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トライアングル・ラブ  作者: 朝日菜
8/18

第七話 春日美月 後編1

 一斉委員会が終わった日の夜、夕飯を黙々と食べながら、不意にテレビに視線を移す。

 放送されている番組は音楽番組らしく、様々なアーティストが肩を並べて立っていた。その中に男性アイドルグループがいるようで、グループ名を《Vivaceビバーチェ》というらしい。その中に、見覚えのある顔が一つあった。


「っん?!」


 ゲホゲホと音を立てて噎せる。数秒で心を落ち着かせて視線を戻すと、随分と派手な衣装を身に纏った一ノ瀬(いちのせ)と目が合った。


「あらぁ。この子、美月みつきのクラスメイトじゃなぁい?」


 隣で食べていたお母さんが口元を手で覆って数回まばたきを繰り返す。


「かっこいいわねぇ~」


 性格は最悪だけど。危うく出そうになった台詞を飲み込む。画面の中の一ノ瀬は他のメンバーと共に微笑んでいた。

 普段ならば絶対に私の前では見せない笑顔。それを振り撒いてファンの子たちからの黄色い声を浴びている。


(私が知らない一ノ瀬、か)


 こうして見ると、本当に住む世界が違って見えてしまうのだから不思議だ。


(……ファンの子たちが知らない一ノ瀬か)


 瞬間にそう思ったのも、不思議だった。

 止まっていた箸を動かしつつも、番組の内容が気になってそれどころではない。一ノ瀬たち《Vivace》は最後に歌うらしく、他のアーティストと共に一旦カメラから離れていた。興味がないアーティストたちの歌が流れていても箸が止まることはなく。こんなにも一ノ瀬だけが気になるのは、一ノ瀬が顔見知りだからだろうか。


 切ないラブソングを歌っている女性ボーカルは、繊細な歌詞をきちんと声で表現していた。恋をしたことがない私がその歌詞に共感することはないけれど、もし仮に恋をするのならばどんな恋が待っているのだろうか。

 私はそっと、流れる歌に耳を傾けた。


 空になった食器を片付けて、頭をソファの背もたれに預ける。画面に釘付けになっていると、司会の人が次のアーティストを紹介するシーンがやって来た。

 次のアーティストは最後に控えていた《Vivace》だったようで、彼らの写真が画面いっぱいに映し出される。八人グループの彼らは、当然だが顔が整っていたり可愛らしい顔の人ばかりだった。


『今年で結成二年目となる、《Vivace》。メンバーは全員学生だそうです。中学三年生の宮崎悠太みやざきゆうた君から、大学一年生の赤羽多月あかばたつき君、木崎良平きざきりょうへい君まで年齢のバラバラな八人が贈るメドレー曲を、どうぞお聞きください』


 カメラがステージを映し、スポットライトがそれらを照らす。軽快なリズムのイントロが流れ、集まった観客を沸かせている。

 タイミング良く──見たことはないがライブ並みに豪華な演出によって飛び出してきたのは五人だけで。その後から続いて三人が飛び出してきた。前列の五人がボーカルで後列の三人がバックダンサーなのだろうか。歌い出しは思った通り五人の歌声で始まった。そして、一ノ瀬を含む三人はキレのある華やかなダンスを披露した。

 私は素人だけれど、なんだか後ろの三人は五人のおまけのように見えた。


「……ざまーみろ」


 言った直後に笑顔を浮かべる一ノ瀬が画面に大きく映し出される。何故だか悔しかった。悔しくないわけがなかった。

 サビに入った瞬間に五人の声量が一気に上がる。口パクでなかったことに驚き、三人がさらに激しく踊り出したことに驚き。この気持ちはなんだろう。首を傾げる。


 スポットライトが汗をキラキラと輝かせていて。それ以上に彼らの笑顔が眩しくて。

 私は少しだけ──本当に少しだけ。一ノ瀬ゆうを尊敬した。





 翌朝はいつもと違っていた。そんな気がしたのだ。

 昨日見たテレビ番組のせいか、学校に行くのが……いや、一ノ瀬(いちのせ)に会うのがそれほど苦ではないような気がして。こんなのは初めてで、どうしていいのかわからなくて。何もしなくていいのだろうけれど、そわそわと心身共に落ち着かなかった。


美月みつきー! おはよー!」


 六花りっかが思い切り背中に飛びついて来る。


「おはよう」


 最初は馴れ馴れしいなと思っていたけれど、今は嫌ではないし、むしろあからさまな愛情表現? が嬉しいと思う。


「ねぇねぇ、昨日のテレビ見た? ゆうが出てたやつ!」


 興奮気味に顔を近づける六花を避けながら顎を引く。これだけはどうしても馴れなかった。


「うん、見たよ。生放送でしょ?」


「そう! っていうか見てたんだ! 意外かも!」


 じゃあなんで聞いたんだ。六花は私の背中から離れて真横を歩く。


「かっこよかったよねー、悠。やっぱさ、あぁやって見るとあいつもアイドルなんだなーって思ったわ!」


 今にも飛び跳ねそうに一ノ瀬を語る六花のテンションが、一ノ瀬が転校して来た時のテンションと重なる。


「……そうだね」


 聞こえないようにで呟いたのに、六花はニカッと笑って「でしょう?」と私のことを見上げた。


「やーっと美月もアイドルに興味を……」


「持ってない。ていうか、これから先も一生持たない」


「えぇー!」


 六花がぶすっと不貞腐れる。この言葉に嘘偽りはないが、何故だろう。胸の辺りがモヤッとした。


「まぁでも、これからどうなるかなんて誰にもわかんないじゃん?」


 あぁそうか。これから先のことなんて誰もわからないから、こんなにも胸がモヤッとするのか。


 ショートホームルームが始まって、松山まつやま先生から紙を渡される。委員会の紙らしい、同じ選挙管理委員会せんきょかんりいいんかいの一ノ瀬の席は今日も空席だった。

 どうせまた遅刻だろう。そう思って視線を逸らす。だから気づいてしまう。クラスのほとんどの女子がそわそわとしており、一ノ瀬の席を気にしていることに。


「……それと、選管から話があるそうです」


 急に松山先生から話を振られ、一瞬にして心臓が凍った。松山先生はそんな私の心情を察したのか、白紙の紙をとんとんとつついてアピールをした。


「あ、えっと……。今日から役員選挙の公示をします。立候補者は私から用紙を貰って、松山先生に提出してください」


 咄嗟に立ってしまい慌てて椅子に座り直す。瞬間に目の前の男子──柏原かしわばらが身を乗り出した。


「つっきー立候補……」


「しねぇよ」


 即答したのに、櫻井さくらいは私が持っている紙を一瞥する。その瞳には迷いが浮かんでいるように見えた。


(……どっちなんだろ)


 私個人としては自分のクラスから立候補者が出るのは嬉しい。だから見てしまったのだけれど、目が合った瞬間慌てて視線を逸らされた。

 そんなに私と視線を合わせるのが嫌なのだろうか。悩んでいると、私の近くの──つまり後ろの入り口から一ノ瀬が姿を現した。


「あー! 悠、お前また遅刻だぞー!」


 お調子者の柏原が一ノ瀬を指差して騒ぎ出す。同時にクラスの女子がざわつき始めた。


「……んなことはわかってるよ」


 苛立たしそうに前の方の自席に座る一ノ瀬を見て、松山先生が名簿にペンを走らせる。遅刻と書かれているのだろう。一ノ瀬のその後ろ姿は疲れているのかいつもよりも少しだけ猫背だった。

 昨日の生放送の疲れがまだとれていないのだろう。そっとしてあげた方がいいはずなのに、ショートホームルームが終わった瞬間仲が良さそうな女子に囲まれてしまう。けれど、一時間目の授業が化学室での実験だったおかげで一ノ瀬は早く解放されていた。

 私は一人教室を出て、遠い化学室を目指す。化学室は一階の廊下の一番奥にあり、必然的に三年生の教室の前を通るのだが……三年生の教室の前で、櫻井が先輩に話しかけられているのが視界に入った。


「……お久しぶりです、日野ひの先輩」


 居心地が悪そうにそっぽを向く櫻井。そんな彼を見たのは初めてだ。


「おうつばさ。さっき玲奈れなから聞いたぜ? お前、俺たちの秘密を聞いたんだろ」


 日野と呼ばれた櫻井よりも背が高い──まるでストローのような先輩が苦笑する。櫻井は曖昧に頷いて、反応に困っているように見えた。


「隠してたわけじゃないんだけど、みんな変な意地張っちゃって」


「……あ、青柳あおやぎ先輩」


ようは櫻井君に対して変にかっこつけたがるのよね」


「は?! 玲奈! 誰がかっこつけだよ!」


 青柳先輩と呼ばれた先輩は上品に微笑んでおり、「それじゃあまたね」と日野先輩の襟首を引っ張って去っていく。二人の背中を櫻井は最後まで見ることなく、足を動かした。


「櫻井」


 足を止めた櫻井が目を見開いて振り返る。その瞳に私を映して、彼は戸惑うようにはにかんだ。


「大丈夫?」


「え? な、何がだよ」


 何がと聞くならせめて平静を装った方がいいのに。櫻井は嘘を吐くのが苦手らしい。


「顔色があまり良くないと思ったから……さっきの人、生徒会の先輩?」


「そうだけど……結構有名だよな? 日野葉先輩と青柳玲奈先輩」


「あ、えっと……私、生徒会とか興味なかったし」


 一瞬櫻井が傷ついたような表情を見せた。そうだ、櫻井だって生徒会のメンバーだ。興味ないなんて安易に言ってはいけなかったのに。


「ご、ごめん」


「別に気にしなくてもいいって」


 櫻井は無理して笑って、化学室へと急ぐ。私は櫻井に何も言えなかったことを人知れず悔やんだ。


 化学室に入ると、名前順に座るよう先生から指示される。同じ班になったのは、風間初椛かざまいちかさんと柏原と櫻井だった。


「もー、マジ実験とかやだわー」


 唇を尖らせ、柏原が化学室の机に突っ伏す。そんな彼を櫻井と風間さんが呆れて見ていた。多分、私も同じ顔をしていたと思う。


「こらぁ! 一ノ瀬、寝るな! 柏原、体を起こせ!」


 怒りっぽいで生徒から反感を買っている先生は、そんな二人を当然怒鳴り散らしていた。

 先生の発言で、私はようやく一番前の机で熟睡している一ノ瀬に気づく。一ノ瀬と同じ班の女子たちは寝顔を間近で見れて幸せそうな顔をしているから、起こそうとする先生をきつく睨んでいた。


春日かすが


「……何?」


 視線を移すと、櫻井が私を見つめていた。何か言いたそうな表情をしばらく見せて、息を吸い込んだ瞬間──


「お? なになにつっきー、立候補?!」


 ──櫻井の目の前に座る柏原が表情を輝かせた。こんな何気ないことでさえ面白そうだと思う柏原は、ある意味凄いと思う。


「ちげーよ」


 毎日のように色んな人からそう言われているらしい櫻井は、苛立たしそうに柏原の額を机に押しつけた。


「痛い痛いギブ! 風間、春日、助け……」


「ません」


 風間さんは無表情で即答した。興味なさそうに柏原から視線を逸らし、持ち込んだ文庫本にそれを落とす。


「……ごめん、無理」


 遅れて私もそう答えた。櫻井は見捨てられた柏原を見下ろしてほくそ笑んでいる。


「ちょっ、この班の女子がなんか冷たい! しかもつっきーガチで痛い! もう俺何かに目覚めるよ?!」


「きっしょ」


 そう呟いたのは私と背中合わせのような状態で座っていた高木たかぎさんだった。その呟きが聞こえなかったのか、柏原は変わらず何かを叫んでいる。


「俺に味方はいないのかぁ!」


 しまいにはそう叫んでいた。誰かが痺れを切らしたのか、勢いよく椅子を引くような音がする。


「柏原ぁ! 俺の安眠邪魔すんじゃねぇよ!」


 一ノ瀬が初めてまともなことを言った──いや、一ノ瀬も一ノ瀬だ。柏原に何かを言う権利はない。私は呆れる。


「お前ら! 俺の授業の邪魔すんじゃねぇよ!」


 先生が教壇に両手を降り下ろした。凄い音が響いたにも関わらず、一ノ瀬は寝直して。風間さんは本から顔を上げなくて。櫻井は未だに止める気配を見せず、柏原は負けじと抵抗し続けていて。振り向くと高木さんは化粧をし始めていて。

 櫻井が何を言いたかったのかわからないまま、混沌とした状態で授業が始まり終わりを迎えた。





 昼休みになり、生徒たちは購買に行ったり食べる場所取りをしたりと大忙しになっている。私は自席から一歩も動かず、弁当を机の上に置いて座っていた。

 どこを見ても既に女子のグループというのはでき上がっていて、それぞれのグループが机をしっかりとくっつけている。


(……どうしようかな)


 このままぼっち飯というのも精神的にはキツいのだけれど、どこかのグループに入れるほどの勇気が私にはない。周りから変な目で見られるのは、あまりいい気分ではないのだ。


(とりあえず手を洗おう)


 そしてそれから先のことは戻ってきた時に考えよう。そう思い私は席を立つ。もちろん席を取られないようにきちんと弁当を椅子の上に置いて。

 教室から近い階段の、一階と二階の途中にある広い空間に水道はある。他にも水道は二階と三階の途中にあるのだが、私はそこを使わずに階段を下りた。


「……冷たっ」


 眉を顰め、文句を言いながらハンカチで手を拭う。それをスカートのポケットにしまい、振り返った瞬間、上の階にいた櫻井さくらい柏原かしわばらが視界に入った。

 彼らは階段を下りようとしていたらしい。すぐに私の存在に気づき、柏原が「あ」と口を丸くする。櫻井は私から視線を逸らして、それを柏原に気づかれて、何かをひらめいたように顔を輝かせた彼から逃げようとして、私は嫌な予感がして。


「櫻井、気をつけ……」


「つっきー」


 柏原が私の忠告をわざとらしく遮った。


「んだよ」


 機嫌が悪そうに答えた櫻井の背中を柏原は何故か押して。足を踏み外した櫻井は、バランスを崩して滑るように落ちてくる。……何故か、私がいる場所に向かって。


「……んなっ?!」


 スローモーションに見えるというのはこういうことなのだろうか。徐々に近づいてくる櫻井の顔だけが何故かよく見えない。


 ──ダァンッ


 左耳付近から先ほどよりも大きな音が聞こえてきた。私は咄嗟に身を竦め、閉じる暇もなかった瞳で、拳一つ分しかない距離にいる櫻井の顔を見つめる。顔を伏せていた櫻井の顔は、マスクがなくても見えなかった。

 恐る恐る左を見ると、櫻井が右手を壁に押しつけて自分の体を支えている。


「……ッ!」


「……あ」


 たった一本の腕で支えているのが余程キツいのか、それともさっきの衝撃が痛いのか、櫻井は我慢するような声を漏らしていた。

 ゆっくりと、流れるようにそのまま彼は顔を上げて。私を捉えたその瞳には、恐怖に引き攣ったような顔の誰か──いや、私が映っていた。

 櫻井の瞳は悲しそうに揺れていて。ようやく冷静になり始めた頭で考え、私は気づく。


(これ、もしかして〝壁ドン〟?)


 意識し始めた瞬間、どくんと心臓が脈を打った。近距離にいる櫻井ならば聞こえてしまいそうなほどに、うるさい。


(……何、これ)


 長いようで短かった時間が終わりを迎える。

 櫻井が壁から手を離して、階段を駆け上がったのだ。一瞬見えた櫻井の手が青くなっているような気がして心配になるが、犯人である柏原を追いかけていく彼は元気そうにも見えて困惑する。


「…………なん、なの……」


 へなへなとその場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、私も階段を全速力で駆け上がった。

 すぐに見えた教室の前で黒髪を揺らした女子がいることに気がついて、私はその子に声をかける。


六花りっか


 耳の上で一つに結ばれた髪がピクッと跳ねた。不安げな表情は一瞬にして笑顔になり、私も嬉しくなる。


美月みつきぃ!」


 パタパタと駆け寄ってくる六花を階段の途中から静観する。六花は私と同じ目線の高さから私を近くでじっと見つめ──


「ん? 美月、顔赤くない?」


「なっ?!」


 ──とんでもないことを口にした。咄嗟に頬に触れてしまい、すぐに後悔する。六花はニヤニヤと顔を緩めており、さらにこちら側に詰め寄ってきた。


「……何かありましたな?」


 ありません、そう言った私の言葉に説得力はあるのだろうか。仕方なく頷く。


「ふぅ~ん。じゃ、美月、早くお弁当持ってきてよ!」


「え?」


「食べながら聞かせてもらうからね!」


 ニッと笑い、自分の弁当箱を六花はわざとらしく掲げた。瞬間に六花が私のクラスに来た理由を悟る。思い出したのは、少し前に交わした約束だった。


(ありがとう、六花)


 私は大きく頷いて、教室へと駆け込んだ。椅子に置いてあった弁当は、動かされた形跡がないままそこに存在している。

 弁当を持って教室を後にすると、階段を指差した六花が先行した。私は黙って六花についていく。六花は下駄箱で靴に履き替えて、中庭へと出ていった。


「美月、ここで食べよ!」


 走って追いつくと、六花は中庭に鎮座しているベンチを手で軽く叩く。


「う、うん。中庭で食べるの初めてかも……」


 見回すと、生徒は私たちだけだった。天気は曇り空だったけれど、雨が降るほどではなさそうだ。


「そりゃ、あたしだって初めてだよ」


 弁当の箱を開け始めた六花の隣に座り、私も彼女に倣う。ここに来た目的を忘れ始めた頃、六花が軽く手を叩いた。


「さて。何があったのか話してもらうわよ」


 ニヤッと口角を上げる六花を直視することができず、私は弁当に視線を落とす。それでも、包み隠さずあったことを口に出した。


「何それ、なつサイテー!」


「り、六花……! ちょっと声が大きいよ!」


 唇に人差し指を当てて、六花に口を塞ぐよう促す。いくら周囲に人がいないからと言って、大声で叫ばれては校舎から丸聞こえだ。


「ご、ごめん」


 もごもごと口を両手で覆って、六花は私の隣に座り直す。


「ううん。なんか、こっちこそごめん」


 せっかく私の為に怒ってくれたのに、それを抑えるようにお願いしてしまって申し訳ない。そんな気持ちでいっぱいになり、私は思わず顔を伏せた。

 六花は「そんなことない!」と再びベンチから腰を浮かせ、拳をぎゅっと握り締める。


「美月に怪我がなくて本当に良かった!」


 弁当箱を持っていた私の両手を、自分の両手で包み込む。六花のその優しさが嬉しい。その優しさを少しでも返したいのに、素直になれない。


「……六花」


「ん? あっごめん急に!」


 私の両手を勢いよく六花が離した。私は小さく笑っていた。


「な、何? どうしたの?」


「いや、だって……! 私たち、さっきから謝ってばっかり……あははっ!」


 ぽかんと私の目の前で呆けている六花も面白くて、笑いを堪えようとするけれど遂に堪えきれずに笑ってしまった。六花も釣られて笑っていた。

 いつまでそうして笑っていたのだろうか。時間の感覚がわからなくなるほど笑った後、六花の笑い声が自然と消えた。


「やっぱり、美月は笑ってる方が可愛いよ」


 今まで一度も言われたことのない台詞に耳を疑う。


「だってさ、美月っていつも無愛想っていうか無表情じゃん」


「それは……まぁね」


 人は一人じゃ笑えないから。私はその後に続きそうになった台詞を飲み込んだ。

 隣に座る六花を見ると、彼女は弁当に入っていた卵焼きを美味しそうに頬張り始める。でも、私は、もう一人じゃない。今はここに六花がいる。私も箸で唐揚げを掴んで口に入れた。


 私は多分、心の底から笑っていた。

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