星空のノクターン【13】
不機嫌そうにしながらも呼び出されたらやってくるウルシュラは、本当は結構素直な性格をしているのかもしれない。外に出るので防寒具を着こむと、エルヴィーンは馬にまたがり、ウルシュラを同じく馬上に引き上げた。彼女はドレスなので横座りである。
事前に外出を告げていたので、門番はあっさりと2人を通らせた。宮殿の敷地から出ると、ウルシュラが尋ねた。
「ねえ。どこに行くつもりなの?」
「宮殿からはよく見えないからな。まあ、時間がないからすぐそこだ」
「意味が分からないわ……」
ウルシュラはそう訴えたが、寒かったのか口を閉じた。馬も、雪が積もっていてはあまり速く走れない。
エルヴィーンが馬を向かわせたのは、周囲にあまり家のない公園だった。この時間に王都を出るのは危険なので、王都内である。すでに夜9時を回っており、こんな時間に外出する物好きはこの2人くらいだった。
エルヴィーンは馬を止めると懐中時計を見る。今日は満月で明るいので、明かりをつけなくても時計がしっかりと見えた。
「そろそろだな」
「……何が?」
ウルシュラがエルヴィーンを見上げる。寒さのせいか、頬が少し赤くなっている。
「月を見てろ。そろそろ始まるぞ」
「……」
ウルシュラはエルヴィーンを少しむっとしたような表情で睨むと、素直に月を見上げた。エルヴィーンもウルシュラを支えたまま月の方を見る。
「あ……」
ウルシュラがかすかに声をあげた。月がかけてきていた。時間とともにゆっくり黒い部分が増えていく。
「……月食?」
「ああ。今日は部分月食だが」
今日の月食は、3分の1ほどかけて、元に戻る予定だ。月食の日にちは大体計算できるようになっているが、それでも絶対ではない。今回は運よく当たっていたようだ。
ふと見下ろすと、ウルシュラはぽかん、と口を開けて月を見上げていた。エルヴィーンは開いた口の中に飴を放り込んだ。
「むぐっ。……飴?」
「蜂蜜の飴だ。口、開いてたぞ」
「……それはどうも」
飴が入っているので、ウルシュラは今度は口を閉じたまま空を見上げた。ちょうど、月が元に戻ってくるところだった。
宮殿は常に明るいので、月食がよく見えない。なので、こうして半ば連れ去るようにしてウルシュラを公園まで連れてきた。
「ね、エルヴィーン」
名を呼ばれたが、一瞬、ウルシュラに呼ばれたことに気付かなかった。おそらく、驚いた表情になっていたのだろう。ウルシュラが「どうしたの」と眉をひそめていた。
「……いや。名を呼ばれたのは初めてな気がして」
「あー、そうだっけ?」
ウルシュラは首をかしげた。しかし、すぐに言う。
「でも、あなただって私の名を呼ばないでしょう。おあいこだわ」
そう言われれば、そうかもしれない、とエルヴィーンも思う。フィアラ大公は『大公』であり、名で呼んだことはなかった気がする。
「……呼んでいいなら、呼ぶが」
「別にいいわよ。名を呼ばれたくらいで怒るほど、私も狭量じゃないわよ」
「それは知っている」
『フィアラ大公』は苛烈な人物として認識されているので、礼を欠けば咎められる、と考える人間が多いようだが、実際には礼を欠いたくらいでは怒らない。それで怒るのであれば、初めから敬語不使用のエルヴィーンは咎められまくっているはずだ。
「なら、次からはウルシュラと呼ぶことにする。……それで、何だ?」
「うん。次は流星群が見たいなって」
「流星群か」
今は冬だ。次の流星群は春先だと告げると、なら、私の誕生日くらいね、と微笑まれた。ウルシュラは春先が誕生日らしい。
「あなたの誕生日は?」
「初夏だな」
「へえ~」
ウルシュラがどうでも良さ気に相槌を打った。どうでもいいなら、なぜ聞く……。
完全に満月に戻った月を見上げ、エルヴィーンはぽつっと言った。
「……あなたに流星群を見せると言うことは」
「うん?」
「あなたは、その時も俺の隣にいてくれると言うことか」
「…………そうなるわね」
その長い間はなんだ。そう思ったが、エルヴィーンは言葉を続ける。
「あなたは爵位がなければ結婚しなかったと言ったが、俺は、たとえあなたがフィアラ大公でなかったとしても、あなたを選ぶ」
眼を見開いたウルシュラと目が合った。驚いた表情はしだいに笑みに代わり、ウルシュラはドン、とエルヴィーンの胸に頭を預けた。
「変な人」
「俺にとってはあなたの方が変な人だ」
「そうねぇ……」
ウルシュラはエルヴィーンに身を預けたまま眼を閉じた。
「寝るなよ」
「寝ないわよ。寒いもの……そう言えば」
ウルシュラは上体を起こすと、エルヴィーンに向かって満面の笑みを向けた。何だろう。この笑みを見るとろくなことがない気がするのだが。
「おばあ様に、私が引け目を感じていること、話したの、あなたでしょ」
ぎゅうっと手を握られる。手袋越しでも爪を立てられると、結構痛い。
「……何かあなたに不利なことがあったのなら、謝る」
「そう言うことは別にないけど、むしろ、おばあ様とちゃんと話ができたけど、人の弱点曝すんじゃないわよ」
「それは申し訳ない」
確かに、ウルシュラがヘルミーナに対して負い目を感じていることを話したのはエルヴィーンだ。それで腹を割って話せたのなら、結果的によかったのだと思うが、実の祖母とはいえ勝手に話してしまったのはちょっとまずかったかな、とは思っている。
「……エルヴィーン。何か嫌いなものはある?」
「言ったら食わせる気だろ。お前、サディストのきらいがあるんじゃないか?」
「ないとは言い切れないわね。それで、何? ちなみに、私は辛いものが苦手」
だからロジオン皇太子来訪の時に唐辛子事件が起こったのだろうか。確かに、甘いものは好きなようで、自分でもよく作っている。
ウルシュラが苦手なものを暴露したのに自分が言わないわけにはいかず、エルヴィーンはしぶしぶ言った。
「……実は鳥皮が食えない」
「そうなの? おいしいのに」
ウルシュラはにこにことそれは楽しそうに言った。こいつ、本当に食べさせる気だな。食べさせられそうになったら、酒を飲ませて前後不覚にしてやる。ウルシュラがあまり酒に強くないのはすでに実験済みである。
エルヴィーンはゆっくりと馬を宮殿へ向けた。一応、大公邸へ帰るか尋ねたのだが、ウルシュラは首を左右に振った。
「引継ぎ作業をしなければならないから、しばらく宮殿で泊まり込みね」
「それはお疲れ様だな」
残念だが、政務に関してはエルヴィーンに手伝えることはない。せいぜい書類を運ぶくらいだ。頑張れば整理もできるかもしれないが、それくらいだ。
「夜に突然連れ出してすまなかったな」
「いいえぇ。いいものを見せてもらったわ。宮殿内ではあんなにはっきり見えなかったわね」
楽しかったわよ、とウルシュラは微笑んだ。エルヴィーンを見上げた彼女は言葉をつづけた。
「だから、ありがとう」
エルヴィーンは何度か瞬きをして手綱を握ったままウルシュラの顔を見た。
「唐突だな」
「うーん、そうかもね。でも、あなたがいなければ、今の私はいないと思うのよ」
彼女は静かに言った。恥ずかしいのか寒いのかわからないが、自分の頬に両手を当てている。
「あなたと一緒にいると、私もここにいていいんだなぁって思うの。私はここにいたいなって、思うの」
やや幼い口調でウルシュラは話す。エルヴィーンは黙って聞いている。
「こんな感情は初めてだからよくわからないけど、私は、あなたのことが好きなんだと思うわ」
ウルシュラの決死の(?)告白を聞いて、エルヴィーンも微笑んだ。
「俺もだな。選べ、と言われたらあなたを選ぶくらいには好きだ」
だから、彼女に振り回される。そして、それが不思議と苦痛ではない。つっこみたいことは山ほどあるのだが。
「じゃあ、私と一緒になっても後悔しない?」
「あなたは結婚して後悔しないか?」
逆に問い返すと、ウルシュラは微笑んだ。
「相手があなたならしないわ」
「……俺もだ」
エルヴィーンは片手で手綱を握ると、もう片方の手でウルシュラの腰を抱き寄せた。ウルシュラは素直に身を預けてくる。
「以前、エリシュカに言われたわ。私は『赤の夜事件』にとらわれ過ぎているって」
それはエルヴィーンもエリシュカから聞いたことがあった。エルヴィーン自身も思っていたことだし、ウルシュラ自身も否定できないはずだ。
「たぶん、それは事実なんだと思う。私の中で、父を殺してしまったという思いが大きすぎて、現実を見てなかった……のかもしれない」
「誰も、あなたが先代フィアラ大公を殺したとは思っていないと思うぞ」
「それ、前にも言ってたわね」
そう言ってウルシュラはくすくす笑った。宮殿の裏門が見えてきた。
「私は、ちゃんと前を向いて行こうと思う。ちゃんと隣にいてね」
「了解」
たぶん、これからもエルヴィーンはウルシュラとエリシュカの2人には振り回されるのだろう。
しかし、2人が楽しいならそれでもいいかな、と思う。
2人の背後には、輝く星空。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エルヴィーン視点はここまで。明日はウルシュラ視点を更新して、本編終了です。
10月に始まって10月内に終わるとは私も思わなかった……。