選択の理由【6】
「それで。どうしてスヴェトラーナ帝国に訴えないんですか」
さらに翌日になって復活したエルヴィーンは、エリシュカにまずそう尋ねた。エリシュカは微笑んで答えてくれた。
「ウルシュラじゃないけど、相手が大きすぎるわ。確かにロジオン皇太子はヘルミーナ様に毒を盛った。給仕係を買収して行わせたそうね。ちなみに、ウルシュラの唐辛子ケーキも同じ給仕係の犯行だったらしいわ。解雇したけどね」
ふふっと笑うエリシュカだが、少し疲れて見えた。
「幸い、ヘルミーナ様は回復なされたし、彼女も『問題にしなくていい』と言ってくださった。だから、提訴はしない。釘は刺しておくけどね。ウルシュラとヘルミーナ様が」
と、エリシュカはいい笑みを浮かべてロジオン皇太子が乗り込んだ馬車の方を示した。ドアが開け放たれた馬車の中にはロジオン皇太子が座っている。従者のオレクも一緒だ。そして、外にはウルシュラとヘルミーナ。仁王立ちする姿がとてもよく似ていて、ウルシュラは何故か右手に剣を持っていた。
「いいこと。被害者が全員『いい』って言ってるから今回は見逃すけど、次はないと思いなさい」
「どうせ君たちは帝国に訴え出ることはできないだけだろう」
「そうね。だから、次があったら皇帝陛下に泣きつくわ」
「!?」
ウルシュラは楽しげに笑った。何なのだろうか。権力を持つ女は腹黒く笑う法則でもあるのだろうか。
「あなたの父親だから、私の伯父にもあたるのよ。伯父様は私の母をかわいがっていたらしいわね? 私があなたのやったことを直接訴えれば、あなたは廃されるかもしれないわねぇ?」
「やれるものならやってみるがいい。父上がお前ごときの言葉を信じるわけがない」
「ええ。そうね。もちろん、ただ行くわけではないわ。あなたの後ろ暗いことを全部洗って、証拠を集めて持って行ってあげる。そのまま私は帝位簒奪でもしようかしら。ふふふふふっ」
「この……っ」
「ウルシュラ。言いすぎですよ」
「すみません。おばあ様」
ウルシュラはおどけるように騎士の礼を取って後ろに少し下がった。今日の彼女は男装しているのだ。男装と言うか、乗馬服。
代わりに前に出たヘルミーナはじっとロジオン皇太子を見つめた。その鋭い視線にさしものロジオン皇太子はひるむ。
「あなたがわたくしに毒を飲ませたことをどうこう言うつもりはありません。ですが、私の息子と義理の娘を死に追いやったことは許すつもりはありません。これ以上、わたくしの家族に手を出すようならば容赦はしません。覚悟するのですね」
「……」
ロジオン皇太子は思いっきり顔をひきつらせた。ヘルミーナは歴代で最も偉大な女王に数えてもいい。ウルシュラだけが言うならともかく、ヘルミーナまでもが敵認定するならロジオン皇太子に退路はないだろう。
それにしても。
「ヘルミーナ様とウルシュラさんは、ちゃんと話をされたようですよ」
いつの間にかそばまで来ていたシルヴィエが微笑んで言った。どうやら、エルヴィーンのもとに見舞いに来たあと、ウルシュラはヘルミーナと話し合ってみたようだ。分かり合えたようでよかった。もちろん、わだかまりが無くなったわけではないだろうが、ウルシュラも以前よりはヘルミーナと接しやすそうだ。
2人はまだロジオン皇太子を脅している。こういうところは似ているようだ。ロジオン皇太子の来訪は嵐を運んできたが、同時にウルシュラとヘルミーナの間には和解を運んできたらしい。ろくでもないと思っていたが、ロジオン皇太子も少しくらいはいい仕事をしたようだ。
ひとしきり脅し終えた2人は、エリシュカの方に歩いてきた。あまり似ていないと思ったが、並んでいるとやっぱりどこか似ている。エリシュカが小首を傾げて尋ねる。
「ヘルミーナ様。もうよろしいのですか?」
「ええ。お手間をおかけしましたわ。――ウルシュラ」
名を呼ばれたウルシュラはびくっとして「はい」と返事をした。ヘルミーナは背の高い孫娘を見上げた。
「よくエリシュカ女王を助けなさい。それと、たまには領地に帰ってきなさい。ああ、これはメトジェイへの伝言でもありますね。伝えてください」
「……わかりました」
ウルシュラはうなずくと、エリシュカの方に視線を移す。
「陛下、準備はよろしいですか」
「ええ。いいわよ。では、シルヴィエ様、ヘルミーナ様。またお会いしましょう」
シルヴィエは微笑み、馬車に乗り込んだエリシュカに手を振る。
「ええ。道中、お気をつけて。またお会いできるのを楽しみにしております」
「そこのわたくしの孫娘が何かしでかした時は、わたくしに訴えてください」
ヘルミーナにそう言わしめた孫娘は少し顔をしかめたが、賢明にも何も言わなかった。エリシュカは微笑んだ。
「そういたします。それでは、お先に失礼いたします」
エリシュカがそう言うと、一行の馬車は動き出した。ここからまた、2日かけて王都に戻る。今回、ウルシュラは騎馬だった。どう考えてもロジオン皇太子への牽制である。
エルヴィーンは彼女の方をちらっと見て……視線を前に戻した。うん。元気そう。大丈夫そうだ。
2日かけて、無事に王都の宮殿へとたどり着いた。出発の時と同じく盛大に迎えられたが、ロジオン皇太子は(たぶん、ウルシュラに脅されたからだが)浮かべる笑みが引きつっており、反対にエリシュカの笑みは軽やかだった。
ロジオン皇太子は予定通りに残り3日をすごし、最後にパーティーと晩餐会に参加してスヴェトラーナ帝国に帰って行った。最後はおとなしかったが、いつ、またこちらに手を出してくるかわからないので、エリシュカも内心心配なようだ。
「結果論だけれど、わたくし、ウルシュラが女王にならなくてよかったと思ったわ」
「当然です!」
ロジオン皇太子が帰国してから数日たったある日、執務室で突然そんなことを言いだしたエリシュカに、ラディムがものすごい勢いで同意した。
「女王はエリシュカ様です!」
「ふふっ。ありがとう。でも、そう言うことじゃなくてね。わたくし1人では、この国は守れなかっただろうなぁ、っていう話」
意味が分からなくて、エルヴィーンとラディムは首をかしげた。エリシュカはまた微笑む。
「ウルシュラが女王になれば、わたくしはソウシェク大公令嬢として結婚でもしていたでしょうね。でも、それだと、ウルシュラはこの国の中枢に1人でいることになったでしょう。でも、彼女ではなくわたくしが女王になったことで、彼女はフィアラ大公になった。わたくしと2人で、この国のことを考えてる。だから、わたくし、女王になってよかったと思うわ」
確かに、女王になったのがウルシュラだったら、エリシュカが貴族院議員になったり、宮廷官僚になったりすることはなかったかもしれない。宮廷官僚にはなれたかもしれないが、政治中枢にいられるほど権力は持てなかっただろう。
だが、現実は逆だった。エリシュカが女王で、女王になれなかったウルシュラはフィアラ大公となった。彼女には、叔父に爵位を譲る道もあったはずだ。なのに彼女がフィアラ大公なのは、ウルシュラ自身が爵位を継ぐと決めたからだ。
女王エリシュカとフィアラ大公ウルシュラ。交わっているようで、交わらない。目指しているところも同じようで、同じではないかもしれない。でも、考えていることはきっと同じ。
家族を守りたい。誰かを助けたい。もっと、この国をよくして、笑顔あふれる国にしたい。
エリシュカとウルシュラは、同じ方を見ていないのに近くにいる。まるで背中合わせのようだ。交わることもなく、見ている場所も違うのに、いる場所は同じ。
1人ではできないことも、2人ならできる。ウルシュラのあの強烈な性格は、おそらくエリシュカの足りない部分を補っているのだ。そして、それは逆も然り。
エルヴィーンも、エリシュカが女王でよかったと思った。
そんな思いから1週間。社交界シーズンはとっくに終わり、秋も半ばになったころ、エルヴィーンは父に呼び出されて王都のカラフィアート公爵邸に戻った。今度は何の用だ。
「よし。来たな。行くぞ」
「は?」
屋敷に入るなりそんなことを言われて、エルヴィーンは首をかしげた。父は例によって腹黒い笑みをにやりと浮かべると、何も説明せずにエルヴィーンを着替えさせ、馬車に乗せた。
「なんだか嫌な予感しかしないんだが」
着飾らせられたエルヴィーンは、一応父に訴えてみる。だが、父たるカラフィアート公爵は驚くべきことを言った。
「大丈夫だ。悪いようにはならん。女王陛下の許可ももらっているからな」
「!?」
そうか。昨日、エリシュカがにやにやしていたのはこのせいか。やはりエルヴィーンの予想は当たっているようだ。
馬車に乗ってさほどかからずに、目的地に到着した。その屋敷は、カラフィアート公爵邸と同じくいわゆる『貴族街』に存在した。カラフィアート公爵邸より若干広く、華美ではないが品のいいたたずまいだ。カラフィアート公爵邸が宮殿から見て西にあるのに対し、この屋敷は若干東寄りにあるようだ。
「ようこそ。お待ちしておりました」
30代半ばほどの執事が門前で待ち構えていた。そこまでするか、普通。エントランス前で待っていればいいのではないか?
「どうぞこちらへ。ご案内いたします」
案内されて屋敷の中に入り、通されたのは応接間だった。すでに2人の人物が待ち構えていた。エルヴィーンたちが来たと、あらかじめ報告が行っていたのだろう。男性の方は微笑み、女性の方はきゅっと唇を引き結び、強張った表情をしていた。
執事はもう一度微笑んだ。
「ようこそ、フィアラ大公邸へ。それでは、ごゆっくり」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この国にもお見合いがあるということで……。
この章は明日の更新で終わりですね。