第十話 一ノ瀬悠 後編2
俺が作詞した新曲の他に数曲歌って、コンサートは幕を下ろした。俺は裏に隠していたスマホを取り出してメッセージを打ち、熱に浮かされた周りから離れる。
そのメッセージはすぐに送り、後は返信が来ることをただ祈った。神なんてものは信じてないが、信じていないものに縋らなければやってられなかった。
「悠、どしたお前」
慌てて顔を上げると、瑛斗がじっと俺を見ていた。腕を組んで偉そうにしている。俺と違ってまったく息が切れていない。
「別になんでもないよ」
「ほんとかぁ? まぁ、なんかあっても無理してステージに出すけどな!」
瑛斗は何故かここでどや顔を見せて、タオルで汗を拭った。
「ダメですよ瑛斗さん。悠さん、キツかったらちゃんと言ってくださいね?」
《Vivace》の最年少とは思えないほどに大人びた性格の悠太が、眉を下げて俺に言う。
「ありがと悠太。けど、ほんとに体調不良じゃないからさ」
内心で瑛斗を恨みながら俺は悠太に笑いかけた。悠太はそんな俺を自分の目で確認して、安堵する。
俺は二人から逃げるように人気のない場所を探し、しかしそんな場所はなく、トイレに逃げた。個室に入って鍵を閉める。
握り締めていたスマホで返信が来るのを待機してから約二分。メッセージを送ってから約五分後に天月から返信が来た。
「おせぇんだよ天月……!」
送られてきたメッセージから教えてもらったアカウントを登録する。そのチャット欄にメッセージを送って一息ついた。
メッセージが送れたらトイレにもう用はない。俺はスマホをしまって全員がいるステージ裏に戻った。
「悠さん、やっぱり……!」
「ん?」
「ふ、腹痛ですか?」
まだ引きずっていたのか。
俺は、かっこいいというより可愛い系らしい悠太の顔を見下ろしながら作り笑いで答えた。
「だから、そういうのじゃないから。もう気にするな悠太」
悠太はまだ何か言いたげな表情をしていた。俺は悠太から離れながらさりげなくスマホを隠す。
送ったメッセージを思い返した。そして、俺はすぐにとんでもない失敗に気づく。
《コンサート終わったら近所の公園で待ってろ》
俺はそんな文を春日に送って、肝心なことを書いていなかったのだ。
公園の名称を忘れた。あまりにも急ぎすぎていたせいで名前を入れることさえ忘れた。せめて名字だけでも送っておけば良かったと後悔しても、メッセージを送る勇気はもうない。
「悠ー。そろそろ移動するから、準備できたら早く来ーい」
多月がまたリーダーらしいことを言って俺を呼んだ。内心で多月に舌打ちをしながら、作り笑いで適当に答える。
アイドルに興味ない春日の心に俺の歌は届いただろうか。俺にしては珍しく不安になってしまっている。汗ばんだ体に扇風機の風が当たった。それが不安を吹き飛ばしてくれそうで、気持ち良くて、目を細めた。
こうしていると、ファンの声がはっきりと聞こえる。少なくとも今日まで応援してくれていたファンには届いたようで、着替えている最中に見た全員の顔がニヤニヤしていることに気づく。
気持ち悪い。
「何ニヤニヤしてんだよ、悠」
だが、俺も同じだった。
俺も、こいつらと同じアイドルだった。
《Vivace》のメンバー八人全員がステージに向かって歩いていく。コンサートは終わったが、まだ、続いていく。
「アンコールありがとー!」
少しの間だけのフリートークと、アンコールがあるからだった。
「みんなー! 楽しんでるかー?!」
多月が楽しそうにマイクを突き上げた。歓声があちこちから聞こえてきたことに満足したらしく、多月は嬉しそうに笑っている。
「今日は来てくれてあざーす!」
いつものノリで瑛斗までもがマイクを突き上げた。その声は近くの俺らには聞こえていてが、後ろの人たちには聞こえていないだろう。
だから、聞こえてないくせに沸き上がる歓声が異様だった。
「フリートークっすね、多月さん! 瑛斗さん!」
多月、瑛斗と来れば、次は明久が話を始める。
《Vivace》のバカ組が盛り上げたおかげで、会場の熱気はまだ冷めなかった。
「だなぁ。…………何話そ?」
「無計画は止めてください」
副リーダーの良平がリーダー多月の後頭部を叩く。
『キャーッ!』
それだけなのに、何故こんなにも歓声が沸くのか俺には理解できなかった。
「フツーに新曲の話でいいじゃないですか」
「あぁ、それだ!」
翔平が珍しくまともなことを言うが、俺だけが頬を引き攣らせる。発表したばかりの新曲の話になるのは当然だが、どうやってもその話題の中心には──自意識過剰かもしれないが、俺がいなければならないと思ったから。
新曲と聞いて観客はさらに盛り上がりを見せる。そっと後退すると悠太に腕を掴まれた。
「んーと……あれ。悠、あの曲なんて名前だっけ?」
「そういえば一度も聞いてませんよね。さぁ悠、いい機会です。発表してください」
多月と良平が俺を見て。初っ端から話題に出された俺は、新曲に名前をつけなければならないらしい。
「えーっと、どうしましょ」
とりあえずマイクを口元に持ってきて、苦笑した。
「決めてねーのかよ!」
珍しく瑛斗がつっこむと、再び歓声が沸く。
「実は今回の新曲は悠さんが作詞したんですよー」
『えぇー?!』
悠太が満面の笑みで暴露すると、観客からそんな反応が返ってきて。気持ちはわかるが胃が痛くなる。
「多月さんが八人で歌うって決めた日に、悠さんが作詞することになったんすよね!」
跳ねる明久はまったくフリートークに参加しようとしない武彦に話を振った。武彦はマイクにスイッチを入れるところから始まり、「そうだな」とだけ言ってスイッチを切った。
「もっとなんかあるっしょ武ちゃん!」
翔平がバシバシと武彦の背中を叩く。武彦は無表情でそれに耐えていた。
「で、悠。話している間に決まりましたか?」
良平が再び俺に尋ねた。何も考えていなかった俺は、この歌詞を書いていた時の気持ちを思い出すしか道が残されていなかった。
春日と出逢った日も春で、ラブソングの歌詞を考えた日も春だった。だから春らしい単語を歌詞のすべてに散りばめている。
春、春、春……そういえば言えば最近松山先生の授業でブロッサムという単語を習った気がする。意味は忘れたが春っぽかったのは確かだ。けど、ブロッサムだけじゃ物足りない。もっと他に、なんでもいいから付け足さねぇと。
春日、春日、春日……そう言えば、俺が阿呆みたいに食っていたゼリーの味はレモンで。理由はまったく知らないが、『初恋はレモンの味』だと誰かが言っていたことを思い出して。
「フリートークタイムなくなっぞー」
痺れを切らした瑛斗が沈黙を破った瞬間、俺はようやく口に出した。
「──《レモン・ブロッサム》」
マイクが俺の声を会場全体に響かせた。
メンバーは全員、俺のつけた名前に対して違いはあれど微笑んで。観客は俺たちに拍手を送り続けた。
「んじゃ、その《レモン・ブロッサム》! もう一回歌おーぜ!」
「は?!」
多月の台詞に俺たち全員は目を見開いた。ステージ裏を確認すると、スタッフまでもが驚愕の表情でこっちを見ていて慌てている。
「スタッフさん! いけますかー?」
「ちょ、多月! 何をまた無茶なことを……え? いける?!」
良平はあんぐりと口を開けてステージ裏と目配せをした。間髪を入れずにイントロが流れだし、視界の隅で武彦がマイクのスイッチを入れた。
……あぁ、もう、後には引けねぇのか。俺はステージの上のライトの眩しさに目を細めて、大きく息を吸い込んだ。
*
終わったんだな、早かったな。
そんな感想を抱いて、観客が一人もいなくなった席を呆然と眺める。だが、俺にはそんな時間がない。
「……春日」
俺が呼び出したんだから早く行かないと。春とは言え夜は冷えるから。
既に私服に着替えていた俺は走り出した。会場の裏口から、他のメンバーには何も言わずに出ていった。
ファンがまだ大勢いる大通りに突っ込んでいくほど馬鹿ではない。春日だってこの中にいたいとは思わないだろう。春日の性格を考えて、人気のない場所の方へと走っていく。……見つけた。普段の印象では想像ができない女子らしい服を着た春日の後ろ姿。その後ろから春日に向かって駆け寄る男がいた。
「ッ!」
ぞわっと、何か得体の知れない化け物が俺を襲った。いや、襲われるのは春日だ。速度を上げて、街頭に照らされたその男の顔を見て──俺は思わず足を止める。
春日の肩を掴んだのは、櫻井翼だった。
春日はつっきーの顔を確認して、引き攣らせた表情を少しだけ和らげる。俺は二人の声が聞こえる場所まで近寄って、二人の話に耳を傾けた。
少し息を切らせているつっきーは微かに震えていて、春日はそんなつっきーを心配そうに見上げていた。
「なんでつっきーがここに……」
「それは、こっちの台詞だ」
黙った春日に、つっきーは追い打ちをかけるように言う。
「なんで春日がここにいるんだよ」
その声は震えていた。
春日は俯き、何かを呟いたように見えた。その呟きは俺には聞こえず、つっきーだけが聞こえていたのだろう──そんな反応を背中でしていた。
「一ノ瀬がお詫びにってチケットをくれて……。言おうって思ってたんだけど、私、言えなかった」
最後の台詞はどういう意味だ。春日の話は、俺には理解できない話だった。
「そこは……もういい。一ノ瀬がお詫びにチケットをくれたって? なんのだよ、あいつ春日になんかした?」
「委員会で迷惑をかけたからって」
おい待て。詫びとは言ったが迷惑かけてとは言ってねぇぞ。嘘ついてんじゃねぇよ。
「あの一ノ瀬が?」
訝しげに聞き返したつっきーに、「あの一ノ瀬が」と春日が笑いながら答えた。
「まぁ、確かにそれくらいのことはしなきゃいけないよな。あいつのせいでこっちはすげー迷惑だったんだし」
俺が何をどうしたら生徒会長のつっきーに迷惑がかかるんだよ。お前ら揃ってなんなんだよさっきから。
「そういうことなら良かった」
はぁぁぁぁと長いため息を吐いてつっきーがその場にしゃがみ込む。辺りが暗くてよく見えないが、色素の薄い髪を掻き乱して、つっきーはまたため息を吐いた。
「え、えと……」
なんて言ったらいいのかわからなさそうな表情で、春日もしゃがんだ。それに気づいたのかつっきーが顔を上げる。そして渇いたように笑い、何かを呟いた。
「……良かった?」
それがつっきーの呟いた台詞なのだろう。春日がつっきーの呟きを聞き返す。
「ッ?!」
肌が色白いつっきーは急に頬を赤くして、そのまま顔を伏せた。さらには両手で顔を覆い、春日を見ないようにしている。
「待って、今のナシ」
「え、なんで」
「ナシって言ったらナシ!」
むすっと膨れっ面になるつっきーは子供っぽくて、こんな奴がうちの生徒会長なのかと思うと恥ずかしくなってくる。なのに春日は笑い出して、「わかった」と頷いた。
「…………笑うなよ」
つっきーは恥ずかしそうにしていたが、春日と共に立ち上がった。
春日はつっきーに見つめられ、視線を逸らす。その逸らし方はトモダチとかそういう関係の奴に対してするものじゃない。不味い、心臓が暴れ出して吐き気がする。なのに一歩も動けない。
「あと、ね。もう一つつっきーに……謝りたいことがあって」
「え」
つっきーが声を漏らした。その漏らし方でさえ俺を殺す。早く終われ。いや、動け。
「ごめん。私、まだあの告白の返事…………できない」
何もかもが、俺はつっきーよりも一歩遅かった。
春日は確かに告白と言った。そうか、つっきー、春日に告ったのか。遅かった。先を越された。そう思っているのに安堵している自分もいる。春日の返事が俺をそうさせていた。
「なんだ、そっか」
「なっ、なんだって、それだけ?」
「いや。謝るって言うからフラれるのかと思ってさ。あー、焦った」
つっきーが笑って後頭部を掻いた。気持ちはわからんでもない。春日の言葉は誤解を招きやすかったからな。
だが、そう。返事を先延ばしにしたということは、完全に出遅れたわけではないということで。だからまだ、俺は、戦える。
「……う。ごめんなさい」
「なんで謝んだよ。謝るな。俺は春日の気持ちに名前がつくまで待つよ」
「…………つっちゃん。ありがと」
春日とつっきーは、一言二言言葉を交わして別々の道を行く。つっきーは俺がいる方へと歩いてきており──俺は焦って電柱へと隠れた。
俺の前を通ったつっきーがぎょっとこっちを見る。事前にフードを被っていたが、クラスメイトのつっきーにはあっさりと気づかれてしまった。
「何やってんだ一ノ瀬」
呆れが混じった声で尋ねられる。俺は仕方なくフードを外してその双眸を正面から確かめる。
「それはこっちの台詞だよ。お前来てたの? それともあいつか俺のストーカー?」
「誘われたんだよ高木に。天月も、柏原も、春日も」
歪められた顔のまま絞り出された言葉に驚く。
「マジで見たのか? そいつらも?」
あの女だらけと思っていた観客の中につっきーも──ついでに柏原もいたのか。女性ファンと同じくらい男性ファンのことも大事にしろ、そう言われていたが素直に喜べない。
「あぁ。《レモン・ブロッサム》だったっけ? お前の書いた新曲」
「……本当に見たんだな」
「あの歌詞、お前らしくなかったよ」
「んなの俺でもわかってる。お前に言われなくてもな」
つっきーは俺を一瞥して、来た道を戻って行った。俺はつっきーの背中を見送るなんてことはせず、走って春日の後を追いかけた。
*
いつまで経っても追いつけなかった。俺は諦めてタクシーを捕まえ、あの公園の前で下ろしてもらい、ベンチに座っていた春日を目に焼きつける。春日は目を閉じていて、まったく動こうとしなかった。
あのままだと本当にいつか襲われるだろ。馬鹿なのかあいつは。そんな言葉をぐっと飲み込んだ。起こさないように近づいて、その体のどこかに触れようかと思った瞬間──春日と目が合う。
「寝てたのかよ」
今来たような振りをして、咎めるように言葉を吐く。春日は首を横に振って否定した。
「ううん。目を瞑っていただけだから寝てないよ」
「寝てんじゃねーか!」
睡眠時間が足りない俺は、寝る代わりによく目を瞑っている。眠れなくてもそうすれば寝たのと同じだ。それも立派な睡眠だと誰かが言っていた気がするから。
春日は答えず、「早かったね」と俺に隣に座るよう促す。マジかこいつ。いいのか本当に。そう思うのは自分が今まで何をしてきたか自覚があるからだった。
「……まぁな」
抜け出して来たとは言えない。春日の前では絶対に。
「抜け出して来たんだ」
そんな心を読んだかのように春日がそう呟いた。
「当たり前だろバーカ。俺が呼び出したんだからな」
春日が目を丸くする。そんな春日の表情に耐えられなくて話題を変えた。
「細かいことは置いといてだ!」
一人分空けて春日の隣に座った俺は、春日に一番聞きたかったことを尋ねる。
「ど、どうだったんだよ。……その、俺たちの……コンサート」
初めてコンサートで歌った。一曲目は俺が作詞した歌だった。
なるべく表には出さないようにしていたが、自分がどれだけ緊張していたのかは自覚しているつもりで。春日は俺を見つめ、思い出したように笑い出した。
「良かったよ、すごく」
それでも不安は拭えなかった。春日がそう言ったのに気休めにもならない。
「本当に?」
もう一度、良かったと言ってほしくて尋ねた。
「本当だよ」
真剣な瞳が俺を射抜いた。俺はそれだけでアホみたいに満足して、ぎこちないが──営業用の笑顔ではない笑顔を見せることができた気がした。
「やっべー、緊張したー」
頬を流れる汗を拭って、疲れを吐き出すように長く息を吐く。春日はそれを黙って見つめていて、だが離れることなくこの場所にずっといてくれた。
「お疲れ様」
俺が落ち着いたと思ったのか、しばらくして春日がそう言った。
「あの新曲……《レモン・ブロッサム》、一ノ瀬が作詞したんだよね?」
「あ、あぁ、まぁな」
「あれがすっごく良かった。私、《Vivace》の曲の中で一番好きだなって思ったからびっくりした」
珍しく俺に笑顔を見せて、春日があの曲の良さを熱弁する。
あれが自分に向けられたメッセージだと気づいていないようだったが、好きだと言ってくれたことは素直に嬉しかった。
「あ、あぁ、サンキュー。……ってかお前、俺たちの曲聞いてたのか?」
「うん、一応。コンサートに招待されたからには予習しとかないとと思って、CD全部借りた」
「……マジで? 二年目とはいえ、俺たちのCD結構あるぞ?」
レンタルショップで借りたとしてもだいぶ金はかかったはずなのに、春日はなんでもないように「そうだね」と言った。
「金持ちかよ」
「お金を使う趣味や欲しい物がないからだよ」
あははと、棒読みで笑った春日が肩を落とす。
「……あ、あぁ」
察した俺の返答に不満があったのかむすっとした表情をされたが、なんでなんよ、お前が言い出したんじゃねーか。
「まぁ、どっちにしろ聞いてくれてサンキューな。俺は歌ってねーけど」
「サンキューな、で終わらせられないの? まぁ、一ノ瀬が私に礼を言うの変だからそれでいいけど」
「もう二度と言わねーよ」
「ふーん」
ふーんて。もっと他にリアクションあんだろ。
「けど、本当だよ。私は本当にあのコンサート良かったって思った。招待した理由はなんであれ、ありがとう、一ノ瀬」
春日が俺に礼を言うのも珍しくて、変な照れ隠しをしてしまったことを後悔する。春日はそんな俺の心境なんて知らないだろうけど。
「…………別に」
そっぽを向いた。目の前も、春日のことも、まともに見れそうにない。
そうしている間にも辺りは本当に暗くなり、月が存在感を放つようになっていた。公園に設置された錆びれた街灯で辛うじてお互いが見える程度だろう。
不意に春日から視線を感じて、根負けした俺は春日の方を向いた。そして、当然のように目が合った。
「な、なんだよ」
俺は体を仰け反らせた。俺たちの間を一人分空けておいて良かった、そう思う。視線を感じた時と同じで、唐突に春日が視線を外した。そして息を吸い込んで吐く。そんな動作が理解できなくて、見ていると笑いたくなってきて、耐えられなかった。
「えっ」
きょとんとする表情も面白くて、笑いが止まらなかった。
「クッ……! ハハハハハッ!」
声に出して笑うから、静寂の公園によく響く。涙目になっていた俺はそれを拭い、気持ちが抑えられなくなって──
「やっぱ俺、お前の事好きだわ」
──告げた。
「…………へ?」
腑抜けた声を春日が漏らす。聞き間違いだとでも思っているような表情だ。
「んだよ、『へ?』って」
春日からしたら聞き間違いであってほしいと思うのだろうか。散々いじめて、挙げ句の果てに告白だからな。
「……え? えっ?」
「おい、落ち着けって」
混乱する春日の両頬に触れてみた。春日はゆっくりと口を閉じて、だからこそ、辺りは怖いほどの静寂へと戻る。
「……悪かったって」
息をするように謝った。それは俺がずっと言わなくちゃいけなくて、言いたかった台詞だった。
「本当は、一年の時、俺が転校してきた日からお前のことは知ってた」
あの日のことを思い出す。春の陽気が睡眠不足だった俺の眠気を誘って、つい寝てしまったあの春の日のことを。
「あの日さ、俺がアイドルだからって女子の奴らが群がってきてさ。マジウザいってそればっかり考えてて、すげー苛々してた」
「それ、覚えてる。廊下がうるさくて嫌だなって思ってたから」
春日らしい返答に吹き出した。自分で言うのも変な話だが、誰もが俺を歓迎していたのに。
「それじゃああれは? 覚えてるか?」
「プリント?」
「そうそれ」
寝てしまって、後ろの席だった春日が俺の肩を叩いた時。馴れ馴れしいなと思ったのは一瞬で、思い切り俺を睨んだ春日のあの表情も──あの瞬間も、今でも忘れられなくて。春日だけは他の女とは違うと知った時の喜びは言葉にできなかった。
「……あまり思い出したくないんだけど」
もじもじと指を動かした春日は恥ずかしそうだった。
「なんでだよ。あれがあったから俺の目にはお前が目立って見えたんだし、気になったんだからな」
「そんな理由で……」
「そんな理由じゃねぇよ! マジでびっくりしたんだからな?!」
気持ちを伝えたくて、身振り手振りであの時の驚きを表現する。
「だからさ、俺、本当の俺をお前に見てほしかった」
猫を被ることを止めた理由はあまりにも単純だったと思う。単純で、周りの奴らにも素の自分を見せるようになって、勝手に楽になって。
「それくらい好きだから」
春日はついに黙った。
「つか、なかなか俺の方を見ないから気を引こうとしてたんだよな」
だから俺は自嘲する。こんなくだらない理由でちょっかいを出された春日は俺のことを一生許してくれないだろう。それでも言うことができて良かった。最低だが、そう心から思えた。
「……そうだったんだ。えっと、私」
「いいよ。どうせお前は俺のこと嫌いなんだろ? 本当にバカなのは俺だよなー」
持ち前の猫被りで笑った。春日が気にしなくてもいいように笑ってみた。
「一ノ瀬はバカじゃないよ」
その台詞に耳を疑った。
「だって、知らなかっただけでしょ? 私だって人との接し方が未だにわからないし、どうしたら自分の思っていることがちゃんと伝わるのか、言葉にすることができないのに。だから私は、しょうがないと思う。それに私は怒ってないし、一ノ瀬のこと……そんなに嫌いじゃないよ」
春日の台詞が今の俺にとってどんなに嬉しかったことか。
子役の頃から自分を偽って、見失って、わけわかんなくなって。それでもがむしゃらになって突き進むと、そこには。
「……サンキュー」
「お礼、もう言わないんじゃなかったの?」
「うるせぇ」
鼻水を啜った。涙が出てきたんじゃない。
これは、ただの花粉症だ。




