海風西へ吹く
殺戮の孤島
『龍一へ』
父は我が子に宛てた手紙を書いていた。泣き疲れ、頬を濡らしたまま眠っている子供が目の前にいる。
『お前に伝えたいことが山ほどあるが、お前はまだ四歳だ。いつかこの手紙をみて理解してくれればいい』
父の名は西田敬介、帝国陸軍の伍長だった。昭和十九年六月、彼の部隊は二年ぶりに中国から呼び戻された。そして太平洋の戦線へ転用されるまでの僅かな期間、休暇を与えられた。
西田は直ちに家族の住む小倉へ向かったが、小倉は成都から飛来したB‐29の空襲を受けていた。
百人近い犠牲者の中に、西田の妻も含まれていた。
『母はお前を抱き抱えたまま、息絶えた。あれから一週間、お前は口をきかなくなった』
火葬のとき、父と子は手をつないだまま、炎に包まれる遺体を見守った。幼い息子が、母の死をどう受けとめていたのか、西田には知る由もなかった。
妻とのかすかな思い出すら、遠い幻のように思える。中国戦線の苦々しい記憶が全てをかき消してしまった。
住まいの焼け跡から何ひとつ持ち出せないまま、親子は西田の実家の広島へ身を寄せている。
『父はお国のため、新たな戦地へ赴くことになった。今度は生きて帰れない。父と母がいなくとも、お前はひとりで強く生きていかなければならない。まずは面倒をみてくれるおばあさんを助けることだ。農作業の手伝いやら、草取り、家の掃除、やることは沢山ある。それから勉学に励むこと。お前には父と同じ道を歩んでほしくない。頭を使って世の中の役に立ってほしい。技師、医師、教師、なんでもよい。お前は両親がいないことに引け目を感じるかもしれない。だが今は戦争中でお国の一大事だ。町へ行けば駅で寝泊りする戦災孤児を沢山みかける。大変な世の中になったものだが、父はまだ幸せだったと思っている。母と出会い、お前を授かったからだ。母も同じ気持ちだった。今日はお前を連れて川へ釣りにいった。お前は相変わらず口をきかなかったが、お前が石を積んで生け簀を作ったり、飯ごう炊さんをじっと見つめる姿が面白く、久しぶりに父は笑った。短い間だったが、楽しかった。最後に、父親らしいことをしてやれなくてすまない。さようなら。父より』
手紙を封筒に入れ、座敷机にそっと置いた。脇には文字の刻まれた石飾りが並べられている。西田の変わった趣味で、川辺で平べったい石を見つけては、タガネを使って彫ったものだ。人の名前や、気に入った格言が刻まれていたが、一つだけ手付かずの、変わった形の石があった。西田はその石を手に取りながら苦笑した。珍しい石を探す父の趣味を理解したのか、息子が川辺で拾ってくれたものだ。
家族と過ごす、最後の夜が終わろうとしていた。西田はゆっくりと目を閉じ、そして微笑んだ。息子と川辺で過ごしたひと時は、彼にとってかけがえのない思い出であり、生きた証のように思えた。
息子は西田が持ってきた配給米を何度も握り締めては、手からこぼれ落ちる様をみていた。よほど珍しかったのか、米の感触を確かめていたようだった。
ほんの一瞬だったが、息子にかすかな笑みがこぼれた。西田も面白そうにそれにならって米を手にいっぱい掴んだ。
そして、西田の手からこぼれ落ちた米は、黒ずんだ砂へと変わっていった・・・
「西田伍長!」
塹壕の中で西田ははっと我に返り、手の砂を振り払った。
あれから七ヶ月が過ぎた・・・西田は文明社会から隔離された孤島にいる。川も緑もない、岩と砂以外何も無い地獄のような島だ。
この小さな島を、米軍は数えきれないほどの艦艇で取り囲んでいる。上空は絶えず無数の米軍機が飛び回っている。
「前方に敵戦車六両!」
若い部下のひとり、志村一等兵の声は緊張していた。
西田の部隊は島の中央から少し南の、「屏風山」と呼ばれる高地のふもと付近に配置されていた。塹壕は弧を描くように山へ向かって連なり、いくつもの偽装された洞窟の横穴へ通じていた。
「小隊長の命令があるまで動くな。俺たちは戦車をやり過ごし、合図で背後から攻撃する」
段取りを説明しながら、西田は持ち場の四人に地雷を手渡した。それは地中に埋める地雷ではなく、戦車に直接接触させて破壊する、自爆攻撃用とも言える代物だ。
小銃を肩に掛け、地雷を抱えた待ち伏せ隊は西田の班を含め、七つのグループに分かれていた。米軍の「シャーマン戦車」は一列になって、ゆっくりと西田たちの潜む陣地へ向かってくる。
もうひとりの見張り、古参の島津一等兵が滑り降りてきた。
「火炎放射器だ!」
戦車の主砲から炎が太い帯となって放たれた。火を噴きながら砲塔は旋回し、周囲をまんべんなく焼き払っている。
その恐ろしさは誰もが知っている。塹壕、タコツボに潜む者を、焼き殺すか、窒息死させる必殺の兵器だ。
「田口、おい大丈夫か」
最年少の田口二等兵が荒い息使いでうずくまっている。ナパームを混ぜた燃料の燃焼は大量の酸素を消費する。離れていても酸欠状態になってしまう。
「田口!」
田口は顔を上げた。少年のような顔は汗にまみれ、真っ赤になっている。
「大丈夫です、伍長、すみません」
塹壕の外は火の海になっている。西田は黒炎に覆われた頭上を見上げた。押し寄せる熱波で大気が歪んでいる。
「来るぞ!」
轟音と地響き、キャタピラのきしむ音とともに、西田の頭上を戦車が通過した。そしてさらに1台・・・合図はまだない。
戦車は洞窟の横穴を発見し、猟犬のように獲物の巣へ殺到した。先頭の一台は洞窟の斜面へ横付けし、砲身を穴へ突き刺すほど肉薄した。
大量の炎が、洞窟入口へ注ぎ込まれた。まるで火山の噴火のようにあちこちの穴から火炎が吹き出ている。
ゾッとする悲鳴とともに、数名の火だるまになった兵士が穴から転がり出た。彼らは待ち構えていた三台の戦車の機関銃に打ち抜かれた。着弾で火の粉をまき散らしながら彼らは倒れていった。
西田たちはどうすることもできないまま、じっと待った。六台目の戦車が通過したとき、後方の陣地から信号弾が上がった。一斉突撃の合図だ。
「続け!」
西田を先頭に、五人の兵士たちは地上へ飛び出した。総勢五十名の、地雷を抱えた日本兵が戦車の周囲を取り囲んだ。
意表をつかれた戦車は、車体前部と砲塔の機関銃を狂ったように撃ちまくった。次々と機関銃になぎ倒される兵士たち・・・それでも数名が戦車に飛び乗り、砲塔の後部へたどり着いた。彼らは背後の戦車から無数の銃弾を浴びて倒れ落ちた。
西田たちは最後尾に並んでいる二台を狙い、二手に分かれた。西田と山口一等兵は車体後部から這い上がり、エンジン上部と砲塔の付け根へ地雷を据え付けた。それぞれ地雷の安全弁を抜き、二人は戦車から飛び降りた。
島津と志村も素早く地雷を仕掛け、もたついている田口の手を引っ張って退避した。凄じい爆発で一台は砲塔が四、五メートル跳ね上がった。さらに一台が爆発とともに、引火した燃料で激しく燃え上がった。
爆風を堪え、伏せていた西田たちは、お互いの無事を確認し合った。味方を援護する為、西田は再び前進の合図をした。前方に見えるのは恐るべき殺し合いの光景だった。
二台の戦車はキャタピラを破壊され、行動不能になっている。砲塔のハッチから身を乗り出し、戦車兵が直下の日本兵に向け機関銃を乱射している。
ピストルで応戦する操縦手の戦車兵に、日本兵の銃剣が突き刺さった。日本兵もピストルの銃弾を受け、相討ちとなった。
洞窟を焼き払っていた戦車と、一台の火炎放射戦車が、巨大な火柱を方々に放ち、凄じく炎上している。地雷攻撃で火炎放射器用の燃料に引火したのだ。
白兵戦の場と化した二台の戦車の上で、日本兵の抱えた地雷が炸裂し、敵味方もろとも吹き飛ばした。
黒炎が立ちこめる中、西田の班を含め生き残った兵士たちは、呆然と立っていた。
敵の戦車隊は全滅した。大戦果を上げたのだ。しかし周囲に横たわる四十名近くの、仲間の死体の前では歓声も湧かない。
しかも、今度は西田たちが復讐される側になった。
「敵機!」
炎上する戦車を認め、怒り狂ったように米軍機の編隊が急降下で向かってくる。
「退避!走れ!」
爆撃の破壊力は桁違いだ。塹壕やタコツボなどひとたまりもない。地下深く掘られた防空壕に逃げ込むしかない。
「伍長、あの向こうに海軍の穴がありますが・・・」
島津が丘の方を指差して言った。
「立ち入り禁止で、以前は見張りまで立っていました」
上空からは先陣を切る「コルセア」戦闘機が機銃掃射を浴びせている。直撃を受けた誰かの首が吹き飛んだ。
「構わん、行こう!」
その入口が見えてきた。岩場に覆われ、偽装された防空壕だ。戦闘の最中で見張りなどいない。
西田は部下たちを待ち、一人ひとり穴へ滑り込むのを見届けたが、田口の姿が見当たらない。田口はずっと遠くで地雷を重たそうに抱え、よたよたと走っている。
「そいつを置いてこい!」
西田の声が届かないのか、彼は地雷を手放そうとしない。そして「コルセア」の機銃掃射が田口の体を貫いた。更に後続の戦闘機がロケット弾を発射し、煙のすじが西田に一直線に向かってくる。
西田は間一髪で穴の中へ転がり込んだ。ロケット弾の爆発で岩が砕け、洞窟の入り口は崩れ落ちた。西田は十メートル近く滑り落ちたところで、押し寄せる土砂に体が半分埋まっていた。先に入った三人が、西田の体を引っ張り出した。
そこは広い空洞で、天井にはランプが灯っている。
「畜生!」
体中の砂を払いながら西田は立ち上がった。
「田口は死んだ」
しばらくの沈黙の後、島津がため息まじりに口を開いた。
「若い者が先に死ぬのは残念なことですが、我々も長くはありません。ここを出るのは難しそうです。行き止まりですから」
「お前、ここは海軍の穴だと言ったな?」
「はい、かなり前のことですが、海軍の連中がここを物々しく警備していました」
中には西田たち四人の他、誰もいない。奥へ進むと、左右の通路に分かれていた。
西田たちはまず左へ進んだ。数メートルのところで入口が板で打ち付けられていた。その板をこじ開けた途端、全員が鼻を覆った。
「うわ、ひどい臭いだ」
そこはかなり広い、暗闇の空間だった。西田はランプで周囲を照らした。悪臭の原因は、無造作に並べられた、五十を超える遺体だった。
「海軍陸戦隊の屍ですな」
「ここは行き止まりだ。さっさとその蓋を閉めろ」
四人は引き返して右側の通路へ向かった。今度はずっと狭い部屋で行き止まりになった。大量の小銃、弾薬、手榴弾がきれいに並べられている。
「海軍の遺品ですな。もったいない」
「おい、何か埋まっているぞ」
「砲弾じゃないのか?気をつけろ」
慎重に掘り出されたのは二本の一升瓶だった。
「こりゃ本物の酒だ!」
ふたを開けて匂いをかいだ兵士は叫んだ。
「海軍の置きみやげだな。有難くもらっておこう」
それからしばらく四人は、出口を探しまわった。
「どこにも繋がっていないようです。ここはただの貯蔵庫だったのかもしれません」
もと来た入り口は大きな岩が崩れ落ち、とても掘り出せそうにない。四人は疲れた表情で顔を見合わせた。
「どうしましょう?」
島津、山口、志村の三人は西田の顔をうかがった。
もう覚悟を決めるしかない。四人は完全に閉じこめられ、逃げ場を失っている。帝国陸軍の兵士として、最後にやるべきことを、誰もが知っていた。
「これまでだ・・・皆、手榴弾は持っているな?」
言わんとする意味を、皆十分理解していた。四人は最後にとっておいた自決用の手榴弾を取り出した。
「だがその前に、こいつを皆で空けてからだ」
四人は酒の瓶を囲むように座った。飯ごうの蓋に注がれた酒は兵士たちへの最高の贈り物だった。
「これはうまい!」
「さすが海軍の酒だ」
西田は三人の顔をまじまじと見た。彼らとは最近になって行動を共にしていた為、お互いのことをよく知らなかった。
西田は死をともにすることになった彼らのことをもっと知りたくなった。
「一緒に死ぬ貴様たちのことについて俺はよく知らん。まずは自己紹介からだ。お前から言え、時間はたっぷりある」
指名された兵士は勢いよく立ち上がった。
「自分は島津一等兵であります!独立歩兵第三一一大隊・・・」
「そうかしこまって言うな。もう兵役から開放されたと思え」
「はあ・・・高知県出身、妻とせがれが三人、召集前は福岡で炭坑夫をやっていました。穴の中はもうこりごりであります」
「そいつは災難だったな・・・他に言い残すことはないか」
「自分は十分生きました、幸せな人生に感謝しています」
島津は迷いを振り払うかのように酒を飲み干した。次にがっちりした体格の、若い兵士が立ちあがった。
「志村一等兵であります。独り者です。自分は軍隊しか知りません。この島では敵六人を狙撃し、最後に戦車一両を仕留める戦果をあげました。お国のために死ぬことができ、満足であります」
「貴様が優秀な兵士であることは分かった。国へ思い残すことはないのか?親、兄弟、友人とかいるだろう?」
志村は黙ったまま、しばらく考え込んだ。
「・・・思い出せません」
西田はうなずき、それ以上尋ねなかった。最後に立った男は額に火傷のあとがあった。
「自分は山口一等兵であります。鹿児島県出身、妻と子供が二人います。召集前は郵便局員でした。言い残すことは・・・このろくでもない戦争の終わりをただ願うだけです」
志村は反抗的な目で山口をにらんだ。
「ろくでもないとは何だ」
「気にさわったか?若造、敵を六人殺しただと?俺は十五人だ。お国の為じゃない、ただ生き延びるためだ」
「異議なしだ」
島津が口をはさんだ。
「バタバタと倒れる仲間をみても何とも思わなくなっちまった。麻痺していたんだな。だが自分の番になると話は別だ。無性に命が惜しくなる・・・志村は若いからまだいい。理想をもったまま死ねるじゃないか。俺は感情のないただの抜けがらだ。そのくせ生きることへの執着は捨てきれないでいる・・・全く馬鹿げてる」
志村は反論を諦めた。今度は西田の番だった。
「俺の名は西田敬介。広島県出身、家族は・・・息子が一人いる。妻は空襲で死んだ。中国にいた頃は、ろくでもない戦争だと俺も思っていた。だが息子にひと目会うと・・・少なくとも俺は何かのために戦っていると信じたくなった。わずかでも自分の生きた意味を確かめることができた。ここで死んでも悔いはない。だがお前たちの顔を見ていると、やはり無念さも残る・・・ここで死ぬにはもったいない命だ」
「我々は陸軍最強の精鋭ですからな」
島津の言葉に、志村も気をよくした。
「そう、最強だ!炭坑夫も郵便屋も、よく頑張った!」
酔った志村をみて、山口は怒る気にもなれず苦笑した。
「全く、あの世は貴様のような単純な若造でいっぱいだな」
酒が底をつくにつれて皆だんだん無口になった。それぞれが自分の気持ちに整理をつけようとしていた。
「そろそろいきますか」
山口が口火を切った。
「やりましょう、もう十分です!」
哀れな若武者、志村は涙を浮かべていた。島津は西田の顔をみて促すようにうなずいた。
西田は手榴弾を手にとった。皆もそれに倣い、自決の準備は整った。
「では、形式通りやろう」
四人は祖国の方向を向いて整列した。出征のときから、いつかこの日がくることを彼らは知っていた。この時代に、日本人として生まれた彼らは運命を受け入れる他なかったのだ。
「天皇陛下万歳!」
唱和のあと、西田はそっとつぶやいた。
「さらば、息子よ・・・」
その時、異変は起こった。洞窟の壁から眩しいほどの光が差し込んだ。冷たい風とともに、その青白い光は四人の顔をくっきりと照らし出した。
ぽっかりと開いた穴から、まるで無重力のような、違和感のある空気が注ぎ込まれている。四人はただ唖然として立ち尽くした。
「ここはあの世ですか?」
四人は顔を見合わせた。皆、手榴弾を手に持ったままだった。
「誰も発火していないじゃないか」
「まだ生きてるってことか?」
山口は志村の耳を引っ張った。
「いてっ!何しやがる!」
「死んでも痛むものかと思って」
西田は手榴弾をおさめ、小銃を手に取った。
「ともかく、あの向こうに何かがあるってことだ」
西田は光の方向へ近寄った。穴の中は暗闇だった。入り口の周囲が光を放っているのだ。
かすかな音に四人は黙って耳をすませた。聞きなれたラッパ音が聞こえる・・・敵ではなく、日本軍のものだ。戦死した仲間たちがあの世へ案内しているのか・・・
四名の兵士は、得体の知れない運命に身を委ねるかのように、暗闇の中へと吸いこまれていった・・・
運命の日
あれから六十六年の月日が流れ、戦争は遠い過去の話となった。世界を巻き込んだあの戦争をはるかに超える大事件がこの年に起こった。それは西田たちがたどった運命と無関係ではなかった。
大事件の前兆を最初に発見したのは、海上保安庁羽田基地所属の中型機、YS―11A「ブルーイレブン」だった。この航空機は老朽化により、この年で退役することが決まっていた。
「こちらブルーイレブン、北緯二七度一五分、東経一四〇度五二分、大規模な熱水噴出活動を観測中。幅およそ五キロに渡る変色水を明確に視認、北東に向かって更に拡大しています」
小笠原諸島、西ノ島北東海域における海底火山活動とおぼしき噴出現象は、横浜の第三管区海上保安本部に報告された。
「了解、ブルーイレブン、観測を継続して下さい」
本部の指示で「ブルーイレブン」は北東へ針路をとった。東京から南へ一〇〇〇キロの無人島、西ノ島は一九七三年の海底火山の噴火により、わずかに面積が増えている。現在も付近の火山活動は活発であり、変色水や噴出活動は珍しい現象ではない。
だが今回は噴出の規模が桁違いで、拡大し続けている。海中における噴火活動は、水圧によりほとんど小規模にとどまることが多いものの、水深によってはマグマ水蒸気爆発をひき起こすこともあり得る。その場合、船舶や航空機が巻き込まれて被災する可能性も否定できない。
横浜の本部は「ブルーイレブン」に更なる情報を求めた。
「ブルーイレブン、噴出の規模を報告願います」
「こんな馬鹿なことが・・・おい、あれをみろ!」
「ブルーイレブン、意味不明です。もう一度・・・」
「裂け目が数十キロにわたって・・・大きな窪みが・・・まるで凍りついたようだ。今、真上を飛んでいます。幅三〇〇〇メートル、深さは・・・一二〇〇メートル!」
横浜では「窪み」や「深さ」の意味するものが全く理解できなかった。
「ブルーイレブン、確認しますが、そこは海上ですね?」
機長と副操縦士は顔を見合わせた。少なくともお互い、正気を失っていないことを確かめようとした。
旧約聖書をもとに描かれた映画「十戒」の有名なシーン・・・予言者モーゼが杖をかざすと海が真っ二つに割れる・・・約束の地「カナン」へユダヤ人たちを導くために。
ここはその舞台となる紅海ではない・・・全地表の三分の一を占める太平洋上だ・・・スクリーンではなく、現実に目の前で「奇跡」が起きているのだ。
「これより映像を送ります。信じがたいことですが、海面が千メートル近く急角度に陥没し、渓谷のように北東に向かって続いています。天候や海流とは全く無関係です。まるで海底の大きな裂け目に大量の海水が流れ込んでいるように見えます・・・」
「ブルーイレブン」は巨大な渓谷に吸い込まれるように降下していた。
「おい、危ないぞ。高度を上げろ」
「上昇できません!」
「最大出力!失速するぞ!」
「エンジンいっぱいです!」
機体が激しく揺れた。それが異様に強い、何かの重力のせいだと機長は直感した。
「機首を下げろ!左旋回!」
機体が大きく傾きながら窪みの中心をそれると、引き寄せられる重力は半減した。推力をとりもどした「ブルーイレブン」は、盛り上がった海面すれすれのところでやっと上昇した。
振り返ると陥没していた海面が、中心部から隆起を始めていた。頂上のラインは細長く連なり、海水の山脈を形成しつつあった。
周囲を呑みこむように膨張し続け、標高数百メートルまで達したかと思うと、連続的に爆発し、水蒸気となり飛散した。
「ブルーイレブン」は衝撃波で安定を失い、一時はきりもみ状態となった。急降下の中、機長は残された高度で機体のコントロールを懸命に取り戻した。
ベテラン機長の冷静な判断でどうにか墜落を逃れたが、喜んでいる暇はなかった。「ブルーイレブン」は巨大なうねりにのみ込まれないよう、再び急上昇しなくてはならなかった。海水の雨に打たれた窓越しに、機長は波の頂上が機体すれすれに「ブルーイレブン」を追い抜いていく様を唖然として見送った。
うねりは共振現象により、さらに巨大化していった。広範囲に海底から生じた水蒸気爆発は、最も憂慮すべき深刻な事態を誘発したのだ。
「こちらブルーイレブン、北北西に向かう津波を確認!推定速度三三〇ノット、波高は見当もつかない・・・全船舶ならびに父島、伊豆諸島住民へ避難命令を!」
時刻は午前一一時五〇分。風のない、晴れた日の出来事だった。
同じ頃、千葉県にある某大学の理学部研究棟の一室で、基礎物理学の講座が始まっていた。白髪まじりの細身の講師は木村教授で、七十歳の年齢を感じさせない、生き生きとした語り口調で学生たちの心を掴んでいた。彼の講義はしばしば「脱線」し、取り憑かれたように持論を展開した。
「限界を超えた重力が重力崩壊を生み、とてつもないエネルギーを生み出す。ブラックホールや中性子星が代表的なものだ。ところで、七十年近くも前になるが、重力崩壊理論に最も近付いた人物が二人いた。一人はロバート・オッペンハイマー、周知の通り、彼はマンハッタン計画で原爆製造に携わり、彼の重力崩壊研究はそこで中止されることになる。もうひとりは、何とこの日本にいたらしい・・・旧日本海軍の技術将校で、機密の壁で覆われた謎だらけの人物だ。名前は、神田成人中佐・・・ある証言に基づく情報だが、いかなる記録にも残っていない、言わば実在しない人物だ」
突拍子もない話に学生たちは面食らった。木村はその反応を楽しむように続けた。
「一九四四年、大日本帝国の勝利の夢は、既に幻のものとなっていた・・・そこで大本営は起死回生の、奇想天外ともいえる兵器の開発を特殊科学研究所に命じた。それらの多くは、支離滅裂で実に馬鹿げたものだった。高圧電流砲、防空電気砲、中には殺人光線なんていうのもあった・・・ところが、たったひとつだけ、驚くべき設計図の存在があった。大質量の粒子を生成し、超重力と重力崩壊を破壊エネルギーへ変える途方もない設計図だ。例えば米軍に占領されようとしている島を、敵もろとも消滅させる究極の破壊兵器だ。神田中佐は大本営の極秘命令を受け、ある島へ派遣される。作戦暗号名は『海風』と呼ばれ、『西へ吹く』がゴーサインで、『北へ吹く』が中止命令だ」
木村は再び学生たちの反応を伺った。やりすぎだと感じたのか、彼は軽く咳払いをした。
「何を根拠に私はこんなことを言っているのか?半分は米軍が傍受した旧日本軍の断片的な通信記録と・・・半分は私の創造力で補ったものだ。まだ調査の過程で、面白ければ研究論文に加えるつもりだったが・・・いずれにせよ、神田中佐は失敗した。いや、成功していたらとんでもないことになっていただろう・・・理論はともかくとして、それを実現する技術など当時の日本になかったということだ」
木村はそこで締めくくるつもりだったが、思い出したように苦笑して続けた。
「ところでこの作戦が成功した場合、どのような結果を招くか、私は重力崩壊理論をもとに仮説を立て、研究論文にまとめたことがある。中途半端なSF小説との評価だったが聞きたいかね?」
学生たちの苦笑まじりのざわめきを、木村は肯定的に受け取った。
「では話そう。君たちは映画『十戒』をご存知かな?予言者モーゼが杖をかざすと海が真っ二つに割れるという話だ。それが現実に起こってしまう・・・それは人類が経験したことがない、大規模な津波を誘発するだろう・・・さらに地球内部では外部マントルが激しく対流し、地表の火山活動を誘発するだろう・・・大規模な噴火活動は激しい気候変動を招き、大気の成分を大きく変えてしまう・・・酸素濃度も著しく低下するだろう・・・呼吸なしでは人間は生きられない・・・つまり、人類は滅亡するということだ」
そこで話は中断された。ヘリコプターのエンジン音で木村教授の声がかき消されてしまったからだ。
「おい見ろ、着陸するぞ!」
窓の外を眺めていた学生の一人が叫んだ。陸上自衛隊の大型ヘリコプターが理学部事務室前の駐車場に無理矢理、着陸を強行しようとしている。
木村教授は何らかのトラブルによる緊急着陸だと思った。まさか自分に関係があることとは夢にも思わなかった。
その時、木村教授の携帯電話へ理学部長から連絡が入った。
「今、講義中ですが・・・何ですって?よく聞き取れません」
その最中に、理学部の職員二人と、戦闘服姿の自衛隊員三名が研究室へおし入った。
隊員の一人は女性で、木村教授に向かって敬礼した。
「木村教授ですね?突然お邪魔して申し訳ありません。国家の緊急事態のため、我々にご同行願います。大学側から既に許可を得ています」
木村教授は携帯電話を手に、口をあけたままだった。
「今すぐにかね?」
「時間がありません」
木村は抵抗しても無駄と悟った。二人の大学の職員も木村を急きたてるような態度だ。事態が飲み込めぬまま、木村教授は観念したように上着を手に取った。
「諸君、お聞きの通りだ。申し訳ないが私はこれで失礼する。続きは次回に話そう。試験には出ないがね」
木村教授は自衛隊員に囲まれるように、研究室を後にした。
東京都千代田区にある首相官邸地下の危機管理センターでは、各省庁から派遣された局長クラスのメンバーが召集されていた。緊急の呼び出しだった為、まだ駆けつけていない担当者も大勢いたが、構わず会議は進められた。
「危機管理監および審議官は総理と面談中ですので、私、内閣情報官の杉山がこの場を代行します。まず、気象庁から現状を説明していただきます。君、手短にやりたまえ」
気象庁の三村課長は立ち上がって一礼した。
「地震津波監視課の三村です。今から一三五分前、小笠原諸島付近で、グァム島基地の米軍機および海上保安庁の観測機により、少なくとも三五〇キロ以上の範囲に及ぶ水蒸気爆発が目撃されました。これが原因と思われる、史上最大規模の津波の発生が確認されています」
正面の大型モニターに衛星による太平洋の映像が映し出された。
「海上保安庁の観測機が現在も尚、津波との接触を保っています。現在地はここ、三時間後に八丈島を通過、さらにその一時間後には房総半島から紀伊半島へ達する見通しです」
そこで問題の映像が流された。引き裂かれた海、千メートル規模の水蒸気爆発、巨大化していく津波・・・席上の誰もがその異様な迫力に息をのんだ。
「恐ろしく波長が長いせいか定かではありませんが、潮位が全く下がらず、直撃を受けた島が次々と姿を消しています。ご覧の通り、洋上の津波にもかかわらず、波高は三百メートルを超えています。いうまでもなく、津波は水深が浅くなるにしたがって波高はさらに高まります。一九五八年のアラスカ、リツヤ湾では五二五メートルの波高を記録し、世界最大とされていますが、少なくともその一.五倍程度か、あるいはそれ以上の規模でしょう」
三村はひと呼吸おいて皆の反応をみた。
「予想される被害は?」
国土交通省の田辺政策統括官が尋ねた。
「仮に五百メートルの津波が来襲した場合、平坦部で五百キロに至るまで津波の遡上は止まりません・・・関東平野全域が波にのまれる計算です」
三村は、人的被害の規模まで言及できなかった。それは誰の目にも明らかなことだ。日本は狭い平野部に人口が密集している・・・
「待ちたまえ。気象庁の津波警報では、せいぜい海岸を出歩くなといっているようなものだ。そのような事態なら、直ちに太平洋沿岸全域へ避難命令を出すべきでしょう!」
「根室市から那覇市に至る主要都市は全て壊滅するでしょう。無論、この首相官邸も同様に海の底です。四時間以内に全人口の半数以上を避難させるのは不可能です・・・」
しばらく沈黙がつづいた。杉山はゆっくり立ち上がり、重い口を開いた。
「あと十五分以内に対策をとりまとめなくてはなりません。決断するのは総理です。膨大な人的被害は避けられないでしょう。もはや我々は災害後の復興体制のことを考えるべきです」
グァム島の日米合同演習を終えた海上自衛隊の艦艇二隻は、母港の呉港へ帰途についていた。一隻は輸送艦「おおすみ」で、陸上自衛隊第一三旅団の隊員と輸送ヘリ三機を搭載していた。もう一隻は哨戒ヘリ三機を搭載した、退役間近の護衛艦「ひえい」だった。
二隻の現在地はマリアナ諸島と台湾のほぼ中間、日本ではあまり使われない名称、「フィリピン海」中心付近で、半径六〇〇キロ以内には何も無い、水深三〇〇〇メートル以上の海域だった。
「おおすみ」に乗船している陸上自衛隊の指揮官は、今では珍しくない女性隊員の一人だ。
桧山美貴三等陸尉は車両の並ぶ広い格納庫で、部下の訓練に励んでいた。彼女を先頭に、銃を持った隊員が二列縦隊で走り回っている。艦内放送で桧山三尉の呼び出しがあり、そこで訓練は中断した。彼女が去ったあと、隊員たちはその場に座り込んだ。
「最近の桧山三尉、やけに厳しくないですか?」
若い隊員が息を切らせながら、上官の木田一等陸曹に訴えた。
「最近どこぞの陸尉と分かれたらしい。あの性格だからな。いいか、あの人の前で恋人とか結婚の話題は禁句だ」
「性格ですか・・・きれいな人なのにもったいないですね」
「二十九だったかな・・・婚期を逃しつつあるな」
周囲で笑いが起こった。突然、当の本人が目の前に現れ、笑いが止まった。隊員たちはさっと立ち上がり、整列した。
「何か面白い話?」
桧山が木田に尋ねた。木田は緊張しながら答えた。
「久々の帰港を全員喜んでおりまして・・・」
「そう・・・」
桧山はうなずき、全員の前に立った。
「たった今、災害派遣の準備命令を受けました。小笠原諸島付近の大規模な海底地震の発生により、既に本艦は同海域へ向かっています。被災地の情報が入り次第、我々は行動することになりますが、残念なことに呉への帰港は当分先になります」
話の途中、再び艦内放送が響きわたった。今度は艦長の声だった。
「桧山三等陸尉どの、至急、艦長室までご足労願います・・・」
「今度は何・・・」
桧山はつぶやきながら、きっとなって木田の顔をにらんだ。
「木田一曹、あと二十九周続けて」
桧山は言い残して立ち去った。
「おおすみ」の艦長は苦悩の表情で桧山を待っていた。桧山三尉が入るなり、彼は丁寧にお辞儀した。
「どうぞお掛け下さい・・・」
「何か問題ですか?」
「あなたの隊にレインジャー資格を有する者は?」
「三二名ですが・・・」
「結構、三機に分乗してあなたと共に今すぐ飛び立って頂きたい」
「飛び立つとは、一体何処へ・・・」
「大規模な津波が向かってきます。我々の艦船も被害を受ける可能性があり、念のための措置です。よろしいですか?」
「わかりました。やりましょう」
「では直ちに準備にとりかかって下さい」
桧山は敬礼し、艦長室をあとにした。艦長は深刻な顔つきで受話器に手に取った。相手は「ひえい」の艦長だった。
「私だ・・・米海軍の救援は望めないだろう。彼ら自身、何隻も艦艇を失っているし、それどころじゃないはずだ。ともかく最大限の回避行動をとってくれ・・・」
海自ヘリSH―60J三機は既に護衛艦「ひえい」から飛び立っていた。「おおすみ」の甲板に並んだ陸自ヘリUH―1Jは、慎重に一機ずつ発艦した。
「海自の人たち、妙に慌てているわね・・・」
機内から窓の外を眺めていた桧山はつぶやいた。ヘリに搭乗した隊員はいずれも精鋭のレインジャー隊員たちだ。
「桧山三尉、水平線が妙な感じです」
木田一等陸曹は双眼鏡に釘付けになっている。
「妙って何?分かるように言いなさい」
木田はどう表現してよいのか分からず、口を開いたままだった。と同時に、一番機のパイロットが無線で呼びかけてきた。
「桧山三尉、北東一帯より津波が接近中!」
桧山は木田から双眼鏡を取り上げた。
「・・・あれが津波?」
水平線が異様な光を放ち、その中心が大きくえぐられたように陥没している。まるで巨大隕石が衝突したかのように周囲の海面を大きく持ち上げ、巨大クレーターの淵が急速に広まっている。
自衛艦二隻がこの異変に気付いているのは明らかだった。「ひえい」は左へ回頭して津波に背を向け、「おおすみ」は津波に船首を向けたまま後進をはじめた。しかし、いずれの回避運動も意味があるとは思えなかった。幾重にも連なる波の高さは数百メートルと桁違いの規模なのだ。
桧山はコクピットのレシーバーを取りあげた。
「桧山です、艦長、聞こえますか?」
「桧山三尉か?聞きたまえ・・・本艦はまもなく沈没するだろう。今、無数のSOS信号を受信しているが、我々にはなすすべもない。いかなる艦船も助からないだろう。無論、ここからヘリでたどり着ける陸地などない事は承知している。私としては、ただ奇跡を信じるしかない・・・」
桧山は何も言えず、唇をかみしめた。水平線はそそり立つ波の壁で見えなくなった。六機のヘリは上昇を余儀なくされた。
「高度が低すぎる!」
海自ヘリの隊長機が、「ひえい」上空の海自ヘリに注意を促している。風が強くなってきた。激しい海面の変化が大気に影響を及ぼしている。そして信じられないような巨大な波が目前に迫っていた。海自隊長機の無線は絶叫に近かった。
「気流が乱れている!一二〇〇メートルまで上昇!」
大波は怒り狂ったように二隻の自衛艦に襲いかかった。海自ヘリの一機は護衛艦「ひえい」もろとも海中に吸い込まれてしまった。輸送艦「おおすみ」も数百万トンの波にのまれ、ほぼ同時に見えなくなった。
五機のヘリは乱気流の中、懸命にもがきながら上昇した。
「何てこと・・・」
唖然とした顔で桧山は津波を第四波まで数えた。艦長の言葉通り、二隻ともあっという間に姿が消えた・・・完全に・・・
巨大津波と接触を保っていた「ブルーイレブン」は、伊豆諸島南部に達していた。全速飛行で追い続けたが、この老朽機は津波からしだいに引き離されていった。
視界は良好だが海は荒れ狂っている。そこは見慣れた無人島や岩礁があるはずだった。しかし変色した海水以外、何も見えない。
不安になった副操縦士は無線航法装置を何度もチェックした。
「まもなく青ヶ島上空のはずです・・・コースが合っていればの話ですが・・・」
コックピットの二人は目を凝らした。
「何も見えない・・・八丈島も視界に入っていいころだ」
「やはりコースを外れたとしか・・・」
「待て、前方に何かある・・・」
機長は高度を下げた。染みのような点が徐々に広がっていく。
「これはひどい・・・」
津波の残した恐ろしい爪あと・・・変色した海面に、無数の打ち砕かれた樹木が漂流している。
「機長!岩礁が見えます」
エンジ色の泡立った波の中心から、それは顔をのぞかせていた。あまりに小さすぎるが、西ノ島から初めて目にする陸地だった。
「青ヶ島北方六五キロ・・・あの岩が八丈島のてっぺんということになる」
「まさか・・・」
「これでは避難する場所もなかったろう・・・青ヶ島は痕跡すら残っていなかった・・・」
青ヶ島は完全に消滅し、標高八五四メートルの八丈島は八丈富士の頂上がかろうじて残っているだけだった。
青ヶ島には二〇〇名、八丈島には九三〇〇名の住民がいた・・・
「国民の皆さん、私は内閣総理大臣として、皆さんの安全に関わる重大な事実を発表しなくてはなりません」
総理の緊急声明は、生中継であらゆるチャンネルを通じて発信された。
「太平洋から接近しつつある津波は、かつてないほどの大規模なものであります。我々は総力を挙げ全力を尽くしておりますが、残された時間はあまりにも僅かで・・・大変な犠牲を覚悟せざるを得ません。既に千名を超える、尊い命が失われました。この大災厄はわが国のみにとどまらず、世界中に波及するという報告も受けております。これから何が起ころうとしているのか、私は確信をもって皆さんにお伝えすることはできません・・・ただ言えることは、全知全能をもって我々はこの危機をのりこえなくてはならない・・・全人類が国境を越え、力をあわせる時なのです・・・」
伊豆諸島を消滅させた津波は三宅島をのみ込み、本土に迫りつつあった。津波を全速で追い続けた海上保安庁のYS―11は、その任務を断念せざるを得なくなっていた。
「こちらブルーイレブン、燃料が羽田までもたない・・・」
「こちら横浜、本部長だ。着陸可能な飛行場は全て水没するだろう・・・この横浜本部も、まもなく消えて無くなる・・・あとの行動は君たちの判断に任せる・・・以上」
いつもと変わらない一日のはずだった・・・年代物となった戦後初の国産機、YS―11を操る往復二〇〇〇に及ぶフライト・・・何もない海を眺めるだけの退屈な任務だったが、時折表情を変える海の「顔」を発見できる楽しみもあった。
この日、コクピットの二人はめまぐるしく変わる海の表情にとらわれ、自分たちの運命を考える余裕などなかった。
「行けるところまで行こう・・・どの道、降りられるのは海の上だけだ」
「しかし機長、仮にうまく着水できたとしても・・・」
副操縦士はその先を言わなかった。着水に成功しても、誰も彼らを救助には来ないだろう・・・
「もうこれ以上、悲劇をみなくて済むかな・・・」
YS―11は飛び続けた。やがて二基のエンジンがとまった。老朽機、YS―11A「ブルーイレブン」は海に吸い込まれるように降下していった・・・
午後四時三〇分、ついにその時がきた。津波の第一波は房総半島および伊豆半島南端の海岸一帯へ、ほぼ同時に到達した。
相模湾で波の共振現象が起きた・・・四時五〇分、増幅した第二波は三浦半島を押し潰し、東京湾へなだれ込んだ。
波というより、とてつもなく巨大な水の壁だった。交通機関は完全に麻痺し、ほとんどの住民は取り残されたままだった。近くの高台へ逃れても何の意味もなさない・・・最も近い安全地帯は三〇〇キロ以上北へ離れていた。
無数の悲鳴が、波の音にかき消された。東京都をはじめ、あらゆる都市の建造物が、一瞬にして海底に眠る遺跡と化した。
母船を失った五機のヘリコプターは、フィリピン海上空をあてもなくさまよっていた。既に日が落ちはじめ、薄暗い空に変わっている。飛べる時間はあとわずかだ。特に海自ヘリの二機は生存者の捜索で低空を飛びまわり、燃料の消費が大きかった。
陸地に降りられる望みははじめから絶たれていた。唯一、沖ノ鳥島だけが到達圏内にあったが、島というより無人の岩場にすぎない。もっとも、この時点で沖ノ鳥島は波にのまれた他の島々と同様、海の底にあった。
「海自ヘリが墜落します!」
海自ヘリSH―60Jの一機が旋回しながら急速に降下していく。
「本機は燃料切れです!」
「こちら隊長機だ、機を捨てて海に飛びこめ!本機が救助に向かう」
「待って下さい、こちら陸自の桧山です。あなたの機も長くは飛べないはずです。乗員は我々が収容します」
「了解、感謝します」
海自ヘリは四名の乗員が飛び降りた直後、前のめりに着水し、そのまま海中へ引きずり込まれた。陸自ヘリのロープに吊り上げられ、四名は救助された。しかし、墜落直前まで操縦桿を握ったパイロットは海中から現れなかった。
残るは陸自ヘリ三機と海自ヘリが一機。海自ヘリの方はほとんど燃料がない。既に低空で着水態勢に入っている。陸自ヘリはほんの少し余裕があるだけだ。
「あとどれくらい飛べるの?」
桧山はパイロットに尋ねた。
「もってあと四十分です・・・」
桧山は輸送艦の艦長の言葉を思い出した。はじめから状況は絶望的だった。波間に消えた自衛艦の乗組員たちより、わずかに生き延びる時間を与えられただけなのだ。
海自ヘリの隊長機から三名の乗員が飛び降りた。陸自ヘリの一機が救助に向かった。
低空をホバーリングする海自ヘリのパイロットが大きく手を振り、何やらしきりに合図している。
「こちら海自隊長機、桧山三尉!レーダーに一瞬反応がありました!くそ、波高が邪魔している、上昇して位置を割り出します!」
「待って下さい、危険です!」
海自ヘリはかまわず急上昇をはじめた。
「確かな反応です!方位三六度、距離およそ四〇キロ!」
そこで海自ヘリのエンジンは停止した。安定を失った機体は回転しながら、急速に降下していった。
パイロットは墜落寸前に叫んだ。
「直ちにあの方角へ向かってください!あれはおそらく・・・」
海面に叩きつけられた隊長機は、破片をまき散らしながら水煙の中に消えていった。上空の全員が静かに海自ヘリ隊長の冥福を祈った。
「全機聞いて下さい、これより方位三六度へ向かいます」
そこに何があるのか、桧山には見当もつかなかった。あの波を受けて無事な船などあるわけがない。あるいは難破した船舶の残骸をレーダーが捉えたのかもしれない。
燃料切れ間近の陸自ヘリ三機は、巡航速度でそれを目指した。フィリピン海は本土よりも日没が僅かに早い。水平線の赤みが徐々に薄れていく・・・
「桧山三尉!前方に艦影!」
桧山は目を疑った。それはまっすぐこっちへ向かって航行している。しかも見慣れたシルエットだ・・・
「『ひえい』です!」
海自ヘリの乗員の一人が絶叫した。確かに、それは彼らの母艦だった。「おおすみ」とともに沈没したと思われていた、護衛艦「ひえい」の無傷な姿だった。
桧山にはとても信じられなかった。突如、目の前に現れたのはヘリポート付きの護衛艦である。ともかく、彼らは救われた・・・
奇跡は起こったのだ。
人類滅亡の日
一週間が過ぎた。潮位は全く下がっていない。倒壊しなかった高層ビルが、無数の墓標のように水面から突き出ている。東京タワーは特別展望台の一部が、かろうじて顔を出していた。
一体、どれほどの犠牲者がでたのか、誰にもわからなかった。放送機関の全てが沈黙している。
日本の被った壊滅的打撃を、世界はどう受け止めていたのか?皆自国のことで手いっぱいだった。どの国も他国を救援する余裕などなかった。中国の東シナ海沿岸から台湾、フィリピン、ニューギニア北部が日本とほぼ同時に被害を受けた。二〇時間後には津波はサンフランシスコへ達した。「波の壁」が南米、チリにまでおしよせた時は、世界の地形図は一変していた。
しかし、本当の人類への脅威は、地底から始まっていた。火山性地震とともに、あらゆる火山地帯で噴火活動が始まったのだ。
長野県松代町に政府の一大拠点が築かれつつあった。あらゆる物資が自衛隊によって集積され、通信網の整備、避難キャンプの設置が進められていた。
松代町が選ばれた理由は、津波によるダメージを受けなかっただけではない。大規模な地下施設があるためだった。この地下壕は太平洋戦争末期、国家の中枢機能を、危険な状態にあった東京から避難する為に掘られた大坑道だった。大本営や皇居の移転計画により進められた工事は完成間近にして終戦により中止された。現在もこの地下施設は、松代大本営跡として保存されている。
今になってこの地下壕が必要とされた理由は、無論、空襲から身を守るためではない。大規模な火山灰が本土全域にわたって降り注ぎ始めたからだ。
地下壕の拡張工事は急ピッチで進められた。陸上自衛隊の第一施設団がその任にあたっていたが、北側を受け持つ第三六二施設中隊でちょっとした発見があった。
「どうした?何の騒ぎだ?」
報告を受けた隊長が視察に降りて来た。
「見てください。新発見の部屋です。隠すようにふさがれていました」
そこは幾つもの書類棚が並べられた図書館のような部屋だった。隊長は埃まみれのファイルのひとつを手に取った。
「こいつは暗号表だ。昔の日本軍のものだ。ここは機密書類を保管する部屋だな」
「どうします?今さら歴史研究どころではないと思いますが。たき火にでも使いますか?」
「一応、上に報告して指示を仰ぐ。それまで手をつけるな」
地震観測所のある舞鶴山から、松代町を一望することができる。吹雪のように降り注ぐ火山灰の中で、二人の男女が灰色の雪に埋もれていく街並みをじっと眺めていた。女性は自衛隊の戦闘服姿だった。
「木村教授、外は体に毒です。中へ戻ってください」
「あの住民たちに逃げ場はない。この灰は何もかも埋め尽くすだろう。植物は全て枯れ果てる・・・次に待っているのは何だと思う?」
女性自衛官は首を振った。
「私には想像もつきません」
「人類滅亡の日だ・・・」
「何の希望も無いのですか?」
木村は若い女性隊員の顔をじっとみた。一週間前、大学から彼を無理矢理連れ出した張本人だ。
「君たちが私の研究室に押し入った時のことを覚えているかね?私はあの学生たちと交わした約束を果たせなかった・・・せめてあの子たちと運命を共にすることができたなら・・・ここでこうしているよりどんなに幸せだったことか・・・」
「それはお気の毒な事をしました。しかし自分はいかなる犠牲を払っても、あなたを連れてくるよう命令を受けました。助けを求める人々、大勢の仲間たちさえ見殺しにしました・・・それだけ価値ある任務を果たしたのだと、自分は信じたいです・・・」
木村は女性隊員の話に驚いた。そして手のひらに落ちた灰を握りつぶした。
「そういえば君の名をまだ聞いてなかったな」
「第一空挺団の三河恵美准尉です」
「私のやろうとしている事が、三河君の言う、『価値あるもの』だといいがね」
女性自衛官はは初めて笑みを浮かべた。
松代大本営跡、舞鶴山のふもとに気象庁精密地震観測室がある。一号庁舎の狭い会議室に政府の要人たちが集まっていた。一週間前に召集された官邸危機管理センターのメンバーが出席するはずだったが、人数は半分に減っていた。混乱の中、大半が行方不明になっていたのだ。
「救助活動どころではない。この噴火はいつまで続くのか、気象庁の見解をはっきりさせてもらいたい」
杉山情報官は苛立ったように三村に尋ねた。
「正直なところ、全くわかりません。我々が数十年にわたって観測してきた地殻変動のレベルではないのです。数ヶ月で収まるのか、数千年続くのか・・・まるで見当もつきません」
「君たちは一週間前からこの事態を予測し、結果その通りになっている。全くでたらめな根拠ではあるまい」
「我々の予測ではありません。全ては木村教授の地核崩壊説に基づく理論です。そのメカニズムは解明されていません・・・」
「その学者先生はいつお見えになる?」
「今もこの難題に取り組んでおられます」
田辺政策統括官は周囲を見回して言った。
「何故ここへ呼ばないんだね?分からない者どうしが話し合っても仕方あるまい」
「無論、ずっと呼びかけていますが・・・彼の身柄は防衛省の管轄でして・・・」
一同の注目を浴びた古賀統合幕僚長は、困ったような咳払いをした。
「我々は木村教授の研究をサポートしているだけだ・・・」
「何の研究だ?防衛省だけでコソコソ進められては困る」
杉山は噛み付くように詰め寄った。
「すぐにでもお連れしたいが、今は取り込み中だと思う・・・松代の地下で大発見があったそうで・・・」
「大発見?」
「地下の拡張工事中、旧日本軍の機密文書が出てきましてな・・・歴史的に大変価値のあるものだそうです」
「歴史研究に没頭しているのかね?」
杉山は唖然として言った。田辺政策統括官は苦笑して首を振った。
「時間の無駄ですな。見込み違いの空想論文に振り回されるより、話を現実に戻しましょう」
「私は現実主義者のつもりだが」
初めて聞く声に誰もがはっとなって振り向いた。ドアの前に薄汚れたスーツ姿の白髪の男が立っている。
「木村です、私をお呼びだとか。入ってもいいですか?」
杉山をはじめ、一同は立ち上がった。
「どうぞ。あなたには初めから参加して頂くつもりでしたから」
杉山は出席者をひとりひとり、木村へ紹介した。
「・・・こちらは国土交通省の田辺政策統括官です」
田辺は軽く一礼し、皮肉っぽく言った。
「先ほどは失礼を言いました。物理学者と聞きましたが歴史研究にご熱心なようだ・・・」
「物理学はあらゆる学問の基礎にあることをご存知かな?宗教は別だがね・・・何の知識をお望みですかな?地質学ですか?気象学ですか?残念ながら、知識の断片だけでは何も解明されない」
木村教授は政府機関の幹部たちを前に堂々とし、威厳を感じさせた。田辺は感心したようにうなずき、率直に質問した。
「では教えて頂きたい・・・一体何が起きているのですか?」
「その前に、あなた方の情報が必要だ・・・海上保安庁はあなたの管轄でしたな?第一発見者のパイロットは生きているかね?」
田辺は首を振った。
「それは残念だ・・・是非話を聞きたかった」
「YS―11は詳細な映像記録を残していますが」
「いや、彼らが体で感じたことを聞きたかった・・・恐らく、とてつもない重力を体全体に受けたことだろう・・・」
田辺はその意味を理解できなかった。次に紹介された三村は、目を輝かせながら、木村教授に握手を求めた。
「気象庁地震火山部の三村です。我々はずっとあなたを待っていました。あなたが地核崩壊説の中で想定した諸現象は、今起こっている事象と驚くほど酷似している・・・」
「私の考えが、間違っていることを望む。正しければ地球は滅んでしまう・・・気象庁の方かね?気象衛星の観測データを拝見したいが」
三村は思い出したようにテーブルの上の書類をひっくり返し、一冊のファイルを取り出した。
「これです。この部分が地震当日のデータです」
テーブルの周囲を危機管理委員のメンバーがとり囲むように立っていた。木村教授は一瞬で理解したかのように顔をあげた。
「なぜ潮位が下がらないのか・・・単なる地震津波などではない・・・急激な海面上昇が根底にある・・・温暖化による熱膨張とすれば、ここまで上昇するのに数千年はかかるだろう。ではこれほど急速に海水を膨張させたエネルギーは一体何なのか・・・」
木村は田辺の顔を見て言った。
「君は見込み違いの空想論文とか言っていたね・・・私もそうあってほしかったが、残念ながら、現実に起きてしまったようだ・・・これは限界を超えた重力、つまり重力崩壊がその答えだ」
「重力?」
杉山はぽかんと口を開けている。田辺はただ首を振るばかりだった。
「よろしければできの悪い学生に教えるように、もっと分かり易くご教授願いたいが・・・」
木村は一同を見回した。納得させるには手間がかかりそうだ。それは答えを求める学生たちの目だった。こうなると木村は教壇に立たざるを得ない。
木村は黒板にチョークで円を描き、中心を二つの線で結んだ。
「重力とは、引き付ける力と反発する力のバランスにより保たれている。一方は地球の質量がもたらす引力、もう一方は地球の自転による遠心力だが・・・」
円周の表面に、一つの小さな点が書き込まれた。
「この地点を仮にXとしよう。周囲は太平洋だ。Xをとりまくこの円周上で、海が真っ二つに割れるという現象が起きた。これは聖書の奇跡などではない・・・Xで重力崩壊が生じた波及効果のひとつにすぎない。このエネルギーは付近の海面を押し下げ、膨張した海水が世界中に海面上昇をもたらした・・・」
木村は何本もの曲線を円の内側に書き込んだ。
「地球内部では外部マントルが激しく対流し、地表の火山活動を誘発した・・・大量絶滅という言葉をご存知かな?古生代から中生代にかけて、幾度もその痕跡はみられる。六五〇〇万年前、恐竜が滅んだ原因は諸説あるが、火山活動説も有力な説だ。大規模な噴火活動は激しい気候変動を招き、大気の成分を大きく変えてしまう・・・」
木村の描いた曲線は、地球を示す円から飛び出し、地表全体を取り囲んだ。
沈黙の中、田辺は手をあげた。
「人類は滅びるということですか?」
「火山ガスが大量に放出されると、酸素濃度が著しく低下する。呼吸できなければ人間は生きられない・・・単純なことだ」
「待ってください、そもそもなぜ、X地点で重力崩壊が起きたのでしょうか?」
三村はたまらず根本的な質問をした。
「それに、そのX地点とは、一体どこですか?」
木村は当たり前のように答えた。
「水蒸気爆発が直径三五〇キロの同心円上で起こっている。円の中心を結べばわかる」
三村は衛星写真上で慎重に測定した。そこには小笠原諸島で唯一、水没していない島があった。
「硫黄島ですか?」
三村の問いに、木村教授は軽くうなずいた。
「何故ここだけ水没しないのでしょう?」
「はっきりしたことは言えないが、恐らくは台風の目のように今は安定しているようだ」
「硫黄島・・・」
杉山は地図をのぞきこんだ。
「ここで自然現象ではない、何かが起こったということですね?木村教授」
「私が地核崩壊説に没頭したきっかけは、旧日本軍の『海風』作戦の記録だった。それは当時の優れた物理学者が描き上げた、壮大な絵に書いた餅だった。理論が完成されたものとしても、当時はおろか、現代ですら実現不可能といえる。『海風』作戦の失敗は明らかだった。成功すれば、えらいことになってた」
「今起きているのが、そのえらい事じゃないですか?」
「その通り・・・それが最大の謎だ。解明出来るかどうか分からないが、現地へ向かうべきだろう」
じっと考え込んでいた杉山は、決心したように顔をあげた。
「調査に向かうことにしましょう。硫黄島とのコンタクトはとれていますか?」
「海自基地の隊員は全員無事です。ただ、地震の被害で飛行場の使用は無理です」
古賀は答えた。
「航空機が使えないとなると、船で行くしかありませんな」
「馬鹿な。浮かんでいる船がどこにある?」
田辺はぶっきらぼうに言った。
「それが、ひとつだけありますよ」
意外な答えに、全員が古賀を注目した。
「護衛艦『ひえい』です。たった今、東京に戻ったところです。いや、水没した東京の上ですが」
「あの津波で無事な船がいたとは・・・」
「何でも、サーフィンのように、護衛艦が高速でうまく波に乗れたとか・・・とても信じられませんが・・・」
「艦にダメージは?」
「航行に支障ありません。『おおすみ』は沈没しましたが、生き残ったレインジャー隊員三〇名が『ひえい』に収容されています」
杉山内閣情報官は、木村教授の前で一礼した。
「一緒に来て頂けますな?」
「無論、そのつもりだが」
「では、直ちに調査チームを編成しましょう」
全員、異論のないまま、会議は終了した。部屋を出ようとする木村を杉山が呼び止めた。
「しかし、妙に引っ掛かりますな。二つの偶然が、我々を硫黄島に向かわせようとしている・・・奇跡的に助かった護衛艦・・・今、このタイミングで発見された日本軍の機密書類・・・」
「そこが重要なところだ。もうひとつの奇跡は、私が生きてここへ立っていることかな?私は運命論者ではないが」
護衛艦「ひえい」は、海面からそびえ立った新宿の高層ビルの間に停泊していた。
ヘリポートには桧山三尉ら、数名のレインジャー隊員がヘリの帰りを待っていた。
「夢なら覚めてほしい気分です・・・」
木田一曹は双眼鏡で眺めながらつぶやいた。無数の漂流物の中には数えきれない遺体が含まれていた。それは助けを求めるかのように、護衛艦の周りを取り囲んでいた。
海底都市の建造物や車両の中に、一体どれだけの犠牲者が眠っているのか・・・水面下のことを想像すると、誰もがゾッとした。
「ヘリが戻ってきます」
陸自ヘリが一機、北西から接近してきた。桧山は複雑な表情でそれを見守った。
「新たな任務です。ヘリを収容しだい、この船は硫黄島へ向かいます」
桧山の言葉に、木田は驚いて尋ねた。
「硫黄島?何のためです?」
「ヘリの乗客にきいてみないと分からないでしょう。どの道、帰る所はないんだから」
陸自ヘリUH―1Jは機首を上げながら降下し、無事着艦した。ヘリから降りたのは、杉山内閣情報官、木村教授、気象庁地震津波課の三村課長、第一空挺団の三河准尉、他数名の技術者だった。
桧山は敬礼し、スーツ姿の杉山も敬礼でこたえた。
「こちらは木村教授だ。この困難な事態の解明に大きな力を頂いている」
杉山の紹介で、桧山と木村は握手を交わした。
「陸自は女性社会かね?おや、君の名前は?」
「桧山美貴ですが、何か?」
「いや、何でもない。こちらは私を大学から拉致した三河准尉だ。失礼、恩人というべきかな?」
二人の女性自衛官は敬礼し合った。桧山は杉山情報官へ向き直った。
「ところで、私の部下は三二名のレインジャー隊員です。救助活動に必要なところへ派遣されるべきだと思いますが」
「それは・・・」
杉山は木村の顔をうかがった。木村はきっぱりと言い放った。
「救助活動など行われていない。生き残った者は地下に潜ってじっと死を待つ他はない。今回の作戦にあたっては君たちの力が必要になる」
「作戦?」
桧山は杉山を横目でみた。杉山は打ち明ける他なかった。
「そうだ。人類の運命がかかった作戦だ。今後は木村教授の指示に従ってもらうことになる・・・」
桧山は驚いて、木村の顔をまじまじとみた。
「・・・わかりました。あなたが人類の救世主なら、喜んであなたの指揮下に入りましょう」
ヘリから様々な機材が運び出されている。作業を手伝っている三河准尉に桧山は声をかけた。
「空挺の者?この作戦におけるあなたの立場は?」
「私は木村教授の世話係です」
「よほどの軍師のようね・・・あの先生、一体何を始める気?」
「私にも分かりませんが、信頼できるお方です」
桧山は艦尾にぼんやりと立っている木村教授の後姿を見て、ただため息をつくばかりだった。
二基のスチームタービンが回転を上げ、護衛艦「ひえい」は進み始めた。遺体を含む漂流物の間をそっと縫うように。
しだいに遠ざかっていく本土の空は、湧き上がる火山灰にダークグレーで染まっている。それは太陽光線を遮断し、暗黒の世界のはじまりに見えた。
硫黄島は太平洋戦争の激戦地として知られている。一九四一年一二月、日本海軍のハワイ空襲に端を発した太平洋戦争は、緒戦は日本側に有利に展開した。日本の勢力圏はアリューシャン列島からニューギニアに至る広大なものだった。
しかし、年月が経つにつれ、アメリカとの国力の差は歴然となった。ソロモン諸島で本格的な反攻に転じた米軍は、圧倒的な物量をもって東京を目指すことになる。日本はこの大国を相手にするにはあまりに貧しすぎた。
一九四四年六月から八月にかけて、マリアナ諸島における日本軍の拠点、サイパン、グァム、テニアンが相次いで陥落した。三島合わせて五万七千名の日本兵の内、生存者は三%に満たない。
十月には米軍はフィリピン・レイテ島に上陸する。このとき初めて「神風特攻隊」が出現し、米艦隊への体当たり攻撃が実施される。
大本営は、体制の維持のためには何でもするつもりだった。その鍵となるのが、日本人とアメリカ人の「命の価値の差」だった。
アメリカの新聞は、無名の島々への上陸作戦のたびに生じる、アメリカの若者の膨大な犠牲について書きたて、作戦そのものに疑問を投げかけていた。
当時の日本にとって、葉書一枚で召集される兵士の命の重みなど空気に等しい。同じ徴兵制でも、アメリカでは無意味な犠牲は大統領選にひびく。
米軍の最も死傷率の高かった年は一九四五年で、主に特攻機による被害や、強襲上陸作戦による犠牲が多かった。
いずれアメリカはその損害に耐えられなくなるだろう・・・出征兵士の家族たちから反戦の大合唱が始まるだろう・・・米兵の死者が多いほどアメリカは窮地に立たされ、和平による休戦を望むに違いない・・・大本営はそう結論を下した。
マリアナ諸島と東京の中間に位置する硫黄島・・・大本営はこの島を、米兵の死体の山で埋め尽くすことにした。無数の陣地がトンネルで結ばれ、二万人の将兵が地下で待ち伏せていた。大量の大口径迫撃砲や新兵器の噴射砲が運び込まれ、狭い島はどこでも射程圏内にあった。
砂浜に殺到する海兵隊に隠れる場所はない。あらゆる砲弾が底をつくまで彼らを殺し続けるだろう・・・
しかし、いずれこの島は占領される。飛行場は拡張され、B‐29や護衛戦闘機が配備される。硫黄島は、東京進攻の拠点となるだろう・・・
木村教授の集めた記録によれば、「海風」作戦は敵に大量出血を強いる、大本営の方針に基づくものだった。計画立案から、推進及び実行責任まで、全て一人の海軍中佐にかかっていた。彼はこの作戦が承認されると、師団長に次ぐ絶大な権限を握ることになる。しかし同時に彼の経歴に関する記録は全て抹消された。作戦の秘匿が目的だったが、万が一、人道上の限度を超える大災厄をひき起こした場合、大本営の責任を回避する狙いもあった。やはり敗戦は覚悟の上だったのだ。
「海風」作戦は実施されることなく、一九四五年三月、一ヶ月の激戦の後、硫黄島は米軍に占領された。
皇国の四人
木村教授らを乗せた護衛艦「ひえい」は二日後、硫黄島へ到着した。港が無い為、ヘリコプターとボートを使って人員と資材の揚陸が行われた。
現在の硫黄島は海上自衛隊と訓練中の米軍が駐留していた。彼ら自身、この未曾有の異常事態の中、全く身動きがとれないでいた。
木村教授を中心とする調査隊は、海上自衛隊航空基地を拠点とした。現地隊員含む全自衛隊員と米軍の協力も含め、総動員で硫黄島全域の調査が行われた。調査の内容には「重力波」の観測も含まれ、主に気象庁のチームが担当した。
基地の司令室では、ある程度集まった調査データが並べられていた。三村課長は異常値を示すデータをマークしていた。
「木村教授、これで位置はほぼ特定できそうです。見てください、全てのデータが一方向を示しています」
「確かに位置はここのようだ。観測機器をここへ集中しよう、次は地下の調査だ」
「分かりました」
三村は重力波の中心を示す箇所を硫黄島の地図へ書き込んだ。
「屏風山のふもとか・・・」
問題の場所へ、全ての人員・車両・あらゆる機材が投入された。ずらりと並べられた観測装置はいずれも同一方向に向けられていた。全ては木村教授の指示によるものだった。作業は深夜まで続き、まもなく夜が明けようとしていた。
唯一の政府の幹部として参加した杉山情報官は、木村から詳細を知らされることもなく、遠巻きに眺めるだけだった。
地下の調査は主に陸自隊員によって行われた。第一陣の調査隊が地下調査から戻り、青ざめた顔で木村へ報告した。それを聞くなり、木村は全ての作業を中断させ、全員を彼の前に集合させた。杉山も、いぶかしげな顔で木村の説明を待った。
隊員たちを前に、木村は語りはじめた。
「これから起こることを、君らは事実として受け入れられないかもしれない。我々はこの未曾有の大災厄の原因を突き止めようとここまでやってきたが、この先は人類の知識の壁を超えなくてはならない・・・目の前で何が起きようとも、冷静に対処してほしい」
漠然とした言葉だった。木村は自衛隊員を整列させ、これから儀式でも始まるかのように、先頭の自衛隊員に日章旗を掲げさせた。
さらに木村の指示で、ひとりの隊員がラッパを吹き始めた。ゆったりとしたリズムのメロディーは、旧日本軍から現在の自衛隊まで使われたものだった・・・
その時、その場にいた全員が息を飲んだ。観測装置を向けられた方向は、重力波の中心を示していたが、地下に通じる穴のひとつから、何かが現れた。
それは四名の、旧日本軍の軍服を着た兵士たちだった。朝日が差しこみ、彼らの顔がくっきりと浮かび上がった。
驚き、警戒心の入り混じった複雑な表情で、彼らは周囲を見渡している。
木村教授は彼らに近づいて行った。桧山と陸自の隊員は慌てて後を追った。
「木村教授、相手は銃を持っています。気をつけてください」
桧山がささやくように言った。
「君たちこそ、決して銃を構えないように・・・相手への敬意を忘れないことだ」
日本兵らしき、四人の兵士の前に木村は立った。木村の後ろには陸自隊員が整列し、ひとりは日章旗を掲げている。
陸自隊員は敬礼した。日本兵たちも敬礼で応えた。お互い状況が飲み込めていないが、それは劇的な、夜明けの出来事であることに間違いなかった・・・
リーダーらしき日本兵に、木村は語りかけた。
「私は大学教授の木村といいます。訳あってここの責任者をやっている・・・あなたの名は?」
「陸軍伍長の西田といいます」
男はうろたえることなく、答えた。
「ここは一体、どこですか?」
「ここは小笠原諸島のひとつ、硫黄島だ。東京都に属している」
西田伍長の視線の先には、緑に覆われた摺鉢山があった。西田はさらに尋ねた。
「ひとつお聞きしたい・・・我々は生きてここに立っているのかどうか・・・」
木村は慎重に考えてこたえた。
「目の前の君たちは物理的に間違いなく生きている。しかし君たちが元いた世界からみればそうとは言えない。気付いているとは思うが、ここは全く違う世界だ」
「あの世とでも言われるのか?」
「死後の世界は私の専門ではないので論じることはできないが、ここは現実に存在している世界だ。ひとつお尋ねするが・・・今日は何年の何月の何日だったかな?」
「二十年の二月二十五日、日曜日だが?」
「無論、昭和だね?」
「何故そんなことを聞く?」
「今は昭和ではない。正確に言えば、ここは君たちがいた世界から六六年が経過している」
西田の後ろで日本兵たちがヒソヒソ話し合っている。
「あの爺さん、何言ってるんだ?」
首をかしげる山口に島津は言い聞かせるように言った。
「六六年先に来ちまったんだ。見ろ、俺たちのいた焼野原とまるで違う」
「それに女が軍服を着てるぞ。確かにまるで違う」
横から志村が口をはさんだ。山口はまだ納得していない。
「六十六年経っていれば、島津、貴様は百歳だ。そんな馬鹿なことがあるか」
夜明けの静寂の中、彼らの声は木村たちに筒抜けだった。木村は分かり易く説明する必要があった。
「浦島太郎の話はご存知かな?竜宮城から故郷に戻ると、村は見る影もない。ただ自分と両親の墓が残されていたという話だ」
西田は軽くうなずいた。
「確かにこれはおとぎ話のようだ・・・しかし我々は亀を助けた漁師ではないし、乙姫といい思いをした覚えもない」
「そうだ、こいつは乙姫どころか女すら知らない」
山口が若い志村を指さして言った。
「せめてこいつにご馳走してやってくれないか、ついでに俺たちにも・・・」
島津一等兵が混ぜ返すように言った。西田伍長はきまり悪そうに苦笑した。
「部下の失礼をお許し願いたい。我々はついさっきまで酒を飲んで酔っ払っている」
木村は後ろに整列している女性自衛官の一人を手招きした。
「三河准尉、この方たちを医務室まで案内してくれないか」
「医務室ですか?分かりました」
するともうひとりの女性自衛官が三河を制止し、西田伍長の前に立った。
「陸上自衛隊、三等陸尉の桧山です。皆さんが手にしている手榴弾を預からせて下さい」
西田はこの女性自衛官を不審の目でにらみつけた。
「断ると言ったら?」
桧山もひるまずにらみ返した。
「ここで自決でもされては困ります」
「我々の持ち物は皇国から授かったものだ。靴下一枚も渡すことはできない」
木村が慌てたように間に入った。
「構わん、行きたまえ。ご馳走とまではいかないが、食事の用意はさせてもらう」
西田はうなずき、三河准尉に導かれ海上自衛隊基地へ向かった。桧山の言葉を意識したのか、西田は三人の部下に命じた。
「手榴弾はしまっておけ。当分使うことはないだろう」
四人の日本兵が立ち去ると、桧山は不服そうに木村へ詰め寄った。
「何故、彼らに武器の携行を許すんです?」
「第一に、武器を取り上げると、彼らは捕虜であると認識してしまう。捕虜になるより死を選ぶ可能性が高い。第二に、今は彼らとの信頼関係を築くことが最優先だ」
「信頼関係ですか、結構」
いつの間にか杉山情報官が業を煮やした顔で、後ろに立っている。
「その前に我々との信頼にも気を使って頂きたい。我々はこの状況に全くついて行けていない。あの穴から現れた連中は一体何者ですか?まさか、本当に旧日本軍の兵隊とでも?」
「でなければ何だ?仮装行列とでもとでも言うのかね?」
その時、防護服を着た六名の男が木村の前に立った。酸素マスクを着け、銃まで持っている。木村は流暢な英語で彼らに指示を出している。彼らはアナログ時計を確認し、日本兵が現れた穴へ向かった。
「彼らは何者です?」
杉山は木村に尋ねた。
「米軍だ。調査隊に加わってもらうことにした」
「米軍?」
「今度はもっと先まで・・・私はXラインと呼んでいるが、その先を調べる。戻れる保証はないと伝えたが、快く引き受けてくれた。どう思うかね?」
「あなたには全権を委ねていますから、全てお任せします」
防護服の調査隊は、全員が見守る中、穴の中へ消えていった。しかし、十分も経たないうちに、彼らは穴から出てきた。
「引き返したみたいですよ?何かあったんでしょうか?」
杉山の言葉を気にも留めず、木村は防護服の米兵に近づいた。米兵たちはマスクを取り、興奮したように木村に何か話しかけている。木村はうなずきながら米兵の手を取り、腕時計の時刻を確認した。
別の米兵が防護服を取るのを手伝っている。さらに米兵の医療チームが六人の調査隊の身体検査を始めた。
木村教授は後ろでぽかんと口を開けている、杉山と気象庁の三村課長を呼びつけた。
「向こうの世界と行き来できることが分かった。Xラインを超える際、一時的に意識が薄れるようだが、酸素濃度も正常で防護服も必要ない。但し通信は遮断される。過去との交信は不可能ということだ・・・」
米兵が「プロフェッサー!」と声をかけ、木村の説明は中断した。米兵はビデオモニターを木村に向け、指で差し示した。穴の内部の映像で、日本兵の死体の山が映っている。そこから天井にカメラが向けられ、排気口らしき穴がライトに照らされていた。
一緒に映像を見ていた杉山と三村には訳がわからなかった。
「いつの間にこの撮影を・・・」
三村があっけにとられてつぶやいた。木村は「グッド・ジョブ!」と言って米兵の肩をたたいた。
「実にいい仕事をしてくれた。恐ろしい程、私の考えを理解している。さすがは海兵隊だ。それともう一つ・・・」
木村は米兵の腕時計を三村に示した。
「見たまえ。ここの時間より二時間進んでいる。彼らは二時間の調査を終えて戻って来たが、こちらではほとんど時間が経過していない」
「つまり・・・あちらの世界と時間の経過が同期していない、という事ですか?」
「そういうことだ。何故かは分からない。今は手探りの状態だ。ある法則を見つけてはそれを緒に次へ進む・・・それを繰り返すしかない」
「いずれにしても・・・これはタイムスリップというやつですか?」
「そのような概念は重要ではない。時間を遡るとか、タイムトラベルなどという発想は全く無意味なことだ、いずれ分かる」
ビデオの再生は続いている。防護服の米兵が調査を終え、戻るところだった。出口の穴から異様な光が放たれている。
「ここがXラインだ」
木村が映像を解説した。ひとりが腕時計を外し、カメラに向けた。時計の針は九時十五分を示している。腕時計はそのまま洞窟の中に置かれ、調査隊は光の穴へ吸い込まれるように入っていった。そこで映像は終わった。
「君は今、時間の経過が同期していないと言った。そこが重要なところだ。今、彼らが出てきて三十分が経過したところだ。再びこのXラインから中へ入ったら、置いてきた時計は何時になっていると思う?」
「それは・・・やはり時間の経過はないということで・・・時計の時間も本来三十分過ぎているところが、ほとんど変わっていないかと・・・」
三村は頭で整理しながら自信なく答えた。杉山が直ぐに横やりを入れた。
「それはおかしい。時間が変わらないなら、さっき入った米軍と鉢合わせになってしまうじゃないか」
「杉山君の言うとおりだ。日本兵が現れた時間差も説明がつかない」
「そうですね・・・では木村教授のお考えは?」
「時計の針は当たり前に三十分が経過しているだけだろう。その意味することは、Xラインの向こうの世界が正常で、我々の世界が止まっているということになる」
三村と杉山は顔を見合わせた。
「一体、どういう事でしょう?」
「いや・・・私にもまだ説明ができない。引き続き海兵隊と陸自の諸君に調査を行ってもらう。データが揃ったら・・・杉山君、午後に作戦会議だ。関係者の招集を頼む」
「分かりました」
疎外感を感じていた杉山はほっとしたように答えた。
「木村教授」
桧山三尉が不満そうに木村の前に立った、
「次は海兵隊でなく、我々に行かせて下さい」
「無論、君たちに行ってもらうが、彼らも一緒だ。不服かね?」
「・・・いえ」
「それと君に頼みがある。あの日本兵たちのことだ。彼らが落ち着いたら、状況を理解してもらい、協力するよう説得してほしい」
桧山は即答できなかった。厄介な役目であることは間違いなかった・・・
硫黄島の空も、本土のように灰色に染まっている。雲に覆われているのではなく、木村教授の予言した通り、成層圏が火山灰に覆われつつあった。
西田伍長は飛び上がるように目を覚ました。そこは海上自衛隊硫黄島基地の医務室のベッドだった。
時刻は正午を過ぎていた。四時間と少し眠っていたことになるが、十分な休養だった。砲爆撃の嵐のような戦場の中で、彼らはまともな睡眠をとっていなかった。
次に山口一等兵が目を開いた。残りの二人は大いびきをかいている。山口は二人をたたき起こした。
「何だ、郵便屋か・・・」
山口の顔を見るなり志村は再び眠りこんだ。
「起きろ、若造が」
島津は窓から差し込む日差しをまぶしそうに見て唖然とした。
「ここは天国か?」
「貴様が天国など行けるか」
意識がはっきりするにつれ、日本兵たちは現在の置かれた立場について議論しはじめた。
「やはりここはあの世というやつじゃないのか?俺たちが生きているはずがない」
島津の意見を山口が即座に否定した。
「死んでいるとは思えない。俺はさっきから便所に行きたくてうずうずしている。これは生きているという証拠だ」
「さっさと用を足してこい」
西田が冷たく言った。とりつかれたように天井を見つめていた志村が、思いついたように言った。
「六六年経っているという話が事実としよう。この島に日本人しかいないってことはだ・・・我々は戦争に勝利したということだ」
「お前の目は節穴か」
山口は窓の外を指差して言った。
「あのでかいやつの標識を見ろ。ありゃ米軍機だ」
C‐130輸送機の巨大な胴体が目の前を横切った。彼らにとって、あの忌わしいアメリカの国籍標識は、現実を目覚めさせるに十分だった。
ドアが開くと、日本兵の三人が反射的に銃を構えた。入ってきた三河准尉はびっくりして両手をあげた。
日本兵たちの目は敵意に満ちていた。山口は鋭く問いただした。
「貴様、メリケンの手先か!」
「メリケン?」
三河は目を丸くするだけだ。
「アメ公のことだ!」
三河はあわてて釈明した。
「落ち着いて下さい、米国と日本は同盟関係にあり・・・対等の立場です」
山口一等兵は納得しなかった。
「対等?日本の領土に米軍機が降りられるか」
「伍長、こいつら、我々を売る気ですよ」
島津が西田に耳打ちをした。志村はすっかり興奮していた。
「面白い、返り討ちにしてくれる!もう一度、ひと暴れして死にましょう!」
女性自衛官は日本兵たちを何とかなだめようと必死になった。
「待って下さい!時代が違うんです・・・」
その時再びドアが開き、桧山三尉が入ってきた。
「また女兵士だ・・・どうなってるんだここは」
島津がつぶやいた。
桧山の態度は堂々としていた。
「あなたたちは理由があってここへやってきました。その銃を使うことになるかもしれませんが、今はその時ではありません」
桧山の真剣な目をみて、西田は部下に銃を下ろすよう促した。
「確かに、理由がありそうだ・・・話してもらおうか」
西田の態度で三人も落ち着きをとりもどした。桧山は日本兵たちに部屋から出るよう促した。
「今から摺鉢山まで、ご同行願います」
「摺鉢山?」
日本兵たちは顔を見合わせた。彼らにとっても馴染みのある地名だった。摺鉢山は米軍上陸三日後に占領された日本軍の拠点のひとつだった・・・
外で木田一等陸曹の乗った高機動車が待機していた。高機動車とは陸上自衛隊の人員輸送車で、十名程度乗り込むことができる。桧山は後ろのドアを開け、日本兵たちを後部座席へ促した。日本兵たちはおとなしく座り、物珍しそうに外を眺めていた。
ハンドルを握る木田一曹は落ち着かぬ様子だ。
「どうしたの?心配?」
助手席の桧山が声をかけた。木田はバックミラー越しに日本兵の様子を伺った。日本兵の四人はじっと外を眺めているだけだ。
「銃を持った本物の兵隊が相手ですから・・・三河准尉は銃を突きつけられたそうですね」
「今の今まで殺し合いをしていた兵士たちよ、こちらもそれなりの覚悟でないと」
木田はいっそう不安な顔になった。硫黄島の南端、標高一六九メートルの火山、摺鉢山の頂上からは島全体を見渡すことができる。戦争当時は獣道程度のものだったが、今では車が通える山道が整備されていた。
高機動車は山頂に到着し、停止した。後部ドアから日本兵は降り立った。彼らは平穏な硫黄島の全景を、不思議そうに眺めていた。そして日本兵たちの視線は、頂上に設置された、いくつかの記念碑へ注がれていた。
「あれは硫黄島戦没者と特攻隊の慰霊碑です。あの奥にみえるのが米海兵隊上陸記念碑・・・」
桧山は説明した。日本兵たちは黙って聞いていた。
「昭和二十年三月、この小さな島で多くの人命が失われました。日本軍守備隊二万人は圧倒的な米軍を相手に善戦し、激戦は一ヶ月に及びましたが・・・補給の絶たれた日本軍はやがて力尽き、ついに全滅しました。米軍はこの島をとるために、日本軍を上回る犠牲を払いました・・・あなた方は立派に義務を果たしました・・・」
日本兵たちは硬直したように立っていた。
「たった一ヶ月だと・・・」
山口一等兵は呆然としてつぶやいた。
「それで戦争は・・・日本はどうなった?」
西田伍長は尋ねた。桧山は言葉を選びながら、慎重に答えた。
「本土は・・・B‐29の絶間ない空襲により、主要な都市は壊滅しました。六月には沖縄が陥落・・・米軍は原子爆弾と呼ばれる新型爆弾を二つの都市へ投下しました。広島と長崎・・・一瞬にして二十万人の命が失われました。さらにソビエト連邦が参戦し、満州へなだれ込んで・・・そして天皇陛下は決断を下されました。アメリカ・イギリス・中国・ソ連の共同宣言を受入れると・・・これは大東亜戦争の敗北と、無条件降伏の受諾を意味するものでした・・・昭和二十年八月一五日の正午のことです」
この教科書通りの歴史を、果たして彼らに受入れてもらえるのか桧山は不安だった。だが日本兵たちは真剣に耳を傾けていた。
日本兵たちの反応は様々だった。山口はがっくりとひざをついてうなだれていた。志村は怒りのあまり、手を震わせた。共通していたのは、むなしい「信念」のもとに戦ってきた自分たちの無力感、あるいは大勢の戦友たちの死が報われなかったことを知った、どうしようもないやるせなさだった。
「嘘だ!日本がそんなに早く降伏など・・・」
志村の震えた声には力が無かった。島津はじっと天を仰いでいだ。
「陛下のご裁断ですか・・・信じられません・・・」
黙っていた西田は大きく深呼吸をした。
「浦島太郎か・・・ご免だ」
西田はその場から背を向け、ふもとに向かって歩き始めた。日本兵たちは反射的に彼の後をついていった。
桧山が慌てて西田の前に立ちはだかった。
「どこへ行くつもりです?」
「ここは俺たちの居場所じゃない」
「勝手な行動は困ります」
西田は無視して彼女の前を通り過ぎた。桧山は拳銃を西田へ向けた。
「止まって下さい、西田伍長」
気が付くと、桧山は三人の日本兵から小銃で狙われている。木田一曹は呆然と立っているだけだ。時間が停止したように、その場が凍りついた・
西田はゆっくりと片手を挙げ、日本兵たちを制止した。そして桧山にたしなめるように言った。
「女が銃など向けるな。死にたいのか?」
「私は陸上自衛隊の三等陸尉です。あなたから見れば陸軍少尉です」
「少尉だろうが大将だろうが、あんたに命令されるいわれはない」
「どこへ行くつもり?」
「もときた道を戻るだけだ。俺たちは望んで来た訳じゃない」
「手榴弾で自決するつもりなら、私は全力で阻止します」
桧山の真剣な目に、西田は苦笑を浮かべた。
「撃ち殺して自決を阻止するか?矛盾しているじゃないか。死に場所は選ばせて頂きたい・・・少尉殿」
桧山は銃を下ろした。
「名誉の死なんて無意味よ・・・あなたたちは満足でしょうが、あなたたたちを待つ家族のことを考えたことは?」
日本兵たちは顔を見合わせた。西田も予想外の言葉に驚いた。
「家族?あんたには分からないだろうが、家族も覚悟していることだ」
「違います。きっと生きて帰ることを望んでいるはずです」
「少尉さん、あんたはどうなんだ?夫も軍人で、どこかで待っているのか?」
「あっ!」
木田が突然声をあげ、全員が木田に注目した。木田は慌てたように西田と桧山の間に立った。
「あの・・・桧山三尉殿は独身でして・・・」
怖い顔で睨みつける桧山を横目に、木田は続けた。
「そんなことはどうでもいいんです・・・あなた方がやって来た洞窟はもとに戻れる状況にありまして・・・」
「黙りなさい!」
桧山の声にビクッとした木田は小声で桧山に釈明した。
「すみません、木村教授がそうお伝えしろと・・・」
日本兵たちは身を乗り出した。
「何だって?戻れるのか?」
「はい、西田伍長。あの洞窟は行き止まりですが、木村教授が地上へ出る方法をお考えです」
西田は目を丸くし、確認するように言った。
「つまり俺たちの時代の、地上に出られるということか?」
「そうです・・・その為の会議がまもなく始まります。あなたたちにも参加願いたいと」
「望むところだ。貴様のほうが話が分かる、行こう」
木田と日本兵たちは先を争うように高機動車に乗り込んだ。桧山はぶ然とした表情で木田の隣に座った。
「あとで覚えておきなさい」
「はい、覚悟しております、三尉」
木田は神妙に答え、ハンドルを握った。
時空の扉
海上自衛隊の硫黄島硫黄基地作戦室は、異様な空気に包まれていた。遅れて入ってきた日本兵たちは桧山三尉に促され、小銃を壁に立てかけた。
日系人の米海兵隊指揮官も加わっている。木村教授が彼を紹介した。
「デビット・クロダ少佐だ。日本語が堪能で通訳は要らない」
作戦室では硫黄島の地図の前に、木村教授、杉山情報官、三村課長、桧山三尉、三河准尉たちが向き合っている。
「これまでの調査で分かった事を整理しよう」
木村教授はホワイトボードの前に立った。そこにはあらかじめ、いくつかのキーワードが書き込まれていた。
「この時空のトンネルの入口をS地点とし、およそ三十メートル先のXラインを超えると、一九四五年二月二五日に通じている。何故この時代、この日時に通じたのか?いつこの状態が始まっていつまで続くのか?そもそも何故こんな穴が開いてしまったのか・・・」
木村教授は硫黄島の地図の前に立った。
「ところで・・・我々はこのS地点こそが、人類に大災厄をもたらした中心と考えていたが、観測の結果、重力波の中心は別の場所を示していた。S地点から直線距離で百八十メートル離れた、この位置だ。ここをZ地点とする・・・ところが、ここには何もない。地下に広い空洞があったが、空っぽで何も残っていない」
木村教授は四人の日本兵を地図の前に招き入れた。
「六十六年前はどうだったかな?ここに何があったか、知っているかね?」
日本兵たちはじっと地図をみつめていた。西田は軽くうなずいた。
「場所は知っている。海軍の地下施設があって、技術将校が出入りしていた。陸軍の俺たちには分からないが・・・島津、ここの穴掘りに駆り出されていただろう?」
「はい、海軍の若造にこき使われまして、よく覚えています。地下に広い空洞があって、そこから真っ直ぐ延々と掘り続けました・・・」
木村教授はすかさず口を挟んだ。
「直線?掘った距離は?」
「自分は途中で解放されましたので、どこまで進んだのかはわかりません」
「何か、変わったものが持ち込まれていなかったかな?」
木村の質問に島津はしばらく考え込んだ。
「広い空洞に何か鉄製の機械があったと思いますが、よく覚えていません・・・あと、大量の電線やら蓄電池やらが運びこまれていました」
木村教授は物思いにふけるように、地図の周りをうろついている。彼はふと、米軍の海兵隊指揮官、デビット・クロダ少佐の前で立ち止まった。
「オペレーション・シーブリーズ・・・ご存知かな?」
突然の問いかけに、海兵隊指揮官は面食らった。
「何のことですか?分かりませんが・・・」
「一九四五年二月、硫黄島の米海軍が旧日本軍の暗号電報を傍受した。『海風』と呼ばれる米軍壊滅作戦だ」
「ほう・・・大層な作戦名ですな。聞いたこともないが・・・」
「当時の米軍は日本海軍の暗号を解読し、極秘の通信も筒抜けの状態だった。『海風』作戦の全貌を、米軍は把握していたはずだが」
「当時の日本軍は偽情報を随分と流していたと聞いています。それも偽情報の一つと思われたのでしょう・・・で、どんな作戦ですか?」
「物理学の最先端を行く、究極の破壊作戦だ。今起きていることのように・・・まあ、偽情報と考えるのが普通だろうな」
「あなたの考えは?今起きていることと関連があるとでも?」
「この作戦は到底不可能だっただろう・・・しかし、引っかかるのはこの時空トンネルが偶然この時代に通じたことだ・・・話を戻そう。調査隊が時空トンネルのXラインを何度も往復した。信じがたいことだが・・・時間の相関関係の調査の結果、我々の世界は時間が停止しているとの結論に達した」
あたりが静まり返った。誰もがその意味を理解できなかった。
「どういう事です?」
杉山情報官がじれったそうに尋ねた。
「我々は異常な空間に閉じ込められている・・・我々は重力崩壊という未知の世界に足を踏み入れてしまった。この時空トンネルはその一部と思う・・・今いる我々の世界は破滅へと向かっているが、実に不安定な状況下の歪みの世界に・・・そう、我々は閉じ込められている・・・」
「確かに、まともな世界じゃないですな・・・閉じ込められたというのはどういう意味です?夢か幻の世界にでもいるのかな・・・であれば有難いが」
杉山は諦めたように苦笑した。三村がひらめいたように口を挟んだ。
「エヴェレットの多世界解釈というやつですか?それともシュレーディンガーの猫のように確定していない箱の中にいるとか・・・」
「何だ?それは?」
杉山情報官がけげんな表情で尋ねた。
「箱を開けてみないと、中にいる猫が生きているか死んでいるか分からない・・・我々がその箱の中にいるということです。つまり、人類が滅亡する世界がある一方で、平穏無事な世界もあるというわけですよ」
「我々が滅亡する側にいるのか?最悪じゃないか・・・で、誰が箱を開けるんだね?」
杉山は問いただすように言った。三村は行き詰まったように首を振って木村教授の顔を伺った。
「杉山君、そうじゃない。質問するなら誰が箱を開けるかではなく、猫の生死を決定づけるものは何か、だ。どうなんだね?三村先生さん」
「それはつまり・・・重力崩壊の成否ということです。この時空のトンネルの存在と、それが一九四五年に通じていることから、『海風』作戦の成否にかかっているわけです。つまり、我々の行動こそが変数となりえます。」
「何だって?君の言っていることが全く分からん」
杉山は不機嫌に言った。三村は木村教授を横目に、持論を展開した。
「この時空トンネルを使って、我々が一九四五年に干渉しうる立場にあるということです。『海風』作戦が重力崩壊を引き起こすのであれば、我々はそれを阻止できるかもしれません」
「馬鹿な。不可能な作戦だと木村教授が言ったばかりじゃないか。それに重力崩壊はもう起きてしまっているんだろ?」
「当時は不可能でも、今はどうでしょう?実はこの作戦はずっと継続していて、我々の時代になって実現したとか・・・うまく言えませんが」
「すると君は・・・」
黙って聞いていた木村教授が口を開いた。
「『海風』作戦が実現した結果が、今の状況と言うわけだね?当時ある海軍中佐が途方もない設計図を書いたことは知っているが、その内容は全く分かっていない。いや、さっきの島津一等兵の話では、大量の電線と蓄電池を使った鉄製の機械らしいが・・・重力崩壊との関連など全く論外だ」
「木村教授」
話に割り込んだのは海兵隊指揮官のデビット・クロダ少佐だった。
「確かに実現不可能なものと理解しますが、一方でここに何かがあったことは確かです。今起きていることと、無関係ではないでしょう。木村教授もそうお考えだ。であれば行ってみるべきではないですか?この・・・Z地点に」
「そこは空っぽの空洞でしょう?」
「そうじゃない、杉山君・・・」
木村教授は地図を指さした。
「S地点から時空トンネルを通ってXラインを超える。そこは六十六年前の洞窟だ。少し進むと、遺体を焼却する空洞があり、天井に地上へ通じる通気孔がある。地上は戦場の真っ只中だ。地上に出て百八十メートル移動し、Z地点へ向かう・・・彼はそう言っている」
やっと状況を理解した杉山は目を丸くした。
「生きてたどり着ければいいですが・・・そこまでしてZ地点へ向かう理由は?」
「そこに答えがあるからだ」
その時、基地の通信隊員が会議室へ駆け込んだ。彼が古杉山情報官へ耳打ちする間、米軍の海兵隊が入ってきてクロダ少佐へ深刻な顔で報告している。
視線が杉山へ集まり、彼は打ち明けるしかなかった。
「本国からの連絡が、完全に途絶えました。火山ガスが全域を覆い、恐らくは・・・」
クロダ少佐も立ち上がって言った。
「米国本土も同じです。何処とも連絡が繋がらず、二時間前のSOSの受信が最後です。もはや・・・生き残っているのは我々だけかもしれない・・・」
杉山は付け加えた。
「ここがどれだけ持つかですが、火山ガスの侵入が先か、食料が底をつくのが先か・・・いずれにしても二、三か月というところでしょう・・・」
会議室はしばらく沈黙が続いた。木村教授は日本兵たちに歩み寄った。
「聞いての通りだ。人類は滅びる。ここも持たない。ところで・・・このZ地点へ案内頂けるかな?」
西田伍長はしばらく考え込んで言った。
「我々の望みは原隊への復帰だ。念の為に聞くが、もとに戻れるんだな?」
「無論だ。Z地点まで案内してくれたらそこでお別れだ」
「簡単に言うが、一歩進むのも大変な所だ。何人で行くのか知らないが、必ず犠牲が出る」
「覚悟の上だ。どの道我々は生き残れない」
クロダ少佐が話に割り込んだ。
「綿密に計画を立てましょう。あの遺体置き場に前進基地を設け、地上へ送る調査隊を指揮する・・・まずはその環境を整えましょう」
すると西田伍長が苦笑して言った。
「あんたたちが生き残る方法があるじゃないか。敵に投降すればいい。我々は別世界の人間だ、とか何とか言えばいいだろう。俺たちには出来ないことだが、あんたたちには出来るはずだ」
「それは成り立たない話だ」
木村教授は即座に否定した。
「我々が知っている歴史の中で、その記録は一切ない。我々の意思とは関係なく、実現しないということだ。我々は歴史に干渉するのではなく、唯一の、確定していない未来を決めることのみにおいて、干渉しうる・・・あの時空のトンネルは、過去に繋がっているのは確かだが、その先には確定していない未来に通じる何かの存在がある。それは我々の生存の可能性を左右するものと思われる」
西田伍長は首をかしげたまま、ため息をついた。
「難しい話は御免こうむる。とにかく戻れればいい・・・で、誰を送り届けますかな?」
「ここのレインジャー隊員と、エンジニアを合わせて四十名程度だ」
「四十人?目立ちすぎる。おまけにそんな軍服では、両軍から狙われそうだが」
「神が我々にアイテムを準備くださったようだ。洞窟には五十名の軍服を着た遺体に、武器・弾薬まである」
桧山三尉は驚いて口をはさんだ。
「ちょっと待って下さい。日本兵の死体の服を着るわけですか?」
「君の部下には日本兵としての訓練も受けてもらう、三日以内に。その間、クロダ少佐の言う前進基地の準備をする」
方針は決まった。そして綿密な作戦計画が立てられた。日本兵に扮したレインジャー隊員三十名は扇形の陣形で、A班、B班に分かれて中央のC班を援護する。敵と遭遇した場合、彼らは敵を引きつける囮となる。C班のZ地点到達が全てに優先される。
夜間の行動となり、全ての隊員は赤外線カメラを装着し、前進基地となる洞窟の司令部のモニターに映される。司令部には木村教授をはじめ、自衛隊と米軍の要人たちがモニターを監視し、無線で隊員たちに指示を送る。
各班の人選は、主に木村教授とクロダ少佐で決められた。先陣を切るA班は、日本兵の志村一等兵と山口一等兵が先導役で、レインジャー隊員二十名で編成される。側面を進むB班は、島津一等兵とレインジャー隊員十名で組織される。
Z地点を目指すC班を先導するのは西田伍長で、桧山三尉以下三名の陸自隊員、米軍からは海兵隊のエンジニア二名が参加し、通訳として英語の堪能な三河准尉が加わる。三村課長も気象庁の技術者を連れて同行することになった。
「おたくらをZ地点とやらに案内したとして・・・」
西田伍長が木村へ質問した。
「その先どうするつもりだ?海軍の連中が守りを固めているかもしれない。簡単に通してくれるとは思えないが」
「丁重にお願いして中へ通してもらうかな?大本営の命令書を渡すという手もある。無論、偽物だが、私は戦争歴史マニアでね。大本営の印影、作戦暗号まで、よく知っている」
「・・・心強いですな、うまくいけばいいが・・・ともかく、俺たちの仕事は案内までだ。同士討ちは御免こうむる」
「木村教授」
今度は三村課長が口を挟んだ。
「その、重力崩壊を起こした何らかの設備を発見した場合、それをどう処理されますか?」
「そいつを見てから判断する。スパナと爆薬でも持っていくか・・・コントロールするか、あるいは爆破するか・・・」
「爆破しても、その存在を消すことは不可能ではないでしょうか?そもそも重力崩壊が起きないとこの時空トンネルの存在も無いわけですから、その時空トンネルを利用して我々が干渉すること自体、大きな矛盾に直面します・・・」
「君の多世界解釈は、もう破綻したのかね?いつか言ったと思うが、タイムトラベルという概念にとらわれないことだ。時空トンネルを通って物理的に時間を過去に遡ることになるが、我々にとってはZ地点に何があるかも分からない・・・つまり確定していない未来に向かっていることになる・・・確定したと同時に、君の言う矛盾はなくなるだろう・・・あの時空トンネルをはじめ、そもそも我々は歪みの世界に閉じ込められている・・・その全てから解放される」
「やはり重力崩壊を阻止できるかどうかにかかっているわけですね?Z地点で・・・」
「その手段が問題だ。それを生み出す意思、能力を絶たなければ、阻止できないと思う・・・一つ例題を出そう・・・第二次世界大戦は連合国の勝利に終わった。君がもし時間を行き来できるとして、連合国の勝利を阻止するとすれば、何をするかね?」
三村は困った顔で苦笑いを浮かべて答えた。
「テーマが大きすぎますね・・・戦局を左右する重要な会戦で、連合国を不利にする方法を考えると思いますが・・・スターリングラード、ノルマンディー、ミッドウェー・・・」
「そう、誰もが決戦の場に目を向ける。天下分け目の関ヶ原が、徳川家の天下統一を決定づけたと誰もが思うだろう。ところが状況はもっと複雑で、いろんな要素が絡み合って、ずっと前の段階で、運命は決定づけられている。その真因を探し出すことは容易ではない・・」
木村は苦笑して言葉を止めた。
「また横道にそれてしまったようだ。私の講義はいつもこうでね・・・何が言いたいかと言うと、大きな変化を求める際、その方法は意外なところへ隠れているということだ」
作戦会議は終了した。三日後の作戦開始を控え、それぞれやることは山ほどあった。
緑に覆われた硫黄島・・・丘の上で三〇名の旧日本軍の兵士が整列していた。旧日本軍の精鋭、海軍陸戦隊の軍服を着たレインジャー隊員たちだった。桧山三尉ら、C班に属する者は通常の自衛隊の戦闘服姿だ。
レインジャー部隊の訓練が始まった。それは統制のとれた戦闘の基本訓練だった。連携した防御戦、遭遇戦・・・桧山は細かく指示を出していた。
西田伍長たち、本物の日本兵の四人は、複雑な表情でこの不思議な光景を眺めていた。
「違和感を感じているのは俺だけか?」
西田がふと、つぶやいた。
「好かねえ海軍陸戦隊の連中を誉める気はありませんが、こいつらよりマシでした」
山口が首を振って答えた。
「さて・・・何が違う?」
西田の問いに、日本兵たちは困った顔で顔を見合わせた。
「俺たちの顔がひどすぎるって事でしょう・・・戦争にどっぷりと染まった面ですな」
山口は志村を横目でみて言った。
「多分・・・目ですな」
島津一等兵はふと気づいたように答えた。
「目?」
「何といいますか・・・殺気というものがまるで感じられません。奴らは兵士ではありません」
西田は納得してうなずいた。そして訓練を指示している桧山三尉へ歩みよった。
「桧山少尉サン」
びっくりしたように桧山は振り返った。
「変な呼び方ね」
「全員、実戦経験は全く無しと見た。そうだな?」
「当然でしょう。あれから日本は戦争というものを全く経験していないんだから」
「では人に向けて発砲したことは?」
「人間はおろか、小動物にすら実弾を使ったことは無いわ。心配は無用よ、命令さえあれば、彼らは義務を果たします」
「そう願いたい・・・俺は一伍長にすぎないが、ここの連中よりは戦場で生き抜く自信はある。どうする?この馬鹿げた訓練をまだ続けるつもりか?」
桧山はため息をつき、部下たちへ向って言った。
「全員、集まって!」
日本兵に扮し、九九式歩兵銃を手に整列する姿は一応、様にはなっていた。訓練された組織であると西田は感じていたが、本物の日本兵とは程遠い「何か」があった。
「今の状況では、貴様たちと行動を共にできない。戦場で今のように動き回られては五分とたたぬうちに全滅だ!」
西田は隊員たちを前に、冷たく言い放った。
「まず、地べたを這いずりまわり、じっと息をひそめて全ての物音に全神経を集中する。それでも死ぬ奴は大勢いる!戦闘は避けるつもりだが、命の保証は出来ない」
西田は部下の三人の兵士を手招きした。
「貴様たちを指導する三人を紹介する。島津一等兵、山口一等兵、志村一等兵だ。これから貴様たちは我が皇軍になりきってもらう。今の貴様たちはとても我が軍の兵士に見えない。日系米兵のスパイと疑われ、友軍から撃たれてしまう。そうならないための訓練だ」
そして西田は三人の部下に命じた。
「いいか、違和感のあるところから徹底的にやれ。言葉遣い、歩き方、銃の持ち方、敬礼、礼儀作法まで、新兵に教えるようにやればいい。日常会話の変なところも注意しろ。任せたぞ」
西田は言い残すと、その場を離れていった。
S地点、つまり時空トンネルの入口付近では、前進基地へ設置する機材が運びこまれていた。こちらの作業は主に米軍の海兵隊が担当した。
木村教授、杉山情報官、三村課長、海兵隊のクロダ少佐がその作業を見守っていた。クロダ少佐がそっと木村に近づいた。
「木村教授、この島は初めてですか?」
「そうだが?民間人が簡単に来れるところではないからね・・・そういえば、ここで毎年戦没者の追悼式があるが、今年は私も同行することになっていた」
「ほう・・・戦没者のご遺族ですか?」
木村が何か言いかけたとき、杉山が話に割り込んできた。
「それは偶然ですな。私と三村君も同じ飛行機でここへ来る予定でした。三村君は気象庁の用件で、目的は違いますが」
「気象庁の?火山観測かね?三村君、何か兆候があったのか?」
「いえ、今回の件とは関係ありません、定期的なもので」
木村教授はクロダ少佐に尋ねた。
「米軍は戦後二十数年、硫黄島を管理していたが、『海風作戦』に関する痕跡や記録は何も発見されなかったのかね?」
「・・・はい、私の知る限りでは」
「木村教授、ずっと考えていたのですが・・・」
「また何か思いついたかね?三村君」
「重力崩壊を人為的に発生させる手段としては、現代のLHC計画が最も近いと思います」
「何だ?そのLHC計画とは?」
杉山がすぐに口をはさんだ。
「高エネルギーを生み出す物理実験で・・・粒子加速器を使って、光に近いスピードで陽子と陽子を衝突させると、新たな粒子が生まれます。微粒子ですが大質量であるため、極小のブラックホールを生成するとも言われています」
「ジュネーブで建設されたLHCは、周長三十キロ近い巨大なものだ」
木村が付け加えた。
「膨大な電力を必要とするし、制御するコンピュータもいる。アメリカも同様の計画があったが、資金不足で一九九三年に議会の決定で中止されている・・・ご存知かな?クロダ少佐」
「はい・・・聞いたことはあります」
「いずれにせよ、当時の日本に用意できるものは何ひとつ無い」
否定的な木村に、三村は尚も食い下がった。
「しかし、あなたの言う、神田中佐なる人物が、実現可能な設計図を書いたわけでしょう?当時といっても湯川秀樹のような先進的な物理学者もいて、核兵器の研究もあった時代です。神田中佐は、何か別の角度から、突拍子もない考えで、陽子の高速衝突の方法を編み出したとか考えられませんか?」
「神田中佐が君の言うような人物とすれば、悪魔の使いか何かだろう。どこか別の世界からやって来て、誰かに悪知恵を吹き込み、時空の歪みを自在に操りながら、面白がっているかもしれない」
帝国軍人と自衛官
海岸を見下ろす、丘の上に西田伍長はひとり立っていた。海は赤みがかり、あちこちで泡立っている。水平線の空は、迫ってくる火山灰で黒ずんでいる。
会議室で聞いたこと・・・人類滅亡と、硫黄島もあと二、三か月の運命という事を、事実として受け入れざるを得ない光景だった。
西田は座り込み、背嚢から石飾りの入った袋を取り出した。息子の見つけた石に文字を刻んで最後の作品にするつもりだったが、刻む言葉がどうしても思い浮かばなかった。
タガネを手に、上を見上げてしばらく考え込んでいたが、背後に気配を感じ、銃を手に振り向いた。
立っていたのは桧山三尉だった。
「何だ、女少尉さんか・・・」
「その言い方はやめてください。勝手な行動は困ると言ったはずです」
「すまない、すぐ戻るつもりだったが少々手こずってね・・・」
桧山は石飾りの入った袋を取り上げ、中を覗き込んだ。
「おい、勝手に見るんじゃない」
「随分器用なことですこと・・・私の名前も彫って下さらない?」
「何だって?」
「ここに嘉代という女性の名前があります・・・人の名前を彫っているんでしょう?」
「それは妻の名前だ」
「そう・・・それなら本人に渡してあげないと」
「妻は空襲で死んだ。名前を彫って渡したのは息子だけだ」
「そうですか・・・不躾なことを言いました、ごめんなさい・・・」
桧山は決まり悪そうに嘉代と刻まれた石を袋にしまいこんだ。
「いや、気にしなくていい・・・で、名前は?」
「え?」
「あんたの名前」
「私の?・・・美貴です」
「字は?」
「美しいに・・・貴い・・・」
「美しい、貴い?」
「珍しい名前?あなたの時代では」
「そうだな・・・だが悪くはない」
西田は小石へ下書きの文字を書きはじめた。
初日の、日本兵を「演じる」訓練は順調とはいえなかった。志村が語る、帝国軍人の心得を、隣の山口が苦々しい顔で聞いている。
「我々日本人は、天皇陛下より命を賜り、そして陛下のために死ぬ義務を負う!これは崇高な使命であり、定めである!」
「一等兵ごときが何をぬかす!能無し士官の真似事など聞きたくもない!」
山口がすかさず横やりを入れた。志村は一瞬睨み返したが、構わず続けた。
「この郵便屋のように、死を否定する者もいる。貴様たちも死を恐れるだろう。命が惜しければ、この尊い使命から目をそらして生きつづければいい。卑怯者として生き恥をさらせばいい!俺は死を恐れぬ。使命を全うした死であれば、靖国の神として永久に生き続けることができる!」
「師団長は玉砕突撃を禁じた。こいつのような馬鹿が無意味に死に急ぐからだ!」
邪魔をする山口に、志村は我慢ならなくなった。二人は一触触発の状態で向き合った。島津が慌てて二人を押しのけ、隊員たちの前に立った。
「今のは本音と建前だ。そう受け止めてくれ」
レインジャー隊員の先頭には、A班、B班を率いる木田一曹と小池二曹が立っていた。二人はホッとしたように顔を見合わせた。
木田は島津に言った。
「我々は戦争を経験していないので、実戦経験はありません。しかし自衛隊の中でも特別に訓練を受けた精鋭です。そう思って接して頂きたい・・・」
島津は木田の顔をまじまじと見て言った。
「そう、貴様たちは職業軍人で、進んで銃を取った。俺たちは葉書一枚で招集された。俺たちは何人も殺したが、貴様たちは一人も殺していない・・・俺たちは目の前で死んでいく戦友たちを、数え切れないほど見てきた。砂まみれで飢えや渇きに苦しみ、撃たれて、焼かれて、吹き飛んでバラバラになる・・・貴様達よりずっと若い、年寄りの俺にとっちゃあ、子供のような連中ばかりだ・・・だが憐れむ暇もない」
志村と山口はいつの間にか睨み合うのをやめ、島津の話にじっと耳を傾けている。
「貴様達には分からないだろう・・・分かってほしくもない。戦争がないということは、死ぬ心配がないということだろ?結構、羨ましい限りだ」
海兵隊たちは即席の基地作りに長けていた。丸二日かけて洞窟の遺体の回収、通信設備の設置、当面の水と食料の持ち込み、医療設備からシャワー室やトイレまで設置した。
米軍の搬入作業場のそばで、木村教授、杉山情報官、三村課長が、送り込む隊員たちの進行ルートを打ち合わせていた。
「重要なのは当時の戦闘の状況で・・・」
地図を広げながら三村は言った。
「木村教授の言われた通り、この付近は最前線で、戦闘の真っ只中と思われます。更に夜間の移動となりますと・・・」
「困難な状況だが、記録によると米軍の攻勢前夜になる。このタイミングしかない・・・ところで西田伍長は?」
木村があたりを見渡したところへ、西田と桧山が現れた。
「遅刻だぞ」
杉山が桧山へ言うと、さえぎるように西田が答えた。
「いや、俺のせいだ。進入路をおおかた考えたので聞いて欲しい」
西田は三村の地図をとりあげ、周囲を見渡した。
「今と違って、木は一本も生えていない。身を隠す場所は限られる。いくつかの掩蔽壕を通ることになるが、友軍とすれ違う可能性がある」
「そこはうまくやらないとな・・・なりすまし訓練は順調かな?」
木村の問いに、西田はため息をついた。
「明日までに叩き込む・・・だが、どんなやつに出くわすかが問題だ」
西田は地図でルートの説明を始めた。時折、目の前に広がる地形を示しながら言った。
「こことここ、A班、B班が外側を固め、我々C班はあそこの尾根沿いを進む・・・」
三村が恐る恐る尋ねた。
「当時の米軍はどのあたりまで来ているんでしょう?」
西田は飛行場の方角を指さした。
「あの丘の反対側へ陣取っている。俺たちはあの手前を守っていたが、ほとんど全滅した・・・既に前進しているかもしれない」
三村の表情がいっそう暗くなった。
「すると・・・A班が危ないですね」
「夜は仕掛けてこないと思うが・・・油断はできない」
S地点洞窟入口からクロダ少佐が這い出てきた。木村たちの姿を見るなり、彼は近づいてきて言った。
「木村教授、搬入機材の件で相談したいが、ちょっといいですか?」
「丁度いい、作業の進捗を聞こうと思っていたところだ。三村君、一緒にきたまえ。西田伍長と桧山三尉は進入路をよく話し合うんだ」
木村たちが立ち去ったあと、西田と桧山は想定されるルートを二人で歩いた。
「ここの樹木は全く無いと思っていいの?」
桧山は確認するように尋ねた。
「爆撃、艦砲射撃で全て吹き飛んだ」
「大変な所だったのでしょうね・・・ここで何万人という兵士の犠牲があったなんて・・・」
「食わず飲まずで敵撃滅ぞ、一人でも多く倒せば逆に勝つ、名誉の戦死は十人倒して死ぬことだ、負傷しても戦って捕虜となるな、最後は敵と刺し違えろ・・・」
西田は教え込まれたことを、棒読みするように言った。
「戦闘心得というやつだ。あんたたちにはないのか?」
桧山はふと空を見上げて言った。
「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います・・・」
「よく分からないが・・・死ねとは言われてないな?」
「殉死の強要はありません」
「ならばこの任務から降りたほうがいい」
西田の言葉に、桧山は立ち止まった。
「女だから心配?私たちの社会では男女平等よ」
「何の平等だ?女は子を産み、育てるという立派な仕事があるじゃないか」
「生き方も自由で、多様性があることが成熟した社会なの。一生子供を作らなくても幸せな女性はいるわ」
「ならば子供が減ってしまうじゃないか。違うのか?」
「それは・・・だから女性が幸せに子育てできる社会を目指しているの」
二人は再び歩き始めた。
「あんたはどうだ?」
「私は・・・いずれ結婚して子供はほしいわ・・・その前に結婚相手を見つけないと」
「縁談の話はないのか・・・いや、禁句だったな、悪かった」
西田は立ち止まり、石飾りを彼女に手渡した。きれいな字で「美貴」と彫り込んであった。
「これはお守りだ。検討を祈る」
桧山は嬉しそうに笑った。
訓練三日目の朝、西田は整列している隊員たちに言った。
「海軍陸戦隊になりきったつもりで答えろ」
西田は隊員の一人を指差した。
「貴様、出身は?」
「大分であります」
「ほう、国の自慢は?」
「第三五代横綱、双葉山の故郷であります」
「何故海軍に入った?」
「陸軍より待遇がマシであります!」
西田は苦笑して、隣の島津の顔を見た。
「腹の立つ話だ・・・」
今度は島津が別の隊員を指さした。
「貴様、好きな歌は?」
「湖畔の宿であります」
「誰の歌か?」
「高峰三枝子です」
西田は隊員たちの前を歩きながら言った。
「自分の階級章をよくおぼえておけ。階級下の者には怒鳴り散らせばよい」
後からついてきた桧山が尋ねた。
「どうです?日本兵らしいですか?」
「少しは」
西田は素っ気なく答えた。桧山は眉をしかめた。
「少し、ですか・・・他にやり残した事は?」
「さあ、全員に遺書でも書かせるかな」
出発の時間が迫っていた。空の色がいつもと違っていた。茶褐色のどんよりとした空だ。
「あとわずかで、ここも死の世界だ。人類の死滅だ・・・」
木村教授はつぶやいた。隣に立っていた杉山は不安な顔で見上げるだけだった。
三村課長に同行する気象庁の菊池主任は、電気技師ということで選ばれた。二人は入念に測定機材のチェックをしている。
洞窟入り口には削岩機やプラスチック爆弾を持った自衛隊員、そして海軍陸戦隊に身を変えたレインジャー隊員が待機していた。
桧山の合図で隊員たちは出発した。西田伍長たち四人の日本兵を先頭に、次々と時空の穴へ通じる洞窟へ消えていった。三村たちの技術者チームが最後だった。
木村教授は再び空を見上げ、独り言のようにつぶやいていた。
「さあ、どうする・・・我々はお望み通り動いているはずだ・・・用済みになるまで我々を生かすか?」
その声が杉山の耳にも入った。
「神への祈りですか?」
「祈り?もし相手が神ならば、挑戦状をたたきつける・・・さて、我々も降りるとするか」
木村は杉山の肩をポンとたたいた。杉山は硬直したように立ち、洞窟の暗闇を見つめていた。
後ろには地下を拠点とする指令所要員が控えていた。硫黄島基地の海自やデビット・クロダ少佐も含まれていた。三河准尉と、米海兵隊員数名が後に続いた。
木村教授は彼らとともに洞窟へ向かって歩きはじめた。周囲では大勢の隊員が不安な顔で見守っていた。そこは六六年前の激戦地、地獄の戦場へ通じる入り口だと誰もが知っていた。下へ降りる者にとっても、彼らを見送る者にとっても、生存の望みはかすかなものに思えた。
総勢五〇名が時空のトンネルを通り抜けた。そして旧日本軍が築いた地下陣地へ達した。最も広い空洞に司令室が置かれ、数十台のモニターや通信機が設置されている。医務室の横に水と食料が運び込まれ、当面の生活が可能だった。
遺体の焼却場はすっかり片付けられている。自衛隊員が慎重に爆薬を天井の通気孔に埋め込んだ。作業を見守っていた日本兵の山口一等兵がつぶやいた。
「やれやれ、現実に戻っちまったな」
四人の日本兵たちは、一週間ぶりに元の世界へ戻ったことになる。島津は見慣れた空間の中を見渡した。
「確かに・・・これは現実だ。あの時と同じだ」
志村は再び戦場へ戻って戦える事を喜んでいた。
「俺の居場所はここしかない。難しい話なんぞどうでもいい。兵隊は敵と戦って死ぬだけだ」
米海兵隊員の一人が西田にひと言声をかけた。西田は通訳の三河准尉に尋ねた。
「このアメ公は何と言った?」
「アメリカ人を殺すなと言っています」
「では地上のメリケンどもに、俺たちを撃つなと伝えろ」
海兵隊員は首を振って司令室へ戻って行った。
爆薬をセットした自衛隊員が合図した。ドンッという爆発音とともに岩が砕け散り、生暖かい風が吹き込んできた。桧山三尉は折れ曲がった通路を進み、ぽっかり開いた穴を覗き込んだ。しかし暗闇で何も見えない。爆破に失敗したと思った桧山はライトで照らそうとした。
「やめろ、地上へ通じている」
西田が桧山をさえぎって言った。その瞬間、照明弾の光のすじが上空から洞窟内を照らし出した。驚いた桧山はさっと身を伏せた。そして慌てて無線で司令室へ連絡した。
「木村教授、聞こえますか?出口が開きました。外は夜です」
「計算通りだ、日の出まで四時間はある。手はず通り行動したまえ。その穴は君たちが出た後、偽装して隠すことになる」
間違いなく、目の前には六六年前の世界が広がっていた・・・太平洋戦争で凄惨な殺し合いがあった場所・・・激戦の真っ只中の硫黄島だった。
海軍陸戦隊に扮したレインジャー隊員たちは旧日本軍の九九式歩兵銃を手にしていたが、その他にも無線機、カメラ、暗視スコープを装備していた。カメラの映像は司令室のモニターへ無線で飛ばされていた。
レインジャー隊員の小池二曹がリモコン操作のカメラを地上へ突き出した。人体の発する赤外線を感知するサーモグラフィで地上の様子が映し出された。
「一二〇五、八〇メートル先に三名います」
「目標と反対の方角ね・・・目を離さないで」
桧山は四人の日本兵へ念を押した。
「予定通り、三班に分かれて行動します。A班、B班、出発して下さい」
桧山は山口一等兵の耳を指差し、無線マイクの付け方が誤っていると指摘した。
「使い方は大丈夫?」
心配した桧山は今さらのように西田へ念押しした。
「大丈夫だ。かえって無駄口をたたかないか心配だ」
西田は言い残すと地上へ向かって上っていった。
「西田伍長が外へ出ました」
ぎっしりと並べられたモニターの一台を見て、通信員は言った。
「桧山三尉が後に続きます」
司令室の要員たちはかたずをのんで見守っていた。杉山情報官は落ち着かない様子でモニターの前をうろうろしていた。
「掛けたまえ、杉山君。あとは彼らに任せるしかない」
木村教授はコーヒーを飲みながら言った。
「木村教授、我々は本当に六六年前の硫黄島にいるのですか?」
「その通りだが、まだ納得できないのかね?」
「いえ・・・ただ妙な気分です」
「よく見ておきたまえ、これから何が起こるか・・・」
通信員は全てのモニターを念入りにチェックして報告した。
「全員、地上へ出ました。出口を封鎖します」
暗視カメラの画像は不気味なものだった。緑のかけらもない、瓦礫に覆われた死の世界だった。旧日本兵になりすましたレインジャー隊員たちは、地獄の中をゆっくりと慎重に進んだ。暗闇の荒地の中、集団での行動は困難を伴った。
「こちら三河です。海兵隊員が足を負傷しました、少し遅れます」
司令室に同席していたクロダ少佐がすかさずマイクを取った。
「何をやっている、そいつを蹴飛ばしても進ませろ!」
木村はクロダの肩に手をかけて首を振った。
「仕方ない、追いつけなかったら引き返せばいい」
桧山は三河に無線で呼びかけた。
「三河准尉、先に行くから、無理なら引き返して」
「はい、すみません、三尉」
クロダは怒りを抑えるように、深呼吸した。
「全く、我が海兵隊としたことが・・・情けない」
首を振るクロダをなぐさめるように木村が声をかけた。
「君たちは立派にやってきた。あとは任せればいい」
各班は予定通りのルートを進んだ。時おり、遠方で照明弾が上がり、散発的に銃声や爆音が響き渡った。現実の戦場にいることを、隊員たちは実感し、緊張していた。
「一四番の赤外線映像に反応あり、A班最後尾です・・・小池二曹、聞こえますか?」
モニターに異変を認め、通信員は呼びかけた。
「小池です。確認します・・・」
小池二曹は振り返って目を凝らした。暗視スコープの中に米軍の兵士が近づいてくるのをはっきりと認めた。
「アメリカ兵のようです、三名、接近してきます。こちらには気付いていないようです」
やり取りを聞いていた木村の顔色が変わった。
「米軍だと?ここまで進出しているのか・・・」
小池は慎重にライフルで狙いを定めた。三人の米軍兵士は特に警戒する様子もなく、まっすぐ向かってくる。小池は引き金に手を掛けた。その時、上空で照明弾が輝いた。
小池は自分の姿がその光にさらされていることに気付いた。同時に、別方向の人影が目に入った。
「あれは・・・」
銃声とともに、小池は膝をつき、ゆっくりと倒れていった・・・
司令室で緊張が走った。小池二曹からの映像が途絶え、無線の応答も無くなった。
「小池が撃たれました!」
木村はすかさず問い返した。
「米兵の動きは?」
「・・・サーモグラフィから反応が消えました・・・A班、引き返させますか?」
その時、桧山三尉が無線に割り込んできた。
「小池が撃たれたですって?容態は?」
通信員が答えようとするのを木村がさえぎった。
「それは不明だ。桧山三尉、時間は限られている、構わず前進を続けたまえ。A班も同じだ」
西田は真後ろの桧山に向かって言った。
「聞いただろう、前進だ」
桧山には、こんなに早く犠牲者が出るのが信じられなかった。しかし彼女はもっと信じられない光景を目の当たりにした。
「待って・・・前方に反応があります・・・かなりの人数です!」
桧山は左前方を示して言った。西田はその方向をじっと見つめた。
「俺が見てくる、ここで待ってろ」
西田はあっという間に暗闇の中へ消えていった。そして数分とたたぬうちに戻ってきた。
「厄介なことになった。アメ公の一個中隊が陣取っている」
「迂回できない?」
「無理だ。あの岩山を通らなくてはならないが、敵から丸見えになる・・・」
桧山は西田の指差した先を暗視スコープで確認した。身を隠すところが全くないルートだった。
「あそこを通るのは自殺行為です・・・」
桧山は無線で司令室へ呼びかけた。
「木村教授、問題が起こりました。敵の大軍にさえぎられ、前に進めません」
木村の返答は厳しいものだった。
「万事休すとでも言うつもりかね?どんな方法を使ってでも突破したまえ」
桧山は困惑した顔で西田の顔を伺った。
「A班に囮になってもらうしかない」
西田は考えたあげく、無線で志村を呼び出した。
「志村、A班を率いて左翼から敵をひきつけろ。その間に我々が岩山を越える」
興奮した志村の答えが返ってきた。
「存分に暴れて見せます!」
すると島津一等兵が無線に割り込んできた。
「島津です、我々も囮に加わります。A班だけではもたないでしょう」
「わかった、B班を回してくれ。だが島津はこっちへ来い。ここは敵の制圧下だ。包囲されるかもしれない」
会話を聞いた桧山は慌てて西田の肩をつかんだ。
「待って、たった三十名であの大軍に戦闘を仕掛けさせるつもり?包囲されたらひとたまりもありません!」
「必要な犠牲だ。あの学者先生には織り込み済みのことだろう」
「分かっていますが・・・しかし・・・」
桧山は誰かが犠牲となる覚悟はできていたつもりだった。三つのチームに分かれた理由もそこにあった。
しかし現実にその事態に直面すると心が揺らいだ。桧山は山口一等兵に同行していた自分の部下に呼びかけた。
「木田一曹、聞こえる?」
「はい、三尉」
木田は応えた。
「聞いての通りよ・・・あなたたちはこれから米軍と交戦することになります。犠牲は避けられないでしょう・・・」
「覚悟はできております。桧山三尉も、お気をつけて進んで下さい」
「木田一曹、気をつけて・・・」
司令室で一部始終を聞いていた杉山は、落ち着かない様子で木村に尋ねた。
「よい状況とは言えませんな。本当に米軍と撃合いになるのですか?」
「ここで躊躇すれば永久にチャンスは失われる。何としても目標のZ地点の洞窟へたどり着かなくては意味がない」
「しかし、我々がここで戦闘行為にでれば、歴史への干渉の影響が・・・」
「確定した事実は変わりようがない。我々がここでいくら暴れまわったとしても、それが織り込み済みの歴史の中に我々は生きている。分かるかね?」
「では、日本兵の軍服を着たレインジャー隊員が不幸にしてここで死んだとしても・・・」
「そう、日本兵として、山ほどの戦死者とともに葬られるだけだ」
A班とB班が合流した。後から追ってきた第一空挺団の隊員が、暗視スコープと無線機を集め始めた。これは彼らが戦闘行動に入る場合に、あらかじめ決められた手順だった。
「他に妙なものは持ってないだろうな?」
木田一曹が隊員たちに言うと、一人が携帯電話を差し出した。
「お前、使えないのに何だってこんなものを?」
「妻からのメールを時々見ていまして・・・随分前のものですが」
すると他の数名も携帯電話を取り出した。木田はため息をつくしかなかった。
「何だそりゃ?」
山口一等兵が木田に尋ねた。
「家族からの手紙のようなものです」
「手紙?そんな大切なものなら持たせておけ。手紙は故郷との唯一の絆だ・・・俺は郵便屋だからよく分かる」
「命令ですから・・・これで晴れて本物の日本兵になります」
第一空挺団の二名は、袋を抱えて立ち去った。三十名のレインジャー隊員は米軍陣地へ向かった。先頭の志村がさっと身をかがめて山口に合図した。
「見ろ、アメ公どもがウヨウヨいる」
山口は瓦礫の間から敵陣をのぞき込んだ。
「きっとここが敵の最前線だ」
塹壕に陣取った米軍は皆、背を向けていた。山口、志村とレインジャー隊員たちは米軍占領区域の真っ只にいた。時折打ち上げられる照明弾の光で、敵陣の全貌を見渡すことができた。
「どうやって仕掛けるか・・・」
三百人を越える敵軍を目の前にして、山口は考え込んだ。志村はじれったそうに言った。
「背後を突けるから有利だ、斬り込めばいいじゃないか」
「馬鹿言え、こっちはたったの三十人だ」
山口は思い出したように木田一曹へ言った。
「考えてみれば、貴様が、最上位階級だ。何か作戦はないのか?」
木田は敵陣をざっと眺めて言った。
「まず手榴弾を使って手前の二つの銃座を奪う・・・敵も少ないし、あそこなら持ちこたえられそうです」
山口と志村は顔を見合わせた。
「よし、それで行こう」
木田は言ったものの、緊張を隠せなかった。生身の人間に発砲する実戦は、無論初めてのことだった。
「本当に始まっちまうのか・・・」
木田は独り言のようにつぶやいた。
米軍陣地の右翼では、西田伍長、桧山三尉たちC班に島津一等兵が加わり、じっと身を潜めていた。
「あそこを越えれば日本軍の勢力下だ。Z地点の洞窟も目と鼻の先だ」
西田は小声で桧山に言った。
「無事に越えられたらの話です」
西田は島津を手招きした。
「何です?伍長」
西田は周囲に聞こえないように言った。
「志村と山口が無事で済むとは思えない」
「同感です」
「この件が片付いて、もし貴様が生き残っていたら、この島であえて命を落とすことはない。半年後には戦争は終わる・・・」
島津は固まったように西田の顔を見つめた。
「アメ公に降伏しろと?」
「仲間を大勢失って気が引けるだろうが、生き延びることは決して恥ではない」
「伍長殿は?そう思っちゃいない・・・俺も同じです、恥の問題じゃない」
その時、北方で銃声が鳴り響いた。そして照明弾の輝きが一段と増した。山口、志村の陽動作戦による攻撃が始まっていた。
「行くぞ、気をつけろ」
西田は桧山たちに前進の合図をした。西田は再び島津に言った。
「先に行く。いいか、俺が言ったことを忘れるな」
「降伏なんてまっぴらご免です」
西田の肩をつかんだ島津が耳元で言った。
「そうか・・・俺もだ」
西田は言い残し、岩山を目指して飛び出して行った。米軍陣地は、山口、志村両分隊の襲撃を受け、混乱していた。西田と桧山は岩山を難なく登りきることができた。
しかし、全員が登りきらないうちに、米軍は彼らに気付いた。凄まじい銃撃が浴びせられた。頂上にいた西田は、最後に登ってきた島津の腕をつかんで引っ張りあげた。しかし、彼もまた背中に数発の銃弾を受けていた。
「伍長・・・」
倒れこんだ島津は、最後の力をふりしぼって西田に言った。
「自分はここで死にます・・・伍長だけでも生き延びて・・・」
そこで島津は息絶えた。西田は目を閉じ、戦友の冥福を祈った。そして米軍の銃撃が止み、北方での銃声も聞こえなくなった。
その時、山口、志村、木田は敵弾に倒れていた。部隊は全滅し、米海兵隊が死体を数えているところだった。戦死三十二名、生存者はゼロだった。
重力崩壊点
残ったC班の隊員たちは暗闇の中を慎重に進んだ。
「桧山三尉、こちらは木村だ。報告を求める・・・」
「桧山です。A班とB班の安否は不明です・・・」
「やむを得ない、全滅したとしても、犠牲を無駄にしてはならない・・・君たちは目的地までわずかの距離にいる」
先頭の西田が足を止めた。後続の隊員たちもこわばった表情で立ち止まった。前方に日本兵の遺体が散乱している。その数は四〇を越え、全て海軍陸戦隊の軍服を着ていた。
西田は周囲を警戒しながら歩み寄り、遺体のひとつに手を触れた。
「こいつは・・・撃たれて間もないようだ」
三村課長は何かに気付いたように前方を指差した。それは遺体の山にに囲まれた中心にあった。
「桧山三尉、見てください、洞窟の入口です」
それは誰の目にもはっきり見えた。探し求めていた、全ての謎の鍵を握る洞窟の入口だった。木村教授の推理が正しければ、この中に神田中佐なる人物が潜んでいるはずだった。人類の大災厄をもたらした彼の発明品とともに・・・
桧山は小声で木村に報告した。
「目標のZ地点に到達しました・・・しかし、周りは日本兵の死体の山です」
木村教授からの返答はなかった。
「木村教授、どうしますか?入りますか?」
しばらくの沈黙のあと、やっと答えが返ってきた。
「日本兵の死体・・・こいつは予想外だった。注意して入りたまえ。誰かを見張りに残したほうがいい」
桧山は西田に近づいて言った。
「西田伍長、これが最後の頼みです。ここに残ってしばらく見張っていて下さい」
「大丈夫か?」
「あとはこちらでやります。今まで有難う・・・あなたに出会えてよかった・・・」
「俺もだ、気をつけるんだぞ・・・」
桧山はうなずき、決心したように洞窟に足を踏み入れた。あとに続く陸自隊員、三村、菊池は緊張した面持ちだった。
人の気配は感じられず、中は暗いランプに灯されている。他の洞窟と違って随分と広い通路だ。奥へ進むにつれてさらに広まり、大きな空洞に突き当たった。桧山は立ち止まって言った。
「三村課長、あれがそうですか?」
一〇メートル近くある円筒状の物体が、傾斜したまま地表から突き出している。ライトグレーの表面の光沢は、特殊加工を施された金属のように見える。青白く、眩しいほどの光のすじが、数か所からもれている。地響きのような、不気味な低音とともに。
同行していた技術者の菊池と三村、そして桧山はの得体の知れない物体に近づいていった。他の隊員は、唖然として遠巻きに見守るだけだった。
「三村課長・・・」
菊池は操作盤のようなものを見つけた。何かのデータを示す、何十列にもわたるデジタル表示の数値・・・とても旧日本軍の発明とは思われない代物だった。
三村の装備している小型カメラは木村教授へ映像を送っているはずだった。三村は無線で呼びかけた。
「木村教授、見えますか?」
返事はしばらく経って返ってきた。
「ああ、よく見える・・・やっと見つけたな・・・」
「これが、全ての発端ということですか・・・想像していたものより小さいです、これで超重力を起こせるのでしょうか?」
「LHCは、外周三十キロのトンネルで陽子どうしを衝突させる。超伝導磁石で加速した陽子を周回軌道に乗せる構造だ。しかしこれは・・・」
木村は映像を見ながら言葉につまった。
「恐らく・・・全く別の方法でそれを実現している・・・反射の原理かあるいは・・・」
桧山は目の前の広い空間を見渡していた。二メートルほどの高さに、数か所の横穴が見えた。桧山は部下の隊員たちに周囲の警戒を促し、無線マイクを手に取った。
「木村教授、ここが終点ですか?」
「そのようだ・・・気をつけろ、桧山三尉。誰かに見られているかもしれない」
「誰かですって?」
「外の日本兵を皆殺しにした連中だ」
桧山はもう一度、横穴の中の暗闇を見つめた。陸自隊員たちは緊張して銃を構えた。
「木村教授、重力波が強まっています・・・」
三村の用意した測定器は異常値を示していた。
「不安定な状態です・・・どうしますか?教授」
「そいつは動いているということだ。もっと近寄って一周してくれないか?」
三村はカメラを向けながら慎重に周囲を歩いて回った。
「そこ!」
木村の声に三村ははっとなって立ち止まった。
「その突起物の下・・・つなぎ目が見える・・・どちらかに開くはずだ」
三村と菊池は慎重に周囲を調べた。そのつなぎ目は、工具なしで簡単に開いた。中は電気回路のような基板がぎっしりと詰まっている。
技術者の菊池は目を疑った。
「半導体基板に集積回路・・・これは我々の時代のものと変わりません。一体これは・・・」
木村はモニター越しに、じっとそれを見つめている。
「菊池君、もっと調べてくれ・・・知りたいのは動力源を断てるかどうかだ」
菊池は何かに気づいたのか、テスターで電気回路を調べ始めた。
「木村教授、電気回路の一部がやられていいます。操作盤らしきものがありますが、全く効きません。恐らく・・・基盤を取り替えないと、操作は難しいと思います」
「何か手はないか考えるんだ。それと桧山三尉、プランDの準備を頼む」
司令室の木村は、腕組みをしてじっと考え込んだ。隣の杉山が遠慮がちに尋ねた。
「さっき、我々と同じ時代のものと言っていましたが、どういう事ですか?」
「鶏が先か、卵が先かの話だ・・・あれは我々の時代のもので、この時代に落ち込んだ・・・衝撃で制御機能がダウンした・・・そうとしか思えない」
後ろに立っていたクロダ少佐が木村に尋ねた。
「プランDとは何ですか?」
木村が何かを言おうとする前に、桧山から無線連絡が入った。
「木村教授、プラスチック爆弾をセットしました。リモコン操作で起爆できます」
「爆破?」
クロダは驚いた。
「それで解決するのですか?教授」
「あの得体の知れない装置を止められない場合は、洞窟もろとも吹き飛ばす。重力崩壊を食い止めるのがZ地点へ来た目的だ」
今度は菊池から報告が入った。
「木村教授、この装置は作動したままフリーズ状態です。とてもコントロールできません」
木村は決断した。
「プランDを実行する。全員退避したまえ」
菊池は最後に付け加えた。
「それともう一つ・・・部品の大部分は米国製でした」
陸自隊員の一人が、桧山へ起爆スイッチを手渡した。桧山は洞窟内の全員に言った。
「退避しましょう!」
突然、洞窟の暗闇から三人の人影が現れた。振り向いた桧山は唖然とした。
「あなたは・・・」
その瞬間、銃声と共に桧山は吹き飛ばされた。陸自隊員たちは応戦する間もなく、次々と機関銃弾になぎ倒された。
何が起こったのか分からぬまま、三村と菊池は茫然と立ち尽くしていた。暗闇から姿を現したのは三人の兵士だった。
「三河准尉・・・」
三村は思わず声をあげた。銃を向け、目の前に立っているのは三河准尉と海兵隊二名だった。
モニターで一部始終を見ていた木村は、マイクを手にとった。
「三河准尉、君か・・・入口の日本兵を殺したのも君たちだな?先回りとは恐れ入った」
司令室の木村と杉山も、銃を構えた海兵隊員に取り囲まれていた。陸自の通信員が銃に手をかけた途端、彼は射殺された。引き金を引いた海兵隊員の中心にクロダ少佐が立っている。
「木村教授、あなたには失望したよ・・・爆破は困る」
クロダは淡々と言った。状況を飲み込めない杉山は立ち上がった。
「何なんだ、君たちは!気でも狂ったか?」
クロダ少佐は杉山にピストルを向けた。
「杉山情報官、君は何も分かっちゃいない、撃つ価値もない男だ。とにかく座れ」
海兵隊たちの小銃は杉山に向けられている。杉山は仕方なく座ったが、クロダを睨みつけたままだった。
「君が陸自隊員を殺させたのか・・・」
「三河准尉は仕方なく引き金を引いた。彼女は元々、我々側の人間だ」
クロダはモニターに映った物体を誇らしげに指さした。
「あれはSBW四○四と呼ばれる試作実験機で、我が合衆国の資産だ。君たちに爆破する権利などない」
洞窟の中で、三村と菊池は、三河と海兵隊二名に銃を向けられていた。三村は倒れた陸自隊員たち・・・桧山を含む、動かなくなった三人を、横目で力なく見ていた。
三河は菊池に近づき、数枚のプリント基盤を差し出した。
「これは予備の基盤よ。電気技師なら交換できるでしょう?」
菊池は驚いた顔でそれを受け取った。海兵隊に銃を突きつけられ、渋々と彼は作業に取り掛かった。
三村は首を振りながら、三河へ言った。
「三河准尉・・・米軍の回し者だったのか・・・木村教授を連れてきた君が何故・・・」
「それも米軍の命令よ、おしゃべりはここまで。黙って見ていなさい」
三河は無線でクロダを呼び出した。
「クロダ少佐、SBWの修理に取り掛かります。再起動の準備ができ次第、報告します」
司令室では、クロダ少佐が、木村教授の目の前に立っていた。クロダは尋問するような口調で木村に言った。
「木村教授、我々はずっと前から、あなたを探し続けていた。何故だか分かるね?」
「分からない。何を言っている?君は」
「猿芝居は止めたまえ、それとも記憶を失ったのか?」
クロダは確かめるように木村の目をじっと見た。そしてクロダは答えを言った。
「SBWを完成させたのは、あなただからだ。木村教授」
木村は表情一つ変えない。だが杉山は衝撃を受けた顔で、木村をまじまじと見ている。
「木村教授、どういう事ですか・・・」
「まあ待て、杉山君。続きを聞こうじゃないか」
クロダ少佐は洞窟内を映しているモニターに目をやった。装置の前で菊池主任が破損した基盤を取り換えているところだった。
「設計図を書いたのは、君の言う通り、神田中佐という将校だ。但し、一九四五年時点で、それは単なるガラクタに過ぎなかった。だが設計図は驚く程革新的で・・・我が海軍は彼を捕虜にし、戦後も極秘に研究を続けた」
クロダは説明を止め、マイクを手にとった。
「三河准尉、何をもたついている。急がせろ!」
急き立てるクロダなだめるように、木村が言った。
「あまり急がせると起動に失敗するぞ・・・ところで、少なくともあれはガラクタではない。何が起きたんだね?しくじったでは済まされないぞ・・・人類が滅んだんだ」
「SBWは試運転で重力崩壊現象を作り出すことに成功した・・・同時にこの装置は跡形もなく消えてしまった・・・今やっとそれを見つけることが出来たわけだ。人類滅亡?あなたにも、その責任がある」
「一連の話と、私との関連は何もないが」
「神田中佐には助手がいた。一九六五年からおよそ二十年間、ほぼ九十九パーセントをその助手が完成させた。神田中佐が一九七一年二月、突然失踪したからだ。彼の消息は未だに不明だ・・・そしてその助手というのが木村教授、あなたと言うわけだ」
「何だって?助手が私という根拠は?」
「決め手は遺伝子の一致だ。これは最近になって分かった」
クロダは再びマイクをとった。
「三河准尉、あとどのくらいだ?」
「一○分程待って下さい」
三河の返答を聞いて、クロダはため息をつきながら腰掛けた。そして語り始めた。
「ある少年がいた。空襲で母親を亡くし、父親はこの島で戦死した。孤児になった少年は無口で笑ったこともない、変わり者だった。だが成長するにつれ、ずば抜けた才能の持ち主として、頭角を表すになる・・・そして彼は物理学の道へ進んだ。成人になった彼は、何度もこの島を訪れた。何故か?幼い頃、父親が何かを伝えようとしていたことを彼は覚えていた。そのかすかな記憶が、彼をこの島に駆り立てた。父親の足跡をたどり、わずかな手がかりを探し求めて地下通路跡を歩きまわった・・・そして、米軍の極秘の地下実験室に足を踏み入れてしまった・・・神田中佐とはそこで出会った。そして彼は神田中佐の重要な助手として、研究の成功に大きく関わった・・・他に質問は?」
そこへ三河からクロダへ報告が入った。
「交換作業終わりました、これより再起動します」
「宜しい、許可する」
クロダは答え、立ち上がってモニターを注視した。木村はクロダへ問いただした。
「再起動で世界がもとに戻ると思っているのかね?」
「では爆破すると、もとに戻るのかね?」
逆にクロダが木村に問い返した。木村は即座に答えた。
「再起動か、爆破か?いずれも世界がどうなるかの関連ではない、それはもっと別なところへあると思っている」
「ほう・・・もはや我々には関心のないことだ。重要なのはSBWを元の世界に戻すことだ・・・見たまえ、この偉大なマシーンを。人類の滅亡?そんなことはどうでもよい。新たな歴史を作り出すことができるからだ。」
洞窟では、装置の再起動が始まろうとしていた。制御盤を操作していた海兵隊員が、装置から離れていった。既に三河と三村、菊池が装置から距離をとり、遠巻きに見ている。
低音が鳴り響き、洞窟全体が振動を始めた。
「クロダ少佐、正常に起動しました。三六分後に、超重力の限界点に達します」
三河は報告した。クロダは満足そうにうなずいた。
「宜しい。三六分か・・・戻って来れるな?」
「はい、神田ルートで戻ります」
「では最後の仕事を片付けて帰ってこい。私は先に戻らなくてはならない。SBW初期設置点だ。時空トンネルは三六分で閉じられる」
「分かりました少佐」
クロダは帰り支度を始めた。海兵隊員たちは、木村と杉山を座っていた椅子にロープでぐるぐる巻きにした。
「木村教授、ここで見ているがいい。三河准尉が戻ってきて、君たちを救ってくれる・・・命を断つことによってね」
クロダは収集したデータファイルを集めながら、木村に声をかけた。
「木村教授、君の言ったとおり、歪みの世界で君たちは生きている。ここで君たちが死ぬと、どうなるか興味ないかね?悲観することはないかもしれない」
縛られたまま、木村は冷静に答えた。
「ひとつ重要な事実を教えよう、私の父は戦死していないし、母親もいた、孤児ではなかったということだ。従ってこの島へ来る動機もないし、神田中佐と出会った事実もない」
聞いた途端、クロダは笑った。
「何を言い出すのかね?君は神田中佐の助手だった。遺伝子の一致という絶対的な裏付けがあるんだよ」
「それこそ、歪みの世界の私だ。それを知っている君も、歪みの世界で漂流していることになる。分からないかね?重ね合わせに起因する歪みの分岐だ」
「分岐?君の父の生死がその分岐だとでも言うのか?」
「それは二義的なもので、根本の発生源は分からない。いずれにしてもだ、波動関数収束の原理により確定する・・・君が存在するか、私が存在するかだ」
クロダはさらに笑った。
「それなら私だな。君は既に敗北しているじゃないか」
クロダは木村を憐れむように、続けた。
「何故否定する?偉大な発明に大きく関わった・・・誇りに思うべきだ」
準備を終えた海兵隊員が、時空トンネルの入口で待機していた。クロダは最後に木村に言った。
「残念だが、お別れだ。もう会うこともないだろう」
クロダ少佐は海兵隊と共に、時空トンネルへ吸い込まれるように消えていった。
一方、洞窟内では、三村と菊池の銃殺刑が始まろうとしている。
「悪く思わないで、気象庁のお二人さん」
「待て・・・三河准尉、せめて教えてくれ。神田中佐は一体どこで何をしている?」
三村は尋ねた。三河は淡々と答えた。
「それは私たちもつかめていない、彼は秘密の抜け穴から逃げたみたいね」
「君らはそこを通って先回りを?」
「この奥を行けば五分で戻られる。あなたたちは大変な目にあったでしょうね、教えてあげたかったけど、私は米海軍情報部に属しているの」
三河と海兵隊員は銃を構えた。機関銃の音が洞窟に響き渡った。目を閉じていた、三村と菊池はそっと目を開けた。
三河准尉と海兵隊員二名が、目の前に倒れていた。三村は気配を感じて振り向いた。機関銃を持った、西田伍長が立っている。
「何者だ、こいつらは・・・何故貴様達を殺そうとした?」
西田は倒れている陸自隊員に気付いて駆け寄った。彼は呆然と、動かなくなった桧山を眺めていた。
「裏切りです。おかげで助かりました」
三村は決まり悪そうに言った。そして思い出したように、無線マイクを手にとった。
「木村教授、聞こえますか?」
「ああ、聞こえる、全て見ていた」
司令室の木村は、縛られたまま、マイクに顔を近づけて言った。
「三村君、起爆装置は?」
三村は周りを探し周り、リモコンの起爆スイッチを拾った。
「ありました!」
「タイマーのセットは可能か?」
「はい、何分にしましょう・・・」
「二十分にセットして、直ちに戻れ。抜け道は分かるか?」
「はい、恐らく」
菊池がタイマーをセットした。それを確認した三村は、念を押すように木村に言った。
「これは正しい選択ですね・・・」
「それは私にも分からんよ」
三村は西田の前でお辞儀した。
「西田伍長、今まで有難うございました。我々は戻ります。ここは二十分後に爆破されます。あなたはどうされますか?」
「部下を全員失い、友人も失った・・・未だ戦争は続いている。勤めを果たすまでだ。しかし貴様ら、戻れるのか?」
「この奥に抜け道があるようです、三河准尉はそこを通って先回りをした訳です」
「ならば早く行け」
三村と菊池は再び礼をした。西田は敬礼で応えた。二人は足早に洞窟の奥へ向かった。
時空のトンネルを抜けたクロダ少佐たちは地上へ這い上がった。そこは出発した時と全く違う景色だった。島のはずなのに、海も見えない。緑も、建造物も何もない。砂漠に近い、荒地が広がっているだけだ。
クロダは人影に気づいた。ずっと先で、背中を向けた男が立っている。クロダたちは吸い寄せられるように、男に近づいていった。
男は旧日本軍の将校の身なりをしている。こちらに気付いているはずだが、彼は振り向きもしない。クロダたちは男の前で立ち止まった。
「神田中佐ですか?」
クロダは男に話しかけた。男は背を向けたまま語り始めた。
「ここはどこなのか、何故ここにいるのか、君たちには分からないだろう。ここは人類が生存可能な、数少ない地域のひとつだ。西シベリア平原の一部で、森林は全て枯れてしまった。一万年もすれば元通りになるだろう・・・」
Z地点の洞窟では爆破時刻が迫っていた。西田伍長は三村たちを見送ったあと、陸自隊員の遺体をきれいに並べていた。
何かの動きに西田は気づいた。桧山の体が僅かに動いた。彼女の胸の弾痕に、何かの砕けた破片が突き出ている。西田は彼女の胸ポケットから、割れた石を取り出した。桧山のために『美貴』と彫られた石飾りだ。その石が奇跡的に、銃弾から彼女を守った。
「何てことだ・・・」
西田は慌てて桧山を担ぎ上げた。間に合うかどうかわからなかったが、とにかく三村たちを追って洞窟の奥へ向かった・・・
運命の収束
既に三村と菊池は司令室へたどり着いていた。その直後に、遠くで爆発音が聞こえた。
「時間通りです・・・爆破されました」
菊池は三村に言った。縛られている杉山が叫んだ。
「早く解いてくれ!時空トンネルが閉じてしまう・・・」
三村と菊池は慌てて木村と杉山の縄を解いた。四人は大急ぎで時空トンネルへ走った。時空トンネルの入口の前で、彼らは立ち止まった。
「未だ入口があります・・・通って戻れるでしょうか?」
三村は木村教授に尋ねた。
「それこそ、行ってみなけりゃわからんよ」
そして木村は三人に向かって言った。
「ここでお別れになるかもしれない・・・結果がどうであれ、やるべきことはやったと思う・・・みんなに感謝する」
四人はそれぞれ握手を交わした。そしてトンネルの入口に吸い込まれていった。それからまもなく、時空トンネルは消滅した。
クロダは唖然として男の背中を見つめていた。男の説明が正しければ、クロダ少佐たちは、遥かロシアの西シベリア平原まで飛ばされたことになる。
相変わらずその男は背を向けたままだ。クロダはじれったそうに言った。
「もうひとつの答えは?何故我々はここへ・・・」
男は振り向くこともなく答えた。
「残念ながら、君たちは失敗した。私の授けた偉大な発明品は失われてしまった。私の見込み違いだった・・・本当に残念だよ」
男は背を向けたまま、立ち去ろうとした。クロダはピストルを構え、海兵隊員二人も男に銃を向けた。
「待て、神田中佐。やっと見つけたのに、勝手に行かれては困る」
男は笑って言った。
「許しを請うどころか、銃で脅しかね?悪いが私は次のプランを考えなくてはならない。これで失礼する」
クロダたちはいつの間にか、四十人近くの兵士に取り囲まれている。いずれも旧日本軍の海軍陸戦隊の軍服を着、一〇〇式機関銃を装備している。
クロダたちは諦めたように銃を下ろした・・・
洞窟の司令室へたどり着いた西田は、医務室のベッドへ桧山を寝かせた。西田は洞窟内を探し回ったが、誰もいない。そして時空トンネルは消滅している。
西田はぐったりしたように腰掛け、気を失った桧山を見て頭を抱えた。彼はふと、モニターそばに置かれている封筒に気付いた。おもりに石が置かれている。西田はその石を手に取って目を丸くした。石には『龍一』の文字が刻まれている。
封筒の表には『西田敬介様』と書かれている。西田は封を開け、手紙を開いた。
『この石の意味することは、あなたが一番よくご存知でしょう。私の名は木村龍一といいます。ずっと前、私は事情があって養子になり、苗字が変わりました。それまでの私の名は、西田龍一です。つまり、私はあなたの息子になります。これからあなたに何が起きるか、私は知っていますが、それは確定した事実ではありません。これからあなたが、ある選択することにより、全てが変わりうることです。こうして出会ったことも、歪められた歴史の一部として、消し去られるかもしれません・・・』
手紙には続きがあった。最後まで読み終えた西田は、手紙を懐にしまった。西田は立ち上がり、横たわっている桧山に言った。
「君は元の時代に戻れない。折角命が助かったのに・・・木村教授によると、ここで当分生きられるそうだ。折を見て、生き延びる方法を考えて欲しい・・・それでは、お別れだ」
気を失っている彼女に、声は届かないはずだった。しかし、いつの間にか彼女の手が、西田の手を握っていた。そっと目を開いた桧山は、西田を見て微笑んだ・・・
木村教授、杉山情報官、三村課長、菊池主任は、飛行場隣の空き地に立っていた。その他、民間人も大勢集まっている。
硫黄島では日米合同の戦没者追悼式が行われていた。晴れ渡った空から日差しが照りつけ、参列者向けにテントが用意されている。
「高齢者にこの日差しは負担ですな」
杉山は独り言のように言った。木村の妙な視線を感じ、杉山はごまかすように苦笑した。
「あなたのことではありません・・・大学教授だとか?何かの研究でここへ?」
「君の言うとおり高齢者だよ」
そのやり取りを、三村は不思議そうな顔で見ている。
「専攻は物理学では?」
三村の言葉に、木村はまじまじと三村の顔をみた。
「失礼しました。私は気象庁の三村といいます。以前お会いしたような気がしまして・・・」
「君の言うとおりだ。どこかで会ったということだろう」
四人は不思議な感覚で、お互い顔を見合わせている。
「私は研究で来たわけではない。父が軍人としてこの島で戦った」
そして木村は思い出したように苦笑した。
「戦没者ではない、終戦後にひょっこりと帰ってきた。再婚相手まで連れてな」
三村は木村の話に驚いた。
「この激戦の島で生き延びたとは奇跡ですね」
「奇跡か・・・この奇跡は私の運命を変えたかもしれない・・・うまく言えないが、運命の分岐点があるとすれば、その時だったろう・・・」
轟音にかき消され、三村には木村教授の声が聞き取れなくなった。
上空を航空機が通過し、四人は思わず空を見上げた。海上保安庁のYS―11だ。
「こちらブルーイレブン、今のところ異常は認められません。これより帰還します」
機長は横浜の第三管区海上保安本部へ報告した。
「こちら横浜本部です。海自からの要請で、行方不明船の搜索にあたってください」
「海自ですか?」
「護衛艦の『ひえい』が消息を断ちました。南西の方角です。詳細は追って連絡します」
「了解、連絡を待ちます」
機長と副操縦士は顔を見合わせた。
「五千トンの護衛艦が行方不明ですか?」
副操縦士は納得しない顔で機長に尋ねた。機長は苦笑しながら答えた。
「何かの間違いだ・・・どうせすぐ見つかるさ」
ブルーイレブンは南西に針路をとった。
一九四五年八月十五日、太平洋戦争は終結した。空襲で主要な都市は壊滅し、百万人近くが犠牲となった。
家を失い、食糧難で生活は困難を極めたが、人々は終戦に安堵した。空襲は止み、若者を戦場へ送り出すこともなくなった。これから復興への長い道のりが始まろうとしていた。
五歳になった、西田龍一は広島の実家で終戦を迎えた。
一○月も半ばになったある日、龍一はひとりで川遊びに出かけていた。父の石集めがきっかけで、珍しい形の石を探し集めるようになった。
この日も、父の彫る石飾りにふさわしい形の石をみつけた。龍一はうっかりその石を落としてしまった。目の前に突然、大人の男女が現れ、驚いたのだ。
龍一は大人の顔を見るなり、嬉しそうに笑った。そして父親の西田敬介に抱き抱えられた。
その傍らには、桧山美貴が笑顔で立っていた。