第6話「吟遊詩人とモカジャバ」
王都ルーンハイトの石畳を踏みしめながら、一人の男が歩いていた。
長い外套をまとい、背には琵琶のような弦楽器を背負い、肩に羽飾りをあしらった帽子をかぶっている。
彼の名はラミロ・ヴィオラント。
吟遊詩人として各地を旅し、詩と音楽で人々を楽しませる男だ。
「……なんとも香ばしい匂いだな」
ふと立ち止まり、鼻をひくつかせる。
王都の大通りから一本外れた道に佇む、一軒の奇妙な店。
木の温もりを感じるシンプルな外観。扉の向こうからは、馥郁たる香りが漂っている。
「コーヒーの店、か……」
ラミロはしばし考え、やがて小さく笑みを浮かべた。
「旅の途中、たまには新しい刺激も悪くない」
軽やかに歩を進め、店の扉を押し開けた。
***
吟遊詩人とエルフ
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうで、落ち着いた声が響く。
店主の藤倉 陽翔が、ゆっくりとラミロを迎えた。
「吟遊詩人か…これはまた、珍しい客が来たな」
カウンターに座っていたエルフのエレイン・シルヴェリスが、興味深げに彼を見つめた。
「エルフの麗しきお嬢様、詩人としてあなたの美を讃える詩を詠んでも?」
ラミロは流れるように帽子を取って一礼し、軽やかに言った。
「いらん」
即答するエレイン。
「……そっけないな」
ラミロが苦笑すると、店の奥でカップを拭いていた茜がくすくすと笑った。
「それよりも、お前も飲んでいくんだろ?」
エレインが顎をしゃくる。
「ええ、そうですね。私の喉は歌うためのもの。優しく潤してくれる飲み物があればありがたい」
「どんなものがお好みですか?」
陽翔が尋ねると、ラミロは少し考え込む。
「私は甘いものが好きでしてね。けれど、くどすぎるのは苦手だ。程よく心を満たし、なおかつ余韻を残す飲み物があれば最高なのですが」
「なるほど……でしたら、モカジャバはいかがでしょう?」
***
モカジャバの歴史と魅力
「モカジャバ?」
ラミロが首を傾げる。
「モカジャバは、イエメン産のモカと、インドネシア・ジャワ島産のコーヒーを組み合わせたブレンドです」
「ふむ……モカとジャバ?」
陽翔は頷き、豆の袋を取り出した。
「イエメンのモカは、フルーティーでワインのような酸味が特徴です。一方、ジャワ島のコーヒーは、深いコクとスパイシーな風味を持っています」
「ふむ……」
ラミロは顎に手を当て、興味深そうに聞いている。
「この二つを合わせることで、酸味とコクが調和し、豊かな味わいになるのです」
「まるで、詩と旋律のようだ」
ラミロはぽつりと呟いた。
「詩だけではただの言葉。旋律だけではただの音。だが、二つが合わさることで、真の音楽が生まれる……そんな感じがするな」
「ええ、まさにその通りです」
陽翔は微笑みながら、豆を挽き始めた。
***
一杯のモカジャバ
ミルから挽かれた豆の香りが、店内に広がる。
「モカジャバは、世界最古のブレンドとも言われています」
「なんと?」
「17世紀、オランダ東インド会社が、イエメンのモカ港とジャワ島のコーヒーをヨーロッパに輸出したのが始まりです」
「なるほど、交易によって生まれた味というわけか」
お湯をゆっくりと注ぎ、コーヒーが抽出される。
芳醇な香りが立ち上ると、ラミロは思わず鼻をひくつかせた。
「……これは、ただの飲み物ではないな」
「お待たせしました。モカジャバです」
ラミロはカップを手に取り、一口含んだ。
──豊かなコクと、ほのかな酸味。心地よい甘みが舌の上に残る。
「……素晴らしい」
ラミロの瞳が輝く。
「酸味が強すぎることもなく、かといって重すぎない。まるで、軽やかに踊る旋律のようだ」
エレインが笑いながら言う。
「詩の出来はともかく、舌は確かなようだな」
「お褒めに預かり光栄です」
ラミロは愉快そうに笑い、再びカップを傾けた。
***
「よし……この味を詩にしよう」
ラミロは胸元から紙片を取り出し、さらさらと筆を走らせた。
「かつて旅人が交差した港にて
赤き果実と黒き大地が出会い
一つの詩となりて世界を巡る
その名はモカジャバ」
「……お前にしては悪くないじゃないか」
エレインが軽く笑う。
「ほう、エルフの麗しきお嬢様に褒められるとは」
「ただし、もう少し甘さがあった方がいいな」
「……言われると思ったよ」
ラミロは苦笑しながら、最後の一滴を味わった。
「店主、素晴らしい時間をありがとう」
銀貨を置き、ラミロは立ち上がる。
「また王都に戻ったときは、必ず寄らせてもらおう」
「お待ちしています」
扉が閉まった後、茜がぽつりと呟いた。
「コーヒーの味で詩を作るなんて、素敵ですね」
「詩だけじゃないぞ?」
エレインがニヤリと笑う。
「もしかしたら、次に来たときは“コーヒーを讃える歌”でも披露してくれるかもな」
陽翔は微笑みながら、新しい豆を手に取った。