プロローグ
ガリ、と口内に入れた飴を噛み砕く。春日美月の感情とは裏腹に、空は雲一つない晴天だった。
高校一年生春の日の教室は、朝であっても賑わっている。いや、いつも以上に騒がしいくらいだ。
「美月!」
振り返ると、美月が唯一親友と呼んでいる天月六花が教室の入り口から手招きをしていた。
「何ー?」
窓側から動きたくないと思うほどに怠惰な美月は声を伸ばしてそう尋ねる。六花はそんな美月を見て、何故か「ダメダメ!」と声を張り上げた。
「こっち来て! イイモノが見れるからさ!」
「イイモノって……」
顔を顰めた。イイモノなんて美月にはないに等しい。
ぐいぐいと六花に引っ張られて教室の外に出れば、廊下に女子の人だかりができていた。全員が黄色い声を上げていて、騒がしい原因はこれだったのかと美月はようやく納得する。
「何あれ」
「あー、美月は知らないのかぁ。えっとね、アイドルの一ノ瀬悠君だよ!」
六花は「うちの学校に転校してきたんだって」とはしゃいでいる。そんな六花とは対照的に、美月の心は冷めていた。
──転校生。
その響きは、無慈悲に美月の心を刺していた。
『こっち来んなよ、よそものー!』
転校生とはつまり、余所者である。
小学生の頃、転勤族だった美月の家は何度か引っ越しを繰り返していた。一軒家を購入して今はこの土地に落ちついてはいるものの、余所者というレッテルを貼られた美月へのいじめは高校に入るまで絶えたことはなかった。
「……どうでもいい」
呟いて、美月は教室へと戻る。
席替えしたての窓際の席に座ると、五月の中旬らしい薫風が美月の頬を撫でた。
*
「一ノ瀬悠です! よろしく!」
ニコッと笑った余所者は、クラスのみんなから歓迎されていた。アイドルとあってか美月の目にはすぐにクラスに馴染んだように見えて、嫉妬してしまう。
どうして自分はダメだったのだろう。意味のない比較をして悔やんだ。
「一ノ瀬君の席は窓側の一番前の席ね」
担任が指を差した場所に一ノ瀬が座った。美月の席はその列の一番後ろで、彼の後頭部さえ見えなかった。
別にどうでもいいけれど。机に突っ伏して眠るように目を閉じた。
「はーい、じゃあ後ろからプリントを集めてきてー」
美月は眉を顰めて立ち上がる。後ろの席はこれがあって面倒なのが欠点だった。
一人、そしてまた一人とプリントを回収していき、一ノ瀬の席で足を止める。彼はそこで堂々と眠っていた。
「あの……」
起きない。
「プリント……」
苛々した。思い切って一ノ瀬の肩を軽く叩くと、ピクッと肩が動いて体が上がる。
「あれ、俺……寝てた?」
無言で頷くと、クラス中が笑いに包まれた。なんだか自分まで注目されたような気がして、恥ずかしさのあまり硬直する。
止めて、見ないで。ただの被害妄想であることは美月もわかっていた。わかっていたが、どうしても心が苦しかった。
「ごめんね、はい」
白紙のプリントを満面の笑みで手渡してきた一ノ瀬を睨みつける。受け取ってから後で誰かに話される可能性を考えてなかったことに気づいて悔やむ。
一ノ瀬はじぃっと、自席へ戻る美月を見つめていた。美月はずっと俯いたままで、授業をまともに受けることができなかった。
──第一印象、最悪。
その時どちらかがそう思った。