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2.帰りを待つ少女

「なぁ、こんなに長く歩く必要あるのか」

歩き始めて数日後、シーナがほっぺたをカエルみたいに膨らませてゲコゲコ不満を垂れる。長いだの、遠いだの、シーナが鳴いたそういう不満は今日だけで10を超える。

「必要かって、そりゃあ歩かなきゃ魔王城までたどり着けないんだから、当たり前だろ。魔王に来てくださいって言うわけにいかないんだから」

「瞬間移動できるんだろ? 何回もやってたじゃんか。あれやってくれよ、なぁ」

はじめは俺たちをいらないと置いていったシーナも、今ではすっかり俺たちを頼るつもりらしい。回復に痛みを伴うのがよっぽどこたえたんだろう、かわいそうに。すぐさま手のひらを返したところが小動物みたいでかわいくって、俺はなるべく丁寧に説明してやることにした。

「転移魔法かー。使ってもいいけど、あんたはいいのか? あれいったん自分をバラバラにしてから標準地点に再構築してるだけだから、結構嫌がるやつ多いぜ。俺が失敗したら腕やら足やらなくなるかもしれないし」

「えっ……」

「あと、転移した後の自分は本当に転移する前の自分なのかっていうよくあるやつもあるしな。魔王城の一番近くの村から七つ目の村までは地図があるからとべると思うけど、そうするか?」

「……。……」

「ま、気長にいこうや」

返事がなかったので却下とみなして、俺はまた一歩、右足を前に出した。そもそも単純な足の長さでいうならシーナの方が俺より長いし、僧侶と魔法使いより勇者のほうが体力はあるはずなのに、フシギなやつだ。

「そうですよー、勇者さま、気長にいきましょう! 魔王は逃げも隠れもしないんですから」

「しっ、シエルさん……」

シーナがシエルと話すとあからさまにほおが赤くなるのも、今まで友達がいなかったのだろうと思えてほほえましかった。シエルは優しいし田舎っぽい純朴さがあるから、安心するんだろう。シエルが話してくれる稲刈りの後の田畑のいいにおいを、俺もこの旅路で嗅げるのかと思うとがぜんワクワクしてきた。疲れた足に改めて力が入る。

「そ、そういえば、シエルさんも最初会った時は転移魔法で来てましたけど、怖くなかったんですか」

「え? ぜんぜん。アムちゃんのこと信用してるから」

「…………仲が、いいんですね。」

「そうですよー!」

とたん、シーナがその場からピタリと動かなくなってまった。気付いていたがとまれずズンズン歩こうとした俺をシエルが慌てて止めてくれる。どうしたんだ、と思ったのもつかの間、「あーあ!!!」とシーナが空をあおいで大声を出した。

「嫌んなるよなあ、なにもかも俺の思い通りにいかないんだからさあ! 俺のこといじめて楽しいわけ!?」

「ありゃっ、始まったか。シエル、布、布!」

「はいはい〜」

突然奇声をあげるシーナに対して猿轡をはめるのも、ここ数日ですっかり慣れてしまった。かわいそうだが延々と大声をださせてしまうと魔物が寄ってくるので仕方ない。

「やだっ、おい、やだってば!! 女神さん、聞こえてますか〜! 帰らせてくださ〜むぐ! んんん!!! んん〜!!」

「ほら勇者さま、行きますよ〜」

「うーん、俺たち二人じゃ限度があるし、戦士も雇ったほうがいいかもな……」

縄でむりやり縛って猿轡をしたまま宙をふわふわ引っ張られる姿はとうてい勇者には見えず、どちらかというと弟子をいじめてる性悪の魔法使いって感じだった。ここに戦士か剣士、侍でもいればシーナがぐずり出してもおぶっていけると思うのだが……。シエルに持たせるプカプカ浮くものはできれば風船であってほしいし。

「勇者のパーティに入れなんて実質死ねって言ってるのと同じだからなぁ。了承してくれるやつがいるかどうか」

「わかんないよー、いるかもよ。それに、戦士が増えれば勇者さまのお友達も増えるってことだし。勇者さまのお友達は今のところ私たち二人だけなんだもん」

「よし、そうだな! ちょっと寄り道になるけど、コロシアムのあるほうに行ってみるか。食糧が保たなくなったら最悪転移魔法を使えばいいしな」

「んんーッ!!!」

シーナが勢いよく首を振ったので、おそらく賛成の意味だろうと考えて俺たちはにっこりと笑いあった。

「んんんーッ!!!」

シーナのうめき声が青空にこだまする。俺たちもなんだか大きな声が出したくなって、「やっほーっ」「やっほーっ」と叫ぶ。ああ、気分がすっきりした。草むらに隠れていた鳥が逃げていき、かわりにぞろぞろと魔物が現れる。今日も絶好の旅日和だ!


しばらくするとシーナの様子が落ち着いてきたので地面に下ろしてやり、猿轡と縄をほどく。

「気狂いども……」

相変わらずの態度ではあったが、前のような怒りではなく蔑みと呆れと怯えが混ざったような声音だった。ポジティブな感情はひとつもなさそうで少し面白い。影がだんだんななめに長くなってきたこともあって、あたりではそろりそろりと魔物の気配を感じ始めた。

「おい、防御バフかけろ、バフ」

シーナがバフと呼んでいるのはおそらく補助魔法のことだろう。せっかくの回復能力の持ち腐れのような気もするが、再生の痛みに耐えかねてシーナはかなり手堅い戦い方をするようになった。なんでも、倒した魔物の能力を自分のものにすることができるそうで、最近はずっと自分の体を最初に倒したスライム状にして戦っている。臓器さえ守れれば痛くないのだと言う。そこに近づいてきた攻撃をかすかに跳ね返す微弱な魔法を掛け合わせると、まず攻撃が弱まり、当たっても痛まず、無限に再生できると言う仕組みだ。

「来たぞ!がんばれー」

「勇者さまっ、いけ〜っ」

基本的に、戦うのはシーナだけ。俺とシエルはシーナの体にも纏わせた防御魔法を展開した魔法陣の中に立って観戦する。というか、本来はあの魔法は空間に展開するものであって、あんなに形が複雑で常に動いている人間に纏わせるものではない。体の表面を、ものすごくうねるものすごくデコボコした土地だと考えて展開したはいいものの……。可動性を持たせるために効力を弱める必要があった。その防御力は普通の人間に使ったところで大した防御にはならないし、わずかに敵の攻撃の動きを鈍らせる程度。俺の数ある失敗作のうちの一つだった。

「やぁああっ!」

しかし、勇者のすさまじい素早さとは相性が良かったらしい。敵の動きが遅れた一瞬をついて勇者の剣が敵の急所へと伸びる。そして、シーナは戦えば戦うほど強くなる。「経験値二倍で無限レベルアップできるんだよ」と訳のわからないことをいっていたが、それも女神の加護だそうだ。

……彼女の強さに感嘆する一方で、どうしても考えてしまう。こんなにも強い力をもった少女が、生まれた場所でどんな風に扱われたのか、想像するだに胸が痛むじゃないか。パーティに入ることが決まった際、彼女の資料を調べたのだが、驚くべきことにシーナには戸籍がなかった。俺たちにごちる「異世界からきたんだよ」という妄言、「みんなが俺をバカにしてる」という呪詛以外には決して過去を語ろうとはしない。おそらくは、世間体を気にして閉じ込められていたのだろう……おかしくなって当然だ。

「はぁっ、あーあ、もうやだ! つかれた! レベリング終わりっ」

「もうか? まだ数匹しか……」

そう言った瞬間に、シーナが発情期の動物のような怒気を放ってきたので慌てて続きを飲み込む。シーナ以外の魔物を薙ぎ払い、おおかた片付けたところで、改めて近くの洞窟に魔法を張り直して野宿をすることにした。

洞窟の床はごつごつとしていて冷たい。木製の床みたいにそっけない、つるりとした断面もいいが、俺はこういう無骨な感じも好きだった。体の熱があっという間に尻から床に流れていくのも外界とのつながりを強く感じさせて好ましい……俺が変温動物でないために体力を温存できないのが難点だが。残念ながら旅の途中に体力を必要以上に減らすわけにもいかないので、荷物から取り出したじゅうたんを敷いてそこに腰掛け、シエルが集めてきた枯れ木に火をつけた。

「さっきの戦士をもう一人入れるって案、俺も賛成する」

「おっ! めずらしいじゃねぇか〜、俺たちの意見が合うとは」

「ね、勇者さま、気が合いますね!」

「……お前らみたいなパッパラパーとこれからずっと一緒だと思うと気が滅入るからな」

「そうぶすくれるなよォ、そのうち眉毛の間のしわが取れなくなるぜ? じゃあとりあえず、来月に闘技会の開催される街の方へ行ってみようか」

「俺が賛成しなくてもそれはお前らだけで決めてたろ……」

忠告むなしくますます眉間のシワを深くしたシーナがひとりごちている間に、シエルが荷物から地図を取り出してきてくれた。といっても、シエルは地図を読むのが苦手なので読むのは俺の役目だ。隣に座ったシーナに見えるように地図を広げ、街道の中央を指差す。

「俺たちが出発したのは第一の王都、この中央のとこだな。魔王城は正確な位置までは分かんねぇけど、第四の王都の向こう側……多分このへんにあるらしい。んで、今俺たちがいるのはこのあたり」

俺たちの現在地を指差すとシーナが不審そうに首を傾げた。何か気になったのかと聞くと、「なんで真っ直ぐ進まないんだ?」と不思議なことを聞いてくる。

「魔王城はここだろ。この王都から出発したのに、なんでこんな斜めの、ちょっとずれたとこにいるんだ?」

「おいおい、あんたこの谷を突っ切っていく手段まであんのかよ?」

「た、谷? 谷があるのか」

「おおっ、マジかよ……」

きょとんとした顔のシーナを見ていると、本当に今までひとと一切関わりを持てなかったのだと分かり軽く絶望を覚える。谷にまつわる数々の民話はちょっとでも子供と遊んだり街へ出たりすれば必ず耳にするほどメジャーなものばかりだ。教育を受けていない庶民の間に流布している噂は愛すべき荒唐無稽さのものが多いが、それでも、その存在自体を聞いたことがない人間なんて滅多にいない。

「そう、ここには谷があるから、超えていけない。それにこの近隣には街も道もないから食料の補給もできないしな。ここは避けて、一旦第二の王都に向かう。……つもりだったが、闘技会が盛んなのはこのあたりだからな、王都同士を結ぶ大街道を逸れてこのあたりの街に……」

「第一、第二ってなんだ? 王都はいくつもあるのか? それとも国が複数ある?」

「ん? いや、王都は四つだけだ。王一人につき一つの王都を治めてる」

「えっ、それじゃ王様が四人もいるのか。内乱中?」

ここにきて俺も首を傾げたくなってきた。いくら何も教えてもらえなかったとはいえ、こうまで根本的なことを知らずにいられるものだろうか? それに、何も知らないわりには王や軍という概念や内乱の存在も知っているのはどうも釣り合いが取れていない。

「……内乱は、一年くらい前かな、第三の王都で起こったけど小さいもんだ。各都の王の協力ですぐに収まった。国をまとめるのに王がたった一人じゃ足りないだろ? だから四人で支えてるんだ」

「ふーん、そうなのか」

四人の国王がいるのは世界が始まった時から女神に決められていることだ。もしかすると、シーナは邪教の集団の中で育てられていたのかもしれない。……しかしそのわりには反発もない、いやにあっさりとした態度で納得しているようなのも引っかかる……ああ、めんどい。考えるのが嫌になってきた。なんかもう別にどうでもいいや。

シーナの変な態度はとりあえず脇に置いておいて、俺は引き続き地図に目を落とした。

「ともかく、第一の王都と第二の王都を結ぶ大街道を俺たちは今進んでる。ここな。で、戦士を集めるために、こっちに寄り道する」

「寄り道なんかして、そのあいだに魔王が大変なことにならないか?」

「まー、なったらなったでその時だ。寄り道せずにまっすぐ行ったって倒せる保証はなし。気長に行こうや。……シエル、地図ありがとな」

「いえいえ〜」

気長に行こうと言った途端になんだかシーナが不機嫌になった気がしたので、刺激しないように目をそらす。勇者としての責任感が強いのか、シーナはこと魔王討伐の話になると、信じられないくらい真剣になる。俺には理解できないが、それが勇者というものなのかもしれない。

「勇者さま、そろそろごはんにしますかあ? お茶いれますよお」

「あっ、ああ……。おっ、お願いします、ふひっ」

シエルが話しかけると途端に空気感が和らぐ。こいつがここにいてよかった、と、俺は出会ってから何百回も思ったことを改めて心の中でつぶやいた。




 四つの王都は谷を囲んで歪な円を描くように配置されており、その間を結ぶ大街道沿いに小さな村や町が点在している。しかし、中にはより新しい土地や珍しい植物、動物たちを求めて円の外側へ向かった人々がおり、今回目指す街は、その中でもかなり大きく街道を外れて独自の発展を遂げた場所だった。地理的に魔王城から遠いため強力なモンスターこそ存在しないが、街道から外れ王都の手が届かなくなるほどに山賊や野盗は増えていく。そういった外敵から身を守るため、地域全体が武を誇るような土地柄になっているらしかった。

「人々を救うのは当然ですっ、わたしは勇者なんですから!」

俺たちに話すときとは似ても似つかない綺麗な口調でシーナが胸を張ると、周囲の人々が一斉に歓声を挙げる。この村に着いてからずっとシーナはすこぶる機嫌がいい。

「あのぅ、魔法使いさま、僧侶さま、お茶です……」

「これはご親切にどうも」

「こらっ、アムちゃん! いいんですよ、泊めてもらってるんだからお構いなく」

茶と一緒に出されたおにぎりに手を伸ばすとシエルに容赦なくはたき落とされ、思わずちょっと不満な顔をしてしまう。嘘、本当はすごく不満な顔をした。俺は嘘がつけない男だ。

「そんな! モンスターから助けていただいた身なんですもの、構わなくては女神さまに怒られてしまいます。どうか、くつろいでください」

シューカという少女が遠慮がちに、はにかむように微笑む。

「とはいえ倒したのはほとんどアイツ一人だぜ」

「そうですよ〜。乾季が終わったばかりで食糧もそんなにないでしょう?」

シエルの言う通り、あまり村の厚意に甘えてばかりでは悪いかもしれない。レベリング(シーナが修行の意味合いでよく使う言葉)のおかげか、村を襲ったモンスターをすぐさま倒してみせたシーナは、勇者ということが分かるとあっという間に凄まじい厚待遇を受けた。シーナは相変わらず、えへんぷい!と胸を張っている。

「……素敵な方ですよね……」

「あたしたちの自慢の勇者さまです!」

シエルまでなぜか威張っているが、シューカの耳にはもう届いていないらしい。彼女は、あと少しでさらわれるところだったのをシーナが救出した。村には彼女ふくめ、女子供と老人ばかり。村の力自慢たちは軒並み街で行われる大会へ出てしまっており、そこをモンスターに狙われたらしい。シーナを取り囲んでやいのやいのという喧騒から少し離れてぼうっと見つめ続けている姿は、雨のあと、やわらかい日差しをはこぶそよ風のようなささやかさだった。

それにつけても、たしかに俺も今回の件でシーナには驚いた。普段の奇行や態度の悪さになれきっていたせいで忘れていたが、彼女は魔王討伐の命を文句も言わず受け入れた勇者だったのだ。モンスターを視界に入れるや否や自分の身も厭わず走り出し、なりふり構わず村を救ったのは、正直、驚きだった。それどころかシューカを救うために自らの腕をあえて切らせ、攻撃の手が完全に彼女から離れてからモンスターを倒すという自己犠牲まで。あれが本当に普段「歩きたくない」「もうつかれた」「こんなの聞いてない」と連呼していた不満カエルちゃんと同一人物なのだろうか!?

「まー俺らには構わなくていいから、あいつに構ってやってくれや。あんなに機嫌がいいのは初めてだからな。うまい飯食わすなり、だれか抱かせてやるなり」

「ゆっ、勇者さまは、そういったことに……きょ、うみは、あるんでしょうか……っ」

「そりゃ動物なんだからあるんじゃないか?」

そろりそろりとおにぎりに手を伸ばしても、今度は叩かれなかった。やった! 隣に座るシエルにもたれかかっておにぎりを口に運ぶ。村娘はますます上気したほおで浅く呼吸をしていた。

「あんなにかわいらしくて可憐なのに、お強くて、わたし……わたし……」

可愛らしいというのには同意するが、可憐かと言われると全然そんなことない気がする。夜の寒さに耐えるために俺とシエルが一緒に寝ていたら一度寝込みを襲われて殺されかけたこともあるんだぞ。一応誘ったのを断られたのは仕方がない。まだ知り合って間もない人間と寝るのは気を使うだろう。だが、寝込みを襲われるのはあまりにも意味がわからず、問い詰めても「リア獣がゆるせない」と謎の単語を叫ぶばかりで理解ができなかった。仕方がないので最近は毛布で簀巻きにした上からさらにロープで縛り、俺とシエルの間に挟んで寝ている。そんな人間、どう見たって可愛くはあるが可憐ではないだろ。

「じゃあ今日は一緒に寝てやってくれ、あいつも喜ぶかもしれないからな。俺たちはテキトーに納屋でも貸してくれればそこに泊まるよ」

その後もいくらか部屋を貸す貸さないの押し問答があったが、面倒なので省略。ここ最近の野宿でそのあたりにすっかり慣れてしまっているので別に納屋でも構わないのだ。通された納屋では少し前まで羊を飼っていたらしく、干し草が敷き詰めてあった。それを少々拝借して絨毯の下に敷くと寝るのに最適だ。

「勇者さま、今日はゆっくり寝られるといいね」

「そうだな。人と一緒に寝るのとそうじゃないのとではかなり違うからな」

「それもだし、ロープで縛られてるまんまなんてやっぱりかわいそうだもん」

シエルの隣に体を滑り込ませて頭を撫でると、ぽふっとその手を挟まれてそのまま握られる。お互いの体温が体に流れ込んでくる。シエルは、シーナがこうやって体温のやり取りを誰ともしようとしないことが心配なのだ。

「ああ…。そうだな。明日、シーナが元気になってるといいやな」

星明かりがまぶしくて目を閉じると、シエルがもう一度俺の手をぎゅっと握った。


翌日、シーナは真剣な顔で「シューカを旅に連れていきたい」と言い出した。

「いや……、いいけどよ……。いきなりなんだってんだ? 彼女、魔王討伐にそこまで興味がありそうにゃ見えなかったぜ」

「あの子は本当は好きでもない男と親の言いつけで結婚させられてるんだ。俺が助けてあげたいんだよ」

シーナがきりりとした顔でそう言うのが、俺にははるか深い水中で叫んでいるような、ぐわんぐわんという聞こえ方をした。

「助けてあげたいってどういうことだ? 魔王討伐に出るのとこの村に居るのとじゃどっちが安全か明らかだろ」

「俺が守るよ」

「おお……。……本人はなんて言ってんだ?」

「まだ渋ってる。でも、俺が説得してみせる」

気が遠くなりそうだった。この息苦しさを考えると水中奥深くにいるのは俺で、シーナは水面から叫んでいるのかもしれない。いや、もうわりとどっちでもいい。

俺はぼんやり、魔法学校で途中退学していった奴らのことを思い出した。賢く成績優秀だったぼんぼんたちがあっという間に色恋沙汰で身を持ち崩してのめりこんでいくのは、結構な衝撃だった。けれども、あんなに必死でつかんだ全てをかなぐり捨ててまで手に入れたいものがあるなんて、羨ましい、とも思った記憶がある。

それにしたってたった一晩では早すぎる気もするが。一晩て。いくらなんでもチョロすぎるんじゃなかろうか。

「勇者さま、魔王討伐の旅に出るっていうのは、ね、その……言い方は悪いですけど、死ねって言ってるようなもので……。」

俺が反対する気も失せて黙っていると、珍しくシエルが口を挟んできた。シエルは俺と同じくシーナに同情的だが俺より甘いので、彼女には日頃好き放題させているのだが、今回は少し思うところがあるらしい。

「シエルさんは反対なんですか?」

「そうですね、反対です」

シーナの呼吸が一拍遅れたのは、たぶんこうまでしっかり反対されると思っていなかったからだろう。シエルは案外こういうはっきりした物言いをするし、俺はそういうところが好きだ。シーナはまだ安定していそうだった。不安定になったらすぐにでも止められるよう、慎重に挙動を観察する。

「一生をこの村で過ごすと思っていた女の子が、好きな人のためにいきなり死ねって言われるの、つらいと思います。そもそも、そんなに好きなら二番目の旦那さんになってあげればいいのに、どうして自分と一緒に居させようとするんですか。不誠実だと思います」

「に、二番目の旦那さん?」

「そうです! 本当に好きなら、子供のお祝いをあげて旦那さんになるんじゃないんですか。それはイヤ、でも自分とは一緒に居させるって、あの子は勇者さまのオモチャじゃないんですよ」

「え……ええ?」

かなりキツめの物言いだったので反発するかと思いきや、シーナは終始不思議そうな顔をしているだけで怒りなどは読み取れなかった。シエルの言っていることはかなり常識的な一般論だと思うのだが、なぜ驚いた顔をしているのか、こちらが教えてほしいくらいだ。いや、もしかすると谷や王の概念を知らなかったくらいだから結婚も知らないのだろうか?

「まー、俺らがいくら口を挟んでもな……。結局は二人が決めることだ。シューカのことはシーナが守るって断言してることだし」

「アムちゃんのよくないクセだよ、そうやってなんでもすぐ面倒臭がるの! あたしはそんなサイテーなこと、勇者さまにしてほしくない!」

「そんなこと言ったって……シューカが最低女しか好きになれない可能性もあるだろ。最低女と連れ添ってそのへんで野垂れ死ぬのが幸せじゃないなんて言えるのか? 俺たちだって世間的に見ればあんまりハッピーな生き様じゃないだろうけど、俺は不幸なつもりはないぜ」

「む〜……っ」

「お、俺、最低女なの?」

シーナが珍しくぷるぷる震えながら自分のことを指差している。激怒か奇声か驚き、ぶすくれ顔以外の、引きつった笑顔という新しい感情表現だった。この村に来てからたった二日だが、異なるシーナの表情をもういくつも見ている。

「ま、気にすんなよ。人間ってなァちょっとくらい最低な方がカワイイと思うぜ、俺は」

励ますつもりでポン、と肩に手を置いたのだが、シーナはなぜかそのまま崩れ落ちてしまった。


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