュラではないがストレスがたまっていたのだろうと思う。
「ウルシュラ。もう少し」
「何言ってるの。明日も仕事しなくちゃいけないでしょ。っていうか、すでに私は頭の中がガンガンいってるわよ」
「……ウルシュラ。女王代わって」
「藪から棒にどうしたの。とにかく、私はもう寝るわ。部屋を借りるわね。お休み」
薄情にもウルシュラはそう言って立ち上がった。が、千鳥足で、3歩も歩かないうちにその場にうずくまった。エリシュカがテーブルを回り込んでウルシュラの側に膝をついた。こちらは明らかによっているのに、足取りはしっかりしていた。
「大丈夫?」
「……ぐらぐらする」
微妙に呂律の回っていない口調でウルシュラは答えた。自力で立ち上がろうとするが、よろめいたところを左右からエルヴィーンとラディムが支える。急に動いたので、酔いが回ったのだろうか。
「あらあら? 歩けますか?」
「……無理」
上機嫌だったエリシュカもさすがに心配そうに尋ねた。しかし、口調が明るいのでなんだか何とも言えない感じになっている。
「……陛下。私が」
「ええ。お願いね。いつもの部屋でいいわ」
いつもの部屋、とはウルシュラがたびたび使用している女王の私室の2部屋隣りの客室の事だろう。最近、ウルシュラ専用客室になりつつある。
「ラディム。先に行く」
「ああ。変なことすんなよ」
ニヤッと笑ってラディムが言った。エルヴィーンは呆れつつ、女王の御前を辞した。ラディム1人では正直不安なのだが、女王の侍女イレナも控えていたので、大丈夫だろう。
「抱えてやろうか」
一応ウルシュラの意識はあるので、支えて歩かせていたのだが、あまりにもふらつくのでエルヴィーンはそう尋ねた。しかし、ウルシュラは「いい」と言う。
「すぐそこでしょ……」
「……まあ、それもそうだが」
本当は抱えたほうが支えるより楽なのだが、面倒なのでウルシュラの意志を尊重することにする。
酒盛りをしていた部屋は女王のプライベートスペースの近くなので、客室からも近い。そのため、すぐに部屋についた。ウルシュラはベッドに倒れ込むと、そのまま寝息をたてはじめた。それがあまりにも早かったので、呆れるを通り越して感心した。
何気なく頬に手を当てると、頬は熱かった。顔に出ていないだけで、酔っているのは本当らしい。
吊り上り気味の眼を閉じているからか、眠っている彼女はいつもより険がない。手を頬から首元に滑らせ、そこで動きが止まる。
もしここで彼女に手を出せば、エルヴィーンは彼女の信用を失うだろう。ただでさえ婚約者(候補)と言うあいまいな立ち位置だ。信用を裏切れば、ウルシュラは容赦なく切り捨てるだろう。
ウルシュラは強いが、弱い。エルヴィーンの前で、彼女が無邪気に笑ってくれるのは、彼女が自分を信用してくれているからだとエルヴィーンは思っていた。
だから、うかつなことはしないことにした。
でも、これくらいは許されるだろう、とエルヴィーンは彼女の頬に軽いキスをした。シーツをかけてやり、部屋を後にする。
「お休み」
いい加減慣れてきたが、ウルシュラは翌日、何事もなかったかのようにケロッとしていた。いつものように結い上げた髪にかっちり着込んだドレス、そして眼鏡。完全装備である。
「おはよう」
「おはよう……大丈夫か?」
一応聞いてみる。
「大丈夫。ちょっと頭が痛いけど」
「それはよかった」
出歩けるくらいなら大丈夫だろうと判断する。先に会ったエリシュカもけろりとしていた。慈悲の女王はまさかの酒豪だった。
そして、そこでウルシュラは突然カミングアウトした。
「昨日は送ってくれてありがとう。ところで、私、朝起きたら服を着てなかったんだけど、何か知ってる?」
「……濡れ衣だ」
「そうよねぇ。じゃあ、侍女の誰かが脱がせてくれたのかな」
エルヴィーンの言葉に状況を察したウルシュラはあっさりと納得した。これは……信用してくれているのだろうか。
「脱ぎ癖とかないのか」
「それこそ濡れ衣だわ」
「だよな」
ためしに聞いてみると、エルヴィーンがした返答と同じ答えが返ってきた。とはいえ、ウルシュラは「何もされてないなら、別にいいや」というスタンスらしい。この女の危機管理能力は一体どうなっているのだろうと少し心配になったエルヴィーンだった。
一方の明らかに昨夜飲み過ぎなのに、けろりとしているエリシュカである。エルヴィーンが戻った時、彼女は執務机で本とにらめっこをしていた。難しい表情である。
「何かあったのか?」
「さあ……」
今日の護衛担当であるカレルも首をかしげた。2人は視線で「お前が聞け」「いいや、お前がやれ」という会話を繰り広げた後、年長者であるエルヴィーンが尋ねた。
「何かありましたか?」
「え?」
エリシュカは顔を上げてエルヴィーンを認めると、「おかえり」と言って微笑んだ。
「ウルシュラはどうだった?」
「……元気そうでしたが。今朝、会われたのでは?」
ウルシュラは女王の私室の近くに泊まっていたはずだ。別の階に部屋の有るエルヴィーンたちよりも会う確率が戦ったと思われるのだが。
「だって、ウルシュラは朝が早いんだもの」
御年23歳の女王陛下は可愛らしく唇をとがらせてそう言った。20代前半の女性がこの行為をしても、微妙な感じになるのがオチだが、エリシュカなら似合うのだからすごい。
「……それで、どうかしたのですか。難しい表情でしたが」
「あ、ああ。何でもないの」
エリシュカはそう言って取り繕うように微笑んだ。
エリシュカが見ていた本の正体を知るまで、あとひと月。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
タイトルは、「酒に飲んでも飲まれるな」と迷いましたが、別に酒に飲まれてるわけではないんですよねー。
酒の強さは、エリシュカはザル。ウルシュラは普通くらいを想定しています。
ちなみに、最後にエリシュカが見ている本は、ウルシュラとの連絡手段に使っている念写本です。第5章にちょろっと出てきています。