8. 私の夢(ロマナ視点)
◇◇ロマナ視点◇◇
肩身が狭い。
私、ロマナ・ムイネレフ。
しがない男爵令嬢。
教室の隅で筆を走らせる。
できるだけ存在感を消す。
なんか視線を感じるけれど無視。
「……これにて講義を終了する。週末までに課題は終わらせておくように」
アイゼンバッハ先生が講義終了の合図を出した。
――今が好機!
私はすぐに荷物をかばんに入れ、席を立つ。
そして出口に向かって早足で……
「ロマナ! ちょっと待てよ!」
「ぴいっ!?」
私の前に美人さんが立ちはだかりやがった。
若葉のように明るい緑色の髪。
猫のようにまんまるの金瞳。
褐色肌で筋肉の引き締まった麗人。
サナパガ男爵令嬢ヴァレリア。
私の幼なじみ……?
あれ、そんなに仲よかったっけ。
私は友達だと思っているけど、ヴァレリアさんにとっては数ある知り合いのひとりに過ぎないんだろうなぁ……へへっ。
「皇子の暗殺を防ぐとは……見直したよ! あんたにそんな勇気があったなんて。あたしも見習わないとな」
「いや、あの、アレはですね……アルトン閣下に強制連行されたといいますか。私の意思は介在してなかったといいますか……」
「それでも大手柄だ! ロマナの活躍、もっと聞かせてくれよ! 一緒に昼飯でもどうだい?」
他の人と一緒に食事を!?
そんな非道な真似、できるわけがない……!
「あ、あぁ……ああ……」
「ん、どうした? 具合でも悪いのか?」
「ふぇ」
どうしよう、息が詰まる。
ヴァレリアだけじゃない。
数名の生徒が私のことを物珍しそうに見ている。
こうなりたくなかったから、早く帰ろうとしたのにぃ……!
「ヴァレリア。ロマナは少し具合が悪いみたい。早めに寮に帰らせてあげたら?」
そのとき女神が降臨なさった。
どもる私を見かねて、リア・アリフォメン侯爵令嬢が助けにきてくれたのだ!
彼女は赤髪を揺らして教室の扉を開く。
さあ、耳障りだから今すぐ出ていけと言わんばかりに。
なんて親切な方だろう……!
「そうか……熱でもあるのなら、あたしが介抱するが」
「い、いいい、いえ! ちょっと具合が悪い私、寝ればすぐ治る私! さようなら、また明日!」
「今日は週末だから、また来週な」
あ、そうだった。
やった、二日の休みがやってくる!
勢いよく頭を下げ、教室の外に走り去る。
そのまま寮の部屋に転がり込んだ。
***
「はぁ……はぁ……」
自室で高鳴る心臓を抑える。
やはり人と話すのは苦手だ。
注目の的になるくらいなら、火あぶりの方がマシだ。
「おえ」
ちょっと吐いた。
吐しゃ物を氷魔術で凍らせて……へへっ。
窓から捨てておこう。
植木の肥料として生きるんだよ。
ふと、窓の近くに散乱している物体が目についた。
組み立て途中の天体望遠鏡……早く作らないと。
これだけは実家から死守して持ってきた。
週末の休日、深夜の「炭火の刻」に天体観測をするのが私の趣味だ。
私物は望遠鏡以外、ほとんど持ち込んでいない。
実家のことを思い出さないように。
あのクソみたいな……というかクソ以外の何者でもないムイネレフ男爵家。
実家には帰りません。
「ふぃ~」
ひとしきり吐いたら落ち着いた。
私の実家……ムイネレフ男爵家はクソだ。
あと十六回は同じことを言うつもり。
まず、家族がクズ。
私のお母さん……ムイネレフ男爵夫人は私を生んですぐに死んだ。
そのあと入ってきた後妻と父が子を設けて、そこから私の地獄は始まったのでした。
両親は妹を優遇し、私にはきつく当たる。
父は前妻よりも後妻を愛していたみたい。
契約結婚でつながった母が死んで、喜んで後妻を受け入れた。
そして後妻と、その子である妹ばかりをかわいがった。
え、私は?
離れに追いやられて、暴力を振るわれて、日々の食事すらまともにできませんでしたよ。
夜会だってボロボロのドレスで出席させられたし。
死ねばいいのにあいつら。
「あぁ……ふぁっぺ!」
つらい過去を思い出して奇声を上げてしまった。
だが、もう遅い。
すでに私はウラクス騎士学園に逃げてきたのだから……!
ムイネレフ男爵家には名門学園に入学させる金なんてなかった。
しかし……ある日、謎の書状が届いたのです。
『ロマナ・ムイネレフをウラクス騎士学園に招致する』……書状にはこう書いてあった。
差出人は不明。
もちろんクソ妹は開口一番に言いましたよ。
「ねえ、お姉様じゃなくて私が入学するべきじゃない!? 私の方がかわいいし、成績も優秀! それに高位貴族の方々ともつながれるわ! きゃぴっ!!」
あ、かわいさは私の方が上だけどね。
また機会を妹に奪われるんだろう。
どうせ私は入学などできない、そう思っていた。
だが書状には追記があったのだ。
『入学者がロマナ・ムイネレフ本人であることを確認するため、入学手続きで氷魔術の適正を確かめる。仮に本人ではない者が身分を偽って入学した場合、賠償を請求する』
これ、最高だね。
もちろん妹はそのせいで入学できませんでした、ざまぁ。
でも、いったい誰が私を招致してくれたのだろう?
私の適正が氷魔術だと知る人なんて……ほとんどいない。
というか誰も知らないはずなんだけど?
実家でもこっそり魔術の練習してたし。
書状の差出人が入学費も払ってくれるみたいで。
お父様は喜んで私を送り出した。
あのクソ親は私が発つ直前に言いました。
「こほん……ロマナよ。お前は婚約者を見つけることくらいでしか役に立たんのだから、できるだけ金持ちの男を見つけてこい!」
嫌ですよ、ばーーーーか!
私は実家には帰りませんし、金も入れません。
後妻と妹の散財で滅びろ。
それに私の社交性のなさを見誤っていたようだな。
私は婚約者ができるほど上等な令嬢ではない。
そういうふうに育てられたからね。
まあ顔には少し自信があるけれど。
頭に性欲しか詰まってない令息なら寄ってくるかな?
「私には夢がある」
極大の魔術を習得する。
そして、ムイネレフ男爵家を吹き飛ばす。
これが夢です。
反省なんてしないよ。
真人間にはなってやらないよ。
私は歪み続けるよ。
偉い人は言った。
夢を叶えるには、まず足を動かせと。
「行きましょう、未来へ!」
魔術を究めるために……いざ図書館へ!
私は夢への第一歩を踏み出した。
***
本の匂いすき。
筆舌に尽くしがたい魅力がある。
死ぬときは本に囲まれて死にたいなぁ。
でも、どうせ炎に囲まれて死ぬんだろうなぁ。
何回死んだとしても、そんな末路を迎える未来しか見えない。
そんなことを思いつつ。
私は魔術書の書庫に足を伸ばした。
「えっと……屋敷を吹き飛ばす魔術、広範囲を爆撃できる魔術……できれば氷属性の楽な魔術……あ、呪術でじわじわと殺すのもアリか……」
実家を潰せそうな魔術を探すこと数分。
図書館の奥も奥、擦り切れた本が積み重なった場所へ。
ふと、一冊の本が目に留まった。
不自然な魅力というか、惹かれるものがあって。
「『人心掌握! 人の心を操る魔術~たった一年で相手を篭絡しよう!~』」
へぇ……人を操れる魔術?
なんでそんなに危険な本が公共の場にあるのか。
でも悪くないかもしれない。
実家を滅ぼすより、上手いこと利用してやった方が……!
本に手を伸ばしてみる。
あれ、この本……あんまり埃が積もってない。
「こんな本を読む物好き、もといおかしな人もいるんですねぇ……」
「……何を言ってるの?」
「ぴぇいっ!?」
なにやつ!?
瞬時に振り向くと、そこには同じ学級のリアさんが立っていた。
咄嗟に本を戻す。
「あ、あひゃ……リ、リアさん……いたんですね……」
まずい。
思考が口に出ていた。
どこまで聞かれていたのか知らないけど、私の独り言なんて聞かれたらヤバい奴だと思われる。
あ、もう思われてるから大丈夫か。
「あ、あ、あの……先程はありがとうございました」
「先程……ああ、教室のこと? そういえば具合は悪くなかったの?」
「へ、部屋に戻って治癒魔術をかけたら治りました。へ……へへっ」
あのときリアさんに助けてもらわなければ、ヴァレリアと一緒に昼食を食べていたところだ。
人と食事なんてしたら吐いてしまう。
実家でも孤独に、野菜の芯ばかり食べていたのに。
食事は一人でするものよ、おほほほほ。
「なんか物騒なことが聞こえたんだけど……爆撃とか呪術とか言ってなかった?」
あ、あ、あ、あ。
言い訳しよう言い訳。
なんて言い訳すればいいのかな?
大丈夫、私は性格が悪いんだ。
嘘をつくのは慣れていないけど、嘘自体は上手く吐ける。
「あのぉ……き、昨日ですね。あ、暗殺未遂とか物騒なことがあったじゃないですぁ? ありとあらゆる暗殺のされ方を考えて、まずは予想外の暗殺のされ方から考えていたんですー! もしかしたら爆撃とか呪術とかで殺されるかもしれないじゃないですか? あ、でもよく考えたら私なんて殺す価値もありませんねふへへへっ!」
「…………」
リアさんは絶句していた。
絶句のお手本のように口を半開きにして困惑していた。
ああ、もう終わりだよ私の学生生活。
さようなら青春、死なばもろともクソ実家。
「……なるほど!」
「…………へ?」
「ロマナは賢いなぁ……たしかに予想外の奇襲に備えるのは大事だもんね! 来週の講義を図書館で予習するつもりだったけど……予定変更! 私もロマナと一緒に勉強しよう!」
「はぇー……え、正気?」
やだやだ……!
私が他の人と一緒に勉強……!?
そんな、ひどすぎる……!
リアさんってこんなに馬鹿な人だったの!?
どうしよう……逃げたい……。