表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

硝子の瞬き-間宮響子-

作者: 江渡由太郎 原案:J・みきんど
掲載日:2026/04/29

 夜は、気づかないうちに“こちら側”へ滲み出してくる。


 橘充希がその人形を受け取ったのは、二十歳の誕生日の夜だった。


 白い箱。古びた革の紐で結ばれ、まるで棺のように静かだった。


「海外のアンティークらしいよ。すごいでしょ?」


 そう独り言を呟きながら軽く笑ったが、充希は箱を開けた瞬間、言葉を失った。


 そこにいたのは――“人形”だった。


 否、そう呼ぶにはあまりにも精巧すぎた。


 硝子のような瞳。光を反射するたび、ほんのわずかに焦点が揺れる。唇は薄く、血色があり、まるで呼吸しているように見えた。頬にはかすかな陰影があり、触れれば温もりすら感じられそうだった。


「……ミア、って呼ぼうかな」


 充希はそう言って笑い、すぐにスマートフォンのカメラを回した。

 彼女は配信者だった。日常を切り取り、誰かと共有することが、生きている証のようだった。


 その夜の配信は、いつも以上に盛り上がった。


「ねえ……ミア、今日からずっと一緒だよ」


 本来は無機質なはずの人形に話しかける充希。


 コメント欄は歓声と冗談で溢れていた。

 《本物みたい》

 《ちょっと怖い》

 《瞬きした?今》

 充希は笑いながら、ケーキを切り分けた。


「ミアにもあげるね」


 フォークで小さくすくい、人形の口元へ運ぶ。

 当然、食べるはずがない。

 だが――


 そのときだった。

 ほんの一瞬。

 ほんの、わずかに。

 人形の唇が、触れたケーキに“吸い付いた”。


「……えっ?!」


 コメント欄が一瞬で凍りついた。


 《今動いた》

 《今の見た?》

 《やばい》

 《加工?》


 充希は笑った。


「やだ、みんな怖がりすぎ」


 だが、その笑顔は引きつっていた。



 その夜から、配信は変わった。

 ミアは、時折“動く”。

 カメラの死角で、首の角度が変わる。

 目線が、明らかに充希を追う。

 誰も触れていないのに、椅子から床へ落ちている。


 コメント欄は騒然となった。


 《やめた方がいい》

 《それ、持ってちゃダメなやつ》

 《誰かに見てもらえ》


 ある視聴者が、こう書き込んだ。


 《間宮響子って霊能力者がいる。そこに行け》




 数日後。


 間宮響子は、事務所の中でいつになく静かな目をしていた。


 充希は人形を抱えたまま、彼女の前に座っていた。


「……あなた、もう触られてるわね」


 第一声が、それだった。


「えっ?!」


「人形じゃない。これは“器”よ。中身が、もうあなたを選んでる」


 充希は笑った。


「そんな、冗談ですよね?」


 響子は何も言わず、人形の顔を覗き込んだ。

 そして、ほんのわずかに眉をひそめた。


「……遅かったかもしれない」


 その瞬間。

 人形の瞳が、ゆっくりと動いた。


 充希ではなく、響子を――まっすぐに見た。


 それからの記憶は、充希の中で断片的にしか残っていない。


 響子が何かを唱えていた。

 部屋の空気が、異様に重くなった。

 鏡に映る自分の顔が、なぜか“笑っていた”。

 自分は笑っていないのに。


 人形が、床に落ちた。

 音がした。

 割れる音。


 だが、何も割れていない。

 なのに、確かに“何かが壊れた”。

 気がつくと、充希は自室にいた。

 カメラは回っていた。

 配信は、続いていた。


「……あれ?」


 コメント欄は流れている。

 《さっきの何》

 《戻ってきた?》

 《充希?》


 充希は安心して笑った。


「大丈夫、大丈夫だよ。ちょっと変な夢見てただけ」


 彼女は振り返った。

 そこに、人形はなかった。


「……ミア?」


 視界に入る範囲を視線で探す。

 床。棚。ベッドの下。

 どこにもいない。

 何故か……ほっとした。


「よかった……」


 そのとき、コメントが一斉に流れた。


 《後ろ》

 《後ろ見て》

 《振り返るな》

 《逃げろ》


 充希は、ゆっくりと首を動かした。

 カメラに映る、自分の背後。

 そこに――

 “もう一人の自分”が立っていた。


 同じ顔。

 同じ服。

 同じ笑顔。


 ただ、目だけが違った。

 ガラスのように、光を反射していた。

 そして、その“充希”の腕の中には――

 あの人形が、抱かれていた。


 配信はその瞬間、途切れた。

 だが動画は残っている。

 今でも視聴できる。

 再生すると、最初は普通だ。

 誕生日。

 ケーキ。

 笑顔。


 だが、ある地点から、何かが“ずれる”。

 映っていないはずのものが、映り込む。

 音声に、誰かの囁きが混じる。

 そして最後。


 画面が暗転する直前。

 ほんの一フレームだけ――

 視聴者の“こちら側”を見ている、ガラスの瞳が映る。


 間宮響子は、その動画を最後まで見た。

 そして、静かに呟いた。


「……もう、外に出てる」


 彼女はスマートフォンの画面を伏せた。

 だが遅い。

 “それ”は、画面の向こうではない。





 もう、こちらを見ている。

 あなたの、そのすぐ後ろを。

 夜、部屋の電気を消したあと。

 ふと、何かの気配を感じることがあるだろう。

 振り返るな。

 決して、振り返るな。


 なぜなら――

 それはもう、“あなたの顔を知っている”から。



 ――(完)――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ