第十話 一ノ瀬悠 後編1
学校を早退し、都心にある事務所を訪れる。マネージャーに言われた通りの会議室に足を運ぶと、《Vivace》のリーダー、多月が顔を上げて驚いた。
「悠! 早いな、まだ学校じゃなかったのか?」
「……早退ですよ、多月さん」
「早退?! なんで早退なんかしたんだよ!」
「そうでもしなきゃ集合時間に間に合わないじゃないですか」
文系の大学に進学した多月は暇同然なんだろうけど。俺は内心で嫌味を言って、仕方なく多月の隣に座った。
「悠が俺の隣に座るなんて珍しいなぁ」
「仕事の話があるんです。遠かったら話しにくいでしょう?」
鞄の中からシンプルなメモ帳を取り出して多月に見せる。早退して集合時間よりも早く事務所に来たのは、新曲の歌詞を多月に見せる為だった。
「……俺が見ていいのか?」
「何言ってるんですか。いいから見せてるんですよ」
寝ぼけてんのかこいつ。俺は危うく出そうになった台詞を飲み込んで、頁を捲る多月の細長い指を視線で追った。
紙を捲る音が室内に馴染むと、会議室の扉が開く音がする。
「こんにちは。多月さん、悠さん」
「おいおい、お前も早くないか?」
中三の悠太は肩を竦めて、わざわざ机を回って俺の目の前に座った。
「中間テストで早く学校が終わったんです」
正当な理由があったにも関わらず早退扱いのようにされた悠太は、いつもより不機嫌だった。
「悠太の学校はもう中間テストなんだ」
「はい。悠さんの高校はまだなんですか?」
「うちは生徒会の選挙が近いから、まだ先かな」
「もう選挙なんですか! 早いですね!」
感嘆の声を漏らす悠太の瞳は輝いていた。高校への憧れのようなものがあるのだろうか。
大学一年生の多月は早くも中高の生活を覚えてないのか、珍しく話についていけてない。自分で言うのも変な話だが、普段はあまり発言をしない俺と悠太がこうも話し合えるとは思わなかった。
「中学は秋頃だっけ?」
「そうなんですよー」
苦笑する悠太から視線を逸らして、多月が読んでいたメモ帳を確認する。
「あ、次の頁から歌詞です」
「ん、おぉ、そうか」
急に話を振られて驚いた表情をした多月だったが、笑顔で最後の頁を捲った。
「それ、新曲の歌詞ですか?」
「そうだ。……悠太、お前、この歌詞を譜面に書き込めるか?」
「譜面に? はい、できますけど」
身を乗り出した悠太は首を傾げながらメモ帳の歌詞を確認する。俺は鞄の中からCDを取り出して会議室に置いてあるCDプレーヤーに入れた。
新曲が会議室に流れて、多月が部屋から出ていく。
「いいですね、この歌詞。今までとは違う感じで初々しいっていうか」
「うっ、うい……?!」
「違うんですか?」
悠太が無垢な瞳で俺の瞳を捉えた。大人びた発言をするせいで忘れがちだから何度でも言うが、悠太は最年少の中学三年生だ。
「い、いやっ、悠太がそう思うならそうなんじゃないかな!」
猫を被ったまま言うと、多月が戻ってきて新曲の譜面らしきものを俺らが座る長机に置く。
「悠太、じゃあ今から頼む!」
「今から?! ……ですか?!」
「二週間後のコンサートで歌いたいんだ、これ」
目を丸くした悠太は、そう答えた多月に折れて譜面にさらさらと書き込んだ。
「これを歌うんですか?」
「あぁ!」
無邪気に笑う多月に対してため息が出そうになる。
「無理に決まってるじゃないですか。本番まであと二週間だって、多月さんもわかってるんでしょう?」
「おう。けどさ、裏を返せば本番まで二週間もあるんだぜ?」
多月は曇りのない瞳でそう言って、悠太に視線を移した。俺も多月の視線を追うと、そこには作業に没頭し過ぎて俺たちの会話を聞いていない悠太がいた。
「な?」
大丈夫だと言外に込めた多月は、そのまま鼻歌を口ずさむ。すぐにそれが新曲だと気づいた。
俺が歌詞を書き綴る為に何度も何度も聞いた新曲を、音程を外すことなく歌う多月も同じように何度も聞いたのだろう。
「……俺は、それでいいと思います」
どうせ自分が書いた歌詞だ。羞恥心は最早ないが、他のメンバーがどう思うのかは知らない。
多月はちゃんと「俺は」の部分を聞いていたらしく、「他のメンバーにも聞いとくよ」と笑った。
悠太の横で多月と新曲の振り付けを考えていると、他のメンバーも集まってくる。やはりと言うべきか、最後は集合時間の数分後に現れた瑛斗だった。
「なんで今日も悠が先にいんだよ!」
「なんでじゃないでしょう、瑛斗。貴方が遅刻しているんですよ」
俺よりも先に断言した副リーダーの良平は、俺との振り付けを中断させていた多月と話をしながら言った。
「ぐぐぐぅ……!」
訳のわからない声を出して、瑛斗は悔しそうに唇を噛む。そんな瑛斗を年下だからという理由で弄られている明久が避けていた。明久と同じく瑛斗から弄られている悠太は、今この瞬間も譜面に書き込んでいる作業に没頭していて気づいていない。
瑛斗はそれに気づいて、ニヤニヤと笑いながら悠太に近づいた。
「何してんだよー、悠太」
「邪魔したら駄目だよ。悠太は今新曲の歌詞を……」
「おっ? なに? 新曲?! できたのか悠!」
俺の台詞を遮った瑛斗は、悠太からメモ帳を取り上げる。瑛斗のでかい声を聞いた武彦と翔平は、視線をスマホから瑛斗に向けた。
「なんで貴方はいつもそう突然なんですか。馬鹿なんですか死ぬんですか?」
「……う。しょうがないだろ? やりたいんだからよ」
「知りませんよ多月の欲求なんて」
良平が多月に言葉の槍を放った。多月はあからさまに落ち込みつつ、瑛斗たちがメモ帳に注目していることに気づく。
「……なぁ。お前らはさ、新曲を二週間後のコンサートで歌いたいか?」
「歌えるんすか?! 新曲!」
「マジで?!」
顔をメモ帳から上げた明久と瑛斗は、予想通り瞳を輝かせていた。多月はそんな反応が嬉しかったのか、若干テンションを上げながら他のメンバーの反応を待つ。
先に話を聞いて答えを出していた俺は、立っていることに疲れて長机の一番端に置いてある椅子に腰を下ろした。頬杖をついて武彦と翔平の表情を眺めると、現実をよく見ている二人は微妙な表情を見せていた。
「では、一回多数決を取りますか?」
良平の提案に多月が緊張したように頷いて、手で顔を隠す。
「……なんで顔を隠すんですか」
「なんでって、こういうのは普通相手にわかんないように……」
「わからなかったら意味ないんですよ!」
良平が多月の背中を思い切り叩くと、多月が「いてぇっ!」と体を捩った。俺の意見はいつだって良平とほとんど同じで、だからこそこれを見るとスッキリする。
「賛成の人ー!」
勝手に多数決を取る瑛斗の声に手を上げたのは、多月はもちろん瑛斗と明久、悠太と俺だった。これだけ瑛斗が間近で騒いだおかげで、悠太もことの成り行きを知っているような顔だ。
手を上げなかった良平、武彦、翔平は、ほんの少し目を見開いて俺を見る。……なんで俺を見るんだよ。
「悠も、ですか? ……意外ですね」
良平が考えるような表情をした。《Vivace》のメンバーの中で唯一俺の猫被りに気づいている良平は、珍しく戸惑っていた。
「まず、これは現実的では……」
「グダグダ言うな良平ー! これはもう多数決で決まったんだぞー!」
急にいつもの自信を取り戻した多月が良平をドヤ顔で指差す。そんな良平と目が合って、良平はついに多月に折れた。
そうだ、良平。俺たちが大人にならなきゃ駄目なんだよ。
「わかりましたよ。マネージャーにスケジュールを確認して来ます」
良平が会議室から出ていった刹那、悠太が「できました」と譜面を纏める。
「おっ。悠太ー、仕事が早いなぁ」
多月に譜面を渡した悠太が首を回すと音が鳴った。一番年下のくせに悠太はよくやってくれたよなと思う。本当に。
「お疲れ、悠太」
武彦がそんな悠太の肩をマッサージする。武彦のマッサージはメンバーの中で一番上手く、悠太は気持ち良さそうに目を細めた。
「武ちゃん俺にも」
「お前は疲れてない」
翔平は唇を尖らせて机に顔を伏せた。他人に触られるのは嫌だが、俺でさえ武彦のマッサージならやってほしいと思う。だから翔平の気持ちはよくわかった。
「ありがとうございます、武彦さん」
「別に」
「もし良かったら悠さんにもお願いします。悠さん、歌詞だけでなく振り付けも考えてるんですから」
「ゆ、悠太?!」
素で目を見開くと武彦と目が合った。武彦は「そうだな」と俺に向かって歩いてくる。
「ずりーっしょ、悠」
翔平はそう文句を言うが、悠太、ナイスだ。子役だったおかげで年上への配慮ができている。武彦の方が年上だが、何もしてないから遠慮はなかった。
「あ、じゃあお願いします……」
「任せろ」
武彦がぐっと俺の肩に力を入れると、ほどよい刺激が全身に伝わった。しばらくマッサージをしてもらっていると良平が帰ってきて、後ろにはマネージャーがついていた。
「貴方たち、本当に新曲を歌うのね」
無理だと言わず、マネージャーは確認するようにそう尋ねた。俺たちの意思を確認したマネージャーは、大きく頷いてまったくない胸を叩く。
「貴方たちの思いはわかったわ。私に任せなさい!」
「ありがとうございます、マネージャー!」
多月が立ち上がって頭を下げた。リーダーだけにそれをやらせる俺たちではなく、全員が多月に倣って頭を下げた。
「じゃあ、今日はいつもの練習と新曲の練習ね。ハードになるわよぉー」
「それは全員覚悟の上です」
良平が苦笑して、多月は後頭部を掻いた。
会議室からレッスン室に移動した俺たちは数時間も練習をして、帰りの準備をする。
「っはぁ……!」
俺はペットボトルに入ったスポーツドリンクを一気に飲み干す。そして視界の隅から投げられたタオルを片手で掴んだ。
「お疲れ、悠!」
「お疲れ様です!」
ニカッと笑ってこの場をやり過ごそうとした。多月はそんな俺に不信感を抱かずに去っていく。
誰にも話しかけず、話しかけられず、歌とダンスのレッスンを両方こなした余韻に浸る。今までならば考えられないほど疲れ切った体に驚いていた。そして、久しぶりにワクワクしている自分に気づいて──心の底から笑ってしまった。
「お疲れ様」
「マネージャー……!」
何故だろう、今日は気分がいい。マネージャーは俺を見上げて数枚の紙切れを寄越してきた。
「これは?」
「貴方たちのコンサートのチケットよ」
「それは見ればわかりますけど……」
「招待券。家族や学校の友達に渡してあげなさい」
「は?」
待った。今、なんて言った。つい素で返してしまったことに気づいていたが、俺は訂正せずに動きを止める。
「だって貴方、今度のコンサートで初めて歌を歌うでしょう? それに、貴方が作詞した新曲も披露するんだから、親しい人たちに見てほしいじゃない」
俺はようやく思考を再開させた。このマネージャー、気が効くのか効かねぇのか。
(……やっぱわかんねぇな、人間)
幼い頃から悠太と同じく子役として芸能活動をしている俺は、話す人によって性格を変えるということができていた。
時と場合で本音と建前を使い分ける。それが当たり前だと思っていた過去もあった。だから俺は、人間なんてわかっているようで本当はわかっていなかったのだと思い知った。
「…………ありがとうございます、マネージャー」
初めて、長年の付き合いであるマネージャーに心からの礼を言う。そして、俺の脳裏に浮かんだのは──あいつだけだった。
*
久しぶりに遅刻をしないで学校に来た俺は、見たくはないものを見てしまった。
俺の進む道の先、目の前に立つ櫻井が春日の手を握って俺のことを観察してくる。
「珍しいな、一ノ瀬が遅刻しないなんて」
「……そっちこそ。珍しい組み合わせじゃん、罰ゲームかよ」
そうとしか思えなくてつい口走った。櫻井は不機嫌そうに眉を顰めて口をへの字に曲げている。
「ちげぇよ」
「じゃあ何?」
善人すぎるあの櫻井が俺の言葉で不機嫌になるなら、本当に罰ゲームではないんだろう。俺は段々と苛ついてきたが、顔には絶対に出さなかった。
「選挙結果を見に行くだけだよ」
それさえも保てなくなる。
「……選挙? それ、もう終わったのか?」
「昨日な」
崩れていく。俺は思い切り目を見開いて、ようやく自分の感情を知った。
俺は、やりたかったんだと。アイドルとしての俺じゃなくて、一般人としての俺が、春日と一緒に委員会の仕事をすることを夢見てもいたんだと。
櫻井の後ろから俺を見つめる春日に視線を移した。
「……そうかよ」
過ぎてしまったことはもうどうしようもない。
俺はこれから起きることを予言するように新曲を鼻唄で歌って春日に近づいた。
「……後でお前に話がある」
そう言い残して二年一組の教室を目指した。
昼休みに入り、俺は早々に席を立つ。迷うことなく一番後ろの春日の席に近づいて、口を開いた。
「おい」
「……何」
「何、じゃねぇよ。今朝話あるっつっただろーが」
俺は腕を組んでそっぽを向いた。春日は「……あぁ」と思い出したように呟く。なんかしばらく見ねぇ間にしおらしくなったな、こいつ。
「マジで忘れてたのかよ、お前」
少しショックで、俺は逸らした顔のまま視線を落とした。今朝の話だってのに記憶力大丈夫かよ。
俺がため息を吐くと、視線の外にいる春日がむっとした表情を出した気がした。
「ごめん」
聞こえてきた台詞に驚いて春日を見つめる。春日はトントンと教科書を整えて机の中に入れていた。
「……何?」
固まったまま春日を見つめている俺に、春日は怪しげに尋ねてくる。
「お前、なんで謝って」
そこまで口走って俺は口を閉ざした。
春日が俺に謝るなんて今まで一度もなかった。そもそも去年からの出来事を考えても、謝るべきなのはいつだって俺の方なのに。ぐっと唇を噛む俺を見上げて、春日は不思議そうに首を傾げた。
「とにかく行くぞ!」
「ッ?! ちょっ、何?!」
強引に春日の手を引いた。春日は抵抗することなく、大人しくついて来る。
「あれ、うっわ悠だぁ!」
教室を出ると、天月が天然記念物を見るかのような目で俺を見上げた。
「てめぇに構ってる暇はねぇんだよ、退け」
「はぁ?! あたしだってないわよ……って美月?!」
「ごめん六花。なんか私、一ノ瀬と話さなきゃいけなくて……」
「え、えぇ……。そうなの?」
弁当箱を手に持つ天月が俺に尋ねた。俺は適当に返事をして春日の手をさらに引く。
行く場所はもう決まっていた。階段を上って、ポケットに入れておいた鍵で解錠して、屋上に出る。
「は、離して」
春日が手首を軽く後ろへと引っ張った。俺は素直に春日の手首を離し、ぽかんと口を開ける春日を見下ろす。
「話って何」
今さら警戒心を見せる春日は、いつもの春日だった。俺はブレザーのポケットからくしゃくしゃになった紙切れを取り出して、春日に差し出す。春日はじっくりとそれを見つめた。
「…………ゴミ?」
「ちっげぇよバカ!」
そう見えても仕方ないが。俺はくしゃくしゃになった紙切れを広げて整えて、改めて春日に差し出した。
「……やるよ」
カラフルに印刷された面を春日に見せて、春日はその瞳にチケットを映す。恐る恐る俺からチケットを受け取って、俺は少し緊張を解く。
「え……?」
どうして私に、と聞いてきそうな瞳に見つめられた俺は、居心地が悪くて頬を掻いた。
「俺さ、副委員長なんて楽勝だって思ってたんだ」
「はぁ」
相槌をを打つ春日に感謝して、俺はさらに言葉を続けた。
「やれると思ってたんだよ、ずっと。アイドルと学生の両立ができるならアイドルと委員会の両立だってできるだろって」
アイドルと学生の両立ができていたと胸を張って言うことはできなかったが、俺も春日も気にすることはなかった。
「けど、できなかった。結局は高木の言った通りになった。コンサートの時期と重なってたからっつー言い訳はしねぇ」
いつの間にか、春日が真剣に俺の話を聞いてくれていた。それが嬉しくて、気を抜いたら泣きそうで、気を張る。
「だから、そのお詫びな。それ」
「ッ!」
ぴくんと春日の両肩が震えて、俺とチケットを見比べる。
「何か悪いものでも」
「食ってねぇよ」
春日の台詞を読んで先に返した。それがあまりにも息ピッタリで、俺だけではなく春日も驚く。
「けど、本当にいいの? これ貴重なものなんじゃ……招待券って書いてあるし」
「いいんだよ」
俺はニッと笑って腕を組んだ。得意気とかそういうのじゃなくて、微笑みに近いものだったと思う。そういう気持ちだったから。だから、春日も俺の前で初めて嬉しそうに笑ったんだと思う。それがあまりに綺麗で。大切で。俺は、いつまでも見ていられるような気がした。
*
コンサート当日。俺は真新しい衣装に身を包まれながら、ソファに腰を下ろしていた。今日はガラにもなく緊張している、それが嫌というほどにわかる。最悪だ。そしてそれ以上に最高だった。
「会場、賑やかになってたっすよ!」
嬉しそうに笑って控え室に入ってきた明久も、真新しい衣装を着ていて駆け寄ってくる。
「そっか。良かったな」
そうやってたくさんの場所に行って汚すなよ、衣装。
「衣装を汚さないでくださいよ、明久」
「汚さないっすよー」
良平が訝しそうに明久を睨むと、明久は大人しく俺の左隣に腰を下ろした。
「うー! あー! うー!」
逆に俺の右隣はさっきから不気味な声を上げている。そのせいで俺の緊張も大きくなるのだからいい迷惑だ。
「うるさいっしょ! 瑛斗ぉ!」
ソファの上で膝を抱える瑛斗に痺れを切らした翔平が怒鳴った。良平は最早何も言わずに椅子に座っている。
「確かに今日は一段と緊張してますね、瑛斗さん」
悠太が心配そうに瑛斗の顔を覗き込んだ。俺は自分のことで精一杯で、瑛斗には絶対に話しかけないと決めていた。
「生放送もコンサートも変わらんだろ」
武彦が冷静にそう言うが、俺は武彦の意見には同意できなかった。
「まぁまぁ。ほら、瑛斗! この前みんなで食ったゼリーだ! 買ってきたから食べようぜ!」
がばっ。瞬間に瑛斗が顔を上げて多月の持つゼリーを涙目で見つめた。
「ゼリーぃい!」
あ、てめぇ。鼻水垂らすなよ、汚ねぇじゃねーか。
「今食べるんですか?」
良平が顔を顰める。確かにそうだ。俺たちはもう衣装を着ている。
「今だから食べるんだろ! なっ?」
「食べる! 今食べるー!」
多月は瑛斗と──ついでに明久を味方につけて笑ってちた。良平は主に瑛斗の反応を見て、肩を竦める。それを了承と捉えた多月は雑にゼリーの箱を開けた。
瑛斗と明久、武彦も翔平もテーブルに置かれた箱の中身を覗く。
「ほら。悠太も悠も来い」
「はい!」
悠太も嬉しそうに駆けていく。俺は緊張を悟られないように悠太に続いた。メンバーの頭を避けながら俺も箱の中身を確認すると、前回と同じ種類のゼリーが入っていた。
「俺オレンジ!」
今回もオレンジを選んだ瑛斗は、瞳を輝かせてオレンジ味のゼリーを照明に翳していた。他のメンバーも次々と、前回と同じ味のゼリーを選んでいく。
「おーおー。良平、お前も来ないと残り物になるぞー」
「その店のゼリーならなんでもいいですよ」
俺もレモン味のゼリーを取る。残ったのは、当然コーヒー味だった。
「じゃ、今日のコンサートの成功を祈って! 乾杯!」
「かんぱーい!」
今日も色とりどりのゼリーが掲げられる。《Vivace》のメンバーは、ほんとこういうのが好きだな。
俺は内心で失笑してゼリーを掲げた。学校だったら絶対にやらないが、何故《Vivace》のメンバーと一緒ならなんでもやってしまうんだろう。スプーンを柔らかい弾力のゼリーに沈ませて、俺は口に入れた。
レモンの味は今日も酸っぱすぎず、甘すぎず。
「うーまーいー!」
瑛斗が頬っぺたを押さえて叫んだ。
気づいた時には瑛斗も、そして俺も、緊張感がなくなっていた。
ゼリーを食べ終わってすぐ、俺たちは全員で舞台袖に向かっていた。遠くから聞こえていただけの歓声も、ここからだとよく聞こえる。
「……あと少しか」
ボーカル組だった多月はダンス組だった俺たちと同じ真新しい衣装を着て、観客席をじっと見つめていた。
「今さら緊張でもしましたか? 多月」
「ばか。そんなわけないだろ」
良平は「ならいいんですけど」とブリッジを上げた。多月は唇を尖らせて視線を元に戻す。俺も多月の視線を追うように、今は遠くに見える観客席を眺めた。
あの中に春日はいてくれているかどうか考えて、できるわけねぇのに見つけたいと思った。
「お前ら、行くぞ」
多月がいつもの決め台詞を口に出す。最初は嫌だったが、今となっては慣れてしまった。加えて、これが俺たちの合図になっていた。
装置が動く。俺は深呼吸をして、輝く舞台へと飛び出した。