1話:怪物の
掠れ声がした。
喉を苦しめたのか酷い声をした男が、自分とは違い元気そうな女を連れて帰宅した。
談笑もそこそこに一通りの準備を済ませて自室に閉じこもる。本日はXデー。噂の神ゲーを始める日本晴れのよい日であった。
MANMOSを起動する。
画面いっぱいに表示されるタイトル文字。こんなにも気持ちが昂るのはいつぶりだろうかと男は感慨深そうに画面を見ていた。タイトルの奥には雄大であらゆる絶景が広がっている。
あの世界を自由に歩き回るのだ。
独りで気ままに歩くのも良い。誰かと旅をするのも良い。魔物を仲間にして共に冒険するのも良い。プレイヤーは芳しい危険なロマンに目を奪われ、心を突き動かし画面を切り替える。
そしてプレイヤーネームの選択、開始国の選択、キャラクリエイト。数多くのゲームの初期設定で行うものはほとんど網羅されている。
その分ゲームを開始するのにも時間がかかるが、せっかちな現代人の心持ちを優先せずゼロから百まで出来ることを全て詰め込んで生み出されたこのゲームは、多くの人間が口を揃えて「神ゲー」と評する理由の一つになっていた。
はやる思いを抑えきれずすぐにでも世界に入りたいという気持ちも理解はできるが、こういう前準備すら楽しめるゲームこそ傑作になり得るものだと男は考える。
(しかし、ブレイブステーションに熱中していた頃が懐かしいな……)
一昔前の家庭用ゲーム機の思い出が蘇る。
現在はVRゲームが主流になっている。
VRMMOと呼ばれるジャンルの黎明期に突如台頭を現した、というか全てを掻っ攫ってしまった最強のタイトル。
例えるなら全校生徒百人、二百人の学校が幾つか造られ競い合おうとしている中、いきなり万を擁する超巨大校が周囲を薙ぎ倒し王座に片足を乗せる。
名実共に偽りなくそんなイメージのこのゲームは、開発を行う会社が無名という異常事態がありつつも、インターネットの普及が止まらないこの時代ではすぐに目をつけられた。
そして口コミで広がったという日本のゲームらしい背景がある。しかし実はMANMOSはサービス開始から一週間も経過していない。
MANMOSは始まったばかりだとも言えるが──…
「名前はそうだな……アレでいいか」
プレイヤーネームの選択から始まり、二大国家から開始地点の選択や種族、ジョブの設定を順々に行っていく。MANMOSには〝世界の中心〟が二つ存在している。
一つは東のギュネスミッド。
一つは西のミッドアイ。
掲げる武器は剣と魔法。其々が世界を分けるかのように独立し関係もあまり良好とは言えない。ただプレイヤーはそんな事情など気にせず遊んでよいため、自由な冒険者や探索者達が我先にと未知を求めて歩き出した。中には立ち止まって街や国を見渡す者も居れば、すぐに外へと飛び出す者もいる。
男は少しの思考の後、ミッドアイを選ぶ。
選択肢は三つだ。ギュネスミッドか、ミッドアイか、選ばないことを選ぶか。
剣と記録の国と、映像と魔法の国。
物語の舞台は整いつつある。次は種族とジョブの設定。
種族は二つ。ジョブは基礎的なものが五つ。
(ジョブはやりたかった《怪物の将》で行こう。種族は迷うが、シナジーがある【人間】が良さそうだな)
開始する前段階から自分の中で取り決めがあったのか選択はスムーズに進んだ。
ちなみにもう一つの種族は【ヒト】である。
(おっと、サブジョブもあったか)
動く指が止まる。
男の予定にはメインの文字しか無く、サブのジョブについて何も考えていなかったのか自身の未来を案じて深く考え込む。それだけメインジョブの《怪物の将》が気になっていたのかもしれないが、サブであっても大事な戦力の一つだ。目の前にくっきりと表示された『GAME START後の変更は不可能です』という注意書きを踏まえても、ここは慎重に選ぶ必要がある。
ジョブというものはその一つでプレイスタイルが決まってしまうほどゲーム進行に多大な影響を与える。MANMOSはメイン・サブの二ジョブ制であるため一つよりは戦略や色の幅が広がるかもしれないが、剣士であれば剣で戦い、魔法使いなら魔法を使うのが定石で常識なのは間違いない。ヒーラーが回復をしなければ今すぐそのジョブを辞めろと掲示板で晒されるのがオチだ。
(ということでヒーラーにしよう)
数分ほど練った男のプランはこうだ。
メインジョブを《怪物の将》にすれば開始時にランダムな初期魔物を与えられる。魔物はアタッカーを務めるタイプが多く、であれば連れた魔物が主戦力になる《怪物の将》のプレイヤーはサポートに回った方が強い可能性が高い。
初期魔物がアタッカーになることを信じ、全力で介護するスタイルで行くか。もしくは自分も前線に立ち、戦いに身を投じることを選ぶか……
MANMOSにはタンクという役割も用意されている。だが男は自分の趣味ではないと早々に切り捨て、ヒーラーか魔法使いで悩み抜いた結果ヒーラーを目指すことにしたのだ。
《怪物の将》はその特性上、メインジョブだけでは自身の戦闘能力など毛が生え始めた程度のものだ。毛が生え散らかすくらいまで戦えるようにするにはサブジョブの運用が必須になり、時にメインとサブが逆転するほど比重の揺れが大きい。
《怪物の将》だけが暗くなった画面。
残りの四つから《奇蹟の治》と書かれたヒーラーに当たる基礎ジョブを選び、次の画面に進んだ。
(キャラメイクとボイス選択か)
美麗の言葉で片付けられないほどのグラフィックを自分の足で踏み締める世界、それがVRMMOであり頂点に立つMANMOSである。
異常なまでに細部まで拘ることが出来るキャラメイクだが、苦手なユーザーの為か既に形になっているサンプルアバターも幾つか用意されている。
その中から適当に若い青年を選び、髪型だけ少し弄る。
声も見た目に合わせて若い方が良いだろうと、若い声を中心に聴いていくが、なるべく自分の声に違和感が起きないようにするためそこだけ注意しつつ手早く設定を終えた。
(そして次はスキルポイントが10。どう振り分けようか)
凡そ百近くあるスキル群から十のSPをやりくりして自分だけのスキルビルドを組むのがこの空間の醍醐味の一つでもある。大半の取得必要SPは『1』になっているため、最大で十個のスキルを取れる。と、見えてしまうが実際に触ってみれば或いはとあるギミックに気付けるかもしれない。
(多すぎてよく分からないがジョブに関係するものからピックアップしていけばいいんだろうな。例えばこの【左脚の杖】……何だこれ、怖)
左脚を模った術師用の杖が描かれたパネルには左脚の杖と書かれている。謎の人体に恐怖していると、その隣には【右腕の腕輪】と書かれたパネルがあることに気づき、男はその様相を確認してしまった。
関節が無いのかまるく曲がった右腕は己の最後尾と先端が繋がりリングになっている。
もはやドン引きしか感情が無いがふと「左腕と右脚はあるのか?」という疑問が湧いてしまい、恐る恐るスキル群を掻き分けて探し出す男の姿がそこにはあった。
最初のパーツはすぐに見つかった。
【右脚の投槍】と書かれたパネルを見つけ、その近くにも【頭部の袋】と書かれたパネルがある。
「頭部もかぁぁぁ……!」
不足する四肢しか頭に無かったが、確かに人体系スキルなら頭部もあった方が自然だ。もしかしたら胴体部分もあるんじゃないかと恐怖が多少薄れたのか期待半分で左腕を探す旅に出た男は、無事に【左腕の鉢巻】とその隣の【胴の大楯】を見つけてしまう。
右脚を模る槍は投げやすいサイズに調整され、杖の左脚とサイズが合っていないように見えるのもなかなかに悍ましい。
頭部の袋は文字通り人間の顔面や髪といった素材をそのままに中をくり抜き袋にしたもので、常人であれば吐き気を催しても仕方がないほど醜悪ではあるが、顔がなかなかにデフォルメされたハンサムなためその邪悪さは多少軽減されている。
左腕の鉢巻は手首と触れた腕で結び、解けぬ輪っかにした物で、着用者と見る者、両者共に気合いを削ぐようなデバフ応援アクセサリーになっている。
最後の胴の大楯は筋肉質に引き締まり、四肢と頭が失われた胴体部分に持ち手が付けられたそれは、確かに大楯なのかもしれない。
絶望的に最悪な人体セットと呼ぶべきか、そんなスキルを探し終えた達成感からこのスキル達のことをもっと知りたくなっていた。例のシステムで見ればどのような感じになるのか気になった男はおもむろにスキルを付け始める。
画面に映し出されるのは人間のホログラム。細部まで確認が可能だ。このスキルはこうなるのか、と面白そうに呟き、一通り見ていると画面の端に書かれた文に目が止まる。
「は? 残りSPが8? 絶望人体セットは一律1SPで統一されていたはずだ。何かのバグか?」
男の目に留まったのは現在使用可能な残りのSPの欄だった。そこには確かに『残りSPは8です』と書かれている。しかし男が付けたスキルは必要SPが『1』のスキルが六つ。初期SPは十。
小学生でも解ける計算が合わない。
男は一度全てのスキルを外しもう一度左脚から一つずつ付け直し、SPの推移を確認していく。
その検証によって判明したことは男にとってとても実りある情報になった。スキルにはセットボーナスと表現すべきか、消費SPを緩和するギミックが存在していた。
男が名付けた〝絶望人体セット〟は二つのグループから構成されている。
四肢グループと頭部と胴体グループだ。
四肢グループのスキルを全て付けるとセットとして適用されボーナスが発生、四つ必要だったSPは一になる。
同じく頭部と胴体グループも二つ共に付けると消費SPが二から一へと半分に変わる。これがSPバグのカラクリだった。
(まぁ気持ち悪いし絶望人体セットは要らない。ギミックに気付けるキッカケになったことは感謝するよハンサムさん)
検証を終え満足した男は無情にも全てのスキルを外し、そっとスキル群に戻していった。新情報を掴み、改めて百のスキルに向き直る。自身のジョブや種族と照らし合わせながら、時には装着してセットかどうかを確かめたり、例のシステムもチェックする。
三十分ほど掛けて無事にスキルを選び抜いた男は頬を引き攣らせながら笑った。
「……なんで減ってんだよバカヤロウ」
無事ではない。
スキル欄には七つのスキルと、この数十分何度も見た『残りSPは0です』というシステムメッセージが寂しく浮かんでいた。
言ってしまえば簡単な話だ。弱いスキルはセットにされ消費SPを少なく取得できる。強いスキルはセットになりづらく消費SPも増える。セットを駆使しようとも魅力的な強スキルに誘惑されてしまえばスキル数は簡単に十を下回る。
男も上手く組んだ方ではあるがそれでも七つという何とも言えない数字に終わってしまった。
ただそれが悲劇かどうかは彼の道が決めることだ。
七つのスキルによって変容した例のシステム【身体住宅】はこの男の心の礎になる。
その他にも幾つかの設定を終えた男は此処にはもう用は無いと、セッティングルームの中央に置かれた台座に手を置く。
(大画面に記されたステータス。これが今の俺の全てだ。……いや少し違うか、最初の怪物があの世界で俺を待っている)
セッティングルームに飾られた時計には長針が存在しない。現実と仮想は『24』の時間軸のズレが起きる。
時は日であり、日は時である。
ツルギと名乗る青年が、魔物の王になるまで。
『GAME START』
小説書くのって難しい
そして楽しい