第8話「貴族夫人とカフェ・クレーム」
王都ルーンハイトの通りを、一台の馬車が静かに進んでいた。
車輪が石畳を叩く音が響く中、窓のカーテンがわずかに揺れる。
「……ここが例の店ですわね」
馬車の中から現れたのは、上品な装いの貴婦人だった。
金の刺繍が施された深緑のドレスに、白いレースの手袋。
整えられた金髪をまとめ、まるで宮廷にいるような佇まいを見せる。
彼女の名はエリザベート・ド・レイモンド。
王都の上流階級に属し、社交界でも名の知れた貴族夫人である。
「はい、エリザベート様。こちらでございます」
「さて……どんなものかしら」
「エリザベート様、私が先に入り、場を整えて参ります」
「久しぶりの外出よ。気軽に楽しみたいわ。あなたは馬車で待っていて」
エリザベートは、執事を馬車に戻し、扉を優雅に押し開けた。
***
異世界のカフェ空間
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
外の暑さとはまるで別世界。冷房の効いた快適な空間に、彼女の眉が少し上がった。
(まあ……驚いたわ。まるで魔法のような涼しさ)
店内には、木の温もりを感じる家具が整然と並び、奥のカウンターでは店主の藤倉 陽翔が静かに微笑んでいた。
「ご来店ありがとうございます。お席はこちらへどうぞ」
案内されながら、エリザベートは店内を一瞥する。
(落ち着いた雰囲気……でも、貴族のサロンとは違う、どこか心地よい親しみがある)
席に着くと、すぐに隣から声がかかった。
「おや、また新しい客か」
カウンター席でくつろいでいたエルフのエレイン・シルヴェリスが、面白そうにエリザベートを見つめていた。
「これはまた、品のあるご婦人だな」
「まあ……ずいぶん気さくな物言いをなさるのね」
エリザベートは涼しげに微笑み、エレインの姿を観察する。
(冒険者のような風貌……けれど、ただの戦士ではないわね)
「彼女は常連さんですよ」
陽翔が穏やかに説明する。
「そうなの。では、こちらの店には、さまざまな階層の方々が集うのですね」
「ええ、皆さんそれぞれに、お好みのコーヒーを楽しんでいます」
「ふふ、興味深いですわね」
エリザベートは微笑みながらメニューに目を落とした。
***
貴族の嗜みにふさわしい一杯
「それで、ご注文は?」
陽翔が尋ねると、エリザベートは優雅に顎に手を添えた。
「私は、ただ苦いだけのものは好みませんの。けれど、甘すぎるのも考えもの……」
「では、カフェ・クレームはいかがでしょう?」
「カフェ・クレーム?」
エリザベートが首を傾げる。
「カフェ・クレームは、フランスで親しまれているコーヒーです。エスプレッソにスチームミルクを加えたもので、まろやかさとコクが絶妙に調和しています」
「フランス……聞き慣れない異国ですのね」
「ええ。かなり遠い国ですからね。フランスでは朝食とともに楽しまれることが多く、貴族の間でも人気のある飲み物でした」
「まあ、それは素敵ですわね」
エリザベートは興味深そうに微笑む。
「では、それをお願いしましょう」
***
陽翔は豆を取り出し、エスプレッソマシンにセットする。
「カフェ・クレームに使うのは、コクのある中深煎りの豆です。ミルクと合わせても風味がしっかり残るんですよ」
カップにエスプレッソが抽出されると、続いてスチームミルクがゆっくりと注がれる。
細かい泡が表面を覆い、滑らかな質感を生み出した。
「お待たせしました。カフェ・クレームです」
エリザベートはカップを手に取り、まずは香りを楽しむ。
(ほう……香ばしく、それでいて優雅な香り)
そっと口をつけると、柔らかなミルクの甘みと、エスプレッソの深いコクが舌に広がった。
「……まあ、これは素晴らしいですわね」
「お口に合いましたか?」
「ええ。苦味があるけれど、ミルクがそれを包み込むように調和しています」
エレインがカップを覗き込みながら、くすりと笑った。
「ほう……貴族ってのは、こういう飲み物を好むのか?」
「まあ、あなたのようにただの“苦い水”を飲むのとは違いますわね」
エレインが眉を上げた。
「ただの苦い水とは言ってくれるな。私はこの“苦み”が好きなんだ」
「それぞれの好みがある、ということですね」
陽翔が静かに微笑みながらカウンターを拭く。
エリザベートは満足げにカフェ・クレームを味わいながら、ふと思案する。
「この飲み物……王都の社交界で流行るかもしれませんわね」
「社交界で?」
「ええ。貴族の集うサロンで提供すれば、話題になるでしょうね」
「なるほど、それは面白いですね。サロンでお出しするのであれば、お付きの方に豆と作り方をお伝えしておきますが…」
「けっこうですわ。あなたがいれた一杯だからこその、味でしょうに。必要な時は遣いをよこしますわ」
「承知しました」
陽翔は興味深げに頷いた。
エリザベートはカップを置き、涼しげな笑みを浮かべる。
「素晴らしい時間でしたわ。ぜひ、また訪れさせていただきます」
「お待ちしています」
扉が閉まり、再び静けさが戻る。
エレインがカウンターに肘をつきながら呟いた。
「貴族も意外といいもんを飲むんだな」
「ブラックとは違う良さがありますよ」
「ふん……ま、私は私の好みを貫くさ」
陽翔は微笑みながら、新しい豆を手に取った。