6. 懐疑(イシリア視点)
◇◇イシリア視点◇◇
何やら寮の外が騒がしい。
私は喧騒に煩わしさを覚え、外に出てみた。
高位貴族の寮に人だかりが出来ている。
何があったのか……私は見知った人影に気づき話しかけてみた。
相変わらず彼は体が大きくて見つけやすい。
大商家の嫡子、レオン・アルミルブ。
茶髪を刈り上げた偉丈夫だ。
「こんにちは、レオン。何かあったのですか?」
「ぬおっ!? ……と、セフィマ伯爵令嬢でしたか。なんとまぁ、暗殺未遂だそうですよ? 帝国のネトバス皇子殿下が暗殺されかけたとか。いやぁ、ごっそり恐ろしいものですね」
ネトバス皇子が刺客に狙われた……?
それは困る。
私にとってネトバス皇子はなくてはならない存在なのだから。
「ネトバス皇子は無事なのですか?」
「はい。イマドコッド大公令息、およびムイネレフ男爵令嬢の活躍によりべっこり救われたとか。ネトバス殿下はお眠りになっているようですが、目覚めてすぐに公国に宣戦布告しないか心配ですね……今のうちに国から逃げておこうかな」
「いえ、それはないでしょう。さすがにネトバス皇子もそこまで性急な人ではないと思いますし。もちろん殿下の身に何かあれば、ウラクスの責任に……ひいては公国の責任になってしまいますが」
入学早々に刺客か。
物騒だが……刺客の目的が気になるところ。
これに関しては入念に調べる必要があるだろう。
私にも危害が及ぶ可能性がある。
「セフィマ伯爵令嬢、あなたも護身が心配ではありませんか? アルミルブ商会から効き目抜群の解毒剤、防刃胴衣をご紹介しますが。今なら魔術に使える魔石のおまけつきです!」
「不要です。わたし、解毒の魔術も使えますし。ですが魔石には興味がありますね……今度検討させてください」
「はい! お待ちしております!」
がめつい。
商家らしく強引な性格をしているものだ。
こういう手合いは適当にあしらうに限る。
私は何事もなかったかのように部屋へ戻った。
***
翌日、図書館へ向かう。
ウラクスの図書館は国内最大。
外部では閲覧できない資料や魔術書まで揃えてある。
私は二階にある医術書の棚に向かう。
魔術や解剖を含め、非常に専門的な医療知識が学べる場所だ。
ここに通う目的は持病を治すため。
私の持病『魔力中毒』……大気から過剰に魔力を吸収しすぎてしまう難病だ。
放置していると魔力が暴発して周囲を傷つけてしまうため、定期的な魔力の発散が必要だ。
いまだに治療法は見つかっておらず、罹患者が少ないため世間の理解も乏しい。
魔力中毒に関する研究を行い、治療法を確立する。
そのために私はウラクスに入学した。
蔵書が豊富な場所でしか、難病の研究をすることはできない。
こうして魔力中毒の研究を始めてから、はや五年近くになる。
いくつか本を見繕っていると、ばったり同じ学級の生徒と出くわした。
曲がり角で対面して互いに後退る。
「ロマナ。こんにちは」
「あえっ……イ、イシリアさん。すみませんすみません、私のような者が道を塞いですみません……」
「相変わらず卑屈ですね。そういえば、ロマナがネトバス殿下を解毒して救ったとお聞きしました。お手柄でしたね」
「あ、いえ……あはははっ。か、閣下に強引に連れ出されまして……お役に立てて良かったですはい」
ロマナは常に挙動不審なきらいがある。
彼女は実家で虐待されていて、それゆえ人を信じられない性格だ。
せめてウラクスで彼女の居場所を作ってあげられれば……と思う。
「ロマナはどうしてこちらに?」
「あ、入学したばかりで学園の内部構造がわからないので……色々見て回っていました。来週は魔術の講義もあるので予習しておこうかと……」
「予習とはえらいですね。わたしは自分の研究を進めたくて図書館にきました」
ロマナは露骨に私から離れたがっている。
というか、人付き合い全般が億劫なのだろう。
早めに切り上げてあげようか。
「魔術の基礎なら、講義で扱っている教本はわかりづらいですよ。わたしのお勧めはベーテ・グリュック著『黒杖の魔術教本』です。二階の右下……魔術書の棚にあるので、よかったら読んでみてください」
「あ、ありがとうございます……もう図書館の蔵書を把握しているなんて、さすが天才のイシリアさんです……」
「いえ、それほどでもあります。では失礼します」
私も私で忙しい。
持病の研究に、魔力波の維持。
そして関係性を深めたい人との社交も必要だ。
ここは私にとって騎士学園ではない。
研究室兼、社交場なのだ。
利用できるものは最大限に利用する。
そして……いつか理想の未来を手に入れる。
***
西の空が茜色に染まっている。
気づけば夕刻。
図書館に籠っていると時間があっという間に過ぎてしまう。
時間とは不思議なものだ。
退屈なとき、つらいときは永遠に近づき。
楽しいとき、心地よいときは刹那に等しく。
歴史を刻む無限の潮流。
そのなかで人の生涯は一瞬にも満たない。
たとえ人が無限を操り、遷ろう無限を手にしたとしても……それは時を操っているのではない。
時を舞台に踊らされているだけだ。
「……なんて、偉い人が言っていましたね。わたしの短く途切れた生涯も、健康な人の一生も……たかだか数十年の違いですか」
そう考えると、魔力中毒に悩む人生が馬鹿らしくなる気もする。
でも私の人生は私だけのものではないから。
せめて実家のセフィマ伯爵家のために遺せるものを遺さないと。
図書館を出たところで、大きな人影と遭遇。
視線を上げた先には灰色の偉丈夫があった。
「……む」
「あ、先生。こんばんは」
アイゼンバッハ先生。
私の学級、煌羽の担任だ。
「イシリアか。夕刻まで図書館で勉強か?」
「はい。時間を無駄にしたくないので」
もう先生は生徒の名前を覚えているのか。
まあ、生徒たちは仮にも貴族。
名前がわからない……なんてことになったら、失礼にも程がある。
そこら辺の立ち回りを先生は理解しているのだろう。
「熱心で結構だ。だが、夜分に一人で歩くのはお勧めしない。すでに知っているだろうが、帝国皇子に対する暗殺未遂事件もあった。身を守るために単独行動は避けるべきだな」
「そうですね……気をつけます。先生は暗殺未遂が誰の手によるものかわかりますか?」
「……調査中だ。政治的な狙いがあるのか、それとも私怨によるものか。どちらにせよ迂闊に関わるのはやめておけ。決して『犯人』を暴こう、などとは考えないことだな」
「下手に探りを入れて、『犯人』に命を狙われても困りますからね。この事件に関しては学園に任せたいと思います」
先生は安心したようにうなずいた。
正直、暗殺の実行犯はすごく気になるのだが……そこを調べて私に飛び火するのも嫌だ。
「不審な人物を見かけたら、すぐに俺に教えてくれ。些細なことでもなんでもいい。生徒の命を守ることが俺の役目だからな」
生徒の命を守る。
――少しだけ胸が痛んだ。
私の為そうとしている研究は、果たそうとしている悲願は。
本当に正しいのだろうか?
ううん、いまさら振り返るべきではない。
もう私は止まれないのだから。
「はい。先生もお気をつけて。それでは失礼します」
人の世は常変わらず。
弱き者から死んでいく。
だから私は病という脆弱を払い、犠牲から瞳を逸らす。