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トライアングル・ラブ  作者: 朝日菜
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第一話 春日美月 前編

 季節が巡って、春が訪れる。年をとって、進級する。

 高二になっても成長しない荒んだ心は、桜吹雪を見ても何も感じなかった。


美月みつき! おはよ!」


 真後ろから聞こえてきた声に振り返ると、六花りっかが大きく手を振っていた。そのまま駆け寄ってくる六花は相変わらず目立っていて、また恥ずかしくなる。


「……おはよ、六花」


 マスク越しに出た声は鼻声で、思わず鼻水を啜る。それを見た六花は苦笑いをして──


「あちゃー、美月って花粉症だっけ?」


 ──と、私の顔を覗き込んだ。

 無言で頷くと、「大変そうだねぇ」と他人事のように言われてしまう。実際他人事なのだけれど。


「あ、マスクって言えばさ」


「ん?」


「つっきーも花粉症だから最近マスクしてるんだよねぇ。仲間がいて良かったね!」


 くるくると横髪をいじりながら六花が空を仰ぐ。


「つっきー?」


「え? まさか美月、つっきーのことも知らないの?」


 ぱちくりと六花がまばたきをした。

 再度六花に対して無言で頷き、しばらく迷って口を開く。


「だって、他人に興味ないし」


 小声で「六花は別だけど」と付け足し、ティッシュで鼻をかむ。視線をティッシュから六花に移すと、彼女は元から大きかった瞳をさらに大きく丸くさせていた。


「……え、何今の。ツンデレのデレ?」


「……違う」


 また鼻水が出てくるのを感じて、握っていたポケットティッシュからもう一枚それを取り出す。


「じゃなくて! つっきーは生徒会で同級生じゃん!」


「しょもしょも、ふりゅねーむしりゃないし」


 チーンともう一度鼻をかむと、上手く言葉にすることができなかった。

 六花はそんな私を気にもせずに、ぐいっと詰め寄ってくる。


「さ、く、ら、い、つ、ば、さ! 渾名はつっきー!」


 上手く言葉にできなかったにも関わらず、私の言いたいことがわかった六花は色々とすごいと思った。


「へぇー」


「聞いておいて反応薄い!」


 掌を顔の上に乗せ、六花は盛大にため息を吐く。そして何故か、くるっと一回転をした。


「あ、ゆうだ」


 下ろした時に視界に入ったのか、六花が驚きに近い声を出した。振り返ると、制服を着崩した一ノ瀬(いちのせ)がいる。


「めっずらしー。悠が朝から学校に来てるなんて、なかなかないよねぇ」


「……そうだね」


 私と一ノ瀬は昨年同じクラスだったが、何が忙しいのか彼はよく遅刻をしていた。はっきり言ってテレビにはあまり出ていないけれど、六花が言うには主にコンサートで活躍しているから、らしい。

 転校してから半年くらいは女子が騒いでいたが、今となっては同学年の友達として接している女子がほとんどだった。


「悠、今日はどうしたの。明日雨でも降りそー」


 ちなみに、六花もその中の一人だった。


「たまたまだよ、たまたま」


 癖のある黒髪をヘアピンで留めながら一ノ瀬が言う。六花は悪戯っぽい顔をして一ノ瀬を見上げた。


「たまたまぁ? なら、毎日たまたまだったら先生も楽なのにねー」


「うっせ」


 一ノ瀬はそう吐き捨てるように言って、六花の頭を軽く小突いた。

 一ノ瀬と六花が楽しそうに話していたら、私は何も言えなくなる。……いや、何を喋ればいいのかだろうか。


「そういやさ、天月あまつき。こいつ誰」


「ッ!」


 一ノ瀬が私のことを指差す。「知っているくせに」と言う勇気は私にはなかった。

 一年前、私が一ノ瀬を睨んだあの日から、一ノ瀬はずっと私にこのような態度を取り続けている。誰にも話していなさそうなのが不幸中の幸いなのかもしれないけれど。


「美月だよ。マスクしてるから気づかないかもだけど」


 六花は「悠って意外に天然?」と、笑いながら私の肩を組む。天然だったらまだマシだ、私はそう思っていた。


「マジで? 気づかなかったわー」


 アイドル専用の作り笑いだろうか。気持ち悪いほど爽やかに一ノ瀬は笑う。


「……どうも」


 呟くようにそれだけ言って、六花を振り切った。そして、足早にクラス表が掲示されている場所へと向かう。


「美月? 待ってよー」


 遠くの方で、六花が一ノ瀬に「じゃあね」と言っているのが聞こえた。


 クラス表がある場所に辿り着いて、私は思い切り顔を顰める。少し遅れてきた六花の方を見もせずに、私は予想できる返答を想像しながらこう尋ねた。


「六花、クラス表見える?」


「全然」


 やっぱりか、と私は再度クラス表を見上げた。クラス表の周囲はそれを見ようとする同級生で溢れている。少なくとも百六十センチはある私の身長でさえ、クラス表を見ることはできない。


「あーあ。こんなんだったら、悠を引っ張って連れてくれば良かったわー」


 六花が唇を尖らせるが、きっと教えてはくれないだろう。けれどそれを口にすることはできず、自力でなんとかしようと背伸びをする。


「……あ、つっきー」


「え?」


 背伸びを止めると、後ろに百八十センチはありそうな長身の男子が立っていた。


「ねー、つっきー。クラス表見える?」


 どうやら先ほど話題になった櫻井翼さくらいつばさらしい。

 彼は、六花の言う通りマスクをしていた。


「……ん。まぁ、見えるっちゃあ見えるな」


 少し目を細めて彼は言う。その間、彼の口の動きに合わせるようにもごもごとマスクが動いていた。


「マジで? じゃあ、あたしらのクラス見てよ」


「なんで俺が見ないといけないんだよ……」


 と言いつつも、櫻井はクラス表から視線を離さない。頼まれたら断れないタイプなのだろうか。


「あ、春日かすが。俺ら同じクラスだぜ」


 一瞬、呼ばれた名前に耳を疑った。


「え、どうした?」


 きょとんと櫻井がまばたきをする。

 私が驚いた理由を、私よりも先に六花が不思議そうに言ってしまった。


「あれ、つっきーと美月って知り合いなの?」


「ッ?!」


 ビクッと櫻井の体が動く。私はそれを黙って見つめ、次に櫻井の顔をまじまじと見つめた。


「……知らない」


 出身校も違えば、去年のクラスも違う。私は委員会に入っていないし、そもそも彼は生徒会で一ノ瀬ほどではないが住む世界が全然違う。そして、何よりも私は六花に教えてもらうまで櫻井翼を知らなかった。


「わぉ」


 何故かニヤニヤし始めた六花に、櫻井はしきりに「違う」だの「やめろ」だのと叫ぶ。マスクから少しだけ見える頬は、少し赤みを帯びていた。


「そんなことより、櫻井。六花のクラスは?」


 今年も六花と同じクラスがいい。そう思うのは悪いことではないはずだ。


「そんなことより、だって。つっきー」


「わかってる! 少し黙ってろよ天月!」


 櫻井は視線をクラス表に戻し、じぃっと目を凝らす。櫻井のクラスはどうでもいい。私は六花のクラスが知りたかった。


「えっと……天月は二組だな」


 ふぅ、と小さく息を吐いて櫻井は首を回す。


「私は何組?」


「俺らは一組」


「だ、大丈夫だよ! あたし一組に遊びに行くからさ!」


 私が再び思考する前に六花は親指を立てて笑ったけれど、周りの雑音のせいで私の耳には入ってこなかった。





 右を見ても、左を見ても、誰一人として知っている人はいなかった。顔ぐらいは知っているが、どうしても名前が一致しない。私は自席で一人俯く。

 クラスで担任の到着を待っている退屈な時間。そんな時間は自分の世界に入ってしまうのが私のやり過ごし方だった。周りの目なんて気にしない。


「つっきー。お前、マスクなんかつけて息苦しくないのかよー」


「うるさい、離れろ」


 目の前で、一ノ瀬(いちのせ)櫻井さくらいのマスクをいじっていた。はっきり言って目障りだし、間接的に私のマスクもいじられている気がして不愉快だ。チラチラとこちらに視線を向ける一ノ瀬を、私はずっと無視していた。


(なんでまた同じクラスなんだろ)


 短く、自分にだけ聞こえるようにため息を吐く。頭を抱えながら思考していると、扉が開く音がした。数秒だけ静寂が広がる。


「席についてくださーい」


 高い女性の声がした。台詞から先生であることを理解して、少しだけ顔を上げる。一ノ瀬と櫻井は私の両隣の列の前辺りに座っており、目の前の席には見知らぬ男子が着席した。

 ……何故あの二人はこの席に座っていたのだろう。本格的に顔を上げると、声の通り担任は若い女性だった。黙って話を聞いていれば、初めて担任をやるそうで。


「一組の担任になった、英語科の松山八重まつやまやえです。みなさんこれからよろしくお願いします」


 そう言って、担任の松山先生はぺこりと律儀に頭を下げた。

 チャイムが鳴り、先生は名簿表を持って教室から出ていってしまう。一気に騒がしくなった教室は自分の知らない世界のようで。今回も一番後ろの席に座っていた私は、何もすることがなくて戸惑ってしまった。


美月みつきー!」


「ぐへ」


 けれどそれは一瞬で、後ろの扉から入ってきた六花りっかが痛いほどに私を抱き締める。私が肩を叩いても六花は離れようとしなかった。


「あたしね、やっと気づいた!」


 そう耳元で叫ばれて、顔を顰めているとようやく六花が私から離れる。


「……何に?」


 六花はたまに主語が抜けていて、話についていけない時がある。六花は「あたし……」と呟いて、私を見つめた。


「……美月が見ていて一番面白いって!」


「はい?」


「だ、か、ら! 美月は観察してると面白いの! その美月が同じ教室にいないから、私は何を楽しみに授業を受ければいいかわからないの!」


「勉強すれば?」


 両肩を揺さぶられながら思ったことを口にする。


「ベンキョウ何それ美味しいの?」


「きっと美味しいよ」


 決まり文句のように言われた台詞に真顔で返す。六花は何も言い返せないと言うように嘘泣きを始め、それに慣れていた私は六花をしばらく放置していた。


「あー、春日かすが天月あまつき泣かせたー」


「ッ!?」


 右の方から声がした。そこにはニヤニヤと口角を上げた一ノ瀬がいた。こんなにも性格が悪いのに、なんで彼はアイドルをやれているのか。不思議で不思議で仕方がない。


「……いや、今のは天月が悪いだろ」


 また新しい声がした。その声の持ち主は、目の前の席で男子に絡まれていた櫻井だった。その男子も「それなー」と笑いながら櫻井のマスクを伸ばしている。そして櫻井に叩かれていた。


「そうだよー。嘘泣きもわかんないのー?」


 六花本人もけろっとしていて、一ノ瀬の脇腹を面白おかしくつつき始める。顔を顰めていた一ノ瀬は六花の手を振り払い、「冗談に決まってんだろ」と鼻で笑った。そして私を一瞥して、教室という名の世界から姿を消した。





 一ノ瀬(いちのせ)はその後、教室には戻ってこなかった。

 松山まつやま先生が慌てて探しに行こうとするが、苦笑いをする元クラスメイトが「いつものことだから」と流してしまう。授業は次々と終わりを迎え、新学期初日とあってか今日は午前中で帰れることになった。

 放課後となりまた騒がしくなる教室で、クラスメイトたちが次々と教室から去っていく。その流れに逆らうように、ふらりと誰かが中に入ってきた。癖のある黒髪をヘアピンで留めている男子は、私の知る限り一人しかいない。


(一ノ瀬……?)


 一ノ瀬は何故か妙に静かで、誰も彼に気づいていないようだった。一人で帰る準備をしていた私だけが彼に気づいていたなんて気分が悪くなる話だ。忘れよう。

 瞬間、不意に顔を上げた一ノ瀬と目が合った。


「ッ!?」


 ぎょっと私は──そして何故か一ノ瀬も目を見開く。一瞬気まずい空気が流れたが、すぐに向こうが目を逸らし鞄を持って去っていった。

 私は慌てて止まっていた手を動かす。


美月みつきー!」


 下校しようと廊下に出た刹那に、六花りっかに呼び止められた。


「六花……!」


 まさか呼び止められるとは思ってもおらず、驚きの声を上げながら私は六花の方を見る。廊下側の一番前の席が、親友の六花の席だった。


「ちょっと待っててー!」


 と、頭だけ廊下に出して叫ぶ。私は黙って頷いて、廊下の手摺に腰を下ろした。

 外の世界は晴天で、帰りやすいが花粉が大変だなぁとぼんやり思う。マスクをして正解だった。そう自画自賛した時に名前を呼ばれた。


「何?」


 視線を窓の外ではなく、私を呼んだ櫻井さくらいに向ける。


「じゃあな」


「え?」


 櫻井は手をひらひらと振り、自分の友達と帰っていった。話しかけておいて「さようなら」と言うのかと、私は意味がわからず混乱する。


「おまたせー」


 呑気に教室から出てきた六花に詰め寄った。どういう意味なのか確かめたかったのだ。


「それ『さよなら、またね』って意味だと思うよ」


 六花に愚痴っぽく報告すると、きょとんとした表情で返される。


「ただの挨拶ってこと?」


「うんそう」


 春らしい花の香りが充満する外で、私たちは並んで歩いていた。しばらくして、六花がげらげらと笑い出す。


「あははは! やっぱ美月は面白い! 最高だわー!」


「う」


「ふてくされないのー」


 頬をつつこうとする六花を避け、シャツの第一ボタンを開ける。春といえど昼間は暑かった。


「あ、あたしこっちだから!」


 駅の方を指差して、六花は左手を大きく振る。釣られて私も手を振ると、「またね」が口から零れてきた。それを聞き逃す六花ではなく、彼女はニカッと笑って「またね!」と返す。

 しばらく手を振り続け、私はそのまま真っ直ぐ道を進んでいった。

 私の家は学校から歩いて通える距離にあり、よく六花に羨ましがられている。その途中にある小さな公園は、他愛もない古びた遊具とベンチがあるだけの公園で。そのベンチに、見覚えのある少年がつまらなそうに腰を降ろしていた。


「……あ」


 少しだけ、足が止まる。けれど私にはそのまま立ち止まる理由がなかった。

 あいつに関わるとろくなことにならないは、この一年間で学んだ大切な教訓だ。私は無視を決め込んで、気づかれないようにそろそろと歩く。


「…………あ」


 一ノ瀬も声を漏らした。

 その声にはいつもの憎たらしさがなく、ついつい彼を見てしまう。


「よぉ、春日かすが


 一ノ瀬がニッと口角を上げた。

 見るんじゃなかった、私は後悔しながら歩き出す。当然足は絶対に止めない。俯いて自然と猫背になっていた私は、アスファルトの砂利のみを見つめていた。

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