星空のノクターン【10】
「まだ問題が残ってるわ」
エリシュカが難しい顔でウルシュラに言った。彼女もうなずく。
「そうね……目星は、ついてるんでしょう?」
「もちろん。彼なら、自ら話してくれるでしょう」
何やらそんな会話を始めた2人を、護衛は不思議そうに、歴代女王は面白そうに眺めている。
呼び寄せられたのはフォジュト子爵だった。宰相も呼び寄せると後始末が滞ってしまうので、彼だけだ。
エリシュカは彼の前に立つと、尋ねた。
「聞きたいことがあります。行方不明者の情報を流していたのは、あなたですね?」
エリシュカにしては珍しく直球で言った。フォジュト子爵が固まってしまったので、エリシュカがそのまま言葉を続ける。
「あなたは、わたくしにオルシャーク大公のたくらみをこっそり知らせてくれましたね? だから気づいたのですよ」
「フォジュト子爵家はオルシャーク大公家と縁戚関係だものね。脅されて従うしかなかったのも仕方がないとは思うわ」
ウルシュラも肩をすくめて言った。フォジュト子爵はオルシャーク大公の謀反に加わりながらも、エリシュカたちにこっそり情報を流していた。つまり、彼本人には謀反の意志がなかったということになる。
エリシュカはふわりと微笑んだ。
「大丈夫です。あなたには感謝こそすれ、責めるつもりはありません。ただ、わたくしたちを助けてくれた理由が知りたいんです。あなたのお母様はオルシャーク大公家の方ですから、てっきり、オルシャーク大公に従うものだと思っていたのです」
『慈愛の聖女』の優しく包み込むような笑みと声に、フォジュト子爵が震えた。うつむく。
「………………から、ですよ」
「すみません。もう一度お願いします」
訳もなく罪を暴露したくなると言われるエリシュカの笑みに負けたのか、フォジュト子爵は口を開いたが、声が小さかったので聞こえなかったのである。エリシュカがおっとりと首を傾けた。
すると、フォジュト子爵は大音量で叫んだ。
「好きだったから、ですよ!」
え、誰が? いつも冷静なフォジュト子爵の意外な言葉に、エルヴィーンは思わず心の中でツッコミを入れてしまった。こちらも無駄に冷静な女、ウルシュラが腕を組んで首をかしげる。
「好きって、エリシュカのことが? まあ、気持ちはわからないでもないけど……」
「違いますよ!」
「違うのか」
ウルシュラがフォジュト子爵に容赦なくツッコミを入れる。しかし、次の瞬間彼女はびくっとすくんだ。
「あなたのことが好きなんですよ! フィアラ大公!」
フォジュト子爵に名指しで告白されたからだ。ソファに座ったままこちらの会話に耳を傾けていたシルヴィエがぷっ、と噴出した。そのまま腹を抱えつつ笑いを耐える。
「あなたが女王候補のころから好きでした! ですが、『赤の夜事件』は起こるわ、あなたは大公位をついてしまうわ、自分で自分の評判を下げてしまうわ! 何がしたいんですか、あなたは!」
「……」
今度はウルシュラがフリーズした。それにしても、フォジュト子爵はウルシュラのことをよく見ている、と思った。ちょっともやっとする。
「あなたのために何かしたくて、オルシャーク大公があなたを謀反の犯人に仕立て上げようとしていると聞いて、何かしたいと思ったんですよ! あなたは行動力がありますから、止めるのも大変でした!」
以前、ウルシュラの馬車が宮殿を出たところで襲われたことがあった。中にいたウルシュラは頭を打ってしまったが、暴徒に襲われた割には被害がなかった。もしかして、勝手に地下賭博場に偵察に行こうとした彼女を止めるために、フォジュト子爵がフィアラ大公の馬車を襲わせたのだろうか……。たとえウルシュラのことを思ってやったのだとしても、少々やり過ぎである。
「自分でも回りくどいし、やりすぎだとは思いましたよっ」
一瞬、エルヴィーンは自分の心が読まれたかと思った。
「でも、たとえあなたに思いを告げても笑って軽く一蹴されるとわかっていました! だからこんな方法でしか私は愛を示せなかったんですよ! 悪いですかっ!」
「え、と」
「ウルシュラ。あなたはしばらく黙っていて」
「あ、はい」
強めの口調でエリシュカに言われ、ウルシュラは素直にうなずいた。混乱しているのか、何度かフォジュト子爵とエリシュカの顔を視線が往復していた。
「フォジュト子爵。話してくれて、ありがとうございます。わたくしは、やはりあなたをとがめるつもりはありません。しかし、あなたがオルシャーク大公の謀反に関わっていたのも事実です。年明けに、配置移動を覚悟してください」
「……それだけで済むのなら、むしろありがたく」
「それと、この話には箝口令を敷きますので」
「…………ありがとうございます」
「それとも、ここでウルシュラを口説きますか?」
え、とあちこちから声が上がった。エリシュカの目が面白がっている。フォジュト子爵もウルシュラも爵位を持っている。結婚できない身分ではないが、結婚しようと思ったらどちらかが爵位を捨てなければならない。
エリシュカの面白がっている目と、フォジュト子爵の熱い視線にさらされ、ウルシュラは2歩ほど後ろに下がった。それからエルヴィーンの腕にすがりつく。いや、見ている分には面白いが、巻き込まないでほしかった。
フォジュト子爵がそれを見て、がっくりとうなだれた。
「あなたは……やはり、彼が……好きなんですね……」
「い、いや、好きか嫌いかって聞かれたら好きだけどっ。でも、フォジュト子爵と結婚しようと思ったら、どちらかが爵位を捨てなければならないじゃないっ。私は結婚するならフィアラ大公として結婚しようと思っているし、むしろ、爵位を捨てたら一生独身でいようと考えてて。いや、たぶん、爵位もないし親殺しの女と結婚したいと思う人なんていないと思うし」
言いたいことはわかるが、混乱していることがよくわかる口調でウルシュラは訴えた。結婚するならフィアラ大公として結婚する。爵位を降りるなら、もう結婚しない、と彼女は言っているのだ。
たぶん、フォジュト子爵は爵位を捨てられない。彼は貴族であることに誇りを持っているタイプだ。しかも、嫌なタイプの貴族ではなく、きちんと貴族の役目を考えているタイプの貴族だ。
だから、彼はウルシュラを口説けなかった。図らずも、ウルシュラは求婚を理詰めで断ったことになる。
そのことにほっとしている自分がいて、エルヴィーンはもう自分は手遅れだな、と思った。
落ち込んだ様子のままフォジュト子爵が後始末作業に戻っていくと、シルヴィエがついに声に出して笑い出した。
「うんうん。かわいいねぇ。恋せよ若者よ!」
ついに結婚しなかった先代女王は楽しそうにそう言った。その隣でまじめな表情を崩さない先々代女王はすごいと思う。
フォジュト子爵がいなくなってほっとしたのか、ウルシュラがエルヴィーンから離れた。そこに、ヘルミーナが声をかける。
「ウルシュラ。フォジュト子爵をかわいそうだと思ったのなら、早めに結婚なさい」
「……はい」
相変わらずヘルミーナの言葉には素直だ。よそよそしいと言ってもいい。
「……それより、年始に配置移動をするって、本気?」
話を変えるようにウルシュラがエリシュカに尋ねた。エリシュカはしれっとうなずく。
「ええ。今回の事件で、オルシャーク大公とともに、何人かの宮廷官吏や騎士、軍人が更迭されるわ。穴を埋めないと。とりあえず、手始めに内務省長官よね」
エリシュカがニコッと微笑む。今まで、内務省長官はオルシャーク大公だった。基本的に、当代女王を輩出した家は強大な権力を持たないように人事が決められるため、ソウシェク大公が代わりに入ることはないだろう。
だとしたら、ウルシュラだろうか。内務省長官は8つの大公・公爵家の中から出ることが多い。
「今決めました。内務省長官はフォジュト子爵にします」
「……慣例がないわね」
「あなたらしくない言葉ね、ウルシュラ。何事も最初は初めてなのよ」
「まあ、私は構わないけど、それだと筆頭宰相補佐官の地位が空くわよ」
フォジュト子爵は宰相補佐官、と呼ばれる何人かいる補佐官をまとめる立場の人間だった。それがいなくなれば、補佐官たちは俄かに混乱すると思われる。
「ええ。筆頭補佐官は後から決めます。代わりに、副宰相を置きます」
「へぇ。だれ? ヴェセルスキー公爵とか?」
この流れならわかりそうなものだが、ウルシュラは完全に聞き流していた。
「ええ。フィアラ大公を副宰相に推挙するの」
「……」
笑顔でのたまったエリシュカの目の前で、ウルシュラが倒れた。すんでで手を伸ばしたエルヴィーンとラディムが彼女の体を受け止める。
倒れるふりかと思ったが、本当に気を失っていた。副宰相にされるのがそんなに衝撃だったのだろうか。
「おやまあ。大丈夫ですか、ウルシュラ」
ヘルミーナが立ち上がって孫の様子を見に来る。エリシュカはウルシュラの顔に触れて驚いた表情になった。
「わっ、熱があるわ! 私の話、そんなに衝撃的だったかしら?」
「いえ、ある程度は予想がついたと思いますけど……」
カレルが冷静に言った。シルヴィエはやはり楽しそうに言った。
「とりあえず、ウルシュラさんを寝かせたほうがいいんじゃないかしら」
その通りである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ウルシュラ、まさかの告白にたじろぐ×2