1.女神の加護を受けた男
幼い頃から年に似合わない学識と知性、莫大な魔法の才覚を生まれ持った俺は、「女神の加護を受けた男」と呼ばれた。国で一番の魔法学校に飛び級で編入し、今日はその卒業式。エリート街道をひた走る魔法使いには、国に残り研究を続ける道と勇者パーティの一員として魔王を倒す旅に出る二つの道がある。俺は迷いなく後者を選んだ。理由は、頼まれると断れないから。
「アムちゃ〜ん!」
遠くから間抜けな声が背中を追ってくる。僧侶学科のシエルだった。まだ空気の白い朝に鳴く小鳥みたいなやつ。真っ赤なほおが田舎らしくも可愛らしい、俺の唯一の友達だ。子供らしくない振る舞いをする俺は周りにも遠巻きにされて育ったが、シエルにはそんなことは関係がないらしい。お嬢様育ちの母に見せた際には「まるで化け物みたいじゃない」と泣かれてしまった魔法を、「かっこいいよ!」と笑ってくれたシエル。親や級友を怯えさせるのは申し訳ないからもっとバカなふりをしようかと悩む俺を「アムちゃんはあたしとおんなじくらいバカだよ、ふりなんかしなくていいんだよ」と笑ってくれたシエル。キャハハと笑う高い声も耳に刺さっていとおしい。
「アムちゃん、きょうでようやく一緒にパーティ入りだね。勇者さまってどんな人かな? つよいかな、やさしいかな。ううん、多分どっちもだよね」
長いながいながいながい、ながーい卒業式を二人してサボって木の上でおにぎりをかじる。シエルは上機嫌でウフフと笑って、米のつぶをぽろぽろこぼした。下に小鳥が集まってきてそれを食べるのを眺めながら、「どうかねえ」と答える。
「なんでも今回の勇者様は女で、べらぼうに強いんだってな。貴族院のじっちゃんが言うには、剣でなんでも切り裂いちまうとか。あとはどんなに怪我をしてもすぐさま治っちまうんだったかな。羨ましい話だよなあ」
「アムちゃんだってつよいじゃん、頭の中でイメージしたらどんなものでも壊せるんでしょ? チートだよ、チート」
「フフン、まぁ俺にはかわいいかわいい女神さんの加護があるからな。占い師のばあちゃんお墨付きだ。前世で苦労したおかげよ」
「ずるいなー、いいなーっ。あたしだって前世でがんばったんじゃないのかなあ?」
「お前の前世はたぶんヤマモモだろォ、なんてったって顔の赤い部分がそっくりだからな!」
「くふふっ! そうかもー」
やらなきゃいけないことを放置してやる雑談ほど楽しいものはない。遠くでザーッと降っている雨がはいいろのカーテンみたいになっているのもいい感じだ。あのカーテンの向こうに何が隠れていたら楽しいか、シエルと二人で考えていると、ほどなくして俺たちの名前を呼ぶ怒号が聞こえた。
「あれっ、もうばれたかな」
「先生、なんで怒ってるんだろう? あたしたちを怒るのもう諦めたはずなのに」
「卒業式だから気張ってんのかね、ご苦労なこって」
シエルを連れて転移魔法で逃げようとした寸前、「頼むから待てーっ」と今にも泣き出しそうな声に異変を感じて跳びとどまる。どうもただ怒っているだけではないらしく、大急ぎで俺たちに何かを伝えようとしていた。聞けば、勇者がわざわざ俺たちに会いに学長室まできているのだと言う。大はしゃぎするシエルがうでに絡んでくるのを抑えながら、教師が忠告をしてくるのに相槌を打つ。
「いいか、くれぐれもいつもと同じような態度で臨むなよ。勇者さまは、その、なんというか……」
「神聖にして高貴なる方なんだろ、わかってるよ。行こうぜシエル」
「うん!」
「あっ、おい、ちょっとま」
て、と聞こえるより早く、俺たちは学長室に降り立った。
目の前の、正確には斜め前の女から、岩肌を殴る潮風よりも野卑な風がふいて、俺はこの女が勇者なのだと確信した。いかにも吾輩が権威でございと言いたげな雰囲気の学長室が俺はなんだか可愛く思えてお気に入りなのだが、その大きな大きなじゅうたんに、もっといかにも偉いのでございという顔をして座っている女がいる。神聖にして高貴というよりは、泣き疲れてむすくれた小さい子供みたいな面持ちだった。
「よぉ、あんたが勇者さんかい? 名前は?」
気さくに声をかけると、勇者が面食らったように目を丸くする。
「アーマノルドベンジー君、口を慎みなさい」
なぜかいつもより低くてしわしわの声で学長はそう言ったが、あんまり聞く気になれなくて、もう一度同じ質問を繰り返した。「勇者さん、名前は?」 学長も負けじと、今度はさっきよりも強く同じ言葉を繰り返す。「アーマノルドベンジー君、口を慎みなさい!」その言葉の響きはなんだか焦っているようにも聞こえた。
同じでないのは勇者だけだった。ぴく、ぴく、と眉毛の下あたりがつり上がった魚みたいな変な動き方をしたあと、「名乗るならあなたからにして」とつっけんどんに返される。
「もしかしてさっきから学長が虚空に向けて話しかけてると思ってんのかい? 俺はアーマノルドベンジー、長いからアムでいいよ。で、名前は?」
「シーナ。あなた、私と勝負しなさい」
「えっ?」
「勇者殿! いくらなんでも先ほどから狼藉が過ぎますぞ」
あまりにも唐突にいうや否や勇者が俺にかけようとした茶が、学長によって阻止される。空中に固まったままの水滴たちにあっけにとられている俺をギッと睨んで、勇者は枯れ枝が燃えるような勢いでまくし立て出した。
「狼藉? お前らのほうだろ、舐めた態度とりやがって。そんなに気に食わなきゃ思い知らせてやるよ、来い!」
勇者の目が、言葉が、俺の前でメラメラ燃えて吹く風を強く熱くさせる。そりゃあ多少フランクな口調で話しかけたかも知れないが、あつあつの茶をかけられなきゃいけないほど悪いことかそれは!?
「おいおいっ、勇者さん、ちょっと落ち着いてくれよ……ちょっとばかし声の掛け方が親密だったのは謝るけどよ、そんなに目くじらたてなくたって……」
勇者の怒りはいよいよ火山の様相を呈してきた。ちょっとやそっとの説得で収まるような雰囲気ではない。これはまずいぞ、とななめうしろから状況を俯瞰している冷静な俺が囁いてくる。
俺が生まれた時に授かった魔法の才は、頭の中で再構築した物質を思うままに破壊する力。多くのモンスターや動物、聖霊から植物に至るまでの知識を学びほとんどのものを破壊することができるが、人間相手に使うと二度と相手が元に戻らない危険な力だ。そして普通の人間相手なら武器を破壊すればいいが、相手が持っているのはこの世で唯一魔王を倒せる勇者のつるぎ。小競り合いで壊しましたじゃシャレにならない。さらには、転移しようにも、さっきからシエルがパニックになっていて俺から離れた真後ろに突っ立っている。一緒に転移ができるのは触れている相手だけだからシエルをつれていけないし、俺だけ跳んだら勇者の攻撃がシエルにとんでいくかもしれない。学長に助けを求めて目線を動かすと「諦めろ」というようなしらーっとした目をしていた。くそったれ。
「ごっ、」
なんとか通常の魔法で攻撃しようとしたが間に合わず、気づけば自分の口から今まで出したこともないような声とよだれと少量の血が出ていた。目に見えない速さで殴られたらしい、と理解すると同時に、後からほおが一斉に燃え出したように熱くなる。シーナの怒りが燃え移ったんだ、なんてぼんやり思っていたら、徐々に痛みも襲ってきた。歯の間から石を舐めたときみたいな味がする。窓の外は愉快なくらい澄んでいて、遠くのほうでは、はいいろのカーテンがあった場所のさらに向こうに昼の月が出ていた。
「勇者さま、ちょっと怒りっぽい人みたい」
その晩、シエルが学長から聞いてきた話によれば、勇者はそのへんから徴兵してきたどこの馬の骨かもわからない娘で、少々気性が荒いところがあるらしかった。普段はおとなしいらしいのだが、今回は俺たちが勇者をかなり待たせてしまったこと、学長が待たせている間に横柄な態度をとったことなどが理由で腹を立ててしまったらしい。本当は卒業式の後にそのまま勇者と顔合わせだったところを、俺たちがそもそも式に出なかったことが侮辱だと受け取られたようだ。災難に災難が重なり、こういうときに行事はしっかりでておくんだった、と後悔しても、もう遅いのである。
「そうか、そりゃ悪いことしたなぁ。あのじいさん、どうせ嫌なこと言ったんだろうな。会った時からえらいむくれようだったもんよ」
シーナのことを思い返す。いきなり勇者として魔王討伐の命を受けた際にも、彼女はそれを粛々と受けたのだと聞いた。宮廷は魑魅魍魎の跋扈する魔窟、国軍は形式張っていて彼女のような若い女には当たりが強い。勇者に選ばれたのちにそのどちらをも経験したであろうシーナ、家族とも切り離されてこれから重責の旅路に赴くシーナ。憎む気にはなれそうもなかった。
「アムちゃん、顔はまだ痛む?」
「んにゃ、お前の薬草のおかげでかなりマシになったよ。ありがとな」
「……勇者さま、謝ったら許してくれるかなぁ」
「まぁ謝ってみるしかないな。許してくれなきゃ俺が裸踊りでもしてやるよ」
小さく笑い声を漏らして、シエルが俺の腹をぽんぽんと撫でた。外はすっかり暗いので、シエルが点けたろうそくの光以外にあかりはない。明日からは旅に出るわけだから、ベッドで寝るのは今日からしばらくおあずけになる。適当にとった宿は下の酒場がまだ賑わっていた。酔っ払いの意味もない叫び声が気持ちいい。ほおの熱さはすっかりろうそくくらいに収まっていたが、それでもじーんじーんと痛い。かべのほうを向いていると、うしろで服を脱いで寝支度を整えているシエルのかげが、ろうそくに照らされてゆらゆら揺れる。シエルとは寮での六年間もほぼ同室だった。男女の同室は基本禁止されていたが、俺は優等生だったし、シエルは学長や教師連中に好かれていて、なにより二人とも友達がめっぽう少なかったので、オッケーだった。「かげ、揺れてる」と言うと、それに気づいたシエルが余計に揺れながら服を脱いで、なんだか面白くて、二人でケタケタ笑った。
夢を見た。子供の頃の記憶だ。
俺が最初に魔法を使ったとき、親父は「よくやった」と言ったが、おふくろは泣いて怯えていた。親父の一族は魔法使いばかりで格式高い家柄だが商売に疎かったため財がなく、おふくろの家は船を出してひとやま当てた成金商家。俗にいう政略結婚だった。おふくろは魔法なんか使えない、ちょっと絵が描けて動物が好きな普通の女で、普通の子供が生まれてさえいれば、パイなんかをおやつに焼くような母親になっていたはずだった。いや、ちょっとくらいの個性なら、困りながらも上手く向き合っていけただろう。わるい人じゃない。だけどいつでも簡単に人を殺せる子供を愛せる人間なんかいないだろ? そうすることで利益があるか、じゃなきゃどっかおかしいかだ。俺は女神に加護を受けて強く生まれたが、それだけではままならないこともある。シーナは俺だった。シエルはおかしい人間だから、あいつともきっと上手くやれる。シーナは今まで粗雑に扱われていただろうが、当たり前だ。マトモな人間は強すぎる力を怖がる。子供の前でバラバラになったウサギを見て褒める親と泣く親、どっちが人間としてマトモだ?
翌朝、まだ朝日が出る前に宿を出てシーナを迎えに王宮へ行くと、彼女はすでに出立した後だった。自分だけで大丈夫だからと、一人で出て行ってしまったらしい。
「僧侶も魔法使いもいらねぇとは前代未聞だな」
「怪我がすぐ治るっていったって、毒とか麻痺とか、大丈夫なのかな……」
「急ごうや、死なれちゃかなわん」
この時間ならまだそう遠くまで行っていないはずだと考え、転移魔法で街のはずれまで一気に飛ぶ。街の外に出るにはまだ早すぎる、この時間は朝方とはいえ多くの魔物が湧いていて、魔物のつかみ取りでもやりたくなきゃ街の中にいる方がかしこいのだ。交戦中とおぼしきシーナの小さな背中を見つけて急いで走っていくと、ついたころには彼女は地面にうずくまって声にならない唸りを上げていた。
「おい、大丈夫か!」
すぐさま近寄って声をかけると、彼女の服は血でどす黒く汚れていたが外傷はない。ひたいに大粒の汗が玉になって浮いていた。どうやら怪我の治りが早いのは本当らしいが、痛みだけは常人と変わらないらしい。
「かわいそうに……。待ってろ、蒸留酒がある。シエル、湯は?」
「うん、飲ませる」
「俺が見張っとくからその間に頼む。それから移動しよう。ここで立ち往生はまずい」
水筒から取り出した湯の中に蒸留酒を数滴混ぜ、それをゆっくりと口に含ませると、シーナの呼吸がわずかに落ち着いた。涙の乾いた後が痛々しい。
魔物に襲われるのではないかと周囲を警戒していたが、よく見ればあちこちに魔物の残滓が散らばっていた。どうやらシーナは街から出るやいなや多くの魔物によってたかられ、それらを全て倒してしまったらしく、あたりに気配は一つもない。シエルが肩を貸してやる形でシーナを歩かせる。そうこうしているうちに朝日がのぼりはじめ、俺たちはなんとか難を免れた。
「そういえば、勇者は魔物を寄せやすいとか聞いたことがあるな〜。それであんなに大量に襲われたのかもな。難儀なもんだぜ」
「勇者さま、痛そう。大丈夫ですか?」
「……だいじょうぶに見えるかよ、これが」
木のウロで休みはしているが、普通の怪我と違い痛がっている本人は完全に五体満足なので何もしようがない。シーナは右肩のあたりをしきりにさすっている。どうやらそこを食いちぎられてしまったらしい。一応念のためにと拾ってきた元の右腕がそのまま残っているのを見るに、どうやら引っ付いたわけでもなく新しい腕が生えてきたようだ。魔法学校には多くの高位の僧侶がいたが、失われた部位を生やすほどの回復魔法は聞いたことがない。
「まーでも、これも女神の加護のおかげだな」
千切れた右腕と生えている右腕とを比べようとしたところ、なにが逆鱗に触れたのか、突然シーナが叫び出してしまった。
「くそっ!くそっ、くそっ、聞いてないぞ、こんなのっ! とんだ詐欺じゃないかよ、あのくそアマ!!」
「うわっ、どうしたんだよ、落ち着けって。腹でも減ったのか? 干し肉とパンがあるぞ、食うか?」
「何が強くてニューゲームだよ、いてぇ……畜生、聞いてねぇよ、こんなの……」
「……アムちゃん、」
「あー。しょうがないな……」
言いながら、シーナは泣き出してしまう。本来なら望ましくないのだが、仕方なく、もう少しだけ蒸留酒を飲ませることにした。毎回戦闘の後に酒を飲ませていては使い物にならなくなるので今後は何かしらの対策が必要だろう。シエルが慎重に酒を飲ませてやるとシーナの瞳はとろんとして、鼻の穴が少し大きく膨らんだ。
「だいいち、パーティにいるエロい女は俺を好きになるもんだろ、強いんだから、だって俺が無双するための世界だろ!なぁ!なんで強くなったのに、こんな……っ。みじめな……うう……、これじゃあ、なんのための転生なんだか……」
「おいおい、ほんとに大丈夫か?」
「の、飲ませすぎたかな?」
「いや、そんなに酔うような量じゃねぇと思うけど……」
そして、そこからシーナは滔々と語り始めた。
曰く、彼女はもともと異世界の住人で、死後女神に会い、この世界にやってきたということ。女神からは多くの力を授けられており、異様な回復力もその一つに過ぎないこと。元は男だったが、美少女になってチヤホヤされたり美少女と百合百合したくて性転換したのにあまり思うように事が運んでいないこと。さらには、一年前に突然この世界にこの見た目で落とされただけで天涯孤独なので、寂しいということ。
「俺は決めてるんだ、前の世界ではずっと見下されてた。でもそれは前までの俺の話だ。今度は俺を見下したヤツら全員ぶちのめして、分からせてやる。誰が強いかってこと。魔物とか人間とか関係ない、俺を見下したヤツ、全員だ。俺を騙した女神とかいうくそったれアマにも必ず目にもの見せてやる。わかったか? バカップルども」
「……」
「……。」
………………。
「アムちゃん、この人ちょっとおかしいかも……」
「言うな!」
おそらくシーナはあまりにつらいことが連続で起きたストレスとか、これからの旅の重圧で、頭がおかしくなってしまったのだ。俺は昨日までののんきだった自分を少しばかり恥じた。俺は一人の少女の人生が狂ってしまったということも知らずに楽しく学校で勉強をしていた。かわいそうなシーナ!
あまりの痛みと酔いでついには吐いてしまったシーナの背中を二人でさすりながら、俺は、そしておそらくシエルも、一つのことを胸に誓った。必ず魔王を倒し、この少女が再び笑える日を迎えることを。