久々利 小吉
「………僕の声がですか!?」
「………はい………」
間違いない。少し高めの声質、馬鹿にしたような口振り、こいつだ。こいつが水の中で……僕を………
「だって考えてみてくださいよ!単純にあり得ないじゃないですか? 水の中で喋るなんて。ましてや僕は意識を失っていたんですよ?」
………ああ………分かってる…………僕だって分かってるよ、そのくらい。
僕たち三人は、水辺に並んで腰を下ろす。三人ともびしょ濡れだ。冷たく吹く夕風が僕たちを体の芯から冷やしていく。今すぐにでもここを離れたい。早く家に帰りたい。それでも体は、休むことを要求していた。
「本当に僕でした?っていうかなんて言ってました?」
「………いや…………それは…………」
「…………………覚えてないですか?」
「……………すいません………」
「…………そっか………」
覚えてない訳じゃない。いや、むしろ鮮明に覚えている。一言一句、どんな口調で、どんな言い方で、どんなトーンで、何を言われたのか、僕は何を聞いたのか、全部覚えている。まるで僕の全てを知っているかのように、僕のこれまでの歩みをすべて観察していたかのように、それだけじゃない、あの時の僕の感情や、あんな時僕がどう思っていたのか、どう感じたのか、そしてこれからの僕を僕自身が一体どう考えているのか。誰にも打ち明けたことのない、見せたことのない僕を、その声は知っていた。そして、僕の隣で佇むこの男こそが、あの声の主に間違いない。
でも何故だ?こんな男、会ったこともましてや喋ったことだってない。本人は知らないというが何か嘘をついているような感じも否めない。
ただ、嘘をついていたらついていたでだ。なぜこの男が僕の全てを知っている?まるで救助に諦めかけた僕を鼓舞するかのように、絶妙なタイミングで、またあの水の中で、どうやって声を出すというのだ。
謎過ぎる。考えれば考えるほど、絡まった糸にまた新たな糸を絡めているようで、馬鹿馬鹿しさが増していく。
その無限ループにはまらないうちに自分でけじめをつけなければならない。
なんてことはない。僕だけが体験した不可思議な出来事だ。
よし。無かったことにしよう。何も無かった。
僕は誠三とここに来て、母ちゃんに言われたように滝に打たれて頭を冷やし、よく反省をしてまたいつものように家に帰って行くんだ。
これでいい。変な男が溺れていたことも、それを誠三が見つけたことも、二人で必死に助けようとしたことも、あの、声のことも。
ない。何もない。僕の隣に座る男は、幻だ。妖精だ、妖精。ちょっと無理はあるけど、妖精だ。この森に潜む妖精なんだ。たまたま会ってしまったが、家に着く頃には記憶から消えている。大丈夫だ。ちょっと聞き捨てならないようなことを言われたけれど、心の奥底に押し込んでいたものを引っ張り出されたような気がしたけれど、そんなものはまたすぐに押し込んでしまおう。すべて無かったことにしよう。さようなら妖精さん、この場所からも、そして記憶からも。
「…………寒いな」
「…………………………………」
「……………寒くないですか?」
誰も喋ってない。何も話しかけて来ていない。
「………………だんだん暗くなって来てますし、そろそろここにいるのも危険じゃないですか?」
誠三、そろそろ帰ろうか?ほら、母ちゃんも待ってるし。
「僕たち帰る場所が無いんですよ」
誠三?
「帰る場所がない!?……………どういうことです?」
誠三、誰と話してるんだ?
「……いや……ちょっと………」
「………………訳ありですか?」
「………………まあ……………」
誠三、どうした?帰ろうよ。母ちゃんの待つ家に帰ろう。
「………………もしかして、喧嘩してお母さんに家を追い出されたとか?」
「………………………」
「………………図星のようですね」
「………………なんで分かったんですか?」
「いや、まあそれはいいとして、お二人、僕がここにいることを幸運に思うべきですね!」
男は、いや、妖精は、急に声を大にしてグッと立ち上がる。僕も思わずそちらに目が行く。
「はじめまして!私、仲裁屋という仕事をしております、久々利小吉と申します!」




