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パルフェタムール

作者: 藤邑微風

月が綺麗だから、というのはいつだって何かの口実だ。


それが誰かを誘い出すためのものであっても、ただ沈黙を分かち合うためのものであっても――その言葉の下には、たいてい言いそびれた別の真意がある。


これは、ある一夜の話。

満月とカクテルと、かつて「少年」と呼ばれた誰かの運転で、誰かが家まで帰るだけの話。

けれどその間に、いくつかの言葉は交わされ、いくつかは交わされなかった。


夜はときに、昼よりも真実に近い顔をしている。

そして酔いはときに、人をいちばん正直にする。





見夜子「少年。会計を済ませて月を見に行こう。良い場所があるんだ。もちろん君の運転だよ。私は無事故・無検挙でね。飲酒運転はいけない。」


暦「無検挙は辞書に収録されていませんよ。それはそうと、僕が二十歳になる瞬間を居酒屋で祝おうって呼びつけたのはあなたじゃないですか。」


目尻の下がった眠そうな目。ニヤリと口角の上がった口元。普段からほろ酔い顔のこの人は飲酒したとて変わることがない。ルールや倫理といったものを嘲笑うかのように、自分のルールで享楽放蕩を尽くす掴みどころのなさ。それにあてられて、ついつい謎解きの本を開くような童心を隠せないのだ。


見夜子「私だってか弱くて可憐な乙女だよ?初めてのアルコールで君が恐ろしい狼になってしまったら…ね。まだ君に勝ち誇った顔をされるのは癪なんだ。それに乗りたがっていたじゃないか。私のコンバーチブル。」


暦「いいんですか!?」


見夜子「車の方が乗りたかったんだね。だから君は少年なんだ。」


暦「時代錯誤の男性像ですよ。」


見夜子「いいじゃないか。動物の本能さ。」


暦「はいはい。早くいきましょう。」


地方都市というものは二十分も走れば長閑な自然に立ち入って行くものだ。地図を開けば、ちょうど街と街の境界が点示されていそうな名も知らぬ山の尾根を走る。


宝石店で朝食を。といったタイトルが頭に浮かぶ。なぜならその劇中歌が隣から聞こえてくるからだ。


助手席の窓枠に肘を乗せ、控えめに奏でる鼻歌が隣にあるだけで、未知の目的地に向かっているというのに帰り道のような安心感がある。


暦「ブルームーン。よく知ってましたね。今日が満月だって。」


見夜子「月に興味なんてないさ。今月は人生で一番カレンダーが気になっていたからね。日付の下に満ち欠けが記されているんだ。たまたまその日の予定を書き込まなければ気づきもしなかっただろうね。」


暦「今日何か予定があったんですか?」


見夜子「誰を真似たのやら。意地が悪くなったね。君も。」


***


「さて。そろそろ目的地だ。」


かつて観光地に通ずる唯一の道路だったここは、連休の度に混雑したのだろう。山の頂近くにトイレと自動販売機があるだけの休憩所がある。


山肌から少しせり出すように備え付けられた東屋からは環状に連なる山々の内側を見渡すことができた。


駐車場から数メートル離れただけだというのに、光源らしいものは遥か大気の層の向こうにしかない。


マイナスイオンという比喩が不覚にも一番しっくりくるような空気。思い切り吸い込む香りがもたらす酩酊感。なかなかいい夜じゃないか。


無言で同じ空を見上げる。


「そうだ。誕生日おめでとう。」


「ありがとうございます。いい夜です。」


見夜子「確かにいい夜だね。今死んでも悔いはないよ。そうしたらあの辺りに埋めて欲しいな。なんなら今その手でこの首を絞めてもいいんだよ?そうしたら教唆した私と実行した君は共犯だ。忘れられない思い出になるだろう?」


暦「せっかく月が綺麗だというのに無粋な人ですね。次のブルームーンは2年後だそうです。次はあなたが運転してください。酔心地であなたに運転させる権利を主張します。埋まるならせめてその後でも遅くないでしょ。」


見夜子「まったく君は。」


暦「あなたを埋めるなんて、できない相談ってわけですよ。」


見夜子「なんの話だい?」


暦「ジンとパルフェタムールのカクテルです。」


見夜子「数刻前まで未成年だった君が生意気な。生憎私は頭を使って酒を飲むのが苦手でね。後で調べておくよ。」


暦「そうしてください。」


***

帰り道。街の灯が近づくたび、夜が少しずつ壊れていくようだった。



助手席の見夜子は、首を預けるようにシートに体を傾け、目を閉じていた。寝息を立てるには浅すぎる呼吸。暦の運転する車は一定のリズムで道路のつなぎ目を越え、時おりラジオがかすかに何かを喋った。



ほんの少し、まぶたを持ち上げる。視界の端に、運転席で黙って前を向く暦の横顔。



あのとき「君の手で絞めてもいい」なんて言ったのは、たぶん、間違いだった。けれどあれは、唯一の正直でもあった。

酔っていたのか、月がきれいすぎたのか、それともただ、そう言ってみたかっただけか。



……どれも、本気ではない。ただ、それを試せる人が現れてしまったというだけのこと。

ほんとうは、埋めてほしかったんじゃない。ずっと、掘り出してほしかったのだ。



目を閉じなおす。今度こそ、少し眠れる気がした。



今夜くらいは、自分を甘やかしても罰は当たらないだろう。少年に運ばれて帰るくらい――

かわいいと思ってくれたら、それでいい。


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