第7話「衛兵隊長とアイスコーヒー」
夏の日差しが王都ルーンハイトの石畳を焼き付ける。
ルーンハルトは夏は暑く、冬は寒い。
革鎧を身につけた衛兵たちは、城門前での警備を続けていたが、じっと立っているだけでも汗が滲んできた。
「くそ……今日も暑いな……」
ルドルフ・クラウザーは、額の汗を拭いながら愚痴をこぼした。
王都衛兵隊の隊長を務める彼は、鍛え上げられた肉体と厳しい表情を持つ歴戦の男だったが、この暑さにはさすがに耐えかねていた。
「なんとか冷たい水でも……」
そう呟いたとき、ふと鼻をくすぐる香ばしい香りが漂ってきた。
「……なんだ、この香り?」
甘さを感じさせるような、それでいて深みのある香り。
衛兵の仕事中でなければ、思わず誘われてしまいそうな芳醇な匂いだった。
「ちょっと休憩に行ってくる」
仲間にそう告げると、ルドルフは香りのする方向へと足を運んだ。
***
異世界の快適空間
「いらっしゃいませ」
扉を開けた瞬間、クーラーのひんやりとした冷気がルドルフの肌を包んだ。
「……なんだ、この涼しさは?」
外の灼熱とはまるで別世界。冷たい空気が心地よく、思わず長居したくなるほどだった。
「この店は、いつでも快適だ」
カウンター席でくつろいでいたエルフのエレイン・シルヴェリスが、涼しげな表情で微笑んだ。
「おや、今日は衛兵さんがいらっしゃるとは珍しいですね」
店主の藤倉 陽翔が、穏やかにルドルフを迎える。
「いや、あまりの暑さに、冷たい水でも飲めないかと思ってな……」
「水もありますが、せっかくなら冷たいコーヒーはいかがですか?」
「……冷たい、コーヒー?」
ルドルフは眉をひそめた。
「コーヒーってのは熱い飲み物じゃないのか?」
「いえ、冷たくすることもできますよ」
この店全体を涼しくする魔法が使え、この季節に飲み物を冷やす方法があるという。この店は金持ちの道楽か…
「へえ……どんなものか、試してみようじゃないか」
***
「アイスコーヒーには、大きく分けて二つの作り方があります」
陽翔はそう言いながら、豆の入った袋を取り出した。
「一つは急冷式。熱いコーヒーを直接氷で冷やす方法です」
「熱いものを一気に冷やす……?」
「はい。香りや風味がそのまま残るので、キレのある爽やかな味わいになります」
「もう一つは?」
「水出しコーヒー(コールドブリュー)ですね。こちらは時間をかけて低温で抽出するので、苦味が少なく、まろやかな味わいになります」
ルドルフは腕を組みながら頷いた。
「なるほど……そいつは面白い」
「ちなみに、アイスコーヒーの歴史ですが、17世紀のフランスで“カフェ・グラッセ”という冷たいコーヒーがすでに存在していました」
「フランス……はじめて聞いた国の名だ」
「そして、日本では19世紀末に氷で冷やすアイスコーヒーが広まりました。独自に発展した文化ですね」
「ふむ、年号が異国のものだから想像しにくいが、歴史があるんだな……」
ルドルフは興味深そうに陽翔の手元を見つめた。
***
陽翔は急冷式のアイスコーヒーを淹れるため、豆を挽き、ドリッパーにセットした。
「今回は、アイスコーヒー向きの深煎り豆を使います」
「深煎り?」
「酸味が抑えられ、コクが強くなるんです。アイスコーヒーにはこのほうが合います」
ゆっくりとお湯を注ぎ、濃いめに抽出したコーヒーがドリッパーを通っていく。
それを氷をたっぷり入れたグラスに一気に注ぐと、香ばしい香りが広がった。
「お待たせしました。急冷式アイスコーヒーです」
ルドルフはグラスを手に取り、じっくりと観察する。
透き通る琥珀色の液体に、氷がカランと音を立てて揺れた。
「……では、いただくとしよう」
***
驚きの一口
ゴクリ──
「……っ!」
ルドルフは目を見開いた。
冷たさが喉を駆け抜け、スッキリとした苦味が後を引く。
暑さに火照った体が、一気に冷やされる感覚。
「これは……爽快だな……!」
「でしょう?」
陽翔が微笑む。
「急冷式は、冷たさと香りがしっかり残るので、夏には最適ですよ」
「いや、正直驚いた。コーヒーにこんな飲み方があるとはな……」
ルドルフはもう一口飲み、満足げに息をついた。
「こいつは、衛兵の仕事にも役立ちそうだ。昼の休憩時間に飲めば、暑さでバテることも減るかもしれん」
エレインが笑いながら言う。
「次は衛兵仲間も連れてくるんじゃないか?」
「ふむ……あり得るな」
ルドルフは銀貨を置き、グラスの最後の一口を飲み干した。
「いいものを知った。これから暑くなったらまた来るとしよう」
「お待ちしています」
扉を開け、涼しい店内から再び暑さの世界へと出ていくルドルフ。
「……さて、私もそろそろアイスコーヒーにしようかな」
エレインが空のカップを置いて言った。
「茜、私の分も頼めるか?」
「もちろんです!」
茜が嬉しそうにカウンターへ向かう。
涼しい店内で、また一つ、新しいコーヒーが楽しそうに作られていた。