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9. 回想――ヴァレリアという人物

『久しぶりじゃな』


眠りに落ちた私は、気づけばそこにいた。

眩い光に満ちた虚無の空間。


そこに鎮座する一匹の蝶――すなわち神。

止まり木もないのに羽を休めるその様が、神の傲慢さを体現しているように見えた。


――"前回会ったときからまだ一週間しか経っていないが"


『む、そうであったか? 我には時間の概念がないからの……それよりも、お主。『犯人』は見つけることができたのか?』


犯人……戦争を起こそうとしている異端者。

私は入学以来、学級のみなを疑ってきた。

しかし断定できない。


親友とも言える彼らに、そんな人間がいるとは思えない。

疑心暗鬼になれば止まらず、私の心は猜疑の傀儡となりかけていた。


――"わからない。まったくわからない"


『ほう。時間の制限は基本的には(・・・・・)ないゆえ、熟慮するがよい。お主に終わりがくるとすれば……それは『犯人』にお主の正体を看破されたとき。すなわち、時間を遡っていると暴かれたときじゃ』


今のところ、私は一般的な生徒でしかない。

正体が暴かれる余地はないはずだ。


『まだ情報が不足しすぎているか。また後で呼び出す。そのときは面白い返答を聞かせるのだぞ?』


やや威圧気味に神は言い放つ。

ならば知恵のひとつでも授けろと言おうとしたが……気づけば現実世界の朝が訪れていた。



「…………」


重い体を起こす。

今日の天気は曇り。

薄暗い部屋の中、窓掛けを開けずに身支度に取りかかる。

机に立てかけた木製の杖を軽く叩いた。


二週目の人生は思いのほか退屈で。

今日も惰性で講義に赴く。


『犯人』も私と同じように、退屈な既知を感じながら講義を受けているのだろう。

さて……次はどの人物の性格を精査しようか。


……ヴァレリアにしようか。

正直、彼女は『犯人』から最も遠い人物だと思う。

前世のことを想起すれば明らかだ。


 ***


「あたしはサナパガの民を救う。たとえ公国に背いたとしてもな」


サナパガ男爵令嬢ヴァレリア。

豪放な性格で、公国軍の士気にも深く関わっていた。


サナパガ男爵領は少し特殊な成り立ちを持つ。

元はリアス帝国の領土の一部だったのだが、四十年前にトレッシャ大公国に割譲された。


サナパガの民。

精強な兵を多く有する民族で、帝国の政にも反発する傾向があった。

それゆえ帝国からは煙たく思われ、厄介払いのような形で公国に割譲されたのだ。


サナパガの民を治めるため、公国は族長に男爵位を叙爵。

諸侯とは友好的でなくとも貿易相手として成り立っていた。


「いいか、お前たち。あたしに公国貴族の自負はない。サナパガの民に危害が及ぶようなことがあれば、すぐに戦争からも抜けさせてもらうぞ」


ヴァレリアはよく私たちに言った。

最後まで公国の抵抗に付き合うつもりはない、と。

あるいは公国からも、帝国からも独立したかったのかもしれない。



だが、ヴァレリアは優しすぎた。

悪意に満ちた戦場で生き残るには、良識を持ちすぎていた。


――"そろそろ故郷に帰ったらどうだ"


旗色が非常に悪い。

明らかに敗戦を喫する。

そんな雰囲気が漂い始めたころ、私はヴァレリアに尋ねた。


「ん……まだいい」


彼女はそっけなく言う。

語るべくもなく、常に前線で戦い続けた。

それだけでは不足だと思ったのか、ヴァレリアは一拍置いて言葉を継いだ。


「ここであたしが抜けたら、士気に関わるだろう? お前たちも心配だし……特にロマナとか目が離せないじゃないか」


――"どちらにせよ負けは見えているが"


「冗談でもそんなことを言うな。アイゼンバッハ先生の講義でも習っただろう? これまでの歴史でも、不利な状況から戦を覆した例は枚挙にいとまがない。最後まで希望を捨てなきゃ、勝ち目はあるだろうよ。『解放、抗争、平和』だろう?」


解放、抗争、平和。

公国軍が掲げる標語をヴァレリアは反芻する。


私は素直に反省した。

仮にも将官である私が弱音を吐くとは。

兵に聞かれたら一大事だ。


――"だが、ヴァレリアは帰らなければならないだろう"


「そうだな……いつかはサナパガの民に顔を見せなければ。だが、見せるのなら笑顔がいい。帝国に勝ってやったぞと笑いながら凱旋したい。サナパガの民は帝国に恨みを持っているからな」


かっこいい言葉だ。

そういえば……戦が始まってから、笑顔を見る機会はめっきりなくなった。


騎士学園であんなにも笑っていた生徒たち。

彼らはみな表情に余裕がなくなり、逼迫した様相になっていく。

笑みが見えたとしても、それは一時的な嘲りを含んだものに他ならない。


公国軍の軋んでいく精神を支えるひとつの柱。

それがヴァレリアだ。


「ま、そんなところだ。あたしは逃げも隠れもしない。その代わり、あんたが帝国に勝つための献策をしてくれなきゃ困るけどな」


そう言われると重荷になる。

私は公国軍の軍師として全体の動きを統制していた。

わが双肩に公国の未来がかかっている。

ときに故知に倣い、ときに衆知を集め……私は日夜、不利な状況を覆すために熱を出していた。


――"私の策は自分の知恵のみによるものではないが"


「……と言うと、その杖の精霊様か?」


精霊様、ヴァレリアはそう言って私が持つ杖を見た。

一見して何の変哲もない樫の杖。

しかし、ここには私の片割れとも言える存在が宿っている。


精霊……私と契約した生命体だ。

俗に精霊術師と呼ばれる私は精霊と契約し、精霊術と呼ばれる超自然のまじないを行使する。


そして精霊はときに相談相手にもなってくれた。

契約者のみにしか見えず、話せない存在だが……こうして杖を握ることで互いを知覚できる。

私の精霊はなかなかに知恵者で、戦況を打開する策も打ち出してくれるのだ。

きっと今も私とヴァレリアの会話を聞いているのだろう。


――"そういえばサナパガの民には精霊信仰があったな"


「ああ、そうさ。サナパガの民は精霊様を絶対的に信仰している。精霊様を絶対的に崇拝し、命じられたことは何でも遂行する。サナパガの民の発祥は、精霊様に依拠するものだからな」


私の思想では『精霊は人間と対等に接するもの』に近い。

しかし、それは私が精霊と契約しているからに他ならないのだろう。

とりわけサナパガの民は自然に棲む精霊を深く敬愛し、族長が精霊に選ばれるそうだ。


おそらくヴァレリアも将来的には精霊と契約するのだろう。

……私の契約相手のように怠惰な精霊ではないといいが。


『ねえ、聞こえてるよ? いま僕の悪口いった?』


いや、あえて聞こえるように言ったのさ。

杖を伝って頭に流れ込んできた精霊の声。

私は適当に返答する。


こうして心を読んでくるものだから、なかなかにうざったい。

杖にさえ触れていなければ心は読まれないので、孤独になりたいときは杖を持たないようにしている。


「なあ、杖に宿っている精霊様を拝ませてくれないか? これから戦場に赴くことだし、戦勝を祈っておきたいんだ」


――"構わない。好きなだけ祈るといい……ご利益はないかもしれないが"


『まったく……戦争が始まってからというもの、君は不誠実だねぇ。そうやって僕に冷たくしていると、ヴァレリアに乗り換えちゃうよ?』


好きにするといい。

煩わしいのが消えるだけだと。

私は思念を杖に送った。


頭の中に精霊のため息が響きわたった。

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