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背中合わせの女王  作者: 雲居瑞香
第4章
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選択の理由【1】






 王立書庫から出たところで、エルヴィーンはロジオン皇太子と行き会った。ちょうど、書庫付近にある読書部屋から出てくるところだった。エルヴィーンはあわてて頭を下げる。

「ああ。確か、エリシュカ女王の護衛、だったね。ご苦労様」

 ロジオン皇太子は人好きのする笑みを浮かべてそう言うと、静かに頭を下げるエルヴィーンに背を向けて歩き出した。


 それにしても、ロジオン皇太子はいったい何をしていたのだろうか。彼も、その従者も本を持っていなかったし。そう言うエルヴィーンは分厚い本を3冊抱えていた。

 どうにも気になったエルヴィーンは、ロジオン皇太子が出てきた部屋をのぞいた。


「……大公?」


 エルヴィーンが驚いて声をかけると、椅子にすがって立ち上がろうとしていた黒髪の女性ははっと顔を上げた。その大きく見開かれた目が涙で潤んでいることに気付き、エルヴィーンは動揺してあわてて部屋に入って扉を閉めた。

「ど、どうした?」

「何でもない」

 立ち上がったウルシュラは素っ気なくそう言うと、右手で両目の涙をぬぐった。その右手首を見てエルヴィーンはさらに驚く。


「手首、どうした!?」

「え? 痛っ!」


 エルヴィーンがウルシュラの手首をつかむと、彼女は悲鳴をあげた。エルヴィーンが抱えていた本が床に落ちる。彼女の右手首は、握られたように手形の痣がついていた。エルヴィーンはあわてて手首から手を離す。

「す、すまない」

「……いいわよ、別に……。ああ、痣になってるのね。あまり治癒魔法は得意ではないんだけど……」

「女王陛下に頼むか?」

「別に骨が折れたとか、裂傷を負った、とかそう言うわけじゃないから大丈夫よ」


 ウルシュラは右手首を見て顔をしかめつつそう言った。最近分かってきたことだが、ウルシュラは自分のことに無頓着だ。身なりには気を付けているようだが、今見てわかるように、自分が怪我をしてもそんなに気にしない。


「いや……でも、赤紫になってるぞ。冷やさないと腫れてくるんじゃないか?」

「あ、それもそうね」


 ウルシュラが水差しの水をハンカチに含ませて手首を冷やしているのを横目で見つつ、エルヴィーンは落ちた本を拾った。

「……ロジオン皇太子か」

「どうしてそう思うの?」

 ウルシュラは涙目だったことが嘘のように冷静にそう問い返してきた。一方のエルヴィーンも落ち着いていた。


「さっき、部屋の間で皇太子に出会った。彼にやられたと考える方が自然だ」


 ウルシュラは鋭い視線でエルヴィーンを射抜いたが、すぐにふっと笑みを浮かべた。

「ちょっとした喧嘩よ。私が殿下を怒らせてしまったの」

「……そうか」

 とっさに、嘘だな、と思ったが、エルヴィーンはあえて否定しなかった。ウルシュラは絶対に本当のことを言わないと思ったのだ。

「手首。大丈夫か?」

「ええ……ちょっと痛いけど」

 どうやら彼女は治癒魔法を使っているようだ。仄明るい光が右手首を覆っている。治癒魔法の天才と言われる女王エリシュカのものと比べると、確かに効果が弱いように見えた。


「陛下に見せなくても、医者には見せたほうがいいんじゃないか? 骨に異常があるかもしれないぞ」


 エルヴィーンはウルシュラの右手をとってそう言った。ウルシュラのほっそりした手首なら、男の握力だけで折れてしまう気がした。


「……」


 返答がないのを不思議に思って顔を上げると、ウルシュラは唇を引き結んでいた。耐えるような表情を見せた彼女に謝りかけて、それが目に留まった。


「……おい。首も痣になってるんじゃないか?」

「えっ!?」


 エルヴィーンの指摘にウルシュラが驚いたように首元に手を当てた。首元のリボンをほどきだしたのを見て、エルヴィーンは内心焦ったが、ウルシュラの容体の方が気になった。襟を広げてみると、首元も手形に痣ができていた。ウルシュラも鏡を覗き込んでため息をついた。

「しばらく首を出すドレスは着られないわね……」

「手首はどうするんだ?」

 エルヴィーンは自分のハンカチを水で濡らしながら尋ねた。ウルシュラは「手袋をすればわからないわ」となんでもないことのように答えた。それもそうか。

 エルヴィーンは手を伸ばすと、水を含ませた自分のハンカチを、痣になっているウルシュラの首に当てた。首元も赤く手形の痣になっている。


「……首を絞められたのか」

「……」


 ウルシュラはされるがままになりながら視線を逸らした。これは否定しようがなかったのだろう。手首だけなら、ウルシュラの『怒らせてしまった』という言い訳も通るが、首を絞められたならそんな言い訳は通らない。相手に殺意があったとも考えられるからだ。


「……やはり、陛下に言った方がいいんじゃないか?」


 ウルシュラに言うように勧めているように言ったが、エルヴィーンは自分で言おう、と考えていた。だが、ウルシュラは首を左右に振った。そして、顔をしかめた。痣がある自覚をしたら、痛かったらしい。



「言わないで。エリシュカに言ったところで、何もできないわ。ロジオン皇太子を訴えられる? 無理な話だわ。外交問題になるわよ。今は、スヴェトラーナ帝国と問題を起こしている場合じゃないの。少しでも友好な関係を築いておくべきよ。だとしたら、こんなことをいちいち問題にできない」



 私が黙っていれば済む話だもの。と、ウルシュラは言う。思うに、ロジオン皇太子はウルシュラが女王に訴えないことをわかっていたのだろう。



「エリシュカはスヴェトラーナ帝国との関係を考えなければならないの。今、余計なことを考えさせている暇はないわ。……だから、お願い。彼女には言わないで」



 『お願い』。ふと、エルヴィーンはウルシュラと初めて王都の街で会った時のことを思い出した。あの時も、彼女は『女王に言うな』と言った。あの時は、彼女はエルヴィーンの良心に訴えてきた。真剣な態度で、『頼んで』きた。だが、今回は『お願い』。


 ……自分は、少しはウルシュラの信頼を勝ち得ているのだろうか。『お願い』を聞いてもらえるくらいには、親しい関係を築けていると、思ってくれているのだろうか。


 そう思うと、エルヴィーンにはうなずくしか道が残されていなかった。






 とはいえ、エルヴィーンは宮殿の客室に戻って行ったウルシュラが気にかかっていた。手首はともかく、首の痣はやはりまずいと思う。彼女の性格上、医者に見せに行くこともしないだろう。


「エルヴィーン。どうしたの? 何か気にかかることでもある?」


 エリシュカの言葉に、エルヴィーンははっと我に返った。ここは女王の執務室で、エリシュカは今日中にやらなければならないことがある、ということで夜も執務室にいた。王立書庫にはエリシュカの執務に必要な本を取りに行っていたのだ。

「……いえ。それより、陛下。仕事はいいのですか?」

「もう終わったわ。本当にどうしたの? なんだかぼうっとしてるけど。悩み事でもあるのかしら」

「ロジオン皇太子に脅迫でもされたのか?」


 うん。ラディム。ある意味近いぞ。脅迫されたのはエルヴィーンではないが。


 あまりフィアラ大公を快く思っていないラディムだが、現在、彼の中でロジオン皇太子の評価が最低なので、相対的にウルシュラの評価が上がっていた。なので、彼は最近、ロジオン皇太子の文句を言うことが多い。

 おそらく、ラディムの言葉でエルヴィーンの顔が強張ったのだろう。執務机についたままのエリシュカが身を乗り出してきた。

「何を言われたの? ……まあ、表沙汰にはできないけど、注意勧告くらいなら……」

「あ、いえ。そう言うわけではないので、大丈夫です」

 なんだか目が据わっているエリシュカに、エルヴィーンはあわてて首を左右に振った。

「ならいいのだけど。……そう言えば、ウルシュラの様子はどうかしら?」

 不意打ちの問いに、エルヴィーンは自分でもわかるくらいびくっとした。どうやら鎌をかけられたらしく、エリシュカはエルヴィーンに言った。


「ウルシュラに何かあった? あの子、何も言わないから、あなたに見ていてくれるように頼んだのだけど」


 そう言う裏があったのか、と今更知りつつ、エルヴィーンは頭を働かせて何とか切り抜けようとしたが、こうした駆け引きはエリシュカの方が得意だ。自分から言うことはしないが、問い詰められれば言うしかない。

「実はですね――」








 エルヴィーンの話を聞いたエリシュカは、すぐに自分が使っている部屋の隣の隣の部屋に突撃訪問した。ノックもなかったので、現在この部屋の住人であるウルシュラと、その侍女のイーハ夫人がびくっとした。


「こんばんは、エリシュカ。あわててどうしたの?」


 一足先に平常心に戻ったウルシュラが、微笑んでエリシュカに尋ねた。エリシュカは無言でウルシュラに歩み寄ると、彼女の右手をそっとつかんでまかれた包帯をほどこうとした。

「ちょ、ちょっと!」

「その手首と首の包帯、どうしたの?」

 エリシュカに真剣な表情で問われて、ウルシュラは唇の端をひきつらせた。彼女の視線が一瞬エルヴィーンを睨み、それからエリシュカに戻された。

「ぶつけただけよ。気にしないで」

 さらっと嘘をついた。エリシュカはぐっと眉をひそめると、ウルシュラの手首の包帯をほどいた。そこには相変わらず赤紫の手形の痣。


「……強く握られたのよね? 首も絞められたんでしょう? なんで言わないの」

「……言ったところで、どうにもならないでしょう」


 ウルシュラが声を絞り出すようにして言った。その言葉に、エリシュカは反論できない。事実だからだ。今、ロジオン皇太子との間に問題を持ち込みたくないのだろう。ロジオン皇太子がここまで計算してウルシュラに暴行を加えたのだとしたら、とんだ腹黒である。



「らしくないわよ、ウルシュラ・ヴァツィーク! 敵は徹底的につぶすと言ったのはあなたでしょう!?」



 エリシュカはウルシュラの痣を治しながら言った。

「……そうしてもいい相手と、できない相手がいるわ。ロジオン皇太子は後者。私たちには、手を出すことができない」

「ええ。そうね。正面からはね。でも、それでもやると言うのがあなたでしょう? しっかりなさい」

 なんだかいつもと役割が逆になっている気がする。いつもやりすぎるのはウルシュラで、それをたしなめるのがエリシュカだ。


「残念だけど、わたくしにはあなたほどうまく人を動かせないの。だから、あなたがやるしかないの。ねえ、あなたはこのままでいいの? やられっぱなしでいいの?」

「……でも」


 ウルシュラは顔を上げて、治療を終えて少し離れたエリシュカを見た。


「どうしろというの。ロジオン皇太子は、私がすべての罪をかぶるには大きすぎる相手だわ……。それに、あの人は私より頭が良くて、私よりも経験があって、私よりも容赦がないわ」

「ウルシュ」

「もう、失いたくないから」


 エリシュカの言葉にかぶせるように、ウルシュラが言った。

「私のせいで、もう何も失いたくないの。私1人が我慢すれば済むことなら、その方がいい……」

「……ウルシュラ」

 頬に触れようとエリシュカが伸ばした手を、ウルシュラは振り払った。笑うのを失敗して泣きそうな表情になった彼女は言った。



「だから、お願い。出ていって。何もしないで。明日には、いつも通りに振る舞うから」



 静かな言葉で部屋を追い出されたエルヴィーンたちは、ウルシュラが使っている客室の前から動けなかった。沈鬱な表情になっているエリシュカに声をかける。

「陛下」

「……ウルシュラは、『赤の夜事件』にとらわれ過ぎているのよ」

 『赤の夜事件』。現在のフィアラ大公ウルシュラが、前フィアラ大公である父アルノシュトを殺した、とされる事件。女王に対するクーデターだったと言われている。ウルシュラの悪名の始まりの事件。



 エリシュカの、『ウルシュラは「赤の夜事件」にとらわれ過ぎている』、という言葉は、なんとなく、エルヴィーンには理解できる気がした。








ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


ウルシュラが空回り中です。

しばらくお付き合いください。

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