夜明けと朝日
静かなる深緑の王妃宮で騒々しい沙汰の一夜が明ける。
ぎこちないルシオ、アエル、国王の歯車はそれでも回り始める。
すり減って互いが馴染むまでかかる時間は長いのだろうか、短いのだろうか。
昨夜の突飛な話から個々の関係性や人柄がわかってくると思います。
国王宮。国王の基本の寝殿。
国王が全国王夫妻と共に幼少を過ごした場所であり、
夫妻が急逝したのちも臨時の住居としてではなく、使い続けられている。
煌びやかという感じもないが、古びたという感じもない。
壁に添わされたアイビーも管理が行き届いていた。
近づけるものの少ない国王宮。
けれど前国王夫妻が意図した通り親しみやすい建物であり、
幼き日の現国王はよく友達を招待して廊下を駆け回っていた。
皮肉なものだ。今ではその影しか残っていない。
現国王が18歳で急遽即位してからは部外者が入ることはめっきり少なくなった。
ダークオークを基調とした深緑の正妃宮。
白と金と高潔なる紅のダリアの第二王妃宮。
純白の石灰と海を彷彿とするネモフィラの第三王妃宮。
個々の色をまとったそこに国王が足を運ぶというのがお決まりとなっていた。
そこへ夜な夜な移動してきたのが王族で最も末っ子な王子であるルシオ。
深緑が確かに馴染んでいたルシオも国王宮の穏やかな朝の空気に抵抗は感じない。
漠然と瞼を開ければ知らない天井で、それをすぐに頭で理解する。
慣れない手触りの布団をずらし、上半身を起こして足を床に下ろす。
朝日が透けるカーテンの下から溢れ落ち、地面が波打っている。
それを眺めながら深呼吸をして、拙い足取りでカーテンをずらす。
眩しい。
見慣れない庭師たちがすでに草花に水を撒いて手入れを始めていた。
まだ冷め切っていないぼんやりとした視界でそれを映す。
のどかだ。
ルシオは踵を返してベットに腰を落として、正面の整然と動いている時計を見つめる。
何もしていないのが落ち着く現状。
それに不思議を感じながら、過ぎる一刻一刻を聞き流していた。
何度か寝返るを打つ。
正妃宮で寝泊まりするのだって慣れるまで時間がかかったというのに。
王宮となれば時間が必要だろうか。
もしかしたらどれだけあっても足りないのかもしれない。
最後の寝返りで壁を見つめる。
隣はルシオ様の部屋だ。
物音を立てまいとしながら体を起こし、ベットの柔らかい弾力に包まれる。
我ながらポヤポヤとした頭でこれからの憂鬱が揺蕩っているのを認識する。
ーとりあえず寝癖を治そうー
櫛を通せば高級な香油の香りがする。
昨夜、メイドさんに3択の香りを提示されたのだけれど、
熟考ののちに気を遣われた結果、日替わりにでも使うこととなった。
ー顔も洗っておこうー
部屋から洗面所へと体を進める。
鍵を開けて、ドアノブをそっと下げる。
顔を上げれば対面にはもう一方の扉。
ー鍵はかかっているとはいえ、一回の騎士を王子殿下の寝所と繋がっている部屋に寝かせていい訳はないんですけど。ー
本来夫婦が使うような浴室が各寝所の中継ぎにある構造の部屋。
それを今僕とルシオ様が使っているのは、陛下が普段使いされている部屋の正面だからだ。
ー僕が妃宮に赴くようにしているから結局使ったことないんだよねー
僕の下世話な困惑を知ってか知らずか、陛下はなんとは無しに呟いていた。
水道を撚り冷水を桶に溜めては、魔石に魔力を通じて熱水に変えて混ぜる。
前国王夫妻によって建てられた宮だというのに、
ハイテクな魔道具が導入されていて少し驚く。
正妃様はその技術の不明瞭さから忌避されていた。
「…あれ、ルシオ様起きられてますか?」
小さな足音が聞こえた。
「ん。ああ。起きてる。」
数秒の後。扉のすぐそばにやってきてから返事をされる。
「髪も整えていませんが開けていただいて大丈夫ですよ。あ、僕が一旦退きましょうか。」
忍んでいた反動でガタゴトと音を立てながら、
用の済んだ桶をひっくり返して立てかける。
「いや、いい。アエルは僕の寝起きだって見ているだろう。」
鍵を開けて入ってきたルシオ様は、
夜空のような暗い紫の髪を真っ直ぐに下ろしている。
「おはようございます。ルシオ様」
「ああ、おはようアエル。」
眠気まなこ。つぶった片目をさすっている。
ーああ、寝起きとはいえ子供らしい表情は初めて見ましたね。ー
腰まである長髪は寝起きだというのに全く癖づいていない。
「冷水と熱水を調合する…。」
そんな僕の感嘆なんて知らずに
ルシオ様は桶を置き直し神妙に作業を始める。
ルシオ様は深呼吸と共に魔力を流すやり方らしい。
邪魔をしないよう手櫛で髪をすく。
「跳ねた熱水で火傷だけなさらないようご留意ください。」
「ああ。」
最近は生活魔法や魔道具が普及して、さらなる二次利用が進められている。
幼い時に魔力の扱いに慣れておかなければ魔力を上手く扱えなくなる。
有名な話だ。
幸い陛下のおかげでルシオ様は簡単な魔力の扱いはできる。
「髪濡らされますか?でしたらドライヤーをおかけしましょうか?」
「お願いする。風と火の2属性。加えて手元が見れない分、父上からもできれば控えるように言われている。」
陛下も正妃様からルシオ様を預かった以上慎重のようだ。
「わかりました。髪もお結いしますね。」
ルシオ様が腕に結んでいた髪紐を取りやすいようにと棚におき、
僕は何種類も置かれたブラシの中から通常のものを探り当てる。
「…後でアエルの髪も乾かしていいか?昨夜に父上で練習させてもらったから怪我をさせる事はないと思うのだが」
微笑みを冷や汗を垂れ流しながらも即座に了承の言葉を紡ぐ。
ー主人を見誤るな。身分がどうだ?権力の理不尽が怖い?私情だ。捨てろ。ー
第四王子騎士団の団長の言葉。
ーだからと言ったってー
隅にいた憂鬱が湧き上がって台頭してくる。
自身のおろした髪を軽く振った。
「では失礼します。」
「ああ。」
頬下くらいで切り揃えられた前髪を立ち上げながら真ん中でわけ、
綺麗に流れる長髪を頭部の情報で一つに括るのがお決まりだ。
鏡越しのルシオ様と目が合っているのにはやはり慣れない。
「はい。完了です。」
「ああ、ありがとう。」
オンオフが切り替わり眠気が消失した赤の瞳。
切れ長な目と相まって幼なげも姿を消す。
けれどどこからか漏れ出す不安と緊張をやはり僕は感じ取れていた。
結ったアエルの髪の結い目をもう一度なぞって確かめる。
「結えたぞ。曲がってもいないと思う。」
アエル・アウルム。稲穂色の柔らかい長髪を三つ編みにまとめている。
若草色の柔い目。
後ろ髪を三つ編みにする間に前髪は自身で櫛を通し、軽く流していた。
「ありがとうございます。三つ編みもお上手ですね」
微笑み方は父上と似ている。
けれど確かにアエルは表情がわかりやすい。
父上の言っていた通りだ。
「ああ、昔教わった。」
そしてこういう僕の昔に触れる言葉に焦りを滲ませるのも相変わらずだ。
だけれども理由はいまいちわからなかった。
過去は過去のことで、後悔とやらも感じたことはなかった。
もう50歳を迎えていた国王レクスの起床は、
子供の頃から変わらず大変怠惰であった。
毎朝大体同じ時間位に起こされては二度寝する。
顔を洗う桶が運ばれてきたら意識を起こし、
ハーブティーが持ってこられてやっと体を起こす。
そこから洋服を撮ってこられると決まって出窓に腰をかけて背を伸ばし、
ここ16年間は遠い隣の正妃宮に視線を馳せていた。
正妃宮、庭。今はあいにく枯れ草に溢れている。
もうすぐくるであろう春。毎年の春。
荒れてしまってはいるが、だからこそ生き生きとした小鳥が集まってきていた。
ー当然、これから春が来るんたよねー
正妃宮の裏にはすぐそこに林があり、進んでいくと小さい山がある。
この山は領域が区切られていて、訓練場として使われたり、
催しの狩の会場となったり、子供の遊び場として作った領域もあった。
「あんま使われなかったなぁ」
当初から我が子たちとの短剣を思い浮かべ、
“最初の頃“は上手くいっていて分、その国王の呟きに含まれる息は多い。
リズミカルなノック。不相応なそれが響く。
「陛下、お茶をお持ちいたしました。はい、失礼っと」
返事を待つことなく入ってきた侍女長カテナ。
彼女が視線をあげた先には朝日に馴染んで輝く山吹色の髪。
ー今日に限って…は早起きですねー
国王はゆっくりとあさにふさわしき穏やかな顔で振り向く。
「そうだ、ルシオは起こしに行った?行っておいで。」
珍しく顔に出て固まった侍女長に国王は微笑み、
即座に返された露骨なため息には苦笑で応じる。
「…言われずとも、行ってまいりますよ。陛下が毎度毎度お起きになられるのにお時間をおかけになられるから先にまいっただけです。」
国王はお茶を受け取り、欠かさないお礼を言いながら表情豊かに抗議している。
ー子供っぽい。まあ陛下の子供の頃だなんて知らないのだけれどー
もうすぐ50を迎えそうな侍女はどこか調子のいい肌を叩く。
「…では失礼、いや、行ってまいります。」
16年の月日は誰にとっても一律に過ぎていた。
「おはようございます。国王宮メイド長のカテナでございます。ご起床のお時間です。失礼してもよろしいでしょうか」
先ほど出てきた陛下の部屋の対面。
「はい。問題ありません。」
陛下とまた違った穏やかな声。
第四王子近衛騎士団副団長アエル・アウルム。
という肩書きはあまり釈然としない。
数秒後には鍵が開けられる。
「失礼致します。第四王子殿下はご起床なさっていらっしゃるでしょうか?」
自明だがとりあえず尋ねておく。
アエル卿がルシオ様の部屋にいる以上、起床しているだろう。
「はい。ご支度も済まされています。領分を犯してしまってすみません。」
律儀な謝罪。アエル卿が早くに起こすとも思えない。
父子で両極端だ。
「いいえ、問題ございません。陛下もご支度をすぐ済まされると思いますので、時間通りに朝食の運びになると思います。アエル卿も同席なさると聞いておりますが…」
うっと苦くなったアエル卿の顔に自分と同じものを感じる。
王族の食卓に同席だなんて荷が重い。
彼に関してはピクニックでもないのだし。
「承知しています。」
そっと胸に手を当てる仕草。忠誠に狂いはなさそうだ。
ーどうせなら私がおそばでお守りしたかったー
その想いはとうに捨てた。
パクス様に爆笑されそうだったから。
「では、陛下がお尋ねになるまで自室でお待ちくださいませ…」
「わかった。」
不意に部屋の奥から顔を出すルシオ王子殿下。
このお方も形式上の二度手間はいらないらしい。
「お初にお目にかかります。」
なびくな前髪のその間に見える王族の証の赤眼は揺れず、
無愛想にも見える整然とした目元。
「国王宮に滞在なさる期間はわたくしが中心となってお世話係を務めさせていただきます。」
ルシオ王子殿下はパクス様の生き写しのようで全く違う。
顔立ちがそっくりだからこそ映える気持ちの悪い能面さ。
「宮が変わった以上、ご不便が多くなってしまうと思いますので、その際は何なりとご進言、お申し付け下しませ。」
ルシオ王子殿下は齢14歳。背丈だって小柄だ。
死んだ時のパクス様よりも幼いというのに、パクス様と違い表情すら打つらわない。
「ご理由やご要望をおっしゃっていただければ配慮させていただきます。」
私だって幼なげの残るであろう王子に不相応な硬い口調になっている。
またあの時に戻ったみたいだ。
パクス殿下のとの初対面。
でも今度はニヤついて笑いかけられることはない。
「わかった。こちらこそ世話をかけると思うがよろしく頼む。」
厚く重い扉が閉まっていく。
侍女は退室し、すくそこの国王の元へと向かおうとする。
しかし扉が閉まっても足は動かず、数秒後に対面の壁に背でもたれかかる。
ー今度こそ幸せにできるのかしら。自信がなくなってきたわー
深呼吸をしては翻ってすぐ隣の扉をノックする。
断じて侍女長に覚悟が消えたわけではなかった。
どうでしょうか。各々の起床風景。
突飛な一夜から温度感を持った話になってきたのではないでしょうか。
次回は少し登場人物が増えることになります。
まだ詳しく覚える必要はありませんので気楽に構えててください。




