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トライアングル・ラブ  作者: 朝日菜
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第四話 春日美月 中編

 時の流れは早いもので。家に帰り晩御飯を食べ、眠れば夜になり、気づけば登校する時間になっていた。

 いつものように家を出て通学路を歩くと、昨日一ノ瀬(いちのせ)がいた公園に辿り着く。朝ということもあって、元々人気のなかった公園はさらに錆びついて見えた。


(いない)


 何故かいると思っていた私は拍子抜けしてしまった。なんでいると思っていたのだろう、出てきかけた答えを振り払うかのように首を振る。


(ただの自意識過剰か)


 視線を逸らし、なんとなく鞄にいれていたスマホをいじった。ちらほらと同じ学校の生徒が増えてきた頃に、後ろから声がかかる。


美月みつき、おはよ!」


「おはよ」


 背後にはやはり親友の六花りっかが満面の笑みを浮かべて立っていた。六花は私の隣に小走りで来て、私はスマホを鞄に入れる。


「あーあ。今日から美月と違うクラスで勉強かー」


 唇を尖らせた六花は持っていた鞄を肩にかけて一回転した。黙って隣を歩く私に、少し不満を覚えたのか六花は眉間に皺を寄せる。


「美月は寂しくないの?」


 覗き込むように体を曲げて六花が尋ねる。返事を待っているようだったが私は答える気にならなかった。しばらくすると六花は私の顔を覗き込むのを止め、「……そっか、寂しいか」と勝手に解釈する。

 六花は前を向いた。寂しくても前を向ける彼女のことは凄いと思う。だが、今のままだと目が合わない。私のせいなのだけれど、このままでは互いに何も言わずに学校に辿り着くことになるだろう。


 悩んで、迷って、話題として今日の時間割りを思い出している最中に一つだけ問題があることを思い出した。


「…………ん」


「へっ?」


 私よりも一歩前を歩いていた六花が驚いた表情で振り向いた。私は視線を六花に合わせ、無意識にスカートを握り締める。


「…………ご飯、一緒に食べたい」


 言葉にするとやっぱり照れ臭くて、一年前から始まった日常は当たり前ではなかったのだと思い知る。いつも一緒に食べていた六花は別のクラス。つまり私は、これから一人でご飯を食べることになるのだ。


「もっちろん!」


 私の不安を払うように六花の声が嬉しそうに弾ける。


「あれ、美月泣いてる?」


「……泣いてない」


「ちょっと笑った?」


「笑ってない」


 六花を手で振り払って早歩きをした。後ろから、笑以外の感情を知らなさそうな六花の笑い声が聞こえた。

 その笑い声が何度も私を救ってくれたことを、私は知っている。


「じゃ、またね!」


 手を振り、六花は自分のクラスへと歩いていった。私はその隣のクラスの扉に手をかけて、数回深呼吸をして開ける。慣れないクラスに入るのは無駄に力が入って好きではなかった。


「お、春日かすが。はよ」


「ッ!?」


 不意に名字を呼ばれて背中を曲げる。櫻井さくらいは不思議そうな表情で、「どうした?」なんて聞いてきて。


「べ、別に……」


 素直に驚いた、ただそれだけだった。

 焦って自分の席に向かおうと歩を進めるも、あることに気づいて足を止める。


「櫻井」


「ん?」


 興味関心を別の報告に向けていた櫻井は、さっきの私と同じように驚いていた。不意打ちを食らったその表情は何故だか幼く見えて可愛らしい。


「……おはよう」


 挨拶をされて返さないほど私は非道な人間ではない。無意識に俯いてしまった視線を上げると、はにかんだような笑顔の櫻井がいた。

 その笑顔は、普段話している六花では見ることができなさそうなそれだった。


「あぁ」


 少し、心が温かくなった……気がする。

 櫻井が息を吸ったその時、私は櫻井がマスクをしていないことにようやく気づいた。気になったから口に出そうかと迷ったが、それを妨げる何かが彼にぶつかった。


「つっきー!」


「ぐほぉ!」


 勢いよくぶつかるように彼に抱きついたのは、制服を着崩した男子だった。ツンツンに尖った髪を櫻井の顎の辺りに当てながら、男子はずっと喚いている。


「なんだよ柏原かしわばら! せっかく今……」


 櫻井は何かを言いかけて慌てて口を噤んだ。

 訝しげに櫻井を見ていたら、櫻井はポケットに手を突っ込んでマスクで自分の顔を隠す。


「俺今女の子にフラれたー!」


「はぁ?! 知るかバカ!」


 余程怒ったのか、櫻井は耳まで赤くして柏原を引き剥がそうと全力を尽くした。余程ショックだったのか、柏原は栗色のセーターが伸びても櫻井から離れようとはしなかった。

 私は密かに肩を竦め、自席へと向かう。その間、二人は野次馬を巻き込んでじゃれあっていた。


(小学生みたい)


 買ったばかりの文庫本で顔を隠し、私はほとぼりが冷めるまでそうしていた。





 四時間目で終わる今日の最後の授業は、ロングホームルームだった。内容は委員会決めで、担任の松山八重まつやまやえ先生が教壇に立っている。


「では、これから委員会決めをしたいと思います」


 ぎこちなさが残る声で松山先生がそう言った。周囲からは生徒の応援が聞こえてくる。こんなにも生徒から支えられるほど、彼女は優しく真っ直ぐな教師だった。


「えっと……まずはホームルーム委員からですね。なりたいひ……」


「はいはい俺やるー!」


 先生の台詞を遮った柏原かしわばらは、ガタッと音を立てながら立ち上がる。その瞬間、柏原の突飛な行動に教室中が笑いに包まれた。


なつがやるならあたしもやるー!」


 夏というのは柏原の下の名前だろうか。

 元気よく手を上げた女子は、その行動力通り活発な表情をした女子だった。校則違反だと思われるメイクをばっちりとしているが、可愛らしい。確か名前は高木花梨たかぎかりんだっけ。


「じゃあこれからは、ホームルーム委員の二人が進行役をしてください」


 さすが高校。自分たちのことは自分たちでやれか。

 感心する暇もなく、委員会を考えていなかった私は焦る。なんでもいいわけがない。なるべく楽なのがいいというのが私の本音だったが、理想的な委員会はあるのだろうか。


「つっきーは生徒会だろー?」


「やらねぇよ」


「えぇ、やらないのぉー?」


 下手な進行に苛立ちを覚えつつも、櫻井さくらいが生徒会に入らない事実に小さく驚く。てっきり今年もやると思っていたのに。


(……あれ?)


 不意に何かが引っかかった。夕焼けの空き教室の風景が脳裏を過ぎり、私にモヤモヤとした感情を残して消えていく。

 なんだったっけ。必死になって思い出そうとするけれど、その苦労は報われなかった。けれど、思い出せなかった代わりに生徒会に縁のある委員会が浮かんできた。


選挙管理委員会せんきょかんりいいんかい


(いいかも)


 活動期間は選挙中のみで、選挙権もないというおまけ付きの委員会。それは私の条件に、他のどの委員会よりも当て嵌っていた。

 柏原が委員会の名前を口に出す度に候補者が次々と手を上げて、委員会の枠は徐々に徐々に埋まっていく。


「えーっと、次は選管せんかん! いるかー?」


 その瞬間、タイミングよく扉が開いた。私の右腕も、クラスメイトの喋り声も、呼吸さえもぴたっと止まる。


「おいゆう、今四時間目だぞ? 寝坊かよ」


「ちっげぇよ。仕事だ仕事」


 ぶっきらぼうに言ったのは、この学校の生徒の中で唯一仕事をしている一ノ瀬(いちのせ)だった。


「え、何? テレビ?!」


「うっせぇ」


「えぇー、教えてよぉー!」


 弾ける高木さんの声を受けてうざったそうな表情をした一ノ瀬は、近くの自席に腰を下ろす。一ノ瀬にしては珍しく、目の下に隈ができていた。

 切り替えが早い柏原は、視線を一ノ瀬からクラスメイトに移してまた尋ねる。


「あー、で? 選管? だっけ?」


「そーそー」


 上げ損なった右腕を今だと言わんばかりに上げた。柏原と高木さんの視線がすぐさま私に集中する。

 その視線を数名のクラスメイトが追っていて、その中には隣の列の櫻井もいて、柏原を見ていた視線を落とすと彼と目が合う。


「お前、春日かすがだっけ?」


 そのまま見つめながら頷くと、櫻井がゆっくりと前を向いた。手を上げたのは私一人だけだった。


「え、何。今何やってんの?」


 きょとんとしているのも一ノ瀬ただ一人だけだった。


「あー、委員会決めだよ。ちなみに俺ホームルーム委員な」


「は? 夏がホームルーム委員かよ。うちのクラス終わったな」


「あたしもホームルーム委員だからだいじょーぶ!」


 柏原も高木さんもドヤ顔で一ノ瀬と話を続けている。どこからその自信が出てくるのだろう。不思議だ。少しだけ羨ましくなる。


「どこがだよ! 春日にでもやらせとけよそこは!」


 瞬間、クラス中が不気味なほどに静まり返った。


「え? 何? なんで春日? お前……」


「待った! ナシ! 今のナシ!」


 ぶんぶんと両腕を振り回し、一ノ瀬は叫ぶ。微妙な空気が続いたけれど、高木さんはようやく気づいてくれたのか黒板に書いてあった《選管》の下に私の名前を記入した。


「……まぁいいけど、お前、委員会どうすんの?」


 珍しく動揺する私を他所に、柏原は一ノ瀬を指差す。


「あー、ね。仕事とかあるっしょ?」


 チョークを回す高木さんは、首を傾げた。


「あー、楽なヤツな! 絶対!」


 絶対を連呼し、腕を組んだ一ノ瀬はふんぞり返る。柏原は眉を顰めて「楽ぅ? お前なぁ……」と、ため息を吐いた。


「あ、じゃあ選管は? あれ選挙権ないし、少しの間だけだし……」


 委員会名を眺めていた高木さんは、黒板から私に視線を移す。


「春日さん? 真面目そうだしさぁ」


「はぁっ?!」


 私の名前が出た瞬間に勢いよく立ち上がったのは、当然一ノ瀬だった。私も同じように立ち上がって抗議したかったけれど、目立つことはしたくない。


「お、いいねぇ。花梨ナイス」


 柏原の反応を皮切りに、クラスメイトも賛成の声を上げ始める。一ノ瀬の視線が私に向いているのは見なくてもわかっていた。


「他に候補者いねぇみたいだし!」


 ニカッと柏原が笑って、高木さんが次の委員会名を読み上げる。私と一ノ瀬は絶句して、彼は諦めたように腰を下ろした。





美月みつき!」


 久々に呼ばれたような感覚に陥るほど、自分の名前に違和感があった。顔を上げると、右側の扉から六花りっかが顔を出して手を振っている。


「帰ろー」


 六花のその言葉で、いつの間にか四時間目もホームルームも終わっていたことに気がついた。


「あぁ、うん」


 頷いて、机にかけていた鞄を持つ。


「ねぇねぇ、委員会何にした?」


 出て早々に尋ねられ、不意をつかれた私は反応が遅れてしまった。


「……えっと、選管せんかんだよ」


「へぇ、なんか美月らしいね」


 二人で喋りながら近くの階段を下りていく。途中で立ち止まっている一ノ瀬(いちのせ)を見かけたが、向こうは私に気づいていないようだった。


「そうかな。……ホームルーム委員がいいんじゃないって言われたけど」


 そう言った本人に視線を向けると、何故か柏原かしわばらとじゃれあっていた。六花は私の視線に気づかないまま、「そうかなぁ」と首を傾げる。


「え?」


「だって美月、結構面倒臭がりじゃん」


「……う」


「美月と同じ選管の人、大変だね。……で、誰?」


 思わず階段から転けそうになった。と言っても残り一段だけだったからなんとか誤魔化せたけれど。


「…………一ノ瀬」


「え、ゆう?!」


 耳が割れるほどの声量だった。おまけに廊下だったせいでしばらく響く。

 あぁ、また目立ってしまった。みんなが六花を弄り始める。


「うっさいなぁ! もう!」


 六花が犬でも追い払うかのように手首を動かす。その効果はまったくなかったけれど。


「ごめんね、ちょー驚いちゃって」


「大丈夫だよ」


「そっかぁ、悠かぁ……」


 六花は意味深に目を細めた。何か思うことがあるのだろうか。


「どんまいっ!」


 けれど、六花の口から出てきたのは先ほどの雰囲気とは正反対の台詞だった。六花特有の笑顔で突き放された私は、少し気分が沈んでしまう。


「だって悠、去年は係さえまともにできてなかったからねぇ」


「知ってる」


「ま、美月なら大丈夫だよ。……多分」


 六花は最後に私に聞こえるか聞こえないかの音量でそう呟いた。ひそひそ声に馴れている上に地獄耳でもある私は、幸か不幸かそれを聞き取ってしまう。


「待って、多分て何」


 一応つっこむと、「聞こえてた?」と舌を出されてはぐらかされた。頷くのも面倒だ。下駄箱についた瞬間に靴を履き替えた。





 翌日に行われた一斉委員会は、私たちのクラスだけが険悪な雰囲気だった。不貞腐れた表情で一向に前を向かない一ノ瀬(いちのせ)と、マスクで顔半分を隠す私。

 遅れて教室に入ってきた担当の先生は担任の松山まつやま先生で、彼女は教卓の前に座る私たちを視界に入れて目を丸くした。自分の生徒たちが出している雰囲気に戸惑っているのだろう。申し訳ない。


選管せんかんの担当になった二年一組担任の松山八重やえです」


 それでも、挨拶をする時は教室中を見回して律儀に頭を下げていた。その時の表情には戸惑いがなく、松山先生ははにかんでいる。

 一部の男子が〝八重ちゃんコール〟をするほどに、はにかむ松山先生は可愛かった。


「さ、早速ですが、委員長を決めたいと思います。できれば二年生からがいいですね」


 照れながら、松山先生は主に目の前の列に座る二年の面々を眺める。二年からは楽しげな雑談が一瞬で消え、異様な目配せを背中で感じた。この調子では終わるものもなかなか終わらないだろう。


「……私、やります」


 勇気を振り絞って手を上げた瞬間、二年全員から拍手を浴びた。松山先生は私を見て誇らしげに微笑み、「では春日かすがさん、進行をお願いしてもいいですか?」と任せてくる。


「はい」


 松山先生に代わって数歩先の教壇に立った。わかっていたことだけれど一気に視線が集まって変な汗が出る。

 目立ちたくない。目立ちたくなかったけれど、頑張らなければ。私は周囲を見回して、息を吸い込んだ。


「誰か副委員長に立候補する人いませんか? 二年生じゃなくてもいいんですけど」


 すると、委員全員が近くにいた知り合いと相談をし始めた。……ただ一人を除いては。

 無視をするにも限界があり、ついついあいつを見てしまう。たくさんの顔を持つ彼のその目は意外にも真っ直ぐで、何を考えているのかわからない。一ノ瀬は無表情を崩さないまま、軽く右手を上げてこう言った。


「やる」


 その一言で周囲がざわめく。


「え、ゆうがやんの?」


「マジで言ってる?」


 主に二年からそんな声が聞こえてきた。


「うっせ! 文句あんのかよ!」


 後ろを振り返って一ノ瀬が二年に毒を吐く。その毒は一ノ瀬をあまり知らない三年や一年を驚かせていたが、一ノ瀬はまったく気にしていなかった。

 誰も一ノ瀬の立候補に異を唱えなかったせいで、松山先生が拍手を送る。その拍手が決定という意味なのは考えなくてもわかっていた。


 委員長も副委員長もあっさりと決まった選挙管理委員は、約一か月後に行われる選挙の内容を説明されて終わりを迎えた。

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